第3話 咲埜⑵

祖母がどんな顔をしてたか。

あまり覚えていない。

覚えてるのは叱られたこと。

外に出る時は必ず手をつながされて、一度振り切ったことがあるけど、その時された一喝がよほど効いたのか、母が迎えに来るまで私は泣いていた記憶がある。


だから、だろう。

それ以降私は祖母がいる家への道のりを無意識に「嫌な場所に行く道」として記憶したもので、その道のりを行く母を泣いて困らせたものだ。


(イヤな道)


だから覚えてるんだ。


右手に握りしめた鍵は祖母の家の合鍵。

鈍色の金属片をポケットに、私はため息をついた。

ついたというより吐いたが正しい。

子供の頃イヤな場所になってしまった祖母の家に、今私は向かってるから。


わけは、母が単純に祖母の家の鍵を自宅に忘れてしまった電話を受けたから、である。

なんでも、母は祖母の家に寄ってから病院に行こうとしていたらしいが、肝心の鍵を自宅に置いて家を出たらしい。


(私の心配ばっかりするから)


過保護というより、心配性なのだ。昔からあの人は。


私、こと安崎咲埜は、また一つ溜息をついて、自転車に乗った。


我が家には車がない。

数年前に父が所有していた車が、事故で廃車になって、それきりだからだ。

自宅を出た直後の、嘘みたいな事故だった。


あまりに、凄惨で、現場は見せてもらえなかったけど。


(そういえば…)


ふと思い出した。

母はさっきも犬、と言っていたが。


(犬)


なぜさっきあの人は私に確認したんだろう。

黒い犬を見たかと。


「…」


ーおかーさーん、わんわんがいるよー


(そうだ)


そこで私は不意に思い出した。

黒い犬のことを。


ーまっくろいわんわんがいるよー


母が、祖母が嫌がる犬。

父が帰らぬ人となったあの日。

私は、なにをみたんだったろう。


確か。


……

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