八品目 黄金の林檎
男は腹が減っていた。
現在はそこそこ大きな街の宿に泊まっているので、空きっ腹を抱えたままさまよう心配はないが、夕食にはまだ早すぎる時間だ。できれば晩飯の前に何か軽く腹に入れておきたい。
ごろん、と宿のベッドに寝転がり天井を見つめながら、何を食べるかを思案する。宿を出て少し歩いたところに飯屋が何軒かあったはずだ。
豚のアバラ肉を焼くか茹でるかした物に、
薄く切った塩漬け肉とチーズをパンに挟んだ物。
歯を突き立てると破裂するほどに中身の詰まった
小さいが身の味の濃い貝を殻ごと蒸し煮にした肴。
どれも悪くない。いや、良い。想像しただけでヨダレが出そうだ。
だが、夕食前の小腹を埋めるにはどれもやや重い。もう少し軽い物にしないと夕食に障るかもしれない。
……面倒だ。
なんだか眠くなってきたし、もう空腹のことは忘れて夕食まで昼寝でもするか。
そう思って、ベッドに転がったまま目を閉じた。
――――――――――――――――――――
四季折々の花が咲き乱れる庭園。
何千とも何万ともつかぬ果樹がたわわに実り、日の光と柔らかな風がそよぐ楽園。
燃えるような夏の暑さとも、凍えるような冬の寒さとも無縁のこの園には、時折珍客がやってくる事がありまする。何日か、何十日か、あるいは何年かに一度、相性の良い者を庭園が招くのです。
申し送れましたが、ワタクシはこの庭園の庭師でございます。まあ、ワタクシが勝手にそう名乗っているだけなのですが。そういうお客様を歓待するのは、ワタクシにとっては暇潰しを兼ねたちょっとした娯楽のようなものなのです。
『外』に出る事の叶わない身の上なれど、そういうお客様から聞いた話から想像の翼をはためかせれば、この園にいながらにして世界中のどこへでも行けるのですよ。
「おや、お久しぶりですね、レオナルド様」
「ここは……? ああ、お前の場所か、『庭師』」
本日いらっしゃったのは、レオナルド様という大柄な剣士の方でございます。この場所にいらっしゃったのはこれで三度目ですね。まだ『外』は日の高い時間のはずですが、こんな時間からお昼寝でしょうか。なんとも自由な御方でございます。
「ああ、思い出してきたぞ。夢から覚めるとここの事は覚えていられないんだったか?」
「はい、左様でございます」
ワタクシにとってはこの世界が現実ですが、お客様方にとってはこの世界は夢の中なのだとか。そのせいか、詳しい理屈はワタクシにも分かりませんが『外』に戻ると、この場での事は全て忘れてしまうのだそうです。
「ん? なあ、庭師。お前たしか前に来た時は女じゃなかったか?」
「おや、そうでしたでしょうか? まあ些細なことです、お気になさらず」
「分かった、じゃあ気にしない」
たしか、前回レオナルド様がいらした時にはワタクシは女性の姿でしたが、現在は若い男性の姿をとっております。自分というものが希薄なせいか、特に意識して変えようとしているつもりはなくともワタクシの姿は日々勝手に変わってしまうのですが、ワタクシに関しては「そういうもの」だとお思い下さい。
「目が覚めるまではごゆっくりおくつろぎください、何か召し上がりますか? それともお飲み物でも?」
「ああ、それじゃあ食い物を……なあ、ソレって食えるのか?」
レオナルド様が指差したのは、近くにあった林檎の木です。ちょうど食べ頃に熟れた実が手を伸ばせば届く高さに生っていました。実の皮と中身が黄金色な点は少々変わっているかもしれませんが、美味しくお召し上がり頂けます。
「おや、これはお目が高い。これこそは、かの楽園にて、人の祖たる男女が口にした知恵の木の実でございます」
「そうなのか?」
「いえ、冗談です。本当は珍しい色をした普通の林檎です」
「そうか、食えるならどっちでもいいが」
レオナルド様は食べられると分かったら早速黄金色の林檎に手を伸ばしました。背丈が高いと、こういう時に便利そうですね。ワタクシもレオナルド様の隣に並んで手近な枝に生っていた林檎の実を一つ手に取ります。大きさは小ぶりですが、ずっしりとした重さが感じられる良い実ですね。
「ふむ、美味いな」
「お褒め頂き恐縮です」
庭師とは言っても、たまに気紛れに水をやる程度で大した世話をしているわけではありませんが、それでも自分が面倒を見ている木の実の味を褒められて悪い気はしないものです。どうせワタクシ一人では食べ切れませんし、沢山召し上がって頂きましょう。
「ああ、この場所の良いところはアレだな」
「なんでございましょう?」
「いくら食っても金がかからないところだ」
「はは、それはたしかに」
やはり『外』の方とお話するのは面白いものでございます。
一人で暮らすことに不満はありませんが、己とは違う物事の考え方というのは、それだけで刺激になるものでございますから。
林檎の大きさが小ぶりな事もあって、レオナルド様はそのまま二つ、三つと黄金色の実を口にします。
ワタクシもそれに倣うように一口齧ると、カリっとした硬い感触と共に甘みと酸味、そしてわずかに渋みの残る林檎の風味が感じられました。ふむ、悪くありません。
「向こうで目が覚めるまでには今しばらく時間がかかりましょう。折角いらして頂いたことですし、食べながらで結構ですので色々と『外』のお話を聞かせていただけませんか?」
「そうだな……この前古い仲間に会ってな――――」
それからしばらくお話を伺っていたのですが、珍しく強い風が吹いたと思ったら、次の瞬間にはレオナルド様の姿は掻き消えておりました。恐らくは向こうで目を覚ましたのでしょう。名残は尽きませんが、お話の続きはまた次の機会の楽しみとしておきましょう。
―――――――――――――――――――――――――
昼寝から寝覚めたら、もう夕日が落ちかける時間になっていた。
小腹が空いたまま寝たはずだが、思ったよりも空腹を感じない。
もしかして夢の中で美味い物でも食ったのだろうか?
「今日は……
理由に思い当たりはないが、今日は麦酒よりも林檎酒の気分だ。
今からなら酒場も賑わう頃だろう。
たっぷり昼寝をしたせいか異様に頭が冴えてるし、今夜は床に入っても眠気はやって来そうにない。ならば、このまま朝まで飲み明かすのも悪くない。
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