第5話 咲埜(4)

「咲埜はそっちの部屋で、メガネと本、探してくれる?」


部屋に上がりこむなり母は私にそういった。


「読みかけの本があるんですって。入院が長引きそうだから持ってきてって言われちゃったのよ。私はこっちでお祖母さんの着替え用意してるから、そっちお願いしていいかしら」


「えー、わかるかな。まあいいや、わかった」


私と母は、二手に分かれて祖母に届ける荷を準備することになった。


母が指した狭い和室に足を踏み入れ、私は漠然と感じた。


(なんか、寂しい)


とにかく簡素。

祖母の家には、あまり生活感がなかった。


(引越しし慣れてるって言ってたっけ)


いつでも引越しができるくらい荷物が少ない。

そんな感じだった。

私が生まれてからは、引越ししていないようだが、ひどい年は3度くらい引越したとか、いつだか聞いた気もする。


(なんでそんなに引越すんだろ)


まるで何かに追われてるみたいじゃないか。


(借金?)


そのとき、何とは無しに違和感を感じて、私は目を瞬いた。


(…まさかね)


追われてたのか逃げてたのか。

否、そんな人ではなかった気がするが。


「!」


はっとそこで我に返った。

何故そんなこと思ってしまったんだろう。

でも、普通ならそんなに頻繁に引っ越しはしないだろうに。

母はその事情を知ってるんだろうか。


(…言わないよね)


溜息をついて、私は和室の隅に置かれた小さい机の上からメガネケースと、和紙の栞を挟んだ書籍を見つけた。


(これかな)


他に本はあるが、本棚に立てかけられ、しまわれてる。

読みかけの本は恐らくこれだろう。


(これとメガネと…)


「…」


そこで無意識に私は唾を飲んだ。

本棚の隅に、隠れるように置かれた、赤銅色がかった表紙の、小さな書を見つけたから。


「…」


(日記だ)


手にとるまでもなく、何故かすぐにわかった。


母は、祖母と祖父の話は何故かしたがらない。

話が出るたびに複雑な顔をする。

あまり踏み入ってはならないのだと、子供ながらに悟って以来。

祖父母の話題は安崎家では自然となくなっていった。


この赤銅色の手記は。

安崎家と距離を置かんとしていた祖母が書いたもの。


私は、祖父を知らない……。


ー咲埜って男みたいな名前。こんな名前誰がつけたの?ー


ーええ?いい名前じゃない。お祖父さんの名前からとったんだからー


ーお祖父ちゃん??私、会ったこともないよー


ーふふ、そうよね。実はねえ、おかーさんも会ったことないのよー


ーへ!?ー


ー生まれる前に亡くなったんですって、お祖父さんー


どこか遠い目をしたあのときの母の横顔は寂しそうだった。


ーでもね、最後までお祖母さんを守ったヒーローだったんだって、いつもお祖母さん話してくれたわ。あなたの名前、咲埜にするの、お祖母さんとおかーさんとの約束だったのよ。あなたが男の子でも女の子でも、お祖父さんみたいに素敵な人になってほしいからってー


私が聞いた祖父に関わる話は、それが唯一、最初で最後だ。

だが、その話ぶりから、祖父のことを母は知っているのに、自分だけが何も知らされないのだと感じていた。


何故望む名前をつけた孫を祖母は遠ざけたのか。


何故、あれほど敬愛する祖父の墓に、孫を一度も行かせようとしないのか。


何故、母は祖父や祖母のことになると口を閉ざすのか。


何故はそこで終わらない。


祖父はどんな人なのか。

何故夭逝してしまったのか。


(お祖父ちゃんも犬嫌いだったのかな)


ぼんやり思いながら、赤銅色の書に手を伸ばしたのは、ほとんど無意識だった。

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