第5話 だから私は魔術が好きです

 長野の木曽から都内某所の拠点に戻って二日目のことです。魔術研究室には私と照斗君が二人いるばかりです。ちなみに梨空さんは日野家にホームステイしています。海から彼女を取り返そうという動きはありません。案外、代わりの人魚さんが代行を務めあげてるのかもしれません。ちっ。


 これからやる魔術実験は結構ガチです……いや、言い方がおかしいですね。これじゃあ前の実験とかは真剣じゃなかったの?ってことになります。訂正します。これからやる魔術実験は唐突に思いついた圧倒的ヒラメキからです。


 なんの魔術研究かと言いますと、ドラゴンフルーツの研究です。南国原産のトロピカルフルーツではなく、魔術業界で広く流通しているドラゴンフルーツです。人間が食べるとだいたい死に至ります。ですが、トカゲに与え続けるといずれ大きな翼を生やし立派なドラゴンになります。一般の人が車を自分のステータスとして見せたいのと同様で、魔法使いの中にはステータスとしてドラゴンを育てたがる人も多いです。もちろん、車の値段がピンキリなようにドラゴンフルーツの値段もピンキリです。高いドラゴンフルーツともなれば一つ10000000万は下りません。しかもそれを立派なドラゴンになるまであげ続けなけなければいけないので、およそ三年間毎日一個の計算として3650000000万円です。まぁ、これは最上級クラスのドラゴンフルーツの場合です。安いドラゴンフルーツならコンビニのおにぎりとほぼ同じ値段で買えます。今回の実験で使うのはこの安い方です。ドラゴンフルーツの見た目は種類によって異なりますが、大きさは然程さほどどれも変わらずさくらんぼ並みです。ちなみに私達が今回用いるドラゴンフルーツの名称は、ドラゴンフルーツ科炎龍属チェリーミラクルNo.1919、通称、チェクルです。見た目は銀色の梅干しです。これをトカゲに食べさせていくと猫サイズの炎龍になります。

 

 さて、今日も私の魔術研究室は日当たり良好というとこで、早速、研究に取り掛かりましょう。研究机の上にはダンボールいっぱいのチェクル、IHコンロに設置された大きめの銀釜に銀箸。

 

 まずはダンボボール一杯のチェクルを全て銀釜に投入し、IHコンロのスイッチオンです。銀箸で釜底を擦りながら煮詰めていきます。


 「照斗君。最近、梨空りあさんどうですか?」


 「うーん、どうでしょう。嫌われてはいないと思いますけど」

 

 「……そうですか」


 「それよりも本当にいいんですか?」


 「なにがですか?」


  困惑したような表情を見せる照斗君。

 

 「人魚姫梨空さんの生態研究をうちの妹に渡しちゃって。言うまでもなく、大きな可能性を秘めていると思うんですが」


 まともな意見です。照斗君は梨空さんの恋心と私の嫉妬を知らないので当然そう思うでしょう。ですが、私のチェクルをかき混ぜる銀箸に力が入ります。彼に勘づいて欲しいという気持ちが喉で引っかかっているのです。


 「いいのです。なんにでも相性があるのです。梨空さんは照菜ちゃんの方がいいと思っただけです」


 「唯花師匠がそう言うならそうかもしれないですね……」


 語尾に向かうごとになよなよと弱くなる彼の声。今の私にとっては非常に気になるものでした。


 「どうしましたか? なにか言いたげですが」


 「えっと、梨空りあさんが唯花師匠と仲良くできたらいいと言っていましたよ。若干切なそうな顔色で」


 そうですか。しか思えませんでした。勝手な感情を制御できない私が、非の打ち所のない梨空さんを本質的に邪悪だと思えるでしょうか。断じて否です。ただ、彼女は私の中で強すぎる太陽です。関わっていくに連れて私の心は乾涸ひからびていく気がしてならないのです。


 「じゃあ伝えといてください。少々あなたは眩しすぎると」


 「へぇ、人魚姫って発光するんですね」


 そう捉えますか。私はかき混ぜているチェクルから全体的に汁が出てきたのを見つめ嘲笑します。

 

 「イ◯娘じゃあるまいし、発光なんてしませんよ」


 「じゃあなにが眩しいんですか?」


 「存在的な意味ですよ」


 「なら僕にとってもなかなか唯花師匠は眩しいですよ。なんたって自分の師匠っすから」

 

 それは知ってます。私があなたにとって光輝いているのは。照斗君の中での私は道標に近いものなのでしょう。そう、それはまるで彼という魔法使いの苗木を育てる生命の太陽のように。


 「今日はあんまり変態的じゃないのですね」


 照斗君は顔色を少し険しくしました。

 

 「いやいや、それじゃいつも自分が変態だったみたいじゃないですか?」


 「変態ですよ。気づいてないあたりが変態なんです」


 「そんなに末期なんですか、自分!」



  ――こんな具合に三十分ほど会話が続き、私は銀釜の中にあったチェクルが完全にジャム状になったのを確認しIHコンロのスイッチをオフに切り替えます。


 と、同時に照斗君が銀釜へと視線を送ります。

 

 「そういえば今回の実験はなんですか?」


 ここで実験に対する具体的な説明をしましょう。まず、ドラゴンフルーツの類でトカゲがドラゴンになる簡単な原理から。そもそもトカゲというものは大昔はドラゴンだったのです。それが時が経つにつれ変化していていき、ドラゴンから恐竜へ恐竜からトカゲなどの爬虫類はちゅうるい、もしくは鳥類に枝分かれしていったのです。ドラゴンフルーツの類はその太古の昔、そのドラゴンだった頃のDNAを覚醒させる成分、ドラゴノイド、が含まれています。ですので、これをトカゲにあげることによりドラゴンに変化を遂げていくわけです。まぁトカゲじゃなくても昔ドラゴンだった生き物だったらなんでもいいとは思いますが、魔術業界では手に入りやすいトカゲが一般的なのです。蛇派の人もいるにはいますけど、蛇だといわいる日本に伝わる龍みたいになります。ちなみにドラゴンフルーツの類に含まれるドラゴノイドですが、それぞれの種類で原子形状が異なります。つまりあげる種類によってどんなドラゴンになっていくか分岐します。高級なドラゴンフルーツと安いドラゴンフルーツがあるのはこのためです。


 さぁ、それらを踏まえた上で今からやることを伝えましょう。この世界には自分の意思でドラゴンになろうと思ってる種族がいます。彼らはドラゴン飛び回る太古の時代にそれに憧れながらもなれなかった種族です。でもDNA的にはドラゴンと同じ特徴が見られるのです。彼らはメスがオスに卵を全て預け、育てさせることで有名で、今は大半が天敵もいない海でのんびりと過ごしています。ここまで言えばピンときた天の読者様もいるでしょう。そうです、タツノオトシゴ、です。今回は一匹、魔術研究の水槽場に用意してあります。水槽場の大きさは二メートル四方で高圧ガラスで出来てます。そこに今作ったジャムを水に溶かし、一応魚類のタツノオトシゴを本当のドラゴンまで昇華させることができれば、爬虫類と鳥類以外にドラゴンになる生き物がいることになり素晴らしい結果を魔術学会に提出できます。


 ここまでのことを照斗君にも言葉で説明すると、早速ジャム状になったチェクルをガラス棚から出した銀のスプーンで水槽場へ三杯入れていきます。


 その私の様子と水槽場を交互に見て、照斗君はキョトンとした口調で言います。


 「唯花師匠。特に変化はないですけど、タツノオトシゴちゃんの元気が増してる気がします」


  確かに花金で解放的になっているサラリーマンみたいな動きです。 

 

 「まぁまぁいくらなんでも一日じゃ変化ありませんよ。トカゲにドラゴンフルーツあげるときだって三年ぐらい待つんですから。この研究は気長にです。それににタツノオトシゴはこの環境に適応してるじゃないです。普通の魚類ならドラゴノイドに適応できなく即死だと思います」


 「地道ですね」


 「はい。もともと一つのことを研究し続けるということは地道で淡々としたものですよ」


 水槽を元気に動き回るタツノオトシゴをまじまじと凝視し、私はそれをぼやきました。そう、一つのことを探求するということはそれなりに地味です。そして結果が伴わないと精神的なダメージも大きいのです。勇気がいるのです。


 ここだけの話、ノーベル魔術賞を目指す者には二通りあります。一つの課題を決めてそれをじっくりと時間をかけて研究していくタイプと、ある程度の予想をあらかじめ立ていろんな研究をしていくタイプです。


 私は断然、後者のタイプの研究者です。一つのことをじっくりやってダメだった時のことを考えると必然的にこうなりました。

 

 水槽場を見つめ、ぼんやりしている私に照斗君は微かに笑います。

 

 「でもまぁ、これだったら他の研究の合間に確認できるんであまり負担にはなりませんね」


 「そうですね。助手君よりよっぽどおとなしくて助かるのです」


 と、言った直後。いきなり水槽場の液体が間欠泉かんけつせんのように吹き出し、辺り一面を一瞬で水浸しに。


 ずぶ濡れの私はその瞬きの間の出来事に、ただただ助手君におよそ喜怒哀楽きどあいらくのない表情を向けます。なにが起きたのか、全くもって分からないのです。


 「助手君、なにごとだと思いますか? こちらは鳩マメなんですけど」


 同じくずぶ濡れの照斗君はクスっと笑いました。


 「さぁ? 唯花師匠に分からないことが僕に分かるわけないじゃないですか。それに鳩マメってなんですか?」


 「鳩マメは、鳩が豆鉄砲を食らう、の略です。それよりタツノオトシゴの行方が気になります」


 ざっくりと濡れた床を見渡してもタツノオトシゴはいません。もちろん水槽場の中にもです。もしかしたら、タツノオトシゴ自体がなんらかの要因で爆発していまい消滅したということでしょうか?


 照斗君は私の言葉で辺りに目を配ります。


 「タツノオトシゴ自体が爆発して消滅したんじゃないですかね?」


 「その考え方が一番無難ですね」


 と、言ったまた直後。今後は飛び散った液体が意思を持ったかのように水槽場へ戻っていきます。もちろん、私と照斗君の服や髪からも身体をつたって。


 私は口の前で人差指二本をクロスさせバッテン印を作ります。これは照斗君への液体を絶対に口にいれてはいけませんのサインです。これに対し、彼はとても顔を赤らめこちらから目を逸らします。目の前で女子の身体から床に向かい液体が流れ落ちていく現状……私のサインを別のよからぬ意味(主に性的な意味)で捉えてないか大いに心配です。


 およそ30秒後。服と髪の濡れている感覚がなくなり、例の液体は全て水槽場に集まったようです。あの液体がなんなのかはサッパリ分かりませんが、私の愛する魔術研究所が水浸しモードから通常モードにリスタートしたのにはとりあえず感謝します……それはそれ、これはこれとして、私は臨戦態勢に移行します。あの謎の液体がなんらかの意思を持って水槽場に戻ったなら、未確認生物として機能しているのかもしれないのです。最悪の場合はこちらに襲ってくるかもしれません。


 「助手君! 気も緩めないでくださいね」


 同じく水槽場の謎の液体に身構える照斗君。

 

 「唯花師匠こそさっきのサインなんですか! あんな時にお尻のサインはやばいですから」


 「はい? どこをどうしたらそうなるんですか? 思春期ですか?」


 「いやいや米印の意じゃないんですか? 確かにあの液体がお尻の割れ目を通過するのはきもかったですけど、あんなサイン出さないでくださいよ。目のやり場に困るじゃないですか」


 「分かりました。助手君の頭はやはり一回解剖が必要ですね」


 「なんででですか!」

 

 ちょっぴり噛み合わない会話の中、意識だけは謎の液体から逸らしません。タツノオトシゴをドラゴンにする当初の目的からは大きくズレましたが、あの液体は今回の研究の賜物たまものなのです。私はあの液体がどうしても気になります。アレがなんなのか見極めたいのです。


 「その話はまだ今度として、私は今からあの液体に銀箸を投げてみようと思います。なんらかの反応があるかもしれないので」


 「分かりました」


 私は先ほどチェクルをかき混ぜるのに使った銀箸を研究机から取り投げました。一膳の銀橋は宙を舞い見事に水槽場に落下。謎の液体はムニョムニョとうごめくと自身の中に入ってきた銀箸を体外に放出しました。


 床に落ちた銀箸をちらっと見ると、私は照斗君に視線を送ります。

 

 「やはり生きてますね。無害なようにも見えますが」


 「なんなんですかね、コレ」


 謎の液体はさらに変化していきます。次はマスコットキャラのような両目に口が浮かび上がります。と、ここで私はピンときたのです。あの生きた液体について。


 「助手君。これただのスライムじゃないですか?」


 照斗君は表情を濁します。

 

 「僕も目が生えたのを見てそう思いました」

 

 スライム。魔術業界では意味嫌われた存在です。RPGでお馴染みの名前を付けられたこの生物はとてもか弱い生き物です。ですが、無精繁殖……つまりは分裂により数を爆発的に増やしてしまう生き物です。


 「助手君! 急いで水槽場に蓋を閉じてください! 増えるためのスペースがなければ増殖しないので!」


 増え始めたらスライムは一気に増殖します。臭いものには蓋をしなければ。照斗君は私の指示通り水槽場横のガラスぶたで封を閉じます、スライムはスペースがなければ増えることはできないので。あとは今回の魔術研究の『成果文せいかぶん』を書いて魔術学会に提出するだけです。


 ちなみに『成果文』とは論文ではありません。論文は自分の考え、その工程、結果、そこまでに行き着く科学的根拠がなければいけません。対して『成果文』とはその魔術研究の工程と結果を示すだけの文です。要は論文みたいに理屈がいらないのです。では、なぜ魔術学会では論文ではなく『成果文』を渡すかというと、まず魔術は科学とは違い理屈がなりたたない事柄が山ほどあります。今回のスライムなんかはその典型的なパターンで解読不能かいどくふのうの出来事です。そもそも魔術とは科学で証明できないものを主としたものであり、逆に全ての事柄に理屈をつけられるなら魔法も科学と同意になってしまいます。


 照斗君が私の顔に微笑みを送ります。


 「これでいい成果文が書けますね」


 自然に私もそれを見て微笑みかえしていました。

 

 「その……ずっと助手君は助手を頼むのです」


 「もちろんですよ。唯花師匠は【白雪事件】で僕の命を救った英雄ですから」


***


 成果文を魔術学会に出して三日後の朝のことです。

 

 「お嬢様。魔術学会様からお便りが届いてます。それと本日の早朝、言い付け通りスライムを専門の業者の方に引き取っていただきました」


 十畳ばかりの自室のベッドで眠る私に優しく響く声。目を静かに開ければ、金髪のツインテールに青い瞳が真っ先に目に映ります。

  

 「小春こはる。おはよう」


 「はい。お嬢様おはようございます」


 メイドの小春こはるから手渡される1通の封筒。私は封を切り、中の便箋びんせんを心で読み上げます。

 

以下便箋内容いかびんせんないよう

『あっついですねぇ。夏ですねぇ。ところで海行った? 今年の海はなんだか慌ただしいらしいね。新潟にサメやシャチが出るってんだからこの世も地球温暖化でもうダメなのかもね。で、なんだっけ? なんの話だっけ? そうそうスライム生成方法を成果文で送ってくれたんだっけ? まぁアレの結論から言っちゃうとダメダメって感じかな。まずスライム生成してどうすんの? スライムは増殖を繰り返すことから、有害魔獣ゆうがいまじゅうにしていされてるでしょ? もっとさぁこうみんなハッピーになる成果文をビンビンに欲してるわけよ、魔術学会は。要は人類に文明を的な感じだよ。最後になるけど魔術という言葉が魅力的なのは理屈で解明できないところだからね。そこんとこ硬くならずに生きていこうぜ。PS 君は攻撃魔法と確かな魔術知識がある。魔術警察に入ることをオススメするよ。君の旧友、魔術学会、斎藤さいとうより』


 読み終わり、便箋びんせんをくしゃくしゃにして床にポイです。小春はその様子を見ると笑いも怒りもせずに今さっきゴミになったそれに視線を送ります。


 「あのゴミの焼き方はいかがなさいましょうか?」


 「ウェルダンなのです」


 「かしこましました。コンロでしっかりと焼いて焼き炭にしておきます」


 「あと、手紙の送り主、斎藤さいとうに一報送っといて下さい」


 「なんてですか?」


 「あなたと旧友になったことはないですし、そもそも私はあなたの下の名前も忘れました」


 「万事かしこまりました。嫌がらせに焼き炭になった斎藤の便箋も内包させておきます」





〜〜今回の実験結果〜〜

私的には今回の実験はして良かったと思います。これ絶対です。

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