第5話 初戦

5

「早く……早く……行かない、と」

セシルはブツブツと呟いている。知らせを受け取ってすぐに船は帝国の上空からレオスに向け、出発した。船は全速力で移動しているが、到着には15分程かかると言われ、それからずっとセシルは折れそうな勢いで、杖を握りしめている。

「とにかく地上への転送装置の部屋まで行こう。到着したらすぐに降りられるように」

「ああ」

と走りだそうした時、背後から

「僕も同行します」と声がかけられた。

「ディアン……!」

「大丈夫。足でまといにはなりません」

ディアンは美麗な双剣を腰に帯刀している。

「わかった。頼む!」

『間もなくレオスの上空に到着します。間もなく—』

と船全体にアナウンスが流れ始めた。

「急ぐぞ!」

通路を全力で駆ける。前を走るセシルからは鬼気迫る様子が感じられた。

「ユウくん、僕らも急ぎましょう」

「ああ!」頷きを返し、セシルの後を全力で追った。


「それでは、転送を開始します。3人はそこの転送装置の上に立ってください。」

薄い緑色の光を放つ巨大な円盤の上に3人で立つ。

「2人とも武器は持ちましたか?」

「ああ」 「大丈夫だ」

しっかりと槍を握りしめる。この槍は名高い職人の手によって作られた物であり、魔の武器にこそ劣るものの、あのゲンの体に傷を追わせるほどの代物だ。

「……出来る限り多くの人を助けたいな」

「ああ」「ええ」

転送の準備をしたいたカレンが叫ぶ。

「間もなく転送準備完了します!備えてください!」

直後、転送装置から極大の光が迸り、視界が白で埋め尽くされた。


「ユウくん、セシルくん、大丈夫ですか」

「っ……」

セシルと2人で岩壁に手をついて体を支える。回収の時と同じく、転送も気分が悪くなるようだった。

深く息を吸い込み、吐き気を堪え、頷く。今いる場所はレオスと隣国の間に連なる山の中だ。

「既に侵略は始まってるようです。急がないと多くの死者が出る」

下を見下ろすと、レオスの街のあちこちから火が上がっていた。

「2人とも、行きますよ」と言い、ディアンは、セシルの手首を左手で掴み、俺の手首を右手で掴んで、地を蹴って跳んだ。

ディアンは、ミラが竜と戦った時のように不可視の足場を蹴り飛ばして、前へ、前へ、と高速で跳び続けた。

向かい風が強かに顔面を打ち、まともに目も開けられない。ディアンは街の上空に達すると、下に向け、全力で跳んだ。鈍い振動と共に地面を擦りながら、ディアンは着地した。

ディアンの手が離れ、地に足がつき、吐き気を噛み殺しながら、周囲を見渡す。街のあちこちから悲鳴が上がり、あの時と同じ濃密な死の匂いがする。

「では、ここからは二手に別れましょう。セシルくん、手を出してください。」

セシルが差し出した手をディアンが取り、2人の手を紫の光が包み込んだ。

光が消失した後、セシルの手には不思議な模様が刻まれていた。

「それに魔力を流し込むと、転送魔法が発動します。その手で街の人々に触れてください。そうすれば転送魔法によって、船の避難民を匿う部屋に自動的に飛ばされます。それと、兵士に対して躊躇わないこと。あちらは僕達を全力で殺しに来ます。無力化できればそれが何よりですが、君たちの安全が第一です。無力化が不可能なら……殺してください。」

「兵士には悪いけど俺は母さんと街の皆を守る。手加減するつもりはない」

「……ああ」

俺もセシルも今まで、鍛えてきた。訓練で、帝国が罪無き人々の命を奪おうというのなら、こちらも容赦をするつもりはない。

俺とセシルが同時に強く頷き、ディアンは全速力で、火の海の中へと走っていった。

「セシル、俺達はどうする」

「ここの近くに俺の住んでた家があるんだ。そこへ行こう。母さんを助けねぇと」

「わかった。案内してくれ」

軽く頷き、猛烈な勢いで走り出したセシルの後を必死に追う。

街の中は阿鼻叫喚の地獄だった。絶え間ない悲鳴。死体の焦げる匂い。兵士の槍に突き殺される人々。

「——っ!」

追い続けていたセシルの背中が急に止まり、セシルの目は、燃えている家の前に立ち尽くす女の人に釘付けだった。

「母さん!」

「セシル!?あなた、何で生きて……」

セシルは女の人へ猛然と走り、有無を言わさず肩に触れ、女の人は髪の毛一本残さず消えた。

その背中に声をかける。

「セシル……」

「レオスに初めて帝国が攻めてきた時、俺は匣を奪うために誘拐されたんだ。その途中でカルナさんに助けられてさ。想像してはいたけど、やっぱ俺は死んだと思われていたんだな……」

セシルは軽く頭を振り、

「母さんは助け出した。街の人達を助けなきゃ」と言い、兵士達の方に突進した。必死で後を追う。セシルはあちこちに魔法をばら撒き、兵士達を蹴散らしていた。

逃げ惑う人達の中で、小さな少女がつまづいて、転んだ。直感でやばい、と思った瞬間、全力でそこへ飛び込む。

少女に兵士の剣が振り下ろされ、直前で間に割って入った。刃を槍で受け止め、弾き返す。

よろけた兵士めがけて全力で肩からタックルし、押し倒す。倒れた兵士の腹の上に、滑らかな動作で馬乗りになったところで、兵士が腰から短刀を抜こうとしたので、足でその手首を踏みつけた。衝撃で、兵士は短刀を取り損ね、それは地面に転がった。

兵士がもう一方の手で先ほどのタックルで落とした剣を拾おうとしたので、その手首も踏みつけ、両腕の自由を奪う。

槍の穂先を喉に向け、

—この人にも帰りを待つ家族が……

躊躇いを打ち消すように、突き立てた。血が溢れ、逃れようともがいていた兵士の動きが止まる。

……本物の命を奪った。覚悟していても、その事実は俺の心に重くのしかかる。でも今はそんなことを考えている場合じゃない。ここは戦場。殺すし、殺される場だ。

迅速に動かなくなった兵士から離れる。悲鳴が聞こえ、振り返ると、先ほど助けた少女が2人の兵士に囲まれていた。

「やめ—」

ろ、と言おうとした時に2人の兵士は横からの衝撃波に吹き飛ばされ、背後の壁で後頭部を打ち、気を失った。セシルが真っ直ぐに杖を兵士達に向けていた。セシルは杖をおろし、女の子に走りよって、触れた。女の子は跡形もなく消失する。

「生きてる人は50人くらい転送したよ。こんな惨状だとは思ってなかったぜ……」

「そう……だ、な」

「飛び出すんじゃなくて、カルナさんやミラちゃん達に任せておけばよかったのかもしれないな……すまないな、ユウ。迷惑をかけて。」

「カルナ達ならもっとうまくやっただろうな……気にするな、俺もお前の立場だったら同じことをしていた。」

と言った瞬間、背後から視線を感じて振り向く。

兵士が一人立っていた。こちらをゾッとするような笑みを浮かべて見ている。その笑みに、俺は心の底から恐怖した。そいつは村を襲った竜以上に、濃密な、死を連想させるオーラを纏っていた。

「なんだ、アイツ……」

「ほっとけよ、それより他の場所に行こう。まだ避難出来てない人たちを助けなきゃ。」

「ああ」

兵士に背を向け、走り去る。背後からの視線を無視して。


奇襲部隊の兵士達の攻撃はゲンの攻撃に比べて、鈍く、短調で読みやすい。攻撃の網を掻い潜りながら、住民を転送するセシルのサポートをする。……もう既にここに来るまでに3人殺した。出来るだけ無力化したいところだが、戦闘に関して経験が深い訳では無いのでどうしたって殺すしかない。思わず歯噛みし、自分の無力さを呪った。

そんな俺に気がついた様子のセシルが

「ユウ、俺だって無駄な殺しはしたくねぇが、今はそれどころじゃ……」

「ああ、わかってる。この反省は帰ってからだ。」

突如、足元に全身が切り裂かれ、ズタズタになった兵士が落下してきた。前方を見やると、斬撃の嵐が吹き荒れ、絶え間なく肉を裂く処刑の音が響き、30人近くの兵士が宙を舞っていた。嵐が止んだ途端、空中の兵士が地上に落下する。

驚いたことに全員、息がある。だがこの様子ではしばらく立ち上がれまい。

嵐の中央にいたのは、ディアンだった。双剣に風を纏い、剣人一体となって舞う彼の姿は美しく、呼吸することを忘れた。これが実戦経験の違いなのかと、戦場であるにも関わらず、放心して突っ立っていると、

「二人とも!南側の生きてる人達は全員転送しました!ついてきてください!」と言い、走り出した。

「セシル、行くぞ!」

「ああ……にしてもさっきの凄かったな。」

「……だな」

先導するディアンの背中は、目の前なのに途方もなく遠く感じた。


ディアンが街中を駆け巡り、ほとんどの兵士を無力化、あるいは重症を負わせたので、帝国の奇襲部隊はやむなく撤退した。後ろを追った俺達は住民を転送しつつ、兵士と戦ったが、ディアンのように無力化することは不可能だった。

一番の気がかりは、もし帝国の本隊が来た時、レオスは簡単に陥落するという事。そして、本隊が来るのは時間の問題だった。


こんなことをした所で、自分の罪が流れるわけじゃない、と分かっていながら、俺は何度も浴場につけられたシャワーを浴びた。

そうしないと、自分の体から漂う血の匂いに耐えきれなかった。幻臭だとわかっていても、浴び続けた。この血の匂いは、一生とれない。今日だけで合計5人も殺した。もう少し自分が強ければディアンのように無力化させることだってできたはずなのに。

奇襲部隊が撤退した後、俺達も回収され、船に戻った。そこには、全てをカルナ達に聞かされ涙する、街の人達の姿があった。

俺に力があれば、兵士も殺さずに済んだし、もっと救えた人間がいた。その事実は俺を深く苛んだ。

だが、この手で救えた人間も、ちゃんといた。という事を、助けた少女にお礼を言われた時に感じた。そして俺はその時に、一つの事を決めた。

服を着替え、外に出ると、セシルとセリスが、母親と、何やら楽しそうに話していた。母親の目尻には涙が浮かんでいる。親子の会話に水を指すつもりはないので、素早くその場を立ち去った。

決めたことは、後で教えてやろう。



宮殿の玉座の間に光が差した。その光は扉が重々しく閉まる音と共に消え、玉座の間に再び静寂と漆黒が戻る。

現れたのは、兵士だった。通常モルス帝国において兵士は、玉座の間に立ち入ることを禁じられている。だが、この兵士は入ってきてからずっと平然としていた。

突如、パリパリ、という音と共に、兵士の体の表面が左から剥がれだした。彼は、自らを覆っていた障壁を解除し、姿を現した。兵士の殻の中から現れたその青年は、まるで漆黒の太陽のようだった。

妖しい輝きを放つ双眸が剥き出しになる。その瞳は真っ直ぐに玉座に座る人物に向けられていた。玉座の主が問いかける。

「……ファウストか」

「奴らに関しての情報が手に入ったぜ」

「また兵士に化けて、戦場に行っていたのか。眼前で死を見られるのは羨ましい限りだ。それで、奴らに関しての情報とは何だ」

「ああ。今回の戦場で、兵士と戦って街の住人を助けてる連中がいたんだが、そいつらが「カルナ」、「ミラ」って言ってたぜ。あんな珍しい名前あいつら以外いないだろ」

「それは本当か」

音が聞こえた先に2人が視線を送ると、ガシャ、ガシャ、と鎧の音が鳴り響き、闇に赤い模様が浮かび上がった。

「ああ、デュナス。間違いないさ。しかも、2人のうち、1人には匣がなかった。ま、うっかりアレをつけるのを忘れちまったんだが……」

ファウストは玉座に向かって伸びる階段に腰掛け、傍らに置いてあったリンゴを手に取り、指先で回しながら弄び始める。

「デュナス、お前の騎士団の総力を明後日に動かせるか」

「可能だが、何をするつもりだ。今はレオスの侵略の途中だろう」

「レオスは後回しだ。カルナ達をおびき寄せる囮をやってほしいんだよ」

「何を考えているのか知らんが、俺と騎士団だけでカルナ達が来るのか」

「竜を使えばいい。この前幼竜に使った術式なら120分は保つはずだ。後、俺の配下の魔法使いも全員連れていっていい」

「120分、何をすればいいんだ」

「持ちこたえてくれれば、それだけでいい。ま、バルドが『服従』の神術を俺にくれれば120分どころか永遠に奴隷にできるんだがな」と、後方の玉座を睨みつける。

皇帝バルドはふっ、とため息をつき、

「何度も言わせるな。魔法使いに神術は……」

「あーはいはいわかったわかった。それはもう聞き飽きたぜ。」

「それで、ファウスト。お前は何をするつもりだ?」

「奴らは恐らくここから盗み出した船を拠点にしているはずだ。だが、あちらにエレナがいる以上、外側からの攻略は不可能だ。なら、内側から攻略すればいい」

「お前、何をするつもりだ」

「それは秘密さ……起こる前に結末を知ってしまったら、つまらないだろ?」と言い、ファウストはリンゴを空中に放った。くるくると宙を舞うそれを見つめながら彼は呟く。

「巨大な絶望が目の前に立ち塞がった時、君の綺麗な水色の瞳が、何色に染まるのか。楽しみだよ、ユウくん」

彼は落下してきたリンゴを、片手で受け止め、淫靡な動作で嘗めた。

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