第5話 神父の戸惑い

 東南アジアに位置する都市国家であるポルタス・レオニス。

 時刻は午前4時を回ろうとしていた。

 夜中になってもうだるような熱気とまとわりつく湿気しっけただよわせるこの都市の一角・チャイナタウンの中にある安宿やすやどの一室では、ある儀式ぎしきが始まろうとしていた。

 今日のこの儀式ぎしきそなえ、宿からは全ての客が人払ひとばらいされている。

 宿の主人や従業員もその例外ではなく、いま宿の中にいる人間は二人だけだった。

 四階建ての宿の最上階にある角部屋のドアにはしっかりとかぎがかけられ、外側から白木の十字架じゅうじかが銀製のくぎによってり付けられていた。

 6じょうほどの部屋の中からはほとんどの家具が運び出されいて、部屋のすみ唯一ゆいいつ残された椅子いすに何者かがすわっている。

 白いワンピースを身にまとった浅黒い肌のその人物は、肩や手足の細さから女性のように見えた。

 かしの木で作られた硬質こうしつなその椅子いすは、背もたれに鋼鉄の金具が設置されて何十本もの銀製のくぎによって後ろの柱に固定されている。

 同様に4本のあしも床板に固定され、すわっている人物がどんなに暴れても動かないよう処置をほどこされていた。

 その椅子いすくさりでその体をきつくしばり付けられている女の表情は常軌じょうきいっしている。

 その目はり上がり、口からは血のじった唾液だえきがだらしなくれ落ちる。

 そのみにくく鬼のような形相ぎょうそうのせいで判別しにくかったが、その女の年齢はおそらく少女と呼べるほど若いものだった。

 そして窓から差し込む街灯がいとうの明かりが、その少女の前方に立つもう一人の人物の影を長く伸ばしている。

 それは黒衣を身につけた西洋人の神父だった。

 あごに白ヒゲをたくわえた初老の神父は胸に下げた銀の十字架じゅうじかを右手で軽く握り、静かに目を閉じていのりの言葉をつぶやいていた。


 神父の名はジミー・マッケイガン。

 彼は疲労困憊ひろうこんぱいの表情で目の前の少女を見つめ、自分の見立てが間違まちがっていたことを悟った。


「悪魔きではないのか……?」


 マッケイガン神父は悪魔に取りかれて正気を失った者から悪魔をはらい去り続けて20年以上のベテラン祓魔師エクソシストである。

 いつものように悪魔ばらいの依頼を引き受けた神父だったが、想定外の事態におどろきをかくせなかった。


「うがああああっ! があるるるるるるる」


 少女が体の自由を得ようともがき暴れるたびに、固定された椅子いすがギシギシと悲鳴を上げた。

 少女の目は真っ赤に充血し、その口からはまるでケモノのようなうなり声がれる。

 儀式ぎしきが始まってからすでに1時間が経過している。

 部屋の中に充満じゅうまんする黒いきりのような気配けはい、神父らの間で魔気まきばれるそのよどんだ空気も、目の前の狂気きょうきまった人物の顔も神父にとっては見慣みなれた悪魔ばらいの光景だった。

 だというのに事態は彼の思うようには進まず、神父はひたいに玉のようなあせを浮かべて唇をむ。

 そして彼はここ最近耳にしたあるうわさを思い出した。


(悪魔きに症状が似ているものの、従来の悪魔はらいがまるで用を成さないケースがあるという。まさかこれが……?)


 神父の表情から彼の内心を読み取ったのか、少女は突然、人の言葉を話し始めた。


『その古臭ふるくさ儀式ぎしきを何百年続けるつもりだ? 人間』


 その声は少女らしいそれだったが、その口調は尊大そんだいだった。

 神父は少女に向かって隣室りんしつにも聞こえるほどの大きな声を張り上げた。


「貴様は悪魔か! ならばその名を名乗れ!」

『さあ……どうかな。マヌケな神父よ』


 少女はそう言って愉快ゆかいそうに笑うと、それ以上は一言もしゃべらなくなった。

 結局この日、神父は少女の体の中に巣食すくう者の存在をどうすることもできず、少女は拘束具こうそくぐをつけられたまま関連施設へと搬送はんそうされて行くことになった。

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