【短編】起点
それはいつの日だったか。
今よりも少し昔、とある県の、とある街。とある住宅での出来事だった。
深夜の時間帯。
部屋の電気は消えさり、だが人の気配だけがその部屋にある。
「ああ、綺麗だ。本当に……綺麗だ」
男の名前は
男は少女の裸体を目の前にして下劣な笑みを浮かべている。
齢にして九つ程度であろうか?
彼女が着ていたピンクのワンピースは全てずたずたに切り裂かれ、母親にせがんで買ってもらったであろう愛らしいプリントが施された下着は乱暴に床へ捨てられている。
肌は美しく、透き通るほどに白い。
幼いながらも凛々しさと美しさを備えたその相貌は、将来多くの男性を翻弄するであろう可能性を秘めている。
その瞳は何も映していない。
少女は、腹を大きく切り裂かれて死んでいた。
「うう、お、お前らが悪いんだぞ。お前らが……」
麟童は、この日、とある一家の住まいに押し入りその家族全員を殺害していた。
数多くの称賛と評価によって肥大化した自尊心は、彼がその尊大で自己中心的な性格によって世間から干された後も息を潜めることはなかった。
むしろあらゆる人から見放されたからこそ、現実と妄想の狭間で整合性の取れぬ幼稚な精神は自己を肥大化させることしかで許されないでいた。
きっかけは不明だ。
理由も常人には理解し難いだろう。
だがさしたる意味もない。
すでに彼は行動に移し、そして終えたからだ。
とかく彼はそのハリボテの虚栄心を満たし、泥のように沈殿した鬱屈を解消するという目的の為だけに、罪もない家族をその手にかけたのだ。
「
ふと、勉強机の上に放り投げられたランドセルが目に入った。
そこに記載された少女の名前をわざわざ読み上げ、麟童は少女の未来を自分の手で塗り替えたという暗い征服感に満たされる。
同時に、喜びの隙間に滑りこむかの様に過去己が様々な人から受けた仕打ちが閃光の如き鋭さを持って脳裏を駆け巡る。
「あああああ! どいつもコイツも!」
麟童は湧いた鬱憤を晴らすかのように手に持つナイフを動かぬ少女の腹に突き立てた。
何度も、何度も、執拗に、繰り返し。
ぐちゃ、ぐちゃと、肉を裂き、潰す音がナイフの動きに合わせて奏でられる。
「馬鹿にしやがって! 馬鹿にしやがって!」
やがて落ち着いたのか、波が引いたかのように無言になる。
次いでじぃっと少女の動かぬ顔を眺め、不意に何かを思いついたかの様に喜悦の表情を浮かべた。
腹にナイフが突き立てられる。
だが今度は明確な意図を持ってそれは振るわれた。
麟童は少女の腹からまず子宮をナイフで切り出し、汚物でも扱うかのように放り投げたのだ。
反面少女の肌には極力傷をつけないように細心の注意を払いながら、用意したタオルで顔面に飛び散った血などを拭いてやる。
続いてぐちゃぐちゃになった腸を取り出す。小さな女児のものとは言え、重量感があるそれは成人男性である麟童とて容易に取り出せるものではなかった。
だがそれでも丁寧に、まるで何かを作り上げるかの様に処理する。
少女の顔を拭いてやる。
筋や皮膜、邪魔な血管を引きちぎる。細心の注意を持って。
少女の顔を拭いてやる。
「ひっ、ひひひ……」
ついには少女の腹にぽっかりと大きな空間が出来上がった。
臓物がすべて取り払われたその場所は予想していたよりも大きく血溜まりになっており、空虚と物悲しい印象を与えてくる。
そんな少女の空間に、空っぽの腹に、麟童は――。
躊躇なく自分の顔を突っ込んだ。
まるで少女の胎内に還るとでも言わんばかりの行動。
常識を逸した行為であったが、麟童の中では確かにそれは芸術であり究極の愛情表現であると認知していた。
下劣な大人の女などにならず、少女のまま、無垢な美しさを有したまま終わりを迎えるのだ。
それがどれほどの美しく、どれほど清らかな行為であるか麟童は世界に伝えたかった。
面を上げた麟童の顔は黒く変色した赤に彩られている。
窓から入る月光が彼の歪んだ笑みをてらてらと映し出し、むせ返るような血臭がおおよそ常人に理解できない惨劇を世界に彩った。
「ああ! 美しい! これこそ俺が求めていたものだ!!」
本人にとっての崇高な理念とは裏腹に、その逸物は怒張し股間には大きな傘を作っている。
興奮が閾値を超えたのか、カチャカチャと急ぎズボンのベルトを外した麟童は、ついには恍惚とした表情で涙とよだれをめいいっぱいに零しながらおのれ自身をしごき始める。
「ああ、ああああっ……」
歓喜だ。
歓喜と愛と、芸術と憎悪と自己愛と……。
全てがごちゃまぜになり、ぐちゃぐちゃに絡み合い、融合している。
彼に未来は無いだろう。
本人とて、日本の警察の優秀さは嫌というほど理解している。
これだけのことをしでかして捕まらない道理はない。
だが、だがそれでも今だけは、麟童はこの激流の如き感情に身を任せていたかった。
手の動きが勢いを増し、少女の血がもたらすぬめりがより深い快感を彼に与える。
もはや自身ですら表現できぬほど増大した感情の中で、麟童はついに大きく身体を仰け反らせ、絶頂へ至らんと絶叫する。
「俺はいま! 本物の芸術作品を作り上げているんだ!」
「わぁ! そうなんだ!!」
死した生首が、ぐるりと持ち上がった。
「――――は?」
麟童の手の中で、興奮が一気に引いていく。
少女はまるで見えない何かによって動かされているかのように、そこだけが生きているかのように、首をキョロキョロと動かして自身や麟童、周囲を見回している。
非現実的な光景で、まるで夢のようだと麟童は思った。
その感想が、狂気に引き裂かれようとする精神を保護しようとする生理的な反応だとは理解せずに……。
「あの、えっと……おまえ、しん、で……」
「これが芸術なんだね! そっかー」
次いで身体が持ち上がった。
びしゃびしゃと腹に溜まっていた血が床に溢れ、だがまるで意思が存在しているかのように波打ち、蠢いている。
手足と頭がバタバタと震え、まるで幼子が一生の宝ものを見つけたかの様に忙しなく、だが意味も無く暴れている。
奇怪な動きの中、少女はニコニコと屈託の無い笑顔を浮かべている。
黄昏麟童は落ちぶれたとは言え天才と評される芸術家だった。
類まれない感性を持ち、常人のそれを超える繊細な感知と認識を得意とする。
故に、彼は少女が浮かべる笑みがこの世のものでないことに気づく。
「ひっ! ひっ、ひぁっ……!」
気づいてしまった。
もっとも、それらは全てにおいて意味のないことだ。
なぜなら、血が失われ白く変色した少女の手はすでに麟童に伸び……。
「これが芸術なんだね! そっかー」
そしてすべての悲劇に至る。
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