三品目 岩石ナマズと山鳥の鍋

 男は腹が減っていた。


 今いる街道の近くにそこそこ大きな街があるので、久しぶりに古馴染みの店に顔を出すのもいいが、街の手前の山を見て気が変った。さほど標高の高くない、深い森に一面を覆われた小山だ。

 この山には美味い魚が釣れる綺麗な川があるのだ。近くの街の住人も知らない穴場である。


 釣りは久しぶりだが、まあ行ってみれば何かしらは釣れるだろう。

 まだ昼間だが、とれたての魚の塩焼きを肴に酒を飲むのもいいだろう。山中には古いいおりがあるので、そのまま酔って寝てしまっても大丈夫だ。


 男はそんな目論見を持って獣道のような山道を二十分ほど進み、目的の川辺へと辿り着いた。だがしかし、ほとんど知る者のいない川には既に釣り糸を垂れている先客の姿があったのだ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 気分よく酒を飲みながら魚を釣っていたら、久々に知った顔が訪ねてきた。

 「よお、師匠じじい

 「おう、弟子くそがき

 我が一番弟子であるレオが十数年ぶりに会いにきたのだ。あいつに奥義の伝授をして以来ここに来るのは初めてだな。ああ、我はゲンジといって……まあ、剣を振るしか能のない、その辺にいるただのじじいだ。

 「釣れてるか?」

 「まあ、ぼちぼちだな」

 今日の釣果は、まあ良くもなく悪くもなくといったところだ。より具体的には、我ひとりで食べるなら充分すぎる程の量ではあるが、大飯喰らいのレオに分けるにはまるで足りぬ。

 「魚が欲しけりゃ自分で釣れ」

 「わかった」

 レオは道具袋の中から針と糸を取り出し、適当な長さの木の枝と組み合わせて粗末な釣竿を拵えた。餌のミミズはその辺の地面を探せばいくらでもいるし、あんな竿でも運が良ければ何かしらはかかるだろう。


 でかい岩の上に並んで座り、特に会話もないまま釣り糸を垂れる。

 我が弟子は、剣の方はどうだか知らんが釣りの腕は上げたようで、半刻ほどで小ぶりのマスを四匹ばかり釣っていた。


 「前に海沿いの街まで行った時は、もっとでかい魚がいたんだけどな」

 「そりゃ仕方ねえだろう。海と川じゃ棲んでる魚が違うからな」

 川の魚と海の魚を比べても仕方あるまいよ。喰い足りなければ数で補わなきゃな。

 「いや、川にもでかい魚はいたっけな」

 「ああ、あいつか」

 滅多に姿を見せない岩石ナマズが川底に見えた。こいつは、そうと知らなけりゃその名の通りに岩塊にしか見えんが、岩のように硬い皮の下には美味い白身が詰まっているんだ。普段は川底の泥に潜っているんだが、今日は運がいい。


 「……釣れんなぁ」

 「……ああ」

 だが、姿を見せたナマズの口先に釣り餌を垂らしても、腹が減っていないのかまるで食いつく気配がない。ちょっと面倒だが竿で釣り上げるのは諦めて剣を使うか。


 我は傍らに置いていた剣を拾い上げ、水底のナマズへと向けて二度振るう。長時間座っていたせいか、それとも日の高い時間だからか、少々調子が悪いようで刃先が触れた部分から水面に波紋が広がってしまった。絶好調時ならまったく水を揺らさずに斬れるんだが……やれやれ、久々に会った弟子の前で格好悪いところを見せちまったぜ。

 とはいえ、当初の目的である岩石ナマズは斬られたことに気付く間もなく絶命し、その岩のような身体を十字に裂かれてぷかぷかと浮かび上がってきた。剣先で突いて拾い上げると結構な重さを感じる、なかなかの大物だったようだ。


 「さて、帰ってメシにするか。お前にも食わせてやるから仕度を手伝え」

 「ああ、いいぞ」

 ガキの頃から適当な付き合いだったからこっちも慣れたもんだが、コイツの喋りは師匠に対するもんじゃねえよなぁ。今更どうにもならんが剣の振り方以外のことも教えてやるべきだったか?


 ◆◆◆


 我が住んでいる庵は川から少し歩いた先の日当たりの良い場所にある。今は個人的な事情で日光は苦手なんだが、建て替えるのが面倒でそのまま使っている。


 「お、四羽雉に猪か。山菜とキノコもあるな」

 レオのやつは我が物顔で家に上がりこみ、色々と物色し始めた。ほどほどで止めとかんと、日頃から集めた食い物を残らず食い荒らされかねん。

 「四羽雉は食い頃だからいいが、猪はまだダメだ」

 魚は腐りやすいからすぐに食うが、獣肉や鳥は落としてから時間が経った方が美味いんだ。目安としては死体の目に蛆が湧くかどうかってくらいが一番美味い。


 釣ってきたばかりの鱒の半分は腸を抜いて身を開き、塩水に漬けておく。後で干物にする為だ。もう半分はそのまま塩を多めにまぶして口から串を刺し、炉辺で塩焼きにする。


 岩石ナマズのほうは塩焼きでも美味いが……今日は二人いるし鍋にするか。適当に捌いた四羽雉の身を骨ごと鍋に入れ、岩石ナマズも食べやすい大きさに切って入れる。一番美味い肝の部分は火が通りすぎないようにした方が良いのでまだ入れない。

 キノコは入れても大丈夫だが、山菜は煮過ぎると味が抜けるから後でいい。まあ、山菜とはいっても、ちゃんとした名前なんぞ知らん、その辺に生えていた草だ。真っ当な料理人みたいに気を遣うこともないだろう。今まで何度も食ったことはあるが、まだそれで死んだことはないから多分大丈夫だろう。


 適当に材料と塩を放り込み、あとは煮えるのを待つだけになった。

 「なんだ、珍しい酒だな? ちょっと寄越せ」

 「おう、いいぞ」

 レオが持ってた酒を二人で飲みながらメシが出来るのを待つことにする。我はたまに近くの街まで出かけるくらいだから、遠方の酒は久しぶりだ。珍しい芋から作った酒らしいが、強めの甘口でなかなかイケる。

 「そろそろ煮えたか?」

 鍋の中身を椀によそって味を見る。うむ、適当に作ったが意外と美味い。ナマズは不細工な外見に似合わず上品でプリプリとした白身だし、雉は面倒臭がって骨ごと入れたのがかえって良かったのか良い出汁が出ている。四羽雉はその名の通り羽根が四つある雉だが、我の好きな手羽の部分が多いので見つけたら必ず狩るようにしている。今回は煮込んだが焼き鳥にしても美味いぞ。


 む、いつの間にかレオのやつが大盛りで自分の椀によそってガツガツ食い始めている。我も早く食わねば自分の分がなくなってしまう。我ともあろう者が、最近は一人での食事が多かったせいかメシ時の勝負勘が鈍ったか。


 コクのある岩石ナマズの肝は強い酒との相性が良い。あえて半生くらいの火の通りにしたおかげで舌の上で蕩けるような食感だ。生の肉は運が悪いと腹を下すのが難点だが、完全に火を通すよりも美味いように感じる。博打になるが獣の生肝も美味いんだぜ。

 「うまい、うまい」

 しかし、悠長に味わっている暇はない。早く食わねば目の前の馬鹿弟子は愛用の鉄鍋ごと食らいかねん。


 がつがつ、がつがつがつ。


 二人して鍋の中身を食い、酒を飲み、鱒の塩焼きをかじり、また飲む。

 辺境の蛮人のような食事だが、お行儀のいい豪華なメシよりも、我らはこういうのが性にあっているようだ。


 ◆◆◆


 「ふう、食った食った」

 「おう、食った食った」

 食い終わったら二人してそのまま床にごろりと寝転がる。他に人がいるわけでもなし、今日はこのまま寝ちまってもいいか。ウトウトとし始めた我だったが、寝入る前にレオが聞いてきた。


 「あ、そういやさ」

 「なんだ?」

 「なんで師匠まだ生きてるんだ?」

 別にこれは嫌味だの皮肉だのではなく純粋な疑問なんだろうよ。こいつがそう思うのにはもっともな理由がある。

 「たしか、奥義の伝授とか言って死合って、俺あんたの事ぶっ殺したよな?」

 そう、この野郎に我は奥義の伝授を賭けて死合い、そして見事に胴を断たれて死んだ……はずだった。それにしてもコイツを育てた我が言うのもなんだけどよ、普通育ての親をなんの躊躇いもなくぶった斬るかね?


 「それがよ、なんか死んでからしばらくしたら墓穴の中で意識を取り戻して、怪我もいつの間にか治ってたから這い出てきたんだよ。原因はよく分からんけど、なんか我ってば不死族アンデッドになったっぽいぞ」

 そんな理由で今の我は日光が苦手だったりするのだ。生前の習慣のままなんとなく、朝起きて夜眠る生活を続けてるけどな。ちなみに我の墓穴はこの庵の裏手にある。いつかまた死ぬか、生きるのに飽きたら入ることもあるだろう。

 「ふぅん。ふゎぁ……」

 レオのやつときたら、自分が殺した師匠のことだというのにそれ以上の関心はないようだ。呑気に欠伸をしていやがる。

 「生者を喰らいたい衝動は一応あるけどな。たまに街に女を買いに行くついでに、犯罪ギルドのアジトに寄って二、三人も喰えば収まるから、一般人カタギに迷惑はかけてねえよ」

 「そうか……ぐぅ……」

 我のその辺の事情には完全に興味がないようで、レオは完全に寝入ってしまったようだ。

 「……我も寝るか」

 酒が入ったせいか我もなんだか眠くなってきた。食器の片付けは明日にして、今日はこのまま寝ちまうとするか。

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