【短編】目玉焼き
僕は目玉焼きが嫌いだ。
正確には嫌いになったといった方が正しいだろう。
もしかしたら卵料理もダメかもしれない。
頑張ってなんとか耐えたところで、今日の出来事を決して忘れることはないだろう。
平凡な朝。代り映えのない毎日。
多少差異はあれど、大きな変化のない朝のやり取り。
僕は朝食として用意された目玉焼きを目の前に、夢衣に問いかける。
「それで、これも、悪夢なんだな……」
「そうだね、これも悪夢だね」
暇そうにエプロンのリボンをくるくる指で弄びながら、テーブルの向こう側に座っている夢衣が答えた。
テレビは相変わらず朝のくだらないニュースを放送している。
僕は手元にあったリモコンを手繰り寄せると夢衣に断りを入れることなく電源ボタンを押し込む。
「なぁ夢衣。……これは、その、悪いものなのか?」
「良いか悪いかで言えば、良い部類じゃないのかな? 少なくとも人に危害を与える類のものじゃないと思うよ」
「じゃ、じゃあなんでこんなものが存在するんだよ」
勝手にテレビを消されたことに少々頬を膨らませる妹であったが、僕はそれどころではない。
目下の問題は、突如僕の目の前に出現したこの悪夢の対応なのだ。
視線を向けるのも憚られるそれを指さしながら、跳びかかってきやしないか? とビクビク様子を伺う。
「さぁ? 夢衣に聞かれても分からないよ。ところで、朝ごはんどうする? 冷めちゃうよ?」
「こんな状況で食べられるとは到底思えないんだけど」
「え~? お兄ちゃんわがまま。せっかく可愛い妹が愛情込めて作ったのに!」
目の前に鎮座する目玉焼きは確かに妹の夢衣が作ったものだ。
彼女がどういう意図でこれを作ったのかは分からないが、その表情から察するに彼女も想定外だったらしい。
だとしてもこのまま食えと言い出すのはあんまりにもあんまりだ。
「愛情込めて作られた料理に、これはないだろう……」
「え~?」
ビクリと目玉焼きが痙攣し、つられるように僕もビクつき、椅子ごと後ずさる。
そう、目玉焼きなんだ。
妹が焼いてくれた愛情たっぷりのはずの目玉焼き……。
「だってさ、これ、本物の目玉じゃないか……」
それは、眼球で出来ていた。
熱が通された眼は白濁し、なんとも言えない臭気を放っている。
まるで生きているかのように時折痙攣し、併せて周囲を包むゼラチン質の液体がぶるりぶるりと揺れる。
調理された眼球にも視線があるとでもいうのか、それは白濁し物を映す機能を完全に失っていると思われるのにはっきりと僕の方へと向けられている。
ぶるり――また目玉焼きが震えた。
まるで早く自分を食べろとでも言わんばかりの動きだ。
「別に、夢衣もわざとやった訳じゃないよ? 気が付いたらこんな風になっていたんだ」
「わざとじゃなかったら、なんだっていうんだよ……」
料理下手な女の子がへんてこな物質を作る――漫画や創作でよくある光景だが、これは現実だ。
そして創作以上に不気味で恐ろしい光景だ。
そもそもどうやったら卵からこんなものが出来上がるのか……。
「んー。実はね、この悪夢って、目玉焼きを作ったらごくまれに生まれるみたいなんだよ」
「…………は?」
その答えは、まるで突拍子もなく、非現実的すぎた。
「確率にして1%くらいなのかな? 誰でも、たとえ機械とか動物とかでも、目玉焼きを作ると低い確率で卵の黄身が本物の目玉になるの。それだけの悪夢」
「なんだってまたそんな迷惑な……」
「さぁ? でも悪夢に存在する意味はないから、そんなこと言われても夢衣は分からないよ。この目玉もどこかの誰かのかもしれないし、誰のものでもないのかもしれない。でも、目玉焼きなんだし誰かに食べてもらいたがっているのかもね」
――それが悪夢だよ。
そう付け加え、夢衣は思わせぶりな笑みを浮かべる。
視線を下げる。
目が……あった。
目玉焼きはぶるぶると震えている。
これを食べるだって? 冗談にもほどがある。世界をひっくり返したって、これを喜んで食べる人物なんていないだろう。そう思わせる見た目だ。
あれ? 何か重要なことを忘れているぞ。
……世界中?
「ちょっとまて。いま、誰がやっても低い確率で生まれるって言ったよな? もしかして、どこでも生まれるのか? ち、違うよな、それならニュースとかでやってるよな?」
「甘いよお兄ちゃん。悪夢は現実を書き換えるからね。この悪夢は自分が偽物だってバレたくないんだろうね。認識をごまかして、普通の目玉焼きだと見せかけている」
「って、それじゃあ何か? 僕ら以外の人は、知らずに、本物の目玉を……」
ぞっとした寒気が全身を襲う。
目の前のこれを、何も知らない人が食べているのか?
世界中で毎日目玉焼きがどれだけ作られるかは知らない。
けど、1%の確率で生まれるとしたら、いったいどれほどの数になるんだ?
こんな気持ちの悪い物を、人類は、人々は、毎日誰かが食べている?
「知らぬが仏って、いい言葉だよね、お兄ちゃん」
さらに震えを増した目玉焼きを楽しそうにフォークでつつきながら、夢衣はそんな言葉を言ってのけた……。
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