【短編】声

 叶ちゃんの家にお呼ばれした。

 特に理由があるわけではないが、学校の帰りに何となしに話題となり、彼女の家に遊びに行くことになったのだ。

 何度か行ったことはあるとはいえ、女の子の家に呼ばれるなんて経験はそうそうないのでさしもの僕も少々緊張してしまう。

 とはいえ、あまり情けない姿を叶ちゃんに見せたくないという意地もあり、今の僕は表には出さないものの内面ですさまじい葛藤を繰り返すのみだ。


「あ、ああ、暁人くん、も、もしかしたらちち散らかってるかもしれないけど!!」

「叶ちゃん落ち着いて」


 緊張が解け、とたんに冷静になった。目の前に僕以上に緊張している子がいたからだ。

 何を隠そう僕の幼馴染で、僕を自らの部屋に招いた張本人である叶ちゃんだ。

 彼女は誰が見ても明らかに緊張している面持ちで、がたがたと震えながら片言で僕を部屋へと招いてくれる。

 そういえば、そもそも僕を家に誘ってくれる時からこうだった。

 たぶん自然と誘えるように綿密な計画を立てていたんだろうけど、実際の場面でこんがらがった。そんな様子だった。


 案内された叶ちゃんの部屋は、以前来た時とさほど様子は変わっていなかった。

 そう頻繁にお呼ばれするわけじゃないが、ごくたまーに用事があって遊びに行ったりすることはある。

 前に来たのはいつだったか……たしかあれは。

 ぼんやりと考え事をしながら、ぬいぐるみや小物で溢れる女の子らしい部屋に少々居心地の悪さを感じる。


「は、はい! 暁人くん、じゅ、じゅーすでしゅ!」

「ありがとう、叶ちゃん」


 ――ガタンッ!

「ひゃうっ!!」


 水面が盛大に揺れ、零れそうになるジュースを受け取った時だった。

 突然クローゼットの中で何かが動くような、崩れるような音が鳴った。

 先ほどまで緊張はしていたもののとてもご機嫌そうな叶ちゃんだったが、その音を聞いた瞬間サッと顔が青ざめる。

 その表情で僕は彼女の悪癖がまだ治っていないことを察してしまう。


「叶ちゃん。もしかしてまだ部屋を掃除するときに邪魔な物はなんでもかんでもクローゼットに放り込む癖なおしてないの?」

「えっ? いやー! えへへ、えっと、そ、そんなことないよ……」


 おそらく手当たり次第に詰め込んだ荷物がクローゼットの中で大雪崩を起こしたのだろう。

 果たしてどんなものがあの中に入っているのか、彼女が僕に見せたくないもの、女の子の秘密となれば少々気にはなってしまう。

 もっとも勝手に彼女の部屋を家探しするような真似はしない。

 彼女が大丈夫と言うのであればそれで十分だし、何より僕は叶ちゃんをいじめに来たのではないのだ。

 ……というか、今回は用事もなく遊びに来たから何をするか迷うぞ。


「えっと、暁人くん。本日は、お日柄も、その、よくて……」

「叶ちゃん、お見合いじゃないんだから別に普通でいいと思うけど……」

「お、お見合い!? ひゃ、ひゃう!!」


 しまった。余計なことを言ってしまった。

 叶ちゃんが僕の言葉によってオーバーヒートする。まぁ、そんなあからさまな態度なものだから、僕も釣られて赤くなってしまう。

 二人してなんともむず痒い空間でそわそわし、必要の無い焦りばかりを募らせる。


 助け船は、意外なところから来た。


「あら? 叶、お友達が来ているの?」


 聞き覚えのあるそれは、僕の記憶が正しければ……。

 ――叶ちゃんの母親のものだ。


「あっ! ママ……じゃなかった、お母さん! そ、そうなんだよ! 暁人くんが来てるんだ!」

「えっと、お邪魔しています、おばさん」


 部屋の向こう側から語り掛けてきたその声は、確かに彼女の母親のものだ。

 断りなくずけずけと入ってこないあたり、僕らに気を使っているのだろう。


「まぁ! まぁまぁまぁ! 叶ったら水臭いじゃない! いつの間に暁人くんを連れ込むようになったの? 今晩はお赤飯ね!」

「もう! お母さん! やめてよ毎回それ言うの! そ、それに、そういうのはまだ早いから!」


 訂正、気を遣うどころか全力で煽ってきた。

 そういえば、叶ちゃんの母親はこういう人だったなぁ、と納得しつつ先ほどからガンガンと頭の中で鳴らされる警鐘を無理やり抑え込む。


「そう? あっと、扉越しじゃ失礼よね。せっかく暁人くんが来てくれたんだし、挨拶したほうがいいかしら?」

「あっ、お、お構いなくおばさん。えっと、大丈夫ですから」

「そうだよ! 邪魔しないで! 私が暁人くんをおもてなししてるんだから」

「えー、そう~?」

「そうなの! ほんとそうなの! だからもういいからー!」


 慌てておばさんの提案を制す。

 今出てこられると良くない。そんな気がするのだ。

 別に叶ちゃんと僕が二人きりで仲良くジュースを飲んでるところを見られるのは問題ない。

 別にやましい行為を二人でしているというわけでもない。

 ただ……。


「ふふふ、じゃあ何か困ったことがあったらなんでも言うのよ? あっ、あと、若さを持て余しているからって、不純異性交遊とか始めたらお母さんも流石に見逃せませんからね!」

「もう! ママどこかいって~~!!」


 叶ちゃんが爆発する。

 おせっかいな母親に対して、ついに堪忍袋の緒が切れたのだろう。

 部屋越しにその怒りを感じたであろうおばさんは、何やらぶつぶつと文句を言っていたがようやく納得してくれる。


「じゃ、ゆっくりしていってね、暁人くん」

「…………ありがとうございます」


 彼女は、最後にひどく嬉しそうな声音で僕へと挨拶し去っていった。

 やがて気配が完全に消える。

 シンと静かになった部屋で耳を立てて様子を伺ってみるが、確かにおばさんは静かになったようでもう先程の様な気配はない。

 ほっと胸をなでおろす。

 目の前の叶ちゃんも僕とまったく同じタイミングでため息を吐いていた。


「じゃあおしゃべり再開しようか、叶ちゃん」

「うん! そうだね暁人くん!」


 嬉しそうに話題を探し始める彼女を見つめながら、僕はおばさんが部屋に入ってこなかったことを一切信じていない神様に感謝する。


 確認するのが恐ろしかったんだ。

 おばさんに会うのが。

 会って真実を知るのが。

 だって……。



 おばさんの声は、叶ちゃんの部屋。

 クローゼットの中からずっと聞こえていたんだから……。

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