第2章 俚人狩り

5.


「お集まりの衆、遠路ご苦労。わしが高要太守の孫冏そんけいである。こちらにおられるは、新寧太守の子雄しゆうどの。わしらが西江部隊の主将と次将をつとめている」

 孫冏は百人を超える参列者をまえに、居丈高に自己紹介した。愛犬あかねを伴い、最前列に坐した冼企聖はいやな予感がして、一族の幹部連と顔を見合わせた。

「こたびは、皇帝陛下の甥御さま広州刺史の蕭暎しょうえいさまより過分のお計らいで、みなのものに名誉あるご報奨が与えられる」

 高凉俚人の族長や峒主に郡の太守・県令の称号を与える。名前だけのいわゆる空手形で、年貢取立ての代行をまかせる方便にすぎない。

 この時代、嶺南の俚人は部落ごとに小さく分立して、峒主・族長・大都老などの地域や地域連合の代表を立てていた。ことに冼氏を大都老とする俚人は、高凉の山洞部落だけで十余万戸あったという。一戸五人とすれば、五十余万人という大勢力になる。支配側にとって、徴税の対象として無視し得ない大きな存在だ。

 さっそく大都老の冼企聖が反論した。

「しばしまたれい。こたびの集まりは、話し合いの場と聞いている。まずご説明いただき、なされように納得できれば帰順に応じ、年貢の取立てに協力してもよい。ただし各村落にはそれぞれの事情がある。収穫の好い年もあれば、悪い年もある。その事情に応じて年貢の上納には情実をくわえていただきたい。報奨の話をするまえに、貧しい各村落の実情についてご理解を賜わりたい」

「おや、異なことを申される。皇上おかみの勅令にはしたがえぬ、と仰せであるか」

 あえて反論を誘った孫冏が、「得たり」とばかりに難癖をつける。

「そうはいわぬ。まず話し合おうではないかと申しておる」

「このに及んでなにを申される。察するに、郡の太守では不服とみえる」

 冼企聖に官職や爵位の望みはない。むしろ語るに落ちたのは、孫冏のほうだ。

 俚族を分断する目的で陽江地域を再編、新設する高州刺史を内定されていた。

 郡の太守や県令を僭称する野心家連中には、黙認するなどの鼻薬を利かせてすでに手なずけてある。手筈どおり、かれらは冼企聖にたいする非難をはじめた。

「大都老、おことばであるが、太守にたいして僭越であろう」

「そもそも高凉の宿賊などと、不名誉な賊呼ばわりされるは、おことら冼一族の海賊働きの結果であろう。こうぜんと密輸・海賊するおことらに、部族を代表する資格はない。大都老の職を辞して、まず自ら衿を正してみせられてはいかが」

 会合とは名ばかりだった。各人はてんでに自己主張し、会場は野次と怒号につつまれた。いつのまにか孫冏と盧子雄の姿は、その場から消えていた。

「まずい、罠にかかった」

 冼企聖が気付いたときは、すでに遅かった。会合の席にいきなり軍が闖入ちんにゅうし、列席者を包囲した。孫冏と盧子雄が統括する西江部隊の精鋭だ。

「朝廷に仇なす謀反人ども、武器を捨て、おとなしく縛につけ」

「いいがかりにもほどがある。われらに謀反の意志など毛頭ござらぬ」

 冼企聖ら冼一族のおもだったものが、狙い撃ちされた。頭から謀叛の容疑を突きつけられた。弁明したが、はなから聞く耳はない。冼企聖らは、その場で切り殺された。明らかなだまし討ちだった。殺される直前、冼企聖は茜を放った。

「冼挺とお英に告げよ。なんとしても、われらが俚人を救うのだ!」

 ウオーとひと声、高らかに同意を告げるや、茜は跳躍した。指揮する武将の首に喰らいつき、ひるむ隙に、突破口をひらいて味方の郎党を逃した。一部始終を目撃した郎党は、囲みを破って脱出した。郎党は駆けた。追手は茜が防いだ。

 馬を奪い、夜を日についで村に立ち返った郎党は、冼挺に注進した。

「なんとしたことか!」

 冼挺は天を仰いで絶句した。

 シロ・クロ・黄金丸がとつぜん吠えはじめ、門の外に向って駆けだした。赤紫の美しい毛色をさらに紅の血潮で染めた茜が、息もたえだえに帰ってくる。

「あかねっ」

 冼英も走った。無我夢中で茜を受け止め、抱きしめた。半ば閉じかけた茜の眼は告げていた。冼企聖らを守れなかったことを詫びていた。茜はだらりと舌を垂らして、力なく眼を閉じた。茜の命が尽きかかっていた。

 犬たちは吠えつづけた。三途の川を渡らせまいと、呼び戻しているのだ。

 なかば人であることを自認していた茜は、人間をまねて、冥土に向かって三途の川を渡っていた。真っ暗闇で、水音さえない静寂のなか、川の向う岸をめざしていた。ようやく岸にたどりつこうというその寸前、とつぜん茜は友の呼び声を聞いた。一瞬、振り返った。つぎの瞬間、茜の網膜に色彩が蘇えった。

 茜は生き返ったのだ。甦生した茜は、人ではなく犬のじぶんに戻っていた。


「村を捨て、山にこもって敵を討つ。親父どののかたきは孫冏と盧子雄、それとわれら冼一族を売った俚人の裏切りものどもだ」

 高凉一帯に散在する冼一族の村落に、犬の伝令が走った。村を捨てて、戦うのだ。


 南朝のころ、広州はすでに大都会だった。南遷する人びとがあとを絶たず、嶺南一帯は人口が激増した。中原文化がどっと移入し、社会生活にも大きな変化がもたらされた。これら移民中に代々任官の家門があり、一族で移動してきたから、朝廷は以前どおりの待遇でその官職の世襲を認め、朝廷の権力を誇示する必要があった。そのためには、配分する土地が必要だ。

 嶺南の百越民族は、数百年の長きにわたる漢越融合を経て、かなりの部族がすでに漢化されていた。かれらはおもに広州付近の珠江三角州一帯に集中して住んだ。とうぜん南朝に帰順し、政府の統治下、居住保障されていた。

 新たな転入地として狙われたのは、高凉俚人の開拓した漠陽江流域だった。


6.


 孫冏と盧子雄は、ただちに征討軍を集結させ、高要郡から南下した。強大な軍勢で雲霧山脈の北端にあたる大雲霧山を越えると、陽春一帯に侵入した。

 さらに漠陽江に沿って水陸を進み、流域に散在する高凉俚人の村落をつぎつぎに掃討していった。高凉俚人に帰るべき家はなくなった。略奪のあと、非情にも火をかけられたのだ。村落に残っているのは老人と女こどもだけだ。村と家族を守るため、女こどもが農具や棒切れを持って侵略者に抵抗した。

 結果は悲惨だった。抵抗するものはすべて虐殺された。生き残った部族民は女こどもを問わず、家畜や家禽といっしょに捕まり、腰縄をうたれ、略奪された財貨や食糧の荷車を引かされた。いずれは奴隷にされ、売りとばされる運命だ。年寄りや寝たきりの病人は藁小屋にひとまとめにされ、火をつけられた。

 冼挺とお英は駆け回り、掃討軍が来るまえに脱出させた。みな夢中で逃げ落ちた。道々、家財道具を撒き散らし、家畜も道に放った。追撃する兵士が奪い合えば、その分、追っ手の到着が遅れる。悲しくも有効な、時間稼ぎの手段だった。

 明日を考える余裕はない。ひとりでも多くの民を、助けるのだ。かれらは黙々と雲霧山脈の叢林に分け入り、けものみちを伝って、奥へ奥へと突き進んだ。

 高凉部族は狗郎の民だ。むかしから多くの犬を飼っていた。その犬たちが、警護と伝令の役を担って、逃避行を助けた。敵が現れると、まず犬士たちが前に飛び出して部族民を守り、大声で吠え立て、近くを行く冼挺の軍団に急を告げた。

 冼挺ら軍団の面々は、こどものころから遊びまわって、高凉の山河は知り尽くしている。そのうえ実戦の経験もある。太古のつたをなぎ払い、古木を倒し、道を拓いて、橋を掛けた。そして全員が通り抜けたあと、道を塞ぎ、橋を壊した。

 逃避行集団は、この雲霧山脈の東から南にかかる地域一帯に立てこもった。山中の高台に分散して部落を急ごしらえし、河辺によって田畑の開墾をはじめたのだ。その一方で、この地域一帯を「南梁地区」と称し、分散して根拠地を設け、孫冏の征討軍とゲリラ戦を展開した。敵は武器と食糧を豊富に携行している。武器を奪い、作物が実るまでの喰いつなぎに狙うには、一石二鳥の獲物だった。


 大都老の父や叔父などの首脳を一挙に失った冼挺・お英兄妹は、一族をひきいて、戦に没頭した。孫冏の理不尽な謀略は、冼挺兄妹の抵抗心を増幅した。年が若い分だけ気力が勝っている。軍備の劣る不利な条件を気力で補った。冼挺軍団を根幹に、部族民の壮丁らが、孫冏軍を竹藪のなかの乱戦や唐黍とうきび林の埋伏戦で撹乱し抵抗した。それぞれが実践のなかで戦を学び、生き抜くために助け合った。

 ことに冼挺の怒りは頂点に達していた。情け容赦のない報復戦を展開したのだ。敵の征討軍に遭遇するや、まず強弓で敵将を射止め、さらに敵陣に突入し、ひとりで十人、二十人を相手にげきほこを振り回し、兵卒を薙ぎ倒した。捕獲した敵兵を生きたまま縛り首にして木に吊るした。山林は不気味な光景を呈した。征討軍の兵卒は「縛り首の森」と恐れ、近寄ることをためらった。

 侵攻した孫冏の本隊の動きが緩慢になったころ、裏切った俚人幹部への報復戦が始まった。位官の空手形を手にした裏切り者は、のうのうと帰村していた。

「冼一族を売ったやつらだけは、ぜったいに許さん。部族ごと、なぶり殺しだ」

 復讐鬼と化した冼挺は、尖鋭部隊をひきつれ、根拠地をあとにした。


 一方、冼英もまたおんなたちによる高凉娘子軍じょうしぐんを編成し、征討軍に抵抗した。葛徳やワスケが手を貸した。回復した茜と、シロ・クロ・黄金丸が部族民の飼う犬士たちをひきいて娘子軍を助け、戦場を駆け巡った。

 冼英のひきいる娘子軍は射的攻撃による埋伏接近戦を得手とした。密林のなかでたくみに潜伏し、敵軍が間近によるまでじっと待ち、射程距離に達するや、弓で矢を射て敵を殺傷するのだ。女部隊ということもあり、携帯に便利な短弓を用いる。飛距離は小さく、力も弱い。しかし矢尻には、薬樹の毒液を染みこませてある。薬樹には、「毒矢の木」というべつの名前がある。葛徳の発案だ。

「朝廷の非道にたいし、われらも非情をもってあたる。朝廷の権力の強大さにくらべれば、われらの力は芥子粒けしつぶほどもない。そんな微力なわれらが命をかけて、朝廷の非道を糾すために抵抗するのだ。その象徴がこれだ。敵の肌をかすっただけで、必殺の威力がある。憐憫の情を捨て去れ。憎しみのかたまりとなって、迷わず敵の命を奪おうとするものだけが、この矢を射ることができるのだ」

 戦をまえに葛徳は激しく説いた。生半可な気持ちだと、自らの心が傷つく。

「かすり傷でも人は死ぬ。必殺の一撃と思って敵にたいし、矢を射るのだ」

 娘子軍の女兵士はたがいに顔を見合わせた。顔は青ざめ、声も出ない。

「ごくっ」

 生唾を呑みこむ音がかすかに聞こえた。


 山林に踏み入った孫冏軍は、俚人ゲリラ捜索中にしばしば射殺された。一本の小さな矢で、ときには三人が続けさまに犠牲になった。

 ひとりの兵の頬に矢がかする。頬に手をやったまま兵は膝を突く。矢を拾い、矢尻に触れた仲間の兵や手当てをしたものまでが、目のまえでつぎつぎに倒れる。兵らはすくみあがった。武器を放り投げ、血相かえて、もと来た道を転げ走った。

 さらに俚人ゲリラの心理作戦が追い討ちをかけた。夜間の宿営地でも一晩中、俚人ゲリラがかき鳴らす太鼓やほら貝の音が騒がしく、眠りを妨げたのだ。

 疲労困憊してうとうとする寝入りばな、兵卒の夢に火の玉が出た。昼間見た縛り首の森で、死にきれない首吊り兵がうなっている。無数の火の玉が、森のそこかしこで揺れて漂う。殺された仲間のうらめしげな顔が浮かぶ。

「わぁー」

 悲鳴を上げて、兵卒は跳ね起きる。その恐怖は周りの兵卒にも伝染する。

 昼夜を問わず常にびくついて、浮き足立った孫冏軍の兵卒は、早々に山から退散し、周囲が見渡せる広々とした平原に移動した。そして宿営地に閉じこもったきり、動こうとしなかった。上官が声をからしても、聞く耳もつものはいなかった。上官自身も、逃げることばかり考え、心は上の空だった。


 高要西江軍の輜重しちょう部隊は、雲霧山脈の北端ふもとにたどりつくと、そこで荷を分け、兵が肩で担いで山を登った。山を越えれば、船が使える。河川は重量物資の移動に欠かせない。山ふところから南海に向かって漠陽江とその支流が豊かな水を湛えて流れている。恰好の輸送ルートだ。輜重部隊の兵員は担いだ荷を船に下ろし、ひと息つく。やがて高要水軍は、漠陽江の下流に向けて南下した。

 ワスケは年少者による舟軍団を組織した。海人のこどもらを丸木舟に乗せ、武器と食糧の強奪を狙ったのだ。「少年白龍ペーロン隊」と自称した。十六、七歳になれば冼挺の軍団に引き抜かれるから、みなそれ以下の少年たちだ。

 ワスケ自身まだ二十をいくつか越えたばかりで若いが、実践の経験は群を抜いている。こどもに武器はもたされないから戦闘行為は避け、水路輸送物資の強奪に徹したのだ。こどもにかわって戦ったのは、高凉の犬士軍団だ。

 泳ぎの達者な黄毛の犬を舟に同乗させた。舷側が敵方の船に接するや、舳先に陣取った犬たちがいっせいに飛び移る。狭い船上だ。犬に追い立てられ、敵方は川面に投げ出される。犬たちの先導役は黄金丸だ。黄金色の美しい毛並みが、敵味方の舟船しゅうせん上を右に左に跳躍し、漠陽江の清らかな流れに虹彩を放った。


 冼企聖の訃報に接し倒れた冼英の母を、逃避行の先々で親身になって看病したのはお玲だった。冼英は一族の先頭に立って指揮するのに忙しく、母の面倒を看るひまがなかった。代わってお玲が、大都老夫人を護った。そのかたわらにはつねにシロが付き添っていた。山中では、冼挺軍のしんがり兵が背負って走った。老夫人のからだは弱りきっている。とうていちきれなかった。逃避行中に衰弱死した。

 亡くなるとき、冼英の母はお玲の手をとり、「ありがとう、お玲。おまえも、かならず幸せになるのだよ」といって事切れた。戦のさなかだ。遺体は藪のなかに埋めて隠した。敵が迫っている。感傷に浸っている暇はない。お玲は立ち上がり、兵をうながし、その場を離れた。悲しげにひと声発し、シロもしたがった。

 冼英に母の死を告げなければならない。お玲は雲霧の山中を彷徨した。シロが先導した。シロは咆哮を繰り返し、耳をそばだたせて、冼英とともにいる茜につなぎを求めていた。犬の嗅覚と聴覚は人の何倍もすぐれている。お玲は葛徳の教えを覚えていた。シロの超能力に賭け、けっして弱音を吐かず、かえって男の兵を励まして元気づけた。森林が切れ、草原が広がるあたりで、とつぜん岩陰から赤紫色の犬が飛び出した。

「茜だ!」

 シロが喜びに満ちた声でワンワンと吠え、茜を迎えた。茜につづいて弓を肩にかけた冼英が、現われた。お玲は駆けて、冼英の腕のなかへ倒れこんだ。

「お英ねえさん、お英ねえさん」

 お玲は泣きじゃくった。冼英の娘子軍が周りをとり囲み、再会を喜んだ。


 お玲は、冼英に母の最期のようすを告げた。冼英はただ黙って聞いていた。

 敵の軍勢が接近していた。草原のなかだった。娘子軍の姿は、すでに敵兵の目に捕捉されている。敵が突撃する寸前、とつぜん娘子軍は姿を消した。すっとその場にしゃがみ込み、匍匐ほふくし、散開した。地に伏せ、腹ばいで左右に広がり、前進したのだ。

 草の丈は長い。一瞬にして娘子軍の姿が草原のなかに消え、敵方は距離感を失った。両軍は接近し、射程距離に達した。冼英はいきなり立ち上がり、敵に向って、弓を連射した。横列にならんだ娘子軍も立ち上がり、一斉に矢を放った。

 うわさに高い即効性の毒矢が放たれたのだ。敵の最前列は総崩れになった。第二列目の兵は腰が引けた。敵方は負傷兵を捨て、算を乱して逃げ散った。

 味方の陣を離れていたお玲は、毒矢の効果を知らない。敵味方なく、負傷した兵には助けが必要だ。駆け寄ろうとするお玲の腕を、冼英は力を込めて押さえた。

「だめっ、触るとお玲まで死ぬ」

 お玲は愕然とした。あらためて、冼英の怒りの激しさを思い知らされた。

 陣営に戻ってはじめて、冼英はふつうの娘になった。お玲の手をとり、母のために慟哭どうこくした。一族の戦士たちも、泣き悲しんだ。

 あらためて母の埋葬を済ませたのちも、お玲はゲリラの陣営を離れなかった。

「お英ねえさん、わたしも娘子軍に入れてください。わたしには人は殺せないから、弓はもてない。でも戦いのうしろ側で、負傷者の介護や食事の世話、軍服のつくろいなどならできる。薬の調合やけがした人の治療など、葛徳さんからたくさん教わっています。わたしのできる範囲で、みんなと一緒に戦いたい」

 お玲の決意を知った冼英は許可した。翌日からお玲は若いむすめらに交じり、夢中で働いた。幼いときから奴隷の身で、さまざまな仕事をこなしてきた。いまは自由の身となって、じぶんの意志で仲間のために働いている。懸命なようすは、だれの眼にも明らかだった。娘子軍の士気は、いやがうえにも高まった。


 官印をいただき、孫冏軍に協力した部族・村落が、冼挺の復讐の標的となった。悪鬼と見紛う冼挺をまえにして、手向かうものはいなかった。族長は引きずり出され、切り殺された。首級は、次に標的になる村の門前にさらされた。

 恐怖におののいた村人は、みずから決起し、峒主や族長を襲い、村の門口に縛り付けた。首には孫冏から支給された官印がぶら下げられていた。

「よくも大都老の父を裏切ってくれた。報いは鋸引きだ」

 冼挺のひと声で、族長は震え上がった。

「安心しろ。おまえひとりではない。一族もろとも鋸で首を引いてくれる」

 冼挺は冷たくいい放った。

 族長の家族が引き出された。妻や子、兄弟の嫁や子も含まれている。

「やめてくれ。せめて幼い子だけでも助けてくれ」

 族長は泣き叫んだ。

「おれの一族は、おまえらの裏切りで、皆殺しにされた。生まれたばかりのおれの赤子まで焼いて殺したのは、どこのどいつだ」

 討伐軍の襲来をまえに、一族を逃すことが優先し、じぶんの家族はあとになった。のちにその事実を知り、冼挺はしんそこ悔いた。悔いた分、怒りは大きく、激しい。

「はじめろ!」

 冼挺は手を振って合図した。

 族長の首を鋸歯の下に据えた。恐怖で真っ青になった族長は失神寸前だった。

「ひぃー」

 族長の妻が声にならない悲鳴をあげた。鋸引きの男が鋸の柄に手を伸ばした。

 そのときだった。

「しばし、待たれい」

 りんとした声が、処刑場の出入り口付近から発せられた。馬上の青年だ。

 かれは冼挺に向かって馬を進め、近づくと下馬した。

「高凉をたばねる冼挺どのであろう。わしは羅州(いまの化州市)刺史馮融が一子馮宝ふうほうだ。このたび朝廷においては、孫冏を更迭し、陳覇先どのを高要太守として任命する意向である。兵を引き、広州刺史との和解談判に応じていただきたい」

 馮宝は冼挺より三つ、四つうえになるが、見た目は若い。背が高く、いかつい顔につりあがった細い眼は、北方系の面立おもだちといっていい。

「したがってこの処刑、わしが預かる。是は是、非は非として、しかるべく審判いたすによって、この場はお引き取り願いたい」

「和解談判とは、戦をやめるということか。高凉征討軍を撤退させるのだな」

「さよう、おぬしらはよう戦われた。しかし、これいじょうの争いは無益である。朝廷はみずからの敗北を認めた、と思ってもらってよい」

 冼挺の肩から力が抜けた。軍団の仲間たちが顔を見合わせた。いずれの顔にもほっとした安堵の表情が浮かんでいる。

 冼挺は、馮宝のうしろに葛徳の姿を認めた。笑顔でうなずいている。

「よかろう。この場はおぬしに任せる。ただし、まだ孫冏と盧子雄が残っている。和解談判の話は、孫冏と盧子雄との決着が付いてからにしてもらえぬか」

「わしの一存ではなんともいえぬが、陳覇先どのなら黙認されよう。部族同士の争いなら朝廷は関与しない。いずれ朝廷の側より和解の勅使がおぬしのもとへ遣わされることになる。その談判に応じて朝廷に帰順されるまでは、だれもおぬしらを止められまい」

 葛徳が仲立ちしたものなら、疑う余地はない。冼挺は馮宝の説得に応じた。裏切った族長への憎しみは残ったが、孫冏と盧子雄にたいする報復が先だ。

 とうぜん期限はある。和解の勅使が談判をはじめれば、勝手は許されない。

「急がれることだ。ひと月か、半月か。その間に、本懐遂げられよ」

 馮宝の好意が感じ取れた。冼挺は軍団に命じ、族長らを馮宝に引き渡した。

「いずれお目にかかるが、陳覇先どのにはよしなにお伝えいただきたい」

「確かに承った。おぬしらも息災であられよ」

 さわやかに受け答えし、馮宝は冼挺の軍団を見送った。

 馮宝のかたわらでうずくまっていた犬が立ち上がり、遠吠えした。あたかも狼と見紛う遠吠えだ。去り行く軍団に向かって、長く尾をひくように吠えた。

 蒼い眼をもつ大型犬だ。太い毛並みも青味を帯びている。無駄のない筋肉質でがっしりした骨格は哲学的な面相とあいまって、凡庸でない出自を思わせる。

「よい、よい。あおいよ、おまえもあの男に同類の血をみたか。冼挺、さすが音に聞く豪勇の猛者つわものよ。しかも乱世の梟雄きょうゆうというにふさわしい一徹さがある。だが、あの一徹さが、かえって仇とならなければよいが」

 一徹とは、思い込んだらあくまでそれを通そうとするかたくなさをいう。梟雄とは、残忍で強い人をさす。代表格には、三国志の曹操がいる。

 馮宝はひと目で冼挺の本質を見抜き、しかもその前途を危ぶんだ。馮宝のかたわらで同じく冼挺を見送った葛徳は、「なるほど」とその言にうなずいた。


7.


 冼挺のさいごの狙いは、孫冏と盧子雄に絞られた。

 まず盧子雄にたいし、報復の牙を向けた。盧子雄の本拠地・新寧郡は高凉に隣接する。大雲霧山の南麓を越えれば、高凉の北側に位置する陽春だ。侵略した盧子雄の討伐軍は、陽春の俚人村落を襲い村民を虐殺したが、戦勝におごり略奪のうまみに酔いしれた。高凉進撃は孫冏の西江軍にまかせ、自らは陽春の略奪に没頭した。言語道断の弱いものいじめだ。逃げ延びた村民が、涙ながらに訴えた。

「ゆるさん!」

 冼挺は激怒した。雲霧山脈を越え、盧子雄軍に立ち向かおうとした。しかし侵略軍は強奪した戦利品や奴隷などをかついで、早々に地元へ引き上げていた。

「なんてやつらだ」

 歯軋りしたが、やむをえない。他日の復仇を誓い、孫冏の西江部隊を追った。

 高要郡から南下した西江部隊は、高凉各地の村落を討伐するのが目的だったから、大軍を分散し多方面展開していた。そのため戦は局地のゲリラ戦に終始し、勝敗を左右する大会戦にはいたらなかった。しかし、密林に踏み入った孫冏の部隊は手痛い敗北を喰らい、漠陽江を下る補給線は寸断されたから、各地の孫冏軍は孤立していた。

 

 頂点にまで達した冼挺の怒りが、やや鎮まっていた。葛徳は戦の収束に動いた。

「雲霧山中を自然の要塞とし、生活環境を作り、時期の到来を待ちましょう」

 負けて降服するのではない。勝利の余韻を残して、みずから山中に身を引く。そして自立し力を貯える。力さえあれば、敵に侮られることはない。

 ――はたして、おれにできるか。

 冼挺はじぶんに問うた。勝利の可能性があれば、勝つまで戦う。それがおれだ。

 ならば、高凉俚人の将来は、お英に託した方がいい。道ははるかに広がる。

 冼挺は孫冏を狙い、さいごの一戦にかけた。北からの兵站線を陽春で断たれた孫冏軍は、山中の兵を引き上げ、分散した軍を陽江平原に集結させている。

「決着をつけたい」

 正規の征討軍が、敵対するゲリラ軍に注文をつけた。冼挺は挑戦を受けた。


 孫冏の祖孫恩は、五斗米道ごとべいどうという道教の一派だ。病を治し、その霊験あらたかなるをもって信者を募った。入信時に五斗の米を献納させたのでこの名がある。

 孫恩は五斗米道の信者を利用して、江南で狂信者を扇動し、乱を起こした。みずからを「長生人」(不死の人)と称し、信者から死の恐怖を取り除き、乱に先立ち足手まといになる赤子を水中に投じ入れ、「水仙」となって永久の生命を得たと祝福した。集団催眠の幻術に踊らされた狂信者らは、孫恩の命令一下、敢然として政府軍に立ち向かい、嬉々として死んでいったのだ。

 孫冏はこの嶺南の地に、孫恩をまねた独立国の建設を狙っていた。高凉一帯は、まさに恰好の立地拠点といっていい。ただし孫冏にカリスマ的資質はない。

 一方、元始天王盤古の子孫高凉俚族を外敵から守るのは、嶺南道教の霊山ともいうべき羅浮山の方士葛徳のつとめに他ならない。

 葛徳は孫冏との一戦に先鋒をつとめたいと、みずから買って出た。

「こちらから頼みたいくらいだ。兵はいかほどつけよう。千か、二千か」

 万余の孫冏軍に立ち向かうのだ。冼挺の提案は妥当だったが、葛徳は断った。

「いや、いりません」

「少ないと仰せか。では三千つけよう」

「そうではありません。一兵もいらぬと申しています」

 冼挺はあきれた。兵を用いないで、どう戦おうというのか。

「うしろにさがって、このたこを揚げ、高みの見物をお願いします」

 葛徳は、怪訝けげんそうな顔をする冼挺に、大凧の綱をわたした。

 冼挺の主軍団は、漠陽江下流域の平原を退き、海を背にして布陣した。正規兵と民兵をあわせて五千に満たない。「背水の陣」ではあるが、必死の覚悟には見えない。大凧が海からの風にあおがれ、ゆったりと天に揚がっているためだ。

 決戦のときが来た。葛徳はたったひとりで、万余の孫冏軍に対峙したのだ。

 あれこれ策をめぐらしていた孫冏もこれには驚き、すべての策をうち捨て、真正面から正攻法の力攻めに変更した。

猪口才ちょこざいな小僧めが、ひと揉みにしてくれる」

 全軍に突撃を命じた。

 ――ピィッ、ピィ―。

 とつぜん戦場に犬笛が放たれた。といっても人には聞こえない。犬笛は、犬にしか聞こえない高周波の特殊音を発する。

 葛徳は、高凉一帯に棲息するすべての犬に、緊急集合をかけたのだ。

 高凉俚人部族の危機にあたり、伝説の神犬『盤瓠ばんこ』の故事にならい、部族の盛衰をかれらに託そうというのだ。一匹、二匹。五匹、十匹。単独で、あるいは連れ立って、高凉各地から、『盤瓠』の末裔とおぼしき犬たちが続々と馳せ参じた。まさに犬士集結というにふさわしい。飼い犬もいれば、野犬もいる。


 犬士軍団の先頭を切るのはクロだ。大勢の黒犬をひきつれ、クロは躍動した。葛徳の右側を守る形で百匹ばかりしたがえ、グルルルっと唸り、敵を威嚇した。

 左側を守るのはシロだ。シロも負けじと百匹あまりの白犬の先頭に立った。

 一方、漠陽江を川下る白龍ペーロン舟に分乗した黄金丸ら黄犬たちは、ワスケら海人仲間にともなわれ、近くの河原に降り立つや、戦場目指してひた走った。孫冏軍の左翼を襲うのだ。百匹の黄犬の群れが、街道を黄金色に染めた。

 茜もまた高凉俚人の危機を救う神犬の本性に則り、赤い毛並みの犬らを叱咤し、飛ぶように駆けた。遅れじとばかりに、孫冏軍を右翼から突き崩す構えだ。

 葛徳は、犬たちの動きを耳で追っていた。まだ聞こえてこない遠吠えがある。

 ――馮宝の葵はどうした!

 懸念するまでもなかった。葛徳に向って進撃する孫冏軍の後方から、狼に似た遠吠えの輪唱が耳に届いた。葵らのものに違いない。

 このとき、葛徳の頭上にスルスルと縄梯子が下りてきた。上空に揚がる大凧から下りてきたのだ。凧は海からの風にあおられ、天空高く舞い上がっている。葛徳もまた縄梯子を伝い、天空に向って登っていった。地上からは、葛徳は上空に浮かんで見える。敵も味方も、この光景にどよめいた。

 上空の葛徳からは、地上のありさまが手にとるようによく分かる。総勢一万余の孫冏軍が、青黄赤白黒、五色の犬の集団五百匹に取り囲まれている。さながら牧羊犬に導かれ、草原を移動する群羊の態だ。犬士軍団はいっときもじっとしておらず、つねに駆けまわっているから、何倍もの数に見える。それに留まらず、遠来の犬たちが続々と新たに加わり、仲間の数を増やす。葛徳は手にした犬笛を、ふたたび吹いた。

 葵が察知した。孫冏軍を後方から攻めていた青色の毛並みをもつ一群が、葵のひと吠えで左右に分かれ、孫冏軍の後方に逃走路をひらいたのだ。

 古来、戦の要道では、敵を死地に陥れることを固く禁じている。四周をすべて包囲すれば死地となる。死地に陥った兵は、生き延びるためにひっしに戦う。ときには実力以上に力を発揮することがある。だから戒めたのだ。反対に、逃げるに易い路が一ヶ所でもあれば、武器を放り出してでも、われがちに逃げる。

 案の定、孫冏軍は後方から乱れた。向きをかえ、全軍が逃げの体制に入った。

 後方以外は、兵を散らさぬように、犬士軍団が駆けまわって壁を作り、列をはみ出る兵に咬みついたり、体当たりしたりして列の乱れを防いだ。

 葛徳は上空からこれを眺望し、五色のリーダー犬に犬笛で指示を送った。

 いまや数千匹に膨れ上がった犬士軍団が、孫冏軍を包囲し、いっせいに吠え立てた。狼の咆哮を真似る一群もある。兵たちはゾッと肝を冷やした。勝手違った猛犬相手の戦に面食らい、人の後ろに隠れて難を逃れようと揉みあった。

 そのまま孫冏軍はドッと後退した。敗走する孫冏軍を見送って、犬士軍団は勝利の雄叫おたけびをくりかえした。


 この戦闘がひとつの転機となった。

 対俚人強攻策の孫冏は敗戦の責めを負って更迭された。

 替わって、高要太守・西江督撫に任命されたのは陳覇先だ。陳覇先は馮融・馮宝父子とともに漢俚の和親宥和を主張し、俚人の征討鎮圧に反対していた。陳・馮両氏の考えは、やがて広州刺史蕭暎を動かし、中央尚書台の賛同を得た。

 俚人征討軍は解体し、戦は終った。広州に送られた孫冏は、処刑された。


 さらに、俚人を懐柔するために、梁朝は高州を新設した。そして高州三郡のひとつ、高凉ゲリラの本拠地だった「南梁地区」に南梁州を設け、冼挺を南梁州刺史とし、治所はいまの陽春市の西側に置いた。陳覇先のとりなしで、帰順した高凉俚人冼氏一族を梁朝に取り込んだのだ。

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