第41話  夫の母も乳がんに


5月の終わりになっていた。

家の片付け、デコレーション。 食品買い出し、料理。 忙しいけれど、普通だけれど、とても幸せな日々だった。 家具を動かしたリ、買い換えたりしていた。


そしてボランティアもあれこれ始めていた。基地の募金コンサートでホットドッグ売りをしたりして、抗がん剤からではなく、本物の疲れを実感して嬉しかったりした。


そんな穏やかな日々だったのだが、今度はあの夫の母親が乳がんになったというのだ。

私の乳癌発覚から1年2ヶ月後。 そして毎年マンモグラフィーを受けていたのに、去年だけ受けなかったという。 その一年で彼女の癌は大きくなっていた。

非科学的かもしれないが、自分から伝染ったような気がした。


電話で話しをすると、かなり大きくなっているらしい。なので先に抗癌剤をして縮小して、その後で摘出手術になるという。 当たり前だけど気落ちしていた。 

たくさん話しをしてアドバイスなどもした。同じ乳がんになるなんて、なんということだろうか。

日本に行く予定があったので、その後にカリフォルニアに行こうと話し合った。 


毎日電話をしあった。手術のことを聞いた。

夫ママはいつでもジョークを言う人で、こんな時にもふざけている。


「ねえ、いっそ胸一つの手術の値段で二つとも取ってもらおうかな?2For1セールなんてね」と笑う。 2つで1個の値段のセールがよくあるからだ。


「笑ってるけど、本気だよね。必要ないならしないほうが良いと思う」


「まっ平らにして大きな刺青入れるのも、いいんじゃない?チョウチョとか」

多分、半分ふざけているけど、これも本気だ。


「ママ、だいじょうぶ?本当は心配なんでしょう?」と聞くと


「うん……でもね、あなたが先に乳がんになってくれたから、ちっとも怖くないわ」と言ってくれた。


エクスパンダーに水入れは最初は50CC それから70CC その後2回50づつ入れた。かなり痛くなってきていた。


 6月になり、息子は3年生が終わり、夏休みに入った。夏休みになる前にお世話になった先生にプレゼントと手紙を渡した。

先生には乳がんのことを言わなかったのだけど、この手紙に書いた。

学校に行くのが難しかったのは、私の乳がんの手術などがあったからだということ。

前の学校はついに通えなかったけれど、先生がサポートしてくれたから通うことができたこと。そして心からありがとうと感謝の言葉を書いた。


夏休みに入り私も体調もいいし、ショートの髪の毛も生えているので、外に出て庭で水を掛け合ってよく遊んだ。


 この夏は日本へも行くことが出来た。 2週間だけだったが家族と友だちに会うことが出来た。この時の写真を見るとショートで天然パーマのようにくるくるした髪の毛だ。

抗癌剤の後の毛質は変わることがあるとは聞いていたのだが、私の場合はくせ毛になった。量はとても少ない。


キャリーは生えてきた頃、濃いブロンドになっていた。薄い色の金髪だったのだが、赤い感じの色になっていた。 髪の毛だけは性質が変わるというのは、とても不思議な気がする。

日本では良いことも悪いこともあったけれど、やはり恋しい日本。帰ることが出来てとても嬉しかった。 胸の中に磁石が入っているので万が一セキュリティーに引っかかるといけないので、医者に書類を書いてもらっていた。


日本から帰り、今度はカリフォルニアに行こうとしていたのだけど、飛行機の空きがなく行くことが出来なかった。 このことは今でも後悔している。


病気になって家族が誰も来ないと言うのは寂しかっただろうと思う。

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