漫画原作版「神犬伝」

ははそ しげき

第1章 五色の犬

1.


「お英、朝飯を食ったら出かけるぞ。馬車で早駆けじゃ」

 冼挺せんていの元気な声が、邸内の眠りを吹き飛ばす。

「待って、兄さま。お英もすぐにまいります」

 冼家の朝は、こどもらのにぎやかな掛け声ではじまる。

 朝餉あさげもそこそこに、庭先で馬車を仕立てた冼挺はべつの馬にまたがり、放し飼いの鶏や豚を蹴散らし、風を切って駆け抜ける。お英は馬車であとを追う。

 先に飛び出した冼挺は、馬上で弓を遣い前方の柿を落とし、走りざま空中で拾って、お英に投げてよこす。御者台で馬を操るお英は、片手で受け止め、ひと口かじる。

「シブッ!」

 やにわにお英は立ち上がり、兄に投げ返す。冼挺は駆ける馬の背で向きなおり、これを鞭で叩き落す。

「ワッハッハッ」

 高らかに笑って先を駆ける兄を追い、お英は満ち足りた幸せに浸っている。

 折からの初秋の風を頬で受け、手綱を握る手に力を込める。うっすらにじむ

汗が額に心地よい。


 こどものころ、お英と愛称でよばれた冼英は、兄っ子とからかわれた。日がな一日、兄さま兄さまで、どこへゆくにも兄のあとを追いかけていたからだ。

「お英は兄さまの嫁になる」

 意味も判らずそんなことをいっては、またからかわれた。

 六つ違いだが、はた目にも仲のよい兄妹で、周囲はあたたかく見守ってくれた。兄はお英の憧れであり、誇りだった。


 冼挺は、いまはもう立派な若者に成長したが、すこしまえまでは、奔放なガキ大将だった。おとなの目を盗んでは山だ、河だと出かけてゆき、ゆく先々でこどもらを集めて石合戦や獣狩りをしたり、丸木舟や帆かけ舟に乗って魚とりや川下りを競ったりした。

 こどもらの周りには、つねにこどもの数だけの犬が交じっていた。犬は部族の守り神であり、同時に家族の一員だった。どこの家でも犬を飼っていた。番犬としての努め以外、狩猟犬や災害救助犬としての役割も担った。他出するときも、忘れず連れていた。

 冼挺兄妹は少数民族の俚人りじん族長の子だったから、長ずるにつれ、日常の遊びは本格的な兵略や馬術・武技の修練にかわっていったが、おとな顔負けの修得ぶりで、末頼もしい兄妹よと、族民の輿望を大いに担っていた。


 若者になった冼挺は、いつまでもこどもの遊びに呆けているわけにはいかなかった。一族の跡取りとして、族長見習いの仕事がはじまっていた。

 冼挺は、ときに数ヶ月間、家を離れることがあった。お英が理由を尋ねても、「戦にいってきた」というときもあれば、「船で荷を運んでいた」というときもあり、いずれにしても多くを語ろうとはしなかった。

 数ヵ月後、帰郷した際の冼挺らは、凱旋というにふさわしい戦果を引っさげてきた。戦利品と称する財貨を山積みにした荷車がなん台となくつづき、そのあとに数珠つなぎされた捕虜がなん人もつらなった。族民は南海に通じる漠陽江ばくようこうみなとに鈴なりになって、かれらの凱旋を歓喜して出迎えた。

 あるとき、冼英たちよりずっと下の、まだ年端のいかない小さなおんなの子が、捕虜として競売にかけられた。おんなの子は白い毛の子犬を抱いていた。奪われまいとしてひっしに抱えこむ姿が哀れだった。

「白い子犬、かわいいね」

 思わず冼英が声をかけると、それまで子犬に押し付けていた顔を上げて、おんなの子は冼英を見た。その眼は憎悪をむき出しにしていた。

 とっさのことで戸惑った冼英は、にらみかえそうとしたができず、かえって不意に涙ぐみ、大きな声で泣き出してしまった。なぜ泣いたのか、わけがわからなかった。

 その場は近くにいたおとなが冼英をあやし、屋敷につれ帰った。おんなの子はなにを思ったか、冼英に向かって白い子犬を放した。子犬はクーンと、鼻を鳴らしていちどおんなの子を振り返り、やがてトコトコと冼英のあとを追った。


「わしら部族民は南蛮だの俚人だのといわれ、漢人からさげすまれておる」

 父の高凉大都老だいとろう冼企聖は、ときに民族の歴史を冼英らに語って聞かせた。

 この時代、かれらの住む嶺南一帯にはかつての百越ひゃくえつ族の後裔である俚族ら少数民族が、外来の漢族と共生していた。俚族らは盤古ばんことよぶ太古の祖先を祀っていた。盤古は中国神話で天地を開闢かいびゃくしたという神で、これを「盤王」と尊称した。いつのころからか盤古は同音の盤瓠ばんことも書かれ、神犬盤瓠の伝説として少数民族間で、共通の神話を形成するようになっていた。


 五帝のひとり帝嚳ていこくは、もとの名を高辛こうしん王といい、黄帝の曾孫にあたる。

 この高辛王の王后の耳から金蚕きんさんという大きなまゆのような虫が生まれ出た。その虫を瓢箪ひょうたんひさごに入れてふたをかぶせておいたところ、たちまちオス犬に変じてしまった。この犬には青黄赤白黒、五色の毛並みがあった。瓠と盤にちなみ盤瓠ばんこと名付け、宮中で飼うことにした。やがて盤瓠は1メートル余の大きさに成長する。


 犬戎けんじゅう族の戎呉という夷狄が勢威をふるい、たびたび国境を侵犯した。

 防御を固めても効果はない。ごうを煮やした高辛王は、天下に向って布告した。

「豪勇の士に告ぐ。戎呉の大将の首を取りたるものに黄金千斤をあたえ、万戸の領主に封じ、さらに王女を賜う。われと思わんものは名乗り出よ!」

 布告が高々と読み上げられた。寝ていた盤瓠の耳がピクリと動いた。

 盤瓠は跳ね起きた。身をひとふりすると王に向かって咆哮した。人びとがあれよと見守るなか、盤瓠は城門を駆け抜けていた。

 数日後、盤瓠が王宮に戻った。首をひとつくわえていた。正しく敵将の首だ。

 王は喜び、上等の肉を盤瓠にあたえた。しかし盤瓠は肉どころか水さえも口にしようとせず、ただ悲しげに王を見やり、鼻を鳴らすばかりだった。

 王とて盤瓠の気持ちが分からぬではない。

「おのれは王女ひめが所望か。されど畜生の身ではかなわぬこと。あきらめてくれぬか」

 聞いて王女は、王に二言は許されないと、覚悟のほどを王に告げた。

「父王、盤瓠は人語を解する神犬です。戎呉の大将の首を取ったものにはわたくしを嫁にやると、天下に約束されました。どうかわたくしを、盤瓠のもとに嫁がせてください」

 王女の決意を聞いた盤瓠は、とつぜん人語を発した。

「王よ、ご心配にはおよびません。七日七晩、わたしを金の鐘のなかに入れて蒸してください。人に変身してみせましょう」

 高辛王は盤瓠のいうとおりにした。しかし王女は盤瓠の身を案じ、六日目に金鐘の蓋を開けてしまった。盤瓠のからだは人の姿に変身していた。しかし頭だけは、まだもとのままだった。王女の情けが仇となり、狗頭くとう人身でとどまったのだ。


 王は約束どおり、ふたりの結婚を許した。ふたりは王宮を出て、人跡まれな深山に入り、石室に住んだ。狩猟・耕作して暮らすうち歳月がすぎ、王女は五人の子を生んだ。やがて盤瓠は亡くなった。王女は子らとともに、五匹の子犬をつれ、王宮に戻った。それぞれが青黄赤白黒、いずれか一色に覆われた美しい毛並みの子犬たちだった。

 王宮にひきとられた子らは都の生活をきらい、山に住むことを願った。そこで王はかれらの意をくみ、王女亡きあと、犬ともども山に帰した。名山広沢を賜り、自由に移動し棲まうことを許したのだ。

 そののち、子孫を増やしたかれらは、盤瓠部族と呼ばれるようになった。五色の犬たちも、ともに代を重ね、神犬盤瓠と敬われた。


「わしらのご先祖にあたる盤瓠部族は、山深い山洞から河辺に移って定着した」

 その中心が、広東カントンの西南、南海に臨む陽江の漠陽江流域だ。

 いつのころからか、かれらはいぬ(犬)を意味する『コウロウ(狗郎)部族』とよばれた。コウロウはなまって高凉と書かれた。この地域の俚人はみな盤瓠を祖先とし、狗頭人身の盤瓠像を旗印にした。

「むかし、この嶺南に『南越国なんえつこく』といわれる国があった。趙佗ちょうたという秦の南海郡尉(軍政長官)が秦の滅亡後、独立割拠して建てた国だ。七百年もまえの話じゃが、漢の武帝が再統治するまでの約百年間、存続した。いまの広東・広西からベトナム中北部をふくむ広大な地域を領有していたのだ」

 南越王趙佗は、冼斉せんさいという配下の武将を高凉世守(世襲の守護職)に任命し、西南方地域の守りの要とした。これ以後、漠陽江流域、ことに俚族が多く住む高凉郡を、冼氏はみずからの先祖伝来の地として、神聖視した。

「これがわれら冼氏のはじまりといっていいが、直接の祖先は二百年まえの東晋の冼勁せんけいじゃ。冼勁というは剛毅なおとこで、高凉俚人部族の軍団ごと広州刺史しし(地方高官)の親衛隊を任されていた」

 このころ、孫恩そんおん盧循ろじゅんによる五斗米道ごとべいどう信者の武装蜂起が勃発し、盧循の広州攻めのおり、冼勁は剛勇の兵五百をひきいて戦った。戦は敗れたが、冼勁の働きは伝説に残るほど華々しいものだった。冼企聖は、この冼勁五世の子孫にあたる。

「われらは誇りをもって盤王さまを敬い、これを祀る。犬はわれらの守り神であり、また親しき友でもある。われら部族の盛衰は神犬とともにある」

 冼企聖はお英に語り聞かせたあと、お英に纏わる子犬を見て、優しく叱った。

「それはお玲の子犬だろう。寂しがっておろうに、早く返してやりなさい」


 冼英の生きた時代、中国は南北朝時代(5~6世紀)といわれる。

 江南の建康(南京)に都を定めた宋・斉・梁・陳の南方王朝は、黄河流域の北魏・東魏・西魏・北斉・北周の北方王朝と、国土を南北に二分して相対峙した。

 この時代、日本は百済からの仏教伝来期にあたる。

 倭の五王の南朝宋・梁への遣使があり、やがて遣隋使がスタートする。


2.


 ときの朝廷南朝梁は仏教文化の最盛期で、絢爛豪華な寺院で彩られた建康の都を維持するため、税金や年貢の取立ては苛斂誅求かれんちゅうきゅうをきわめていた。

 農業だけでは立ちゆかない俚人族民は、密輸と海賊で糊口をしのいでいた。族民の先頭に立って荒仕事をこなしたのが、逞しく成長した青年・冼挺だ。


「えらいことになった。また戦がはじまる」

 梁朝南海郡の治所である広州の得意先に奴隷を売りさばきにいっていた冼挺が、息せき切って帰ってきた。屋敷へはいるなり、柄杓ごと音を立てて水を飲みだした。

 夏、炎天の真っ盛りだ。全身に玉の汗が噴き出している。

 父をはじめ冼一族のおもだった面々が、冼挺の帰りを待っていた。冼挺は、ともなってきた若い方士を紹介した。黒い毛並みの逞しいオス犬を連れている。

「いずれの御仁か」

羅浮山らふさんへ寄ってきた。冼一族歴代の恩師、葛恩かつおんどののお孫にあたる葛徳かつとくどのじゃ。海が見たいと仰せじゃで、お連れもうした」

「立派な犬をお持ちじゃ」

 ここ高凉で犬連れ犬好きは、それだけでも十分な信用格付けが得られる。ましてや羅浮山は元始天王盤古を祀る神霊山であり、葛恩といえば煉丹道士葛洪かつこうを宗祖と崇める名門の直系だ。葛徳はたちまち最上級の賓客に祭り上げられた。

 一方、冼一族が心待ちしていたのは、冼挺のもたらす最新情報だった。

「朝廷のご意向は、どう決したか」

 かれらはかたずをのんで、冼挺の次のことばに聞き耳を立てた。

 梁の武帝蕭衍しょうえんの強権政策で俚人部族が征伐の標的にされ、軒並み焼き討ちにあってから三年経つ。租税を上納せず、海賊行為を頻繁に働いたという理由で、政府の征討軍が高凉俚人の村落に侵入し、家を焼き、人や物を強奪していった。

「徴税のかわりだというが、やっていることは盗賊とかわらん。征討から三年経って広州刺史が交代した。やはり皇帝の一族で、蕭暎しょうえいという。高要太守の孫冏そんけいと新寧太守の子雄しゆうが西江部隊をひきいて、高凉俚人の村落を略奪するもくろみだ。やつらは俚人狩りとほざいておる。この孫冏と盧子雄こそは、かの孫恩、盧循の後裔だ。われらにとって、二百年来の仇敵にあたる」

 ここまで一気に語った冼挺は、ホッとひと息ついて身震いした。

 まわりの人びとは無言で、たがいに顔を見合わせた。

「できれば戦は避けたい」

 冼企聖がポツリと本音を洩らした。

「わしの元に、帰順の誘いがきておる。帰順して租税の徴収を代行せよという」

 梁朝傘下で年貢の徴収を代行すれば、居住の安全が保証されたうえ、手数料も入る。払えるならまだしも、払えぬものからも無理に取り立て、おまけにピン撥ねするのでは、大都老の名がすたる。父の苦衷を察して、冼挺がはなしを引き取った。

「高凉地域は、珠江周辺の肥沃な地域と違って、収穫量は少ない。年貢を払えば、じぶんたちの食う分がなくなる。もともとわれら部族の半分は海人の血を引いている。海へ出て交易してこそ、本来の力量が発揮できる。しかし朝廷はそれを禁じている。勝手に海に出れば海賊と決め付け、懲罰軍を送り込んでくる。それでもいい。おれたち若いもんがもうひと踏ん張りすれば、帰順せずとも、俚人は生き残れる」

 冼挺は強気でうそぶいた。討伐されようが、海賊働きはつづける気でいる。


 冼英は十八になっていた。いまさら兄っ子でもない。「一族が生き残るため」という冼挺の海賊行為には批判的だった。

 ――兄は間違っている。たとえぎりぎり生き残るためであっても、人にはやって赦されることと、赦されないことがある。海賊行為はやめるべきだ。

 冼英は考え、悩んだ末に、そう決心した。しかし、やめるためには、それにかわる実入りが必要だ。一族が生き残るための生活の糧を、なにに求めればいいのか。考えても答えは見つからず、宿題として頭にしまった。俚人狩りが目前に迫っていたのだ。


3.


「戦に備え、海の守りを見ておきたい」と葛徳が希望し、冼英は小型帆船をくりだした。三日かけて海南島をひと回りして帰ってくる。一行にお玲をくわえた。

 お玲はベトナム中部・林邑りんゆうの出自で、幼いころさらわれ、奴隷になった。幼すぎて買い手がつかず、大都老にひきとられた。冼英の四つ下で、奴隷とはいえ分け隔てせず、姉妹のように育った。冼英がそうするようこだわったからだ。

 はじめて出会ったときの衝撃は、いまも鮮明に冼英の記憶に残っている。

 ――この子から見れば、わたしも奴隷狩りの仲間のひとりでしかないのだ。

 あのとき流した涙は、その証明だった。兄の行為をなじってすむような、問題ではない。こどもながら、すこしでも償えればという気持ちから一緒に住んで、ともに遊び、成長した。いまではだれはばかるところのない妹分だった。

 早い時期に奴隷のかせを解き、自由の身分をあたえた。生地に帰るかと聞くと、帰っても身寄りはない、このまま居させてくれという。聡い子で、ことばも覚え、しつけもできている。なにより陰日向なくよく働き、言動にうらおもてがなかったから、屋敷内のだれもが、お玲、お玲とひきたててくれた。

 しかし、冼挺にだけはけっしてなじまなかった。あるときは怯え、またあるときは憎悪の目をむき出しにして、冼挺への恐れと敵意とを隠さなかった。

 民族の血だろうか。ときが経つにつれ、細面で眼のきりっとしたベトナム人特有のエキゾチックなむすめに成長した。嫁にほしいと、引く手あまたの申し入れがあったが、「お英ねえさんが先だ」といって、耳をかそうとしなかった。


 白いメスの小犬が船上で、お玲の周りを飛び跳ねている。水を恐れぬ犬で、引き揚げた魚を鳥から守るのに役立ったから、お玲が乗るときには、いつも同行させている。「シロ」と呼ばれて人気者だが、じつは二代目になる。

 初代のシロは、いちどお玲の手を離れ、冼英が引き取ったことがあった。

「あのとき、なぜわたしにくれたの」。あとで聞いたら、「シロを大事にしてくれそうだったから。だってわたし、だれに買われるかわからなかったでしょ」と、涙ぐんで答えた。「ごめんね」。冼英は、お玲の細い肩を抱きしめ、いっしょに涙ぐんだ。


「いま南方の国では林邑が強盛ですが、南朝梁の支配が届かず、国境の警備力は弱いため、沿岸伝いの近海航路は海賊の出没する危険な水域になっています」

 葛徳は淡々と語った。冼英はどきりとした。まさにその地域こそ冼挺らが商船を襲い、人を殺し、財物を略奪する恰好の稼ぎ場だったからだ。

 どこで聞いたかと訊ねると葛徳は、「方士仲間から聞きました」という。

「方士って、なにをする人ですか」

 とつぜんお玲が横から口をはさんだ。ふだん控えめなお玲にしては珍しい。

「方士というのは、神仙の方術をおこない、金を煉って不老長生の霊薬をつくる人などといわれますが、じっさいはわたしのように諸国行脚する道教徒のことです。病の人を治し、中草薬を調合して人々に分け与えます。また養生法を実践し、長生きするよう指導します。そしてごく少数のすぐれた方士が霊山にこもり、神仙修行をおこなうのです」

 葛徳は分かりやすく、ていねいに説明した。

「へえ、病気を治してくれるんだ」

 お玲がまた口をはさんだ。興味を抱いたらしい。

「逆もあります。毒薬を調合し、敵を殺すこともあります」

「武術の修行もするんでしょ」

「養生健康法の一環として、武芸十八般、幅ひろく学びます」

「姿を消したり、別のものに化けたり、人の心のなかに入ったりするんだよね」

「修行しだいでは、可能ですが、わたしはまだ、とてもそこまではできません」

 お玲が真顔で葛徳に向かい、頭を下げた。

「お願いがあります。わたしを弟子にしてください」

「ほう、どうしてですか」

「わたし、お英ねえさんのお役に立ちたいの。三年まえ、村が焼き討ちにあったとき、こどものわたしは逃げるのが精一杯で、なにもお役に立てず、悔しい思いをしました。いまはすこしおとなに近づいたから、なにかできることを身につけておきたいのです」

 葛徳はかたわらの冼英を見た。冼英は首をたてに振って、同意を示した。

「いいですよ。では、医療の基本と薬の調合からはじめましょう。戦のあるなしにかかわらず、必要なものです。武術の方も、すこしずつやってみましょう」


 帆船は漠陽江を下り、河口から南海に入った。岸沿いに半日あまり、南下している。しだいに雲の動きが早くなってきた。葛徳は帆綱を手繰たぐって、帆を引き下ろしている。機敏な手際てぎわだった。

「風が強まっています。嵐がきます。夜までもたないでしょう」

「そうね、日が落ちるまえに、入り江に避難して、嵐をやりすごしましょう。それにしても葛徳どの、海に出たのは、はじめてだと仰せられたが――」

「帆やかじの操作は大きな湖で経験していますが、海ははじめてです」

「そなたはじつによく目はしが利く。方術士として一流だが、海人でも通る」

 方士は方術士ともいう。方技と術数に長けている。お玲に説明したのは方技のほうだ。術数というのは天文(星占)・雲気の観察(気象学)などを包括する術だ。分かりやすくいえば占術のことで、海人が備えるべき素養を含んでいる。

 方士には孤高の人が多い。ひとり働きは傑出していても、集団の統率者には向かない。しかし、葛徳にその懸念は無用だ。あすからでも、部族の先頭にたって指揮を任せられる、そんな技量と信頼を、冼英は葛徳に感じた。

「俚人の部族は朝廷に狙われています。嶺南の地方官が、必要以上にわたしたちの『宿賊』ぶりを中央に奏上し、そのため三年にいちど征伐されてきました。その実、懲罰に名を借りた官の強奪です。朝廷に帰順すれば、討伐はなくなりますか」

 冼英は教えを請う姿勢で、葛徳に問いかけた。

「王朝の威光を示す朝貢貿易で朝廷の財政は火の車ですから、帰順しても高率の徴税はなくなりません。武力征討は私的強奪こそできなくなりますが、帰順の如何を問わず、一方的な犠牲を強いるこの悪習慣は、いずれ改めさせるべきでしょう」

 葛徳は真剣な顔つきで、冼英に答えていた。


4.


 葛徳の連れていた黒犬は水が苦手らしく、桟橋の手前で尻込みしだしたから、岸辺においてきた。当初、川を下る帆船を追って川岸を駆けていたが、「クロ、もうよい。待っておれ」と葛徳が船上から手を振ると、立ち止まって、見送った。

 犬は飼い主に似る。クロも葛徳に似て穏やかな性格で、人に安心感を与える。怠惰の風はなく、暇にまかせてダラッと寝そべるようなことはしない。つねに神経を尖らせ、嗅ぎまわっている。耳を立てて状況の変化を探り、鼻を利かせては周囲の動きに備えている。そのクロがなにか異常を感じて、川岸のあたりをしきりに嗅ぎはじめた。とつぜんクロは吼え、駆け出した。その先の河原で数匹の野良犬が獲物をなかにして睨みあっていた。一匹の黄毛の犬が、狙われていた。

 格が違う、とでもいおうか、クロが低く唸りながら近づくと、野良犬たちは尻尾を垂れて、後ろへ引き下った。水際に男がひとり流れ着いていたのだ。

 クロを味方と思ったか、黄毛の犬はその場にうずくまった。疲労困憊の態だ。

 水に弱いクロは水際まで進めない。手を貸せとばかりに吼えて、野良犬たちを促した。漂着した男は、野良犬たちにくわえられ、水から引き上げられた。

 クロはゆっくり近づいた。野良犬たちは退き、クロに席を譲った。臭いを嗅いで息のあるのを確認したクロは、男の顔を甞めはじめた。やがて、青白かった男の顔に生気が蘇えった、男は薄目を開けた。クロと目があった。

黄金丸こがねまる!」

 男は叫び、クロに抱きつこうとした。一瞬早く、クロは飛び退すさった。

 甦生した男のそれが力の限度だった。男はふたたび昏倒した。ふらふらとよろめきながら近づいた黄毛の犬は、倒れた男のかたわらで、これも昏倒した。

 様子を窺っていたクロは、やがて南の海に向って遠吠えを繰り返した。


 シロが北の空に向って吠え出した。お玲がいくらなだめてもやめなかった。

「クロがシロに、なにかを報せてきたらしい」

 葛徳が異変を察し、冼英に告げた。

「犬には人をはるかに上回る予知能力と聴覚があります。船に飛奴フェイヌー(伝書鳩)を積んでおられましたね。船の出た桟橋付近に、なにか異変がなかったか、冼挺どのに探ってもらえませんか」

 冼英は脚にふみをむすんで鳩を放った。数時間後には報せを受けた物見のものが現場に急行し、漂着者と黄毛の犬を救出した。


 嵐がおさまった翌早朝、帆船は計画を変え、帰路についた。日が落ちるまえに屋敷へ戻った冼英ら一行は、漂着者を見舞った。男は寝台から身を起こした。

「このたびはお助けいただき、感謝します。わたしはヤマトの国のワスケです」

 律儀に語ることばには、江南の訛りがある。流暢ではないが意思は通じる。

 葛徳は、枕元でワスケの安否をうかがう黄毛の犬の頭をなでた。

「ご主人思いで、賢そうな犬ですね。お国からつれてこられたか」

「ええ、ヤマトの柴犬です。黄色を黄金色に見立て、黄金丸と呼んでいます」

 ワスケの緊張感が解け、しぜんに顔がほころんだ。越人に似た顔つきだ。

「わたしは高句麗こうくり(朝鮮半島北側)の東方海上にある大八洲おおやしまの海人です。大陸との交流も活発で、わたし自身なんども行き来しています。このたびは、江南への航海中、難破して漂流したあげく、当地にてお助けいただいたしだいです。おおクロよ、ありがとう。黄金丸の分もあわせこの恩はけっして忘れぬ」

 ワスケは葛徳のとなりに正座するクロに合掌して、ていねいに礼をいった。素朴な人柄と見える。うずくまっていた黄金丸が立ち上がり、ワンと呼応した。

 クロはきまり悪げにシロを見た。冼英とお玲のあいだで坐っていたシロは、「でかした」といわんばかりに、おうようにうなずくようなしぐさをした。

「海人ならば、われらと同じ仲間だ。この地へ漂着したは、前世のえにしによるものであろう。遠慮はいらぬ。ゆるりと滞在し、まずは英気を養われよ」

 冼挺が声をかけ、立ち上がった。

「じゃ、このあとはお玲にまかせますから、なんでもいってくださいね」

 お英も立ち上がった。冼挺が目でうながしたのだ。


「親父どのがお呼びだ。わしと一緒に親父どののもとに参ろう」

 神妙な面持ちで冼挺がいった。お英も緊張して問いかけた。

「もしや、戦ですか」

「いや、すぐにということではないが、どことなくきな臭い」

 ふたりをまえにして、冼企聖はおもむろに口をひらいた。

「広州刺史 蕭暎さまの命令だといって、高要太守の孫冏どのから呼び出しがあった。『年貢取立ての会合を開いて、取り分割当ての相談をするので、各部族の首領を高要へ招集してもらいたい』というものだ。わしは受けようと思う」

謀略はかりごとではありませんか」

「朝廷の名で開く会合に、騙し討ちもあるまい。なにより、戦を回避する機会を無視するわけにはいかぬ。大都老として会合に出るはとうぜんの務めであろう」

 誇り高き大都老は、胸を張って断言した。

「ただし万が一ということもある。冼挺とお英は会合には参加せず、村に残って、ことの趨勢を見守っていてもらいたい」

 高要は広州の西80キロの地点にある。いまの肇慶ちょうけいとその周辺地域を包括する。南海に臨む陽江からは、約140キロ北に位置する。

「三日もあれば着く。高凉冼一族の主だったものを連れてゆくが、供回りの郎党はできるだけ少数にしぼりたい。あまり目立たぬように、気配りしてくれ」

 警護の手練てだれを数名にしぼっても総勢二十余名、いやでも目につく。

「ならば、ふた手に分けよう。そうそう、こたびはあかねも連れてまいる。茜なら並の男二、三人分の働きをしようぞ」

 茜は赤紫色の毛並みを持つメスの中型犬だ。冼家で代々家族扱いされている。シロや新来のクロと黄金丸を、主人然として一歩高見から見おろしている。差別とは違う。じぶんを人と思い、人と同じ目で他の犬と区別しているのだ。


「チベタン・スパニエル」という犬種がある。容姿が獅子(ライオン)に似ていることから、小さなライオンと呼ばれる。チベットのラマ教寺院で修行僧らによって飼育されてきた。チベット人は転生(生まれかわり)の思想をもつ。かれらは犬を信仰の対象とした。人も動物も同じ「魂」を持って生きており、人の前世や来世が動物であることに疑問をもたなかった。そこで動物とりわけ人の近くにいる犬は、大事に養われた。

 茜は、この犬種の流れを汲んでいる。高凉俚人部族の宗教的伝統行事には、かならず上座に坐らされるから「祈祷犬」として、しぜんに威厳めいた雰囲気が身についている。吠え声はまさしく祝詞のりとだ。

 利口で愛らしいが独善的で、未知の人への警戒心は鋭い。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る