九品目 宝鈴茄子のフライ


 男は腹が減っていた。


 立ち寄った街で知り合った薬師の老婆から依頼を請けて近くの高原地帯に向かったのだが、そこで思わぬ強敵と遭遇したのだ。どうにか勝ちは拾ったが、相当に苦戦した。


 ともあれ、無事に目当ての茄子を採集し、現在は街へと戻る途中である。街まで辿り着けば何か美味い物にありつけるだろう。

 帰りはなだらかな下りの道であるし、勝負の相手に不思議と懐かれてしまい、老婆共々その背に乗っているおかげで疲労もない。


 「どうやら、すっかりお前さんに懐いちまったみたいだねぇ」


 老婆の声を理解しているのか、まるで返事をするかのように腰下からヒヒンという短い鳴き声が聞こえた。並の騎士など鎧ごと踏み潰してしまいそうな気性の暴れ馬だなど思えない従順さである。

 体格は並の騎馬よりたっぷり二回り以上は大きく、重い大剣を背負っているがために普通の馬は使えない男も軽々と乗せてみせている。二人乗りの上に特大の背負いカゴを背中に乗せているというのに、まだまだ余裕がありそうだ。


 鞍が無い裸馬なので最初のうちはバランスを取るのに少々難儀したが、人間の言葉を理解しているかのような振る舞いといい、妙に頭の良い馬である。

 馬の方が姿勢を調整して背の人間が落ちないようにしてくれているので、走るのはともかく早歩き程度の速さであれば問題はない。馬の早歩きならば人が普通に走るよりも速いくらいだ。


 男が黒い巨馬の首筋を軽く撫でてやると嬉しそうな声音で嘶いた。野生の馬ではあるが、まるで牧場で丹念に世話をされた子馬のような滑らかな毛並みだ。図体こそ大きいが、もしかするとまだ子供の馬なのかもしれない。


 「おや、もう街の外壁が見えてきたよ」


 老婆の言う通りに道の先に外壁が見えてきた。門を守る衛兵もこちらに気付いているようで手を振ってきた。

 馬を街の中に連れていくべきかどうか迷ったが、馬の方は一緒に来る気満々のようだ。もういっそのこと馬具屋で鞍を買って旅の供とすべきだろうか。これだけ大きな馬に見合う鞍など置いていないだろうから特注品になるが、これも何かの縁だろう。多少の出費は受け入れよう。


 「じゃあ、名前を付けてやらないとねぇ」


 共に出かけた先で手なずけた馬であるから、念の為老婆に馬を自分の物としていいか伺ってみたが、老婆は元よりそのつもりであったそうで快諾された。

 馬を旅の供とするならば名前が要る。

 すぐには思いつかないが、この街にいる間に考えてやるとしよう。







―――――――――――――――――――――――――――――――――――







 宝鈴茄子という茄子がある。

 食べても美味いが、黒い皮の部分に薬効があって煎じて飲めばある種の熱病の特効薬になるという植物だ。大人の握り拳ほどの大きさがある丸っこい実が、一つの株から何十個も鈴生りに出来る。

 もう二月もすれば街の近くの農場でも収穫できるんだが、時期外れのそいつが急遽必要になってしまった。熱病が街で流行しだしたんだ。


 この病に罹った者は高熱にうなされ、体力の低い子供や年寄りは死に至ることも珍しくない。体力のある大の男でもぽっくり逝ってしまうこともある危険な病だ。


 私も薬師の仲間達もどうにかしようと頑張ったんだが、すぐに薬になる茄子の皮が足りなくなってしまった。元々そんなに余分に置いておくような物じゃないし、熱病自体も前に流行ったのは三十年も前の事で、すっかり油断していたんだね。


 乾燥させた茄子の薬を子供を中心に飲ませて回ったが、病に罹った者の半分に満たない数しか薬が行き渡らなかった。農場で実が育つのを待っていては一体何人死ぬか分かったもんじゃない。


 だが、街の近くの高原。

 あすこは高いところにあって街のある低地よりもひんやりしているせいか、はたまた土が違うせいか、同じ種類の植物でも実りの時期が少し、一月か二月くらい前にズレているんだ。もう何十年も前だが、私が私のお師匠と一緒に高原に薬草の採集に行った時は、たしか今くらいの時期だったのに宝鈴茄子が生っていた、気がする。

 なにせ古い記憶だから確かではなかったんだが、このまま手をこまねいていても死人が増えるだけだ。他の薬師に後を託し、護衛兼荷物持ちとして酒場の前で呑気に寝こけていた傭兵を雇って、一縷の望みにかけて高原へと出発したんだ。


 ◆◆◆


 高原の魔物。

 その噂は私も耳にしていた。

 まさかその正体が馬鹿でかい馬だとは思わなかったが、私らが高原に辿り着くなりそいつが襲い掛かってきたんだ。


 私が雇った傭兵、レオナルドの奴は私の事を荷物みたいに放り捨てると、その馬と正面からぶつかりあった。当然、いくらレオナルドが巨漢だからって、更に何倍も大きい馬の突撃を喰らったら吹き飛ばされるだけだ。


 そう思っていたんだが、レオナルドはただ正面からぶつかったんじゃなく、激突と同時に固めた拳を馬の横っ面に叩きつけていたようだ。そのおかげで激突の勢いが斜めに逸れ、吹き飛ばされることはなかった。


 だが、人間の生身の拳で野生の獣を仕留めるのは難しい。不可能だと言ってもいい。現に岩が砕けそうな打撃を喰らったというのに、馬は不快そうに嘶いただけですぐに体勢を立て直した。最初の一撃は上手くいなせたとはいえ、何回も同じような突撃を喰らったらいつかは失敗してまともに衝撃を受けることになるだろう。


 背中に背負った大剣を振り回そうにも、馬は巨体に見合わぬ風のような速さで機敏に動いている。当たれば勝てるだろうが、馬の方もそれを分かっているかの挙動で巧みに剣を振り辛い位置取りをしている。


 結果的にレオナルドは守勢に回らざるを得ず、命からがら激突の直撃だけを回避していたのだが、ある時に完全に避けきれずに転倒してしまった。

 馬は止めを刺そうと前脚を高く振り上げて踏み潰そうとしたんだが、それこそがレオナルドの狙いだったのだ。どんな達人でも攻撃の瞬間には僅かな隙が生じるという。それは人間でも馬でも同じことだったらしい。


 踏み下ろされた前脚の攻撃を間一髪、馬の身体の下に潜り込む形でかわし、そのままの勢いで馬の股間を殴りつけたんだ。どうやらオスだったらしい馬は、金的を打たれた痛みで泡を吹いて悶絶するように倒れ込み、その馬の顔面をレオナルドがすかさず何発も、地面との間に挟みこんで体重を乗せて叩きつけるような形で殴りつけた。


 いくら野生の獣が強靭な身体を持っているからといっても、これには流石に参ったらしい。十発を数える前に気絶し、目が覚めた馬はすっかりレオナルドに懐いていた。勝負の結果としてレオナルドを主人として認めたんだろう。その瞳に若干の恐れの色が混じっているのはまあ仕方がないだろうね。


 私は思惑通りに生っていた野生の宝鈴茄子を無事に採集できたし、レオナルドは私からの報酬以外に新しい馬も手に入れることが出来た。馬の方も股間の物は完全に潰れていなかったみたいだし、結果的には万事が万々歳ってわけさ。


 ◆◆◆


 街に帰ってきた翌日、私は宿に泊まっていたレオナルドを家に招待した。

 昨日は薬の材料を他の薬師達に渡し、自分でも薬を作るのが忙しくて暇がなかったが、一応は礼を言っておくべきだと思ったんだ。報酬の支払いもまだだったしね。


 「昨日の茄子か?」

 「ああ、そうだよ」


 薬に使うのは皮だけだから、家の台所には皮を剥いた茄子の実が大量に残っている。私一人だと食べ切る前に傷んでしまいそうだから、処分を手伝ってもらおうって思惑もある。


 握り拳くらいの丸っこい実を分厚く切って小麦の粉をまぶしていく。その上から溶いた卵とパンを削って粉にした物をまぶし、熱い油で揚げるだけの単純な料理だが、宝鈴茄子を味わうにはこれが一番の方法なんだ。

 これはもう半世紀以上も前に私のお師匠から教わった料理だ。油をたっぷり使うからちょっとばかし材料費が高く付く。だから普段はほとんど作らないんだが、薬を売った金で随分儲けさせてもらった。たまの贅沢だって事で奮発して一番高い澄んだ油を使ったよ。


 「さ、たんと食べとくれ」


 美味い茄子というのは甘い汁を沢山含んでいて、まるで果物のような味だと言われるが、宝鈴茄子はそこに更に肉のどっしりした食べ応えを合わせたような具合だ。


 「うん、美味いな」

 「そうだろう、そうだろう」


 私も一口食べてみたが、いつものよりも美味い気がする。油の質の差か、それとも茄子自体の差だろうか?

 塩をちょっと付けて食べるのが私の好みだが、酢をかけるのも美味い。この辺りの味付けは好みだね。


 「酒はないのか?」

 「秘伝の薬酒でよければ出してあげるよ。ほれ」

 「……不味い」


 酒を欲しがるレオナルドに特製の薬草酒を振舞ったが、こっちのほうはお気に召さなかったようだ。口直しとばかりに茄子のフライをバクバク食い始めた。毎日食べても食べ切るまで何日かかるか分からないほどの量があるし、この機会にまとめて押し付けてやろう。


 「生の茄子をやるから、あとであの馬にやってきな」

 「おお、悪いな」


 昨日の馬は、私が口利きをして衛兵隊の騎馬を世話している厩舎に預けてある。他の馬が体格に圧倒されて萎縮してしまっていたが、意外にもおとなしくしているらしい。職人に馬具を注文して、もう数日以内には出来上がる予定だそうだ。


 「そういえば、もうあの馬の名前は考えたのかい?」

 「いや、まだだ。そうだな……」


 宝鈴茄子のフライをバカスカ食いながら、馬の名前を考え始めたレオナルドは、やがて一つの名を口にした。


 「クロシェットってのはどうだ?」

 「クロシェット号か、まあ悪くないね」


 宝鈴茄子が生えている高原に住んでた奴だからね。

 茄子オベルジヌ号とか言い出さなかっただけまだマシな名前だろう。あとはあの馬が名前を気に入るかどうかだが、レオナルドに絶対服従の態度を取っていたあの馬が拒否することはまずないだろう。


 「じゃあ、名前も決まったし、フライの追加を頼む」


 いつの間にか大皿に山盛りに作ったフライが綺麗サッパリなくなっていた。それこそまるで馬のような食欲だ。


 「やれやれ、ちゃんとクロシェットにやる分も残しておくんだよ」

 「ああ、分かった、多分な」


 やれやれ、おかしな主人を持ってクロシェット号もこれから苦労しそうだね。あの馬に心の中で同情しながら、私は追加のフライを揚げるために台所へと向かうのだった。

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