第3話 メイドは辛いよ
ツェルスト家―ブリュン・グラーネ帝国とハルザス共和国のちょうど国境辺りに領地を持った家。だがツェルスト家を語るには歴史を紐解く必要があるのだとか。
ルノアの話によれば旧ハルザス王国時代は貿易も盛んに行っていた友好国だったらしいのだが、二十年ほど前に起こった共和改革によって王政に終止符が打たれハルザスは共和制の道を行くことになったとか。
この改革に労働者階級の人達は大喜び、その一方で支配者階級の人達が大混乱に陥った。
ブリュン・グラーネ帝国にも飛び火したらどうしよう!、旧ハルザスの国王は首を刎ねられたらしい・・・、共和制は野蛮だ!、やられる前にやっちまえ!
貴族院は満場一致で共和制に対する攻撃を決定。ハルザスからの貿易を打ち切り、共和制についての徹底的な情報統制。プロパガンダってやつだ。
それらは更にエスカレートしていって、共和制を褒め称えるような言動を取った者は即死刑、その家族は地下牢に監禁されたらしい。震えちゃうね。
もっと時間を進めると、帝国とハルザスの国境沿いに軍隊を配備。それをたったの一家が相手取った。それがツェルスト家というわけである。
総勢二万を手勢二千と援軍三千で食い止める。これは帝国にとって都合が悪かった。帝国が格下の相手に攻めあぐねている。それだけで共和制のイメージアップに繋がるんじゃないか、と貴族達は戦々恐々だったらしい。
これでまず帝国貴族内でツェルストやばいわー。マジやばいわー、みたいな空気になった。暗殺者もバンバン送られるようになったとか。
それで、当時のツェルスト家当主が死んで現当主に変わった頃になって互いに疲弊した二か国間で停戦協定を締結するも、ツェルスト家が勝手に帝国と交渉したことで共和政府って必要なの?という世論が高まり、焦った共和政府は貴族制度を廃止する。それに怒ったツェルスト家はハルザスを離反。自分の土地を帝国に編入させてツェルスト家は帝国貴族の仲間入りを迎える。
その後、ハルザス貴族達の離反を許した共和政府は軍部にクーデターを起こされ軍事政権が発足。
強気の新政府は人気取りも兼ねて他国への侵略を開始。その際停戦協定があるにも関わらず、ツェルスト領の特殊性につけ込んでこっそりツェルストにも侵攻。返り討ちに遭うも、帝国からは何の反論も無いことをいいことに定期的に侵攻しているんだとか。
こうした経緯と兵隊を出した帝国貴族のツェルスト家に対するイメージも併せてツェルスト家は裏切り者と蔑まされることになった。
簡単に言えばこうなるらしい。もっと複雑だとは言っていたけれど。
さてこんな歴史の授業を受けているうちに俺とルノアを乗せた馬車はいつの間にか足を留めていた。
「着いたようですね。それでは降りましょうか」
ルノアが立ち上がる。ここで俺の頭が閃いた。
「どうぞ、お嬢様」
なんて。気取って馬車の客室のドアを開けてみせる。
するとルノアはクスッと微笑んだ。
「ありがとうございます。その調子でお願いしますね。えーと・・・あなたのお名前は・・・」
名前・・・まだ言ってなかったか?ふむ言ってないな。
「俺・・・じゃない、えっとあたしの名前は・・・・」
なんだっけ俺の名前?二十年語ってきた俺の名前が思い出せない。なんか頭の中にフィルターが掛かってるみたいだ。な、なんで・・・?
「名前が思い出せないのですか?それは困ってしまいました・・・今すぐ医者に・・・」
「あ、あぁ!そんな心配しないでくださいよ!多分そのうち思い出すと思いますから!もしなんでしたらルノア様が好きに呼んでくださればそれが今日からの俺の名前です!」
今日から住み込みで働かせてもらうのだからあまり大きな騒ぎは起こしたくないし。まぁ別にいきなりの状況が多かったせいで忘れちゃっただけだろ。うん。そうしよう。
「そうですか・・・?名前、そうですね・・・」
顎に手を当てて考え込むルノア様。
あ、俺こういうの好きかも。
「サシャ、なんて・・・どうですか・・・?」
う、上目遣い!これは・・・!
「はい、それでお願いします・・・」
俺の方が身長が高いせいで自然とルノア様は上目遣いになってしまう。これは堪らん!
「サシャ!?鼻血が出ていますよ!?大丈夫ですか!?」
おっとキュンキュンし過ぎて鼻血が・・・。
「疲れているならもう休んだ方がいいかもしれませんね」
そうですね。血が足らないかも。
さて寝つきはとってもいいので次の日。
今日はルノア様のお父様、ツェルスト侯爵に初顔合わせだ。
ルノア様の今までの話からいくと、お爺様が帝国とずっと戦争していてお父様はずっとハルザス共和国と戦争している。なんだこの軍系一家。
なんか怖いよ・・・入った瞬間に弓矢とか飛んできそうで怖いよ。
だ、駄目だ!せっかくの就職先だ。野垂れ死に比べたらめっちゃ好待遇!月とスッポン!
「ええい、ままよ!失礼いたします!」
ノックは三回。二回はトイレに入る時!
緊張で半ばやけくそ気味にツェルスト候の書斎に入らせていただく。すると、
バンッ。
何かが耳元をかすめた。
「む?」
「は、はは・・・」
恐る恐る顔をずらすと俺が開いたドアに拳大の穴が開いていた。
俺はもう膝が崩れてしまう。
矢じゃなくて、弾丸が飛んできた・・・・。
「おい、暴発したぞコイツ。ポンコツじゃないのか?」
「い、いえそんなはずは・・・・」
俺が放心状態の中、二人の男がなにやら話し込んでいる。片方はラフなシャツとズボンを履いた男とビシッと決めたスーツを着た眼鏡の男だ。
「なんにせよコイツは酷い。一体どんな手抜きで造ればこうなるかは知らんがとんだポンコツだ」
「お、お待ちをツェルスト候!私共は誠心誠意真心を込めて・・・」
ツェルスト候は獣のような笑顔を浮かべてスーツの男に告げた。
「お前の所からは金輪際武器は買わん。領内からとっとと失せろ三下」
こうまで言われたスーツの男は涙目になって部屋から出て行った。
三下って・・・そこまで言うか普通・・・・。
「お?なんだお前は」
ツェルスト候が俺に気づいて立ち上がって近づいてきた。俺は慌てて立ち上がる。
「あ、あたしっこの度ここで働かせていただくことになりましたっサシャと申しますっ!」
緊張で声が裏返る。心臓が今までにないくらい早く鼓動している。
「サシャ・・・そうだ、思い出したぞ。ルノアが言ってた新しいメイドか!うむうむ。そうか、苦しゅうないぞ。顔を上げろ。面をよく見せろ」
「は、はい」
俺が顔を上げるとツェルスト候の顔がすごい近くにあった。黄金の髪、群青の瞳。この親にしてこの娘ありと言った感じの美貌だが、ツェルスト候の放つ雰囲気はどこか獣のような感じがした。
「ふむ、なかなかに可愛らしい顔をしているな。よろしい、これからお前には馬車馬よりもせっせと働いてもらうからな。そのつもりでいるように」
さらっと笑顔ですごいことを言うなこの人・・・・。
「よ、よろしくお願いいたします旦那様」
「うむ!この屋敷全て掃除しろよ!なんてったって我がツェルスト家にメイドはお前しかいないからな!」
豪快に笑い飛ばすツェルスト候と顔が引きつった俺。
この屋敷、かなり広いんですけど・・・・。ははは・・・。
「それでは掃除なりに取り掛かれサシャよ。時間は有限だぞ」
と、こんな感じに顔合わせは終わったのだった。
馬鹿なんじゃないかと思う。もうほんとに。現在この屋敷にはツェルスト候とルノア様。そして住み込みメイドの俺の三人しかいない。なのに、なのにだ。
「大広間に晩餐室、朝食室とか図書室とか書斎とか。客間とか客間とか客間とか客間とか客間とか!」
別に朝飯と夕飯分けなくていいじゃん!食堂でいいじゃん!つーか客間多すぎなんだよ!屋敷の部屋の半分が客間ってどうなんだよ!使うの?使うのねえ!?
ちなみにこれらが一階である。
「えっと・・・一階がお客様が使う部屋で二階が旦那様とルノア様の部屋・・・地下には食糧庫と葡萄酒の蔵と厨房、裁縫室と食堂で。屋根裏部屋が俺の部屋・・・」
使用人用の食堂でギシギシ言う椅子に腰かけて天井を睨む。
屋敷の掃除、洗濯を終えるともう夕方だった。
「ほら新入りさん。賄いだよ」
そう言って俺の目の前にパンとスープ、スクランブルエッグみたいな料理が出された。
「ありがとうございますルーカルトさん。いただきます」
俺に料理を出してくれたのはこの厨房を一手に任された敏腕シェフ(自称)のルーカルトさん。ツェルスト領がまだハルザスだった頃から働いているんだとか。実に人のよさそうな好々爺だ。
ルーカルトさんは自分の家があるらしく毎朝屋敷に通っているらしい。
紹介もほどほどに、料理を口に運ぶ。パンを直接一齧り。そしてスープを飲む。
「豪快な娘さんだな。見たことないや」
それほどでも・・・。
次にスクランブルエッグ。なにもドレッシングがかかってない塩で味付けされている。だが触感はふわふわ。
「うまっ!」
今までにこんなスクランブルエッグは食べたことがない。
あっという間に皿の上は綺麗になってしまっていた。
「そう言ってくれると作った甲斐がある。そら夕食の仕込みを手伝っとくれ」
「はーい」
メイドの仕事は夜まであるんです。
夜の仕事、字面は卑猥よね。夕飯を出して、洗濯物を畳んで、皿を洗うだけだけど。
ルーカルトさんの作った豪勢な夕食をツェルスト家の食卓に並べる。
料理を出す前にルーカルトさんに言われた事がある。
曰く「料理を出す順番には意味がある」。
まずは前菜。これは食欲を爆発させるような派手で濃い味の料理を出すこと。
今晩は野菜が四層に積み重なった料理だ。
次にスープ。食べ物よりも飲み物の方が入りやすいんだとか。
素人目にはなんのスープかよく分からん。
続いてパン。口直しの意味がある。
これもルーカルトさんが毎日作ってるんだとか。なんでも作れるのかねぇ、あの人は。
今度は肉料理。言わずもがなメインディッシュ。
これはもう日本人が想像したまんまのドデカいステーキ。
持った時のずしりとした重さは流石貴族と思ってしまう。
そしてフルーツ。これも見たことないようなフルーツが出てきた。一口大に切り分けられたフルーツの赤いのなんのって。
最後がデザート。フルーツを食べた後だと更に甘く感じるんだとか。
だがこれは一皿しか無かった。なぜかと尋ねると、旦那様は甘い物が苦手らしい。だからルノア様だけにデザートをお出しする。
御二方が食べている間、俺は空いた皿を下げ、新しい料理を出して、それ以外は脇で待機している。なにか注文があったらすぐに応えられるようにと。何回か飲み物を注いだりした。
だが、ただ人が食べ終わるのを待つことのなんと退屈なことか。
たった二人の夕飯に何枚皿を使うんだ?前菜に二枚、スープで二枚、パンを載せる皿で二枚、ステーキで二枚、フルーツで二枚、最後のデザートが一枚だから・・・十一枚も!
日本にいた頃は大皿に盛って二人でつっつき合ってたから大違いだ。
なんて貧乏臭い事を考えている内に二人は全ての料理を食べ終わったらしい。
俺もルノア様のデザートの皿を片付ける。
「ルノア、今から魔法の指南だ。すぐに支度しろ」
「はい、お父様」
そう言って二人は晩餐室から出ていった。
「魔法?」
まだまだ俺には分からないことが多いようだった。
洗濯物は昼間に裏庭の隅に干していた。二人分だから大した量もなく籠に手早く入れて屋敷に戻す。
どこか解れていたら直せと言われてあったがどこも解れていないのでそのまま畳み、二人の私室のクローゼットにそれぞれ戻す。
後は皿洗いだ、と思い厨房に行くとルーカルトさんがガラガラに空いた食堂で一人煙草を吸っていた。
「皿洗いは?」
俺の問にルーカルトさんは煙草の先を重ねられた皿の山に向ける。
もう終わっていたらしい。今日の仕事は後は屋敷の灯りを消して回るだけである。
俺もルーカルトさんの隣の椅子に座ってテーブルに突っ伏す。木の甘い匂いがした。
「サシャさん、あんた何も知らないくせに飲み込みだけはいいんだな」
煙を吐き出しながらルーカルトさんはそう言った。
「ガキの頃は親父と二人だけで生活してたもんで。親父は夜遅くまで帰らないこともザラにあったもんですから」
疲れた・・・。
「ほー。そうかい。だがこれでくたばっちゃいられんぞ。これが毎日だ。明日もしっかりな」
ルーカルトさんが小さく笑った。どうにも俺の周りのジジイというのは明るい性格が多いらしい。
自分の頬を両手で叩く。小気味のいい音が食堂の暗闇に溶けていく。
よし、明日も頑張ろう。
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