第3章 夫婦裁き

8.


 うっとうしい日がつづいている。つねになく雨季が長く感じられる。

「気のせいよ」

 お玲はいう。かの女はさっぱりした気性で、ことばに嘘や飾りがない。

「いつもの年とおんなじよ。あえて違うと感じるのは、自分の気持ちが落ち着かないからでしょ。ね、お英ねえさん」

 血のつながりこそないが、たがいに実の姉妹よりも相手を思いやっている。そのぶん、ついでによけいなひとことがはいる。本音といったほうがいい。

「おんなは二十を越えると世間の目が気になるというから、そろそろ決着をつけなきゃ。戦も終ったことだし、だれはばかることなく、じぶんの将来のこと考えてみたらどう」

「なにさ、あなたこそどうなのよ。喧嘩ばかりしているように見えるけど、ほんとは、ワスケさんのこと、好きなんでしょ」

「ごまかさないで。わたしじゃなくて、おねえさん自身のことだっていってるのに。おねえさんが先にお嫁に行ってくれなきゃ、わたしも行けないんだから」

 ちょっぴり頬を染めたお玲だが、きょうは負けていない。

 冼英に、結婚話がもちあがっている。相手は北方から南遷してきた漢人で、高凉太守馮宝ふうほうだ。政略結婚に違いなかったが、両家とも足りない部分を補填しあうには好都合な、またとない良縁といえた。


 ――どんなやつだろう。

 おとこまさりで、負けんが強い冼英だ。好奇心が湧いてきた。お玲を誘って相手の馮宝をのぞきにゆくことにした。

 振り返ると茜がついていた。主人の大事を敏感に嗅ぎ取ったらしい。一方、シロは伸ばした前足のうえに首を乗せたまま動こうとせず、興味なさそうに見送った。シロは思春期真っ盛りだ。ものうげな態度は、青春の懊悩を反映していた。

 馮宝のいる羅州県は近い。なにを話そうか考えがまとまらないうちに、あっけなく到着した。のぞくまでもない。村の入り口で、馮宝本人とあおいが出迎えていた。お玲が連絡したらしい。いつのまにかお玲も消えていた。

「あら、この犬はあなたのでしたか。このまえの戦では、立派なお働きで」

 孫冏と争った戦場で、冼英ははじめて葵を見た。

 蒼い眼と青い毛並みで、骨格の引き締まったオスの大型犬だ。

「ええ、狼の血筋を引く北方系の猟犬です。走ると早いですよ。行ったきり二、三日帰ってこないこともあります。祖先は、北の雪原でそりを引いていました」

 犬の話題ではじまり、初対面のぎこちなさが薄まった。

「兄が裏切り者を処刑する寸前に、あなたが仲裁されたそうですが、そのとき葛徳さんもご一緒だったのですか。だとすれば、葛徳さんとは、以前からのお知り合いですか」

「はい、陳覇先さまを介して、むかしから存じ上げています。歳はわたしより若いが、友でもあり、師でもあります」

 冼英は緊張を解いた。一族が信仰する羅浮山の方士葛徳が関与しているのなら、馮宝の人となりを、むやみに詮索する必要はない。

 案内されるまま、冼英はひとり馮宝にしたがった。

 茜は葵と一緒に、入り口付近でとどまっている。この二匹は、もはやだれはばかることのない戦友同士だった。無遠慮に互いの力量を嗅ぎあっている。

「当方から正式に伺うべきところ、直接お越しいただき、恐縮にござる」

 ていねいに挨拶され、返事に困った。隣同士の郡だったこども時代、遠くから見かけたことはあっても、声を交わしたことはなかった。初対面といっていい。

「いえ、ごようすを伺いにきたまで。お気になさらずとも結構です」

 化粧もせず、ふだん着のままで来た。汚れたつめを袖に隠してごまかした。

「良い機会ですので、それがしの出自について語っておきたい。よろしいか」

 案内された屋敷内の馮宝の書斎には、四書五経などの書物が山と積まれてある。冼英らがこどものころ、かれら馮氏一族の子弟が書経を朗誦する声や弦歌雅曲の音は、郡境にまで届いたものだ。意味はわからぬものの、その声によって冼氏の民は漢文化に接し、知らず知らずのうちに感化されていたのだ。

 冼英は、書物の山と、手ずから茶を淹れてくれる馮宝の横顔とを交互に見やった。学者タイプのきまじめで律儀な人がらが、にじみ出ている。

 うながされてひとくち茶を啜った、ほどよい熱さが、のど越しにここちよかった。人の気持ちが汲めるやさしさを、一杯の茶がしめしていた。

 ――この人とならやってゆける。

 冼英には、そんな予感がした。


 冼英の気持ちをよそに、馮宝は己が馮氏一族の系譜について語りはじめた。

「わたしは、北燕国王馮弘ふうこうの後裔です。わが馮氏の原籍は、陝西せんせいの始平郡(咸陽かんよう付近)と伝えられていますが、一族あげて河北へ移り、馮跋ふうばつが遼西の龍城(いまの遼寧省朝陽市)で自立して北燕国王となりました。その後、弟の馮弘が位をつぎましたが、当時、勢力強大な北魏によって攻め滅ぼされてしまいました」

 馮弘は部曲(一族郎党)八百人をつれ、隣接する高麗国王のもとに亡命したが、北魏の強い返還要求に進退窮まり、一子馮業に覚悟のほどを説いた。

「わしは自裁し国に殉ずる。いま天下は南北朝に分かれているが、中華の正統は南朝にある。なんじは南朝を頼り、そこでわが始平馮氏の血統を保ってくれ。いずれ天下一統のおりは故郷へ回帰し、一族郎党こぞってあいまみえようぞ」

 馮業に後事を託し、馮弘は剣を抜いて自刎じふんして果てたのだ。

 馮業は部曲三百人あまりをひきつれ、急遽、船を仕立てて海へ出た。艱難辛苦の末、馮業一行の亡命船数隻は、南朝宋の嶺南にたどり着いた。

 建国したての宋朝は、三代目文帝劉義隆がまだ年少とあって、前途は多難だったが、北方から遠路帰順した北燕の王族馮業の一族郎党を、さしあたり広州新会郡に仮居住させた。新会はいまの江門、広州の南70キロに位置する。

 文帝は馮業を懐化侯・羅州刺史に封じ、新設の石城(いまの化州)に進駐し、羅州を拓くよう詔勅を下したが、わずか三百の兵力だ。馮業から子の士翔・孫の融にいたる三代で、真の羅州を建設することは、ついにかなわなかった。

「当時、羅州刺史に任じられた父馮融は、羅州実現のため、俚人部族や南遷漢人を多数誘致し、開墾を進め、生産の増大をはかろうと努力しましたが、成果は得られず、羅州刺史は名のみで終ってしまいました。このたび、幸いにも高凉太守を拝命し、念願の領地を得る機会に恵まれました。ただ、わたしたち外来のものが太守として法令を告示し、判決を下しても、地場の方々にお聞きいただけるかどうか、危惧しております」

 馮宝は率直に、じぶんの不安を述べた。冼英はいっそう好感を抱いた。

 ――なんて、かわいいんだろう。

 目のまえにいる十歳以上も年上の男が、いとおしく思えてきた。

 ――いけない、お玲に知れたら、笑われる。

 うわついているばあいか。「冷静に、冷静に」と頭のなかでじぶんを抑えていた。いや、抑えるつもりが、どうしたことか、とつぜんひらめいたのだ。

「お聞きしたいことがあります」

 思わず馮宝に問うていた。「積年の宿題の答え」を訊ねたのだ。

「高凉俚人の世間での評判をご存知ですか。評判といっても悪評のほうですが」

「ええ、知っています。高凉奴と高凉の宿賊というのでしょう。都では有名です。こどもがむずかっていうことを聞かないときに、『高凉奴にされて、売りとばされるぞ』というと、こどもはすくみあがってたちまちおとなしくなります。都で兵を募り、広州へつれてくることがありますが、『高凉の宿賊退治だ』と知れると、その日のうちに逃亡兵が続出して、半減してしまいます」

 馮宝は冼英の深刻な問いを、笑い話に紛らわせて答えた。

 冼英は、それを馮宝の高凉俚人にたいする理解あるやさしさと見た。

「奴隷狩りや海賊が、征伐軍を出されるくらいに極悪な犯罪だということは知っています。それでも懲罰覚悟で悪行あくぎょうに頼らなければ、生きてゆけなかったのです。では、どうすればよかったのか。お願いです。どうか、お教えください」

 いつしか冼英は声を震わせて、馮宝に窮状を訴えていた。こぼれそうになる涙を、ひっしにこらえていた。初対面にひとしい馮宝に一族の内実をぶちまけて、その打開策と改善の可能性を問うたのだった。来るまではまったく思ってもみなかったことだ。

 馮宝は、ことばをさしはさまず、黙って冼英の説明と質問を聞いていた。そして冼英が話しおわるのをまって、静かに口をひらいた。

「不法な所業は、ただちにお止めいただかなければなりません。さもなければ、高凉太守として裁きにかけ、処罰を申し渡すことになります。海賊行為は、都送りのうえ獄門が慣例です。獄門は、斬首刑ののち、さらし首にされる極刑です」

 いまさらながら罪の重さに、冼英は身震いした。

「悪行はすべてやめ、まず収穫の見込める農地を広く開拓することです。このたびわたしは高凉太守を拝命いたしました。以前、父の羅州刺史は虚名で、領地はありませんでしたが、高凉では管轄する領地をいただきました。これに冼挺どのの南梁州をあわせれば、当面、冼氏の直系一族とわが馮一族の生計たつきにあてるには、十分とはいえないまでも、年貢の上納分くらいは食べて残せる農地が築けます」

 中原の農法が嶺南に伝わって久しい。漢代すでに銅鉄製の農機具が導入され、牛耕がはじまっている。ところが俚人は、いつまでも焼き畑の原始粗放農業から抜け出せないでいる。貧しいがゆえの低迷だが、これでは確かに効率が悪い。

「借金してでも思い切って銅鉄製の農具をそろえることです。収穫量が違うから、その年のうちに金を返せます。わたしのところの農具をお貸しするから、いちど試されるとよい。牛耕もそうです。人がたばになってもかなわない力を発揮します。子牛をさしあげるので、じょうずに育ててみてください」

 薀蓄うんちくの深さとでもいおうか、とたんに馮宝は多弁となり、立て板に水のいきおいで、冼英の疑問にひとつずつ丁寧な解答をしめしてくれた。

「稲だけに頼らず、麦や粟など他の五穀もまんべんなく植えると、災害があったときに全滅を防げる」、「荔枝ライチ・竜眼・柑橘・バナナ・甘蔗・檳榔びんろうなど地元の特産物を多く育てると、都から商人がまとめて買いにくる」、「桑を植えて蚕を育て、生糸を紡いで絹を織る。村全体で分担作業すると、大きな産業にできる」

 これらは馮宝の思いつきではない。南越国の時代から、すでに行われている。

 これらの産業が、いまだに俚人の村落に定着していないのは、ひんぱんに戦があり、俚人社会が不安定だったことにもよる。しかし珠江デルタ付近の越人村落は、戦もなく、安定した生活のなかで、産業化に成功している。

「南朝の歴代王朝に帰順し、年貢を払うかわりに安全な生活を保障してもらっているのです。都の商人や地方官とのあいだで、年ごとの買付け高をあらかじめ取り決めておきますから、約束どおりにむだなく引きとってもらえます」

 朝廷の地方官といえば、年貢を取り立てるか、兵隊をよこして強奪するかだけだったし、都の商人といえば、口はうまいがずるい人間ばかりで、高いものをつかまされるか、安く買い叩かれるのが常だったから、悪い印象しかない。

「それは、おたがいに信頼関係がないからです。信頼できる健全な付き合いをはじめるには、まず相手方のふところに、じぶんから飛びこむことが肝要です」

 冼英は驚いた。敵を憎み殺しあうなかで、ぎりぎりに生きてきたじぶんたちにくらべ、馮宝一族は、なんと悠長な考えで、暮らしてこれたものだ。

「嶺南の海人といえば航海技術については定評があり、朝廷でも認めています。しかし海外に出るということは、政府とのあいだでぜったいの信頼関係に裏打ちされていないかぎり、許されません。海外の侵略者と容易に手を組んで、いつでも水先案内が可能な立場にあるからです。この疑いをなくすには、朝廷に帰順し、忠誠を誓い、領民として最低限の義務である納税を忘れないことです。朝廷の許可をえて、正々堂々、交易船で大海原を駈けめぐる日が到来するよう、わたしたちも力をつくしたいと思います」

 馮宝は明確に分析し、力強い答えを出してくれた。そして、その実現のためにも、ぜひ両家の婚姻をかなえていただきたいと、あらためて求婚した。

 誠実さがにじみでていた。信頼してもよい、冼英は確信した。

 ――一族もわたしも、この人とならいっしょにやってゆける。兄を説いて不法な所業や争いごとを止めさせ、一族が安穏に生活できる道を見出すのだ。


9.


 冼挺は両家の婚姻に合意した。そして、じぶんは南梁州刺史のつとめに専念するとして、高凉俚人の大都老職を冼英に譲ったのだ。いわば女酋長の誕生だ。

 二重の朗報に、嶺南高凉の俚人部族は沸きかえった。しかし、いちばん喜んでもらいたい両親は、すでに亡くなっている。大都老を継ぎ、高凉俚人の生死の責任を一身に託された冼英は、あらためてその責任の重大さを痛感し、「なんとしても、われらが俚人を救うのだ」と叫んで死んでいった父の遺訓を胸に刻んだ。

 ――命を賭けて、わたしが高凉俚人を救う!

 冼英は祝福を受ける笑顔のうちに秘めた決意を、亡父に誓った。


 成婚後、高凉俚人の人びとは、ふたりを天の配剤した一対の「鳳凰ほうおう」にたとえ、かれらの居住地を「鳳凰とりで」とよんだ。冼、馮の一族は、雲霧山脈東麓の鳳凰山から清水の湧きでる肥沃な土地を選び、冼村と馮村を建てた。冼英は、ついに安住の地を見出したのだ。

 冼英は俚人部族を代表し、南朝梁に帰順することを宣言した。

「高凉俚人のわたしたち部族は、これより梁王朝の名のもとに、高凉太守の指示にしたがうことを誓います」

 その明確な誓いを受け、馮宝は地方行政の執務に着手した。政令を公告し、賦税を徴収する。政令の違反者にたいしては、審判し、裁きを下すのだ。

 漢人の地方官が号令を下しても、黙ってしたがう土地柄ではない。

 冼英はみずから馮宝と並んで、審判の座にすわった。大都老―女酋長が法を犯した俚人を、南朝梁の法によって裁くのだ。俚人は喜んで判決にしたがった。

 文字どおりの「夫婦裁めおとさばき」だ。裁判のつど聴衆がつめかけた。

 冼英は高凉太守夫人、あるいは冼夫人と呼ばれた。

 かの女は、馮宝を助けて協同で高凉をおさめたが、俚人の大都老としては、俚人側の利益を優先せざるを得ず、俚人に不利益なことの実行はためらわれた。しかし太守夫人としては、それにこだわっているわけにはゆかない。朝廷の側に立って、漢族の側との関係にも配慮しなければならなかった。徐々にではあるが冼夫人の視線は、局面全体に向けられるように変化していった。


 冼夫人は大都老職をついだのち、経済的困窮者を助成し、俚人部族の村落を平穏に保ちつつ、より発展させるため、俚人の意識改革に着手した。

「梁朝に帰順した以上、国に忠誠を誓い、賦税の徴収に応じなければなりません。みだりに争わず、全体の利益を考えて行動してください。『高凉の宿賊』と呼ばれ、厳しい懲罰を受けてきた悪しき伝統をあらためるのです」

 その先鞭をつけるには、まさに冼挺からはじめることこそ、ふさわしい。

「恨みを解き、報復の戦をやめること。このふたつを高涼俚人のまえで誓ってください。さすれば、その誓いをもって過去の『海賊行為』を帳消しにするよう、高凉太守が朝廷に働きかけます。冼氏に背信した俚人の峒主や族長にたいする復讐もおやめください。孫冏と盧子雄への私的恨みを解き、大都老の父らを騙し討ちにした非道な行為については、あらためて朝廷に告訴します」

 冼夫人はひっしの思いで、兄を説得した。過去の帳消しとは、虫のいい要求にも見えるが、朝廷側にも非はある。俚人狩りなど恣意的で不当な征討行為ではなかったか。しかし非は非として、双方たがいに、これ以上蒸し返さない。

「いいだろう。認める。朝廷に掛け合ってくれ」

 意外にも冼挺は、あっさりとこの説得をのんだ。

 難攻不落と思われた難関が、真っ先に落ちた。これに勢いを得て冼夫人は、争いの絶えない部族同士のいさかいをやめさせるために、奔走したのだ。

 信義を本分として、部落間のわだかまりを捨て去るよう説得した。係争する部落には、経済援助を条件に和解するよう仲裁を買ってでた。その一方で、掠奪行為を止めない部族にたいしては、官兵を繰りだして討伐した。

 もはや私的な争いではない。朝廷の立場に立った公正な処分の執行なのだ。恣意による暴力的討伐ではない。冼夫人は人びとの信頼と敬意をかちとった。


「恨みを解き、報復の戦をやめる」はずの冼挺だったが、ひそかに私家軍を温存していた。「失地回復」の悲願達成のためだ。冼挺にも言い分はある。

 南朝宋・斉・梁の三代、俚人討伐の戦が終るつど、高凉俚人の居住地は侵略され、朝廷によって強奪された。冼挺の悲願は、これら高凉俚人の旧地奪回にあった。高凉の北に接する新寧郡の南境にある龍潭、富林、甘泉などがそれだった。

 梁朝は新寧郡を再編成し、新設した新州の刺史に盧子雄をあてていた。

「この戦は、新州刺史に横すべりした盧子雄にたいする復讐ではない。『失地回復』という正当な要求を貫く、正義の戦いだ。官兵は用いず、私兵のみで戦う」

 冼挺は戦に反対する馮宝と冼夫人の忠告を無視し、私家軍団だけで進撃した。

 冼挺は完全に時代を読み違えていた。かつて山中のゲリラ戦で不敗を誇った実戦部隊も、もはや戦いに倦んでいた。旧地の回復は、戦の大義にならなかった。むしろ冼夫人との盟約に違背したことの引け目が、隊員の士気を落としていた。

 その結果、郡境でおきた緒戦で敗退し、冼挺軍は再起不能なまでに叩きのめされ、冼挺じしんも瀕死の重傷を負ってしまったのだ。


10.


 その冼挺の、死の前日のことだ。

 お玲は冼邸に忍び込んだ。冼挺の余命は、もはやいくばくも残されていない。医師の口からそのことを聞かされたお玲は、いてもたってもいられなかった。

 ――このまま死なれてたまるか。

 その気持ちが胸を締め付ける。四つか五つのとき、目のまえで海賊に父を殺され、じぶんはかどわかしにあった。いまとなっては記憶も断片的で、不確かだ。

 二、三人の仲間といっしょに、冼挺らがいきなり船室の扉を蹴破って乱入した。かれらは武器で威嚇し、財物を出すよう要求した。抵抗した父があっけなく殺された。じぶんを抱きかかえて震えていた母と引き離されたところで、記憶が途絶えた。それからさきのことは、覚えていない。海賊の襲撃にあったのだと、おとなたちが小声ではなしていた。母とはそれきり、会っていない。

 航海のあいだ、船倉に閉じ込められ、泣くことも、笑うことも、どこかに置き忘れてきた。シロがいなければ、精神に異常をきたしていただろう。

 感情表現を回復したのは、冼英の家にひきとられてからだ。日常生活のなかで、こども同士の喧嘩のなかで、喜怒哀楽の感情を徐々にとり戻していった。ただ、冼挺にたいする怯えと憎悪の感情は、年を追うごとに強まる一方だった。


 かつて凶暴のかぎりをつくした男が、いまは無力な重傷者となって、お玲の目のまえにいた。お玲は冷ややかに、死を間近にした冼挺の顔を見下ろしていた。

 病室には、寝台に横臥する冼挺のほかには、だれもいなかった。夫人が汚れ物を下げるのに離れたすきを見て、お玲は忍び入ったのだ。

 冼挺が静かに眼を開けて、お玲を認めた。

「お玲か、おれを殺しにきたか」

「そう、おまえを殺しにきた。でも、そのまえにいくつか、教えてほしい」

 お玲は、じぶんでも意外なほど、落ち着いていた。あれほど怯え、憎悪していた男をまえに、淡々と話していた。

「わたしの父を殺したのはだれ。そして母はどうなったの。死んでしまったの」

「むかしの話だ。ずっと思いつめていたのか。なぜもっとまえに聞かなかった」

 冼挺の声は弱々しかった。かれは眼を閉じ、過去の記憶をたどっていた。

「あのとき、おれたちは三人で、おまえたちのいた船室を襲撃した」

 声の調子がかわった。記憶がつながったらしい。

 冼挺が入ったとき、惨劇はすでに済んでいた。お玲の父は床に倒れていた。

「短剣をもっていたら、おれの首を落とせ。おまえのふた親を殺したのはおれだ。みんなおれのせいだ。おれを殺して仇をとれ」

 いわれるまでもない。お玲は懐から短剣を取りだし、鞘を払った。

「おまえを殺してやる。ほかのふたりも許さない。ふたりはだれだ」

「ふたりはもう死んだ。だから、許してやってくれ。お願いだ、お玲」

 はからずも冼挺の口から、「許してくれ」ということばがでた。信じられない一言だった。お玲は一瞬、戸惑った。

「わたしからもお願いします。お玲、兄を許してやって」

 戸口に、冼英が立っていた。

「兄の命は永くありません。あなたの人生と引きかえにするまでもありません。あなたはあくまで俚人部族のなかに残って、じぶんの人生を生きてください」

 偽りのない冼英の願いだった。

「お英ねえさん――」

 いま冼挺を殺せば、お玲は冼氏の部族社会にはいられない。むしろお玲には、この俚人部族のなかでいっしょに暮らしつづけてもらいたい。

 お玲にも、冼英の気持ちが痛いほどに伝わった。お玲は黙って短剣を鞘に戻した。ワスケの笑顔が心に浮かんだ。


「お英、頼みがある。おれの今際いまわの願いと思って、聞き届けてくれ」

 冼挺の声は、人がかわったかと思うほど、清々しく聞こえた。

「おれが死んだら首を掻き切って、都へ送り届けてもらいたい。そのうえであらためて高凉の海賊の頭目として、お裁きを願いでてくれ。このたびの戦は、盧子雄にたいするおれの私怨によるもので、冼氏一族にはかかわりのないこと。また過去の海賊行為の部下たちも、おれの指示にしたがっておこなったことで、罪はすべておれにある。獄門首のお裁きは、おれがこの身でひきうける」

 死を目前にして、人は善人にもどるという。いま冼挺に私欲はない。冼氏一族の行く末に累がおよばぬよう、一身に汚名をかぶろうとしている。

 その翌日、冼挺は静かに息を引き取った。

 冼挺の死とともに、「獄門送り」は沙汰止みとなった。


 冼挺の死を境に、お玲の身体から憑き物が落ちた。憎しみから解き放たれたのだ。お玲はまえにもまして活発に動いている。早朝から日没まで、休む間もなく、部族のあいだを走りまわっている。ワスケが心配して、冼英に相談した。

「ワスケさん、お玲から聞いている?」

「えっ、なにを」

「お玲がいま一生懸命になって、考えていることよ」

 ようやく思い当たった。かつて悪名を轟かせた「高凉の奴隷」売りの元締めたちに、奴隷の解放をおこなうよう、説得してまわっているのだ。

 まず冼英を訪ねて決意を語った。冼英はその場で賛成した。その後、一族の長老、そして峒主や族長のところを訪ね、熱心に説いてまわった。ワスケもいぜんその趣旨を直接、お玲本人から聞かされている。

「わたしもむかし奴隷だった。なんの権利も自由もなく、ご主人さまの許しがないと、なにもできない。じぶんの意志さえ持ってはいけないって叱られたわ」

 幸いお玲は大都老のもとに引き取られ、家族どうぜんに扱ってもらえたからまだしもだったが、厳しい環境におかれたものは悲惨だった。

「人としてのじぶんがないの。馬や牛とおんなじで、働く道具でしかないのよ」

 当時を思い出し、こみ上げる涙をこらえながら、お玲は語りつづけた。

「罪を犯して奴隷にされたら、じぶんを恨めばいい。戦に負けて奴隷にされたら、弱い国を怨めばいい。だったら、貧しくて親に売られた子や生まれながらの奴隷の子は、親を恨めばいいの? かどわかされて奴隷にされた子は、どうするの? わたしはかどわかした人を憎んだけれど、相手に死なれたらおしまい。だから恨みだけでは解決しない。奴隷にされた人たちを救うには、奴隷という仕組みをなくすることが大事なのね」

 それいらい仕組みの当事者を訪ね、奴隷の使用をやめるよう説いてまわったのだ。かれらのなかには、とうぜんの権利だとして、お玲を訴え返すものもいた。

 しかし、「お玲の主張が正しい」と馮宝は裁きの場で、明確にお玲を支持した。

 高凉太守馮宝と大都老冼英は、奴隷を解放するよう特例を発布し、実行を命じた。所轄する郡の領内で奴隷の身分を回復し、人身の束縛をとり払ったのだ。

 希望する夫婦には戸籍をあたえ、耕作する土地を分配した。他人に使われるのではない。成果はじぶんのものになる。意欲がみなぎり、収穫量は増大した。


11.


 この時期、交州(いまのベトナム北部)の人李賁りふんは、皇帝の甥にあたる交州刺史蕭諮しょうしのあくなき収奪にたえきれず、武器をとって蜂起した。これに、おなじく搾取に苦しむ土着の駱越らくえつ人らが呼応した。県の官吏を殺害し、交州刺史の治所・龍編ハノイ城を攻撃したのだ。一揆の群衆は数万人に膨れあがった。一揆の群衆をみて気が動転した蕭諮は、急ぎ朝廷に上表した。

「交州で李賁謀叛につき、大軍を派遣し、掃討たまわりたい」

 梁朝は広州刺史蕭暎に詔勅を下し、李賁討伐を指示した。嶺南一帯に激震が走った。蕭暎は嶺南各州に出陣命令を下した。

 高凉太守馮宝と大都老冼英は、明確に出兵を拒否した。

「駱越はもと百越の同族です。同族が同族を討つ、これは禽獣の所業です。人のとるべき道に外れている」

 ふだんから同族間でのいさかいの絶えない現状を棚に上げて、人としての正論を振りかざしたのだ。

「戦闘部隊は派遣しない。ただし糧食の輸送など後方の輜重しちょう支援は惜しまない。軍兵は郡境に張りつけ、所領の防御に徹する」

 高凉太守馮宝の主張は、よしみを通じた陳覇先の周旋で、蕭暎が認めた。高凉軍は輜重部隊をのみ出動させ、船で漠陽江を下った。南海に出て海路、交州に向かう。陽春郡境には「狗頭人身」の旗印のもとに高凉正規軍を待機させてある。


 一方、冼挺を返り討ちにした新州刺史盧子雄も、無事ではすまなかった。戦のあと、報告を怠った。盧子雄の不遜な態度に不快感を抱いた広州刺史蕭暎は、李賁討伐の出陣が遅れたことを理由に、解任してしまった。盧子雄は憤死した。

 盧氏軍の宿老らは弟盧子略を後継にしたが、かえって蕭暎を逆恨みし、西南へ向うべき軍馬の鼻を、北東へねじ向けた。広州侵攻を企て、叛乱したのだ。

 不穏な動きを予見していた高要太守陳覇先にぬかりはない。高凉の馮宝と冼夫人に、「ともに新州の乱を平らげよう」と檄を飛ばした。満を持して機会を待っていたふたりは兵をひきいて北進し、新州に攻め入った。たちまち新州全域を制圧、ついに龍潭、富林、甘泉の三県を取りもどした。盧子略は、北から挟撃した陳軍が討ちとった。冼挺の悲願だった「失地回復」が達成されたのだ。

 俚人は投降側にもいる。みなは一体となって「万歳」と叫び、歓喜に沸いた。


 梁の武帝は、交州李賁征伐軍の主将に高要太守の陳覇先を抜擢し、交州に進攻させた。陳覇先は兵一万五千を統べ、欽江(広西南寧)へ進軍した。

 蜂起のはじめ優勢だった叛乱軍は、戦が長引くにつけ、しだいに分裂し、弱体化していった。歴戦のプロ・陳覇先は、数で勝る叛乱軍を蹴散らし、壊滅した。山峒に逃げ込んだ李賁は、峒主によって殺された。

 交州平定の大功を立てた陳覇先は、交州刺史に戦勝を報告した。しかし、勝報がみやこに届いたものの、朝廷は論功行賞をおこなわなかった。仏教に入れ揚げ、たびたび捨身をおこなう梁の武帝に朝臣がほんろうされ、まともな朝議もされなかったのだ。政権の末期症状といっていい。陳覇先は武帝に失望し、心中ひそかに梁朝を見限った。

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