天人 空観の巻
この世の全てのものごとには実体がない。お前は誰だ。どこから来てどこに行く。お前が見ているものは全てお前の幻想でないのか。誰がそれを証明できる。お前の心がお前なのか。ならば、心をここに持ってきてみるがいい。。。。
そのツイートは世界のあらゆる言葉で広まっていった。人々は職場を離れ、家庭を離れて、瞑想し、ツイートについてネットとリアルのあらゆる場で語り合った。
子供が死んでいくな。マンジュシュリさんが言った。
携帯電話をクラックするのが一番はやいけど、テレビにはカメラとマイクが付いているし、エアコンには熱センサーが付いている。世界中の家で何が起きているか、全部わかる。水や電気が止まるのも時間の問題だ。
答えてくれ。ゴータマ。あいつは私達の敵なのか。今起きていることは悪いことなのか。君は昔、王国と家族を捨てて出家した。それと同じじゃないか。
だいたい、なぜ君がここにいるのか私にはわからない。マイトレーヤは、君の後継者だよね。君は彼と戦うつもりなのかい。
ゴータマさんは目を閉じ、足を組んで瞑想している。
こんなことを放っておけるかい。行くぜ、サハスラブ。いてて、舌をかんじまった。ボディーダルマさんと観音さまは窓から飛び出していった。
やれやれ。ここはまず武闘派に任せるか。
アチョー。ボディーダルマさんの戦闘シーン、割愛。
珠が飛ぶ、壺が飛ぶ、蓮華の花びらが舞って爆発、手が伸びる伸びる。巨大化した空観と観音さまの戦闘シーン、惜しいけど割愛。
そこに見える実体を攻撃しても効かないんだ。危険だ。じいさん、今すぐ戻れ。
マンジュシュリさんにはむこうの様子も見えるらしい。
ゴータマさんは目を開けて、組んでいた足をくずした。
空観を排除しよう。その前に、僕はお腹がペコリンだよ。シロ君、冷蔵庫にお冷やご飯があるから、牛乳とはちみつをかけて強めにチンしてくれるかな。
はふはふ。ゴータマさんは乳粥を食べながら話す。
ああ、生きかえるね。もっとも、大乗の人に言わせると、僕は何度も死んで生きかえっているそうだけどね。
シロ君、ありがとう。おいしいよ。ところで君は、生きていて楽しいかい?
は?なんかの皮肉かと思ったけど、この人はそんないじわるはしない。
ええ、それなりに。
うん。それは良いことだ。君も、君の愛する人もいずれは死ぬ。世の中、ほとんどのことは思い通りにいかない。
僕の答えは、四諦と八正道だ。これについては話したっけ。あ、そう。
仏性、という答えを出した人がいる。大乗の涅槃経に、一切衆生悉有仏性という言葉がある。全ての人は仏となる可能性を持つ、というような意味だ。今の君はそのままで仏だという、僕に言わせればなんとも傲慢な解釈もある。
結果として仏性は、大ヒットだった。それを必要とした人が多かった。
仏性は、諸行無常に対しての凡夫の最後の希望なのかな。
仏性と如来蔵とアートマンは違うかって?答えはノーコメント。無記だ。
だいたい、僕が言い出したことではない。大乗の人が勝手に、いや、こういう言い方は良くないな。
シロ君、宗教の価値は、論理体系の射程や整合性とは関係ないんだよ。どれだけの人に、安らぎを与えることができるか、それだけなんだ。証明も観測もできない。信じたものが勝ち。おまじないもまた、よしさ。僕は堕落したのかもしれないね。でもさ、僕より観音さまの像の方が多いっておかしいだろ。
そこかよ。
まあそれはいいや、マンジュシュリ君、空観の言うことを分析してくれるかい。
実体うんぬんは、空の思想、般若経典だ。色即是空くらいは、みな、知っているよね。心を持って来いは、ボディーダルマ著とされる、二入四行論の安心問答だ。じいさん、覚えがあるだろう。世界は心が生み出した幻想だというのは、唯心論の決まり文句だ。仏典で有名なのは華厳経十地品だろう。お前は誰だ、これはなんだ、は、禅問答の定型句で、景徳伝灯録だけでも、多数。全体的には、自分探しと呼ばれる文学作品群との相関も高い。
そうだね。やはりここは、仏性で戦おう。絶対否定の空には、絶対肯定の仏性だ。
その前に、マンジュシュリ君、あのツイートは止められないかな。
かたかた。マンジュシュリさんの両手が見えないキーボードをたたいている。
おおもとの応急処置は完了。空観の発言はこれ以上発生しないし、既にあるものも履歴を含めて消えていく。ルーターによるフィルタリングも仕掛けたけど、細工をしたファームウェアが拡散するまでに少し時間がかかる。
じゃあ、アヴァローキテーシュヴァラ君、空観のところに連れて行っておくれ。
観音さまは何やら雲のようなものを出して、我々をのせて、一緒に飛んで行く。
皆でこれを唱えるんだ。一切衆生悉有仏性。
ゴータマさんの眉間から光が出る。草から、石から、地面から仏が出てくる。
見てごらん。仏達は空観を生み出した因果の糸を逆にたどってほぐしていくんだ。
俺も。あれ、何も出ない。なぜだ。
空観の姿は薄くなり消えていった。世界は六種に震動した。
やだわ、今回、私は出番なしね。ヴァスミトラーさんが言った。
いやそうでもないよ。君の「いろいろな」写真のアクセス権を一般公開にしておいた。それから、君の服と装飾品の一部で、布施行をさせてもらった。要はオークションに出したのさ。ネットはすごい盛り上がり方だ。みんなこの世に戻ってきた。まこと、欲に限りはなく、欲こそが世界をドライブしている。出典は何だっけ。
ヴァスミトラー、君が世界を救ったんだよ。菩薩として最高の徳を積んだね。来世での如来昇格は決まりだ。
きー。何してくれるの。ばたばた。
観音さまとゴータマさんが話している。
世尊よ。亡くなった子供の供養をしたいと思います。クシティ・ガルバ、和名、地蔵菩薩も来てくれます。
うーん。大乗の人たちは葬式以外にすることはないのかな。僕の最初の遺言は読んだろう。
お言葉ですが世尊よ。子供を死なせてしまった親の心のケアをするのも我々大乗の菩薩の役目です。
まあいいか。顔を出すだけだよ。
この世界は存続させる価値があるのだろうか。彼岸に達した超越者にとって人の営みはどう見えるのだろう。なぜ俺には仏性がないのだろう。
その頃、鶏足山と高野山で、扉が内側から開いた。
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