第2話 清だら爺さんわいて出る
清だら爺さんがどこにいるかすぐに分かる。臭いからだ。しかし清だら爺さんは衛生的である。その匂いのためにハエさえも寄ってこない。腐敗した肉に湧いていたウジ虫が、清だら爺さんが近づいたために一斉に逃げ出したこともあるらしい。
清だら爺さんの匂いが全く平気な人が、今わかっているだけで五人いる。
一人目、屋台のおでん屋をやっている。小津野円太郎。年齢は三十代半ば、奈良県葛城山の洞窟で生まれたと本人は言っている。
二人目、居眠狂五郎警視庁本庁捜査五課長。年齢四五歳、鬼も黙る捜査五課の責任者だか虫が苦手なので、清だら爺さんがおでん屋に居るときに、店にやってくる。
三人目、雲出クニ、二一歳。歌手で女優。子役から芸能界入りし、今はアイドルグループ、イガマリアのセンターを務め、映画「京都の休日」では主演を演じた。 なおこの映画は、新宿松竹ピカデリーで半年間のロングランになり、現在も上映中である。
雲出クニは「清だら爺の香は幸せな香」と言っている唯一の人類、いや唯一の生物である。しかも、清だら爺の隣の席は、追っかけファンや芸能リポータを気にせず、安心してお酒の飲める掛け替えのない席になっている。
さて、季節は初夏となり、夕方六時でもまだ明るい。そろそろ新橋駅周辺の飲み屋がサラリーマンで賑わい始めるころだ。
ガード下の一番目立たないところに、今日の店開きを決めた小津野円太郎は、屋台に掛かっているブルーシートをはずし始めた。
そこに、公園で水を汲んだバケツを両手にぶる下げて、足は極度のがに股でつんのめりながら爺さんがやってくる。
「清だら爺、無理しなくていいよ。一つずつでさ」
「何言ってんだ、こんなの軽いもんだ」
と言ったとたんにひっくり返り、持っていたバケツの水を頭からかぶった。
よろよろ起き上がり、空になった二つのバケツを持つと足を引きずりながら公園に向かう。
「一つずつにしなよ」
小津野円太郎が丸まった背中に叫ぶ。
「爺扱いすんじゃないよ」
背中をむけたまま大きな声で叫ぶ。前を歩いていたサラリーマンの群れが叫び声とそして臭気で、足早にその場を立ち去っていく。
今度は何とかふたつのバケツを水一杯にして、屋台まで持ってくると丸椅子に座り、肩で息をしている。
小津野円太郎は屋台に暖簾を掛けると、ガラスコップに冷酒をつぎ、清だら爺の前に置く。
清だら爺が来たからには、今日の客は最大で後二名と決まっている。通行人は五メートル以上の距離を離れて歩いていく。
道路の反対側に、窓が黒いシートで覆われたベンツがとまり、中からマスクをしてサングラスをかけた女が足早に道路を渡り、屋台に滑り込む。
清だら爺さんの隣の椅子に座るなり、
「もうやだ。二日も寝てないよ。完全に。ステージが終わったら、そのまま北海道と沖縄に飛んで撮影。今戻ってきたところだよ……」
言い終わる前に清だら爺の肩に持たれかかり、鼻を垢だらけの清だら爺の首にこすりつけるようにして寝始めた。
黒いスーツと濃いサングラスを掛けた男が暖簾をくぐって入ってくる。
「清だら爺さん。折り入って頼みたいことがあるんだが、何とか引き受けてくれねえか」
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