七品目 燻製肉とチーズ入り特製粥
男は腹が減っていた。
なにしろ、つい先程まで強敵と小半刻ほど切り結んでいたばかりなのだ。
試合のはずだったのが、いつの間にかお互い熱が入って死合いになっていたが、まあよくある事だ。
普段は同格以上の相手と戦う機会がなかなか無いので、久しぶりに緊張感のある時間を過ごせて満足した。結果が引き分けだったのは残念だが、勝負の続きは次回に持ち越しとしておこう。
今はその相手と二人揃って、だだっ広い草原に横になっている。
草の匂いを運んできた風が汗ばんだ肌を撫でるのが涼しくて、なんとも心地良い。
今は空腹感が眠気を上回っているが、軽く何か腹に入れたらこのまま寝てしまっても良いかもしれない。
だが、困った事に男の手持ちには大した食料がない。
酒か水ならばあるが、固形物といえばお馴染みの干し肉と生の大蒜くらいの物だ。贅沢を言える状況ではないが、できればもう少し食いやすい物がいい。激しい運動をした後に消化の悪い物を食べると腹を下しやすいのだ。
周囲を見渡しても一面の草原で、馬や羊にとってはご馳走の山かもしれないが、人間が食べて美味いと思えるような植物は生えていない。物によっては花の根など食えなくはないのだが、アク抜きがやたらと面倒な癖に大して腹も膨れないのだ。
「なあフー、何か食い物持ってない?」
仕方がないので、さっきまで切り結んでいた相手に聞いてみた。
何か美味い物を持っていれば分けてもらおうと思ってあまり期待せずに聞いたのだが、意外にも美味そうな物が――――。
―――――――――――――――――――――――
右側から迫る鉄の暴風を、前方に転がるようにして身を低くする事でやり過ごす。頭上を通過する大剣に髪の毛を何本か持っていかれたが、傷は負っていない。大丈夫だ、まだ戦える。
直撃すれば痛みを感じる間もなく死ぬだろうが、恐れて逃げるばかりでは勝機はない。先程から同じような致命の連撃を交わし続けて消耗は激しいが、萎えそうな心に渇を入れてどこかで反撃を狙わねばならない。
回避の為に身を縮めた体勢を利用して、立ち上がり様に膝と背のバネを利用し右手の細剣で三連突きを放つ。狙いは肩、脇腹、脚の三箇所、どこに当たっても直撃すれば勝負を決する傷を与える事になる。だが相手もさる者、皮一枚までは斬らせてもそれ以上の痛打を与える事は叶わなかった。
回避された事を近くした瞬間、それ以上の追撃を諦めて背後に全力で跳躍する。どれほど惜しい状況でも深追いは厳禁だ、無理をすればそれは即座に致命の隙に繋がる。並の相手なら力量差に物を言わせて押し切る事も出来るが、こいつはそんな甘い相手ではない。
案の定、俺の眼前を凄まじい速さの斬り上げが通過する。直撃していれば首から上が粉々になっていただろう。今のは余裕を持って回避出来たが、一瞬の戸惑いで容易くその余裕は失われる。
地面を強く蹴って加速―――。
相手の周囲を回るような軌道で、更なる加速! 加速!加速!
周囲の景色が背後に消え、世界の全てが酷く遅く見える。身体が軽い。心が軽い。もっと、速く、速く、速く。
加速し鋭敏化した意識が隙を捉えた。
通常時では隙とも思えぬような毛一筋程の僅かな意識の隙間だが、鎧の胸甲に守られているせいか、身体の左側脇上の意識に微かな緩みがある。
行ける。勝てる。
このまま速さを乗せた一撃を放てば、胸甲ごと心臓を貫く事が出来る。
瞬間、俺の頭狙いの横斬りが飛んできたが、見える。避けられる。避けた。
一か八か身体に触れるギリギリで避けた事で、次の攻撃へとそのまま繋げる事が出来る。
俺はそのまま必殺の突きを奴の心臓に向けて放ち――――。
◆◆◆
ああ、クソッ!
レオのアホ野郎にまた勝てなかった!
俺がどれだけ修行してきたと思ってやがる。血反吐と血の小便を山ほど出して、生死の境を何度も行き来するほどの荒行を積んできたってのに、それが引き分けかよ。
いや、レオは引き分けと言ったが、実質は俺の負けだ。
速さと技の精度では俺の細剣が上を行くが、威力と間合いではとても太刀打ちできねぇ。
だからこそ己の持ち味に磨きをかけて、前に戦った時よりも倍は速くなったはずなんだが、妙な勘の良さで悉く必殺の一撃を外され続けてしまった。あの勘働きの種類は、真っ当な剣士というよりも野生の獣のソレだ。対人に特化した俺の剣では微妙に拍子が狂ってしまうのだ。
レオの攻撃は直撃せずとも、軽く掠っただけでも骨が砕ける威力があるから、回避に重点を置いたのも攻め切れなかった原因だ。感覚的な比率で言えば、攻撃が二で回避が八くらいの配分で戦法を組み立てていた。防御はするだけ無駄な悪手なので最初から計算に入れていない。
そんな具合で、最初から最後まで全開で飛ばしていたんだが、最後の最後に決定的なピンチとチャンスが同時にやってきた。綱渡りではあったが俺が奴の懐に飛び込むことに成功したのだ。大剣を使う奴にとって至近距離は死角であり、あと一呼吸の内に俺の剣が奴の心臓を貫く事が出来たハズだった。
だが、アイツはなんの躊躇いもなく剣士の魂である剣から手を離し、拳を固めて俺の顔に突きつけたのだ。徒手とはいえ、レオの馬鹿力で殴られたら頭蓋が潰れるか、首が折れるのは間違いない。剣対剣なら勝っていても、俺の細剣の速さが無手の奴を上回るかどうかまでは材料不足で咄嗟に判断が出来なかったのだ。
そこで引き分けという結果になったのだが、俺は最後の一線で自分の速さを信じきる事が出来なかった。単純な技量だけなら負ける気はないが、その点において俺はまだまだレオに敵わないようだ。
もはや立ち上がる力も無くなって草原に倒れ込み、頭の中で反省と問題点の洗い直しをしていたのだが、隣にいたレオが俺に聞いてきた。
「なあフー、何か食い物持ってない?」
言われて気付いたが腹ペコだ。
満腹では動きが鈍るので腹の中を空にしてから勝負を挑んだのだが、考えてみればもう半日近く何も食べていない。水を飲んだのも三刻以上は前で、ノドがカラカラだ。集中していた時には気付かなかったが、意識し始めたら空腹もノドの渇きも耐え難いものがある。
「よし、お前に美味い物を食わせてやろう」
俺の取り分が減るのは困るが、レオに貸しを作っておくのは気分が良さそうだ。
俺は近くで草を食んでいた自分の馬を呼んで、鞍に結び付けてあった荷物袋の中から食材を取り出した。
荷物から取り出したのは、一度茹でてから天日で乾燥させた麦粒の袋と、握り拳くらいの燻製肉の塊。あとは大蒜を炒めて匂いを移した油の瓶だ。匂い付けに使った大蒜もそのまま入っていて、何かと使い勝手がいい。おっとチーズも残ってるな、残り少ないからコレも使い切ってしまうか。
まずは焚き火の準備をしないといけないが、これはレオにやらせた。
俺はその間に水筒の水を飲む。面倒な仕事を他人に押し付けて飲む水は実に美味いな。
程なくして火が熾り、料理の仕度が整った。
俺は愛用の鍋に大蒜入りの油を注ぎ、ナイフで適当な大きさに刻んだ燻製肉を炒め始める。辺りに肉の焼ける良い匂いが漂い、空っぽの胃袋が騒ぎ出しそうだ。このまま食っても美味いんだが、身体を動かした後だと少々重い。なので、ここに手間を加えて食いやすくする。
鍋に水を加え、更にそこに麦も入れる。こうすれば肉をそのまま食うよりも腹に優しいし、カサも増す。塩気は燻製肉から出るので別途塩を加える必要はない。あとは乾燥麦が水分を充分に吸って柔らかくなったら出来上がりだ。
まあ、言ってしまえば美味い料理とはいってもただの
「そろそろか」
最後に砕いたチーズを上からまけば、フー様特製粥の完成だ。材料はその時々ある物を適当に使うだけだが、作り慣れているおかげで何を使ってもほとんどハズレはない。
「うん、美味い」
木匙で掬って味見をしてみたが今回も良い出来だ。安酒場で食う飯よりもよっぽど美味い。柔らかくなった麦が燻製肉の旨味を吸って食いやすくなってるし、ちょっと溶けたチーズも合っている。今回は残念ながら無かったが、胡椒をかけるともっと美味いだろうな。次の街に着いたら市場で探してみるか。
「俺にも早く寄越せ!」
「自分で勝手によそって食え」
やれやれ煩い奴だ。
まあ、これで貸しになると思えば安い物か。
「うん、美味いな!」
「そうだろう、そうだろう」
「おかわりいいか?」
「おう、いいぞ」
相手が誰であっても褒められるのは気分が良い。
だが、よりによってレオのアホは続けてこんな事を言いやがった。
「なあ、フー。お前さ、剣より料理の方が才能あるんじゃないか?」
…………なん、だと?
「剣士やめて転職した方がいいと思うけどな」
「いや、何を言う……」
突然何を言うかと思えば、このアホは何を考えて……ああ、何も考えていないのか。
この俺が剣を捨てるワケがないだろうが。我が人生は剣に捧げる、今は亡き師の墓標にそう誓ったのだ。剣に生き、剣に死ぬ事が俺の人生だ、そこに一切の迷いは無い。
「でも、多分そっちの方が女にモテると思うぞ」
え……そうなの?
コイツ、普段からフラフラしてるけど一応は子持ちの既婚者だしなぁ。一理ある、のか?
そろそろ俺も嫁さん欲しいけど、ガキの頃からほとんど修行漬けだったから、女の口説き方なんてさっぱり分からん。あ、でも住所不定の剣士よりも安定した職の方が良さそうな気はするな。でも、これまで剣一筋で生きてきたし、今更転職っていうのもな……でもモテたいし、剣士で食ってくのも年食ったら厳しいかもしれないし……いやしかし……。
……まあ、ちょっとだけ。ほんのちょっぴりだけ考えてみるのもいいかもね?
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