五品目 山桃のタルト

 男は腹が減っていた。


 ……が、今はそれどころではなかった。

 なんせ今は街中を走り回って逃げている最中なのだ。


 市壁を潜り抜けて街に入った矢先に苦手な相手と遭遇したのだ。そう『苦手』である。好き嫌いでいえば好きではあるが、得意か苦手かで言えば苦手だとはっきり言える。

 仲が悪いというわけではなく、むしろ相当に好かれているのだが、相手に対して少なからず負い目があることもあって顔を合わせ辛いのである。できれば、このまま会わずに街を出て行きたい。


 細い路地を選んで走って逃げるが、土地勘に関しては相手に分があるらしい。人の家の庭や屋根まで縦横無尽に逃げ回っても、動きを読まれているらしく常に先回りされている。配下を使った人海戦術を行使されては捕まるのも時間の問題だろう。敵であるなら斬るだけだが、そういうワケではないので今回は剣で解決する手は使えない。

 走り回っているうちに袋小路に追い詰められてしまった。気配から察するに周囲の建物の屋根にも伏兵が潜んでいるようで、屋根の上まで跳躍して逃げても結果は同じだろう。


 こうなった以上は観念して捕まるしかあるまい。


 男が両手を上げて降参の意を示すと、道を包囲していた兵士達の間を縫って一人の女が進み出てきてこう言った。


 「久しぶりね、あなた♪」


 およそ一年ぶりに顔を合わせたの姿を見て、男は深く溜め息を吐いた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


 「アルカ様、ご報告が……」

 「えっ本当!」

 「はい、騎兵の報告によると本日の夕刻までにはこの街に到着するかと」

 公務中に部下からの報告を受けた私は、はしたなく声を上げてしまったの。太った市長が驚いているようだけど、そんな事には構っていられないわ。だってレオがこの街に向かっているんですもの。退屈な視察にも偶には良いことがあるものね。

 「こうしてはいられないわ!」

 大急ぎで街一番の仕立て屋にドレスを作らせなきゃ。こんな田舎の仕立て屋じゃ大した物は出来ないでしょうけど、今のダサい服じゃレオの前に出られないわ。ああ、こんな事なら城からもっとマシな服を持ってくるんだった!

 「この後の視察はキャンセルよ。あとは貴方が適当にやっておいて」

 秘書に仕事を丸投げして、私は早速レオを出迎える為の準備を始めたの。


 ◆◆◆


 「久しぶりね、あなた♪」

 恥ずかしがりやのレオは私の顔を見た途端に逃げ出しちゃったけど、兵を総動員してやっと捕まえたわ。事前に街の地図を用意させて作戦を考えておいた甲斐があったというものね。


 「なんで、お前がここにいるんだ、アルカ?」

 レオったら、三百七十一日と二刻半ぶりに会った愛する妻への第一声がそんな事? 他にも「愛してる」とか、あと「愛してる」とか色々言うべきことがあると思うのだけれど。でも理想の妻である私としては夫の疑問に答えないわけにはいかないの。

 「視察よ、視察。途中でレオが街に向かってるって報告を受けたから抜けてきたけど」

 「俺が言うのもなんだが、ちゃんと仕事しろ」

 あら、レオったらおかしな事を言うのね。愛以上に優先すべき事なんて、この地上に存在しないのよ?


 「さ、宿に行きましょう。街で一番良い宿を丸ごと貸切にしたから、今夜は久しぶりに二人で過ごせるわね」

 「俺は安宿の方が落ち着くんだが」

 まあ、レオったら慎み深いんだから。でも、そんな時にはこう言えばいいの。

 「東国から取り寄せたお茶とお菓子もあるの。ご馳走も好きなだけ食べていいわよ」

 「……じゃあ、行く」

 ほらね。美味しい物が好きなレオは大抵はこの手でなんとかなるのよ。


 ◆◆◆


 「普通だな」

 「あら残念」

 東国から取り寄せたお茶はレオの口には合わなかったみたい。峻険な秘境でしか栽培できない貴重な種類のお茶って触れ込みで、茶壷一杯で同量の金と同じ値段がしたんだけれど、レオに気に入ってもらえなかったなら意味はないわ。もう残りは捨てちゃおうかしら?

 「こっちの菓子は美味いぞ」

 「そう、良かったわ。おかわり要る?」

 「ああ、くれ」

 山桃の実を使ったタルトはお気に召したみたいで良かったわ。甘酸っぱい実とバターの風味が効いたサクサクの生地がよく合っていて、私も、それにあの子もお気に入りなの。

 私も銀のフォークでタルトを一口。

 バターの豊かな風味がふうわりと鼻腔をくすぐって、シャクシャクした感触が残る程度に熱が入った山桃の果汁が一斉に溢れ出すの。普通の桃より野趣があるのに食べやすい感じが好きよ。こういうのを滋味深いって言うのかしら。

 料理長ったらまた腕を上げたみたいね、あとで褒めてあげなくちゃ。使い慣れない厨房で作った筈だけど、わざわざ国から連れてきた甲斐があったわ。

 「甘くて美味い」

 「ええ、美味しいわね」

 「おかわり」

 「はい、どうぞ」

 ふふ、今の私達はどこからどう見ても仲睦まじい夫婦ね。二人きりになる為に使用人も部屋から追い出したから、今は私が給仕の真似事をしているの。なかなかサマになってるんじゃないかしら。いっそこのまま二人で誰も知らない土地まで逃げて、ごく普通の夫婦として静かに暮らすのもいいかもしれないわね。白い家に住んで、大きな犬を飼って暮らすの。子供は多ければ多い方がいいわ。

 「それは止めてやれ、国の連中が泣くぞ」

 「それもそうね~」

 面倒だから王位なんて早く誰かに譲りたいんだけど、お父様から継いだ国だし、在位中は女王様としての責務は果たさないとね。ちょっと言ってみただけよ。


 「っていうか、イルを忘れてやるな。いや、俺に言う資格はないんだろうが」

 「別に気にしなくても大丈夫よ」

 あの子ったら『俺が母上の為にクソ親父をぶっ殺すんだ!』なんて言って毎日剣の特訓をしてるせいか、まだ八歳なんて思えないくらいに強くなったんだから。戦士団の新兵よりよっぽど強いのよ。

 「あ~……やっぱ恨まれてるか」

 「反抗期かしらね?」

 最後にレオとイルが会ったのは五年くらい前だけど、あの子ったら不思議とレオに噛み付くのよね。

 「不思議というか、俺が城に居付かずにお前達を放ってフラフラしてるせいだろうけどな」

 「じゃあいつでも帰ってきていいのよ?」

 「それは……まだ、やめといた方がいいだろうな」

 「残念だけど仕方ないわね~」

 なにしろイルがあんな調子だから、顔を合わせたらいきなりレオに斬りかかりかねないのよね。

 「いくら親子といっても、戦士として挑まれたら斬らないわけにもいかんしな」

 今の未熟なあの子じゃ、レオに無謀な決闘を挑んでそのまま殺されちゃうでしょうね。

 「だから、アイツが俺に殺されないくらいに強くなったら会いにいくよ」

 「うちの戦士長が鍛えてるから、そのうちなんとかなるんじゃない?」

 うちの戦士長はレオとも戦ったことがあるけど、それでもまだ生きてるくらいの達人なのよ。

 「戦士長……ああ、あのハゲのオッサンか」

 「そうそう、そのハゲよ」

 「あのオッサンが鍛えてるなら思ったより早く会いに行けそうだ」

 名前は確か……私もいつも「戦士長」としか呼んでないから名前は忘れちゃったわ。レオと違って人に教えるのが上手みたいだから、イルもあと何年かすれば一人前になるんじゃないかしら。


 ◆◆◆


 「う……ん……あら残念、もう行っちゃったのね」

 翌朝、宿のベッドで目覚めた私の隣にはもうレオはいなかったわ。荷物もなくなってるし、きっともう街を発ってしまったのね。昨夜は久しぶりに夜更かししたから、うっかり寝坊して見送りし損ねちゃったわ。

 「でもね、あなたはそれでいいのよ」

 その雲みたいに自由な在り方に、まるで氷のようだった昔の私は惚れたんだから。

 レオはあれで優しいから私に気を遣って窮屈な城暮らしでも我慢しようとしてくれるけど、きっとすぐに飽きて飛び出していっちゃうわ。

 「次に会えるのはいつかしら?」

 今から楽しみだわ。もしかすると、その時には新しい息子か娘が増えてるかもしれないわね。

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