第34話 生えてきた睫毛
9月に入っていた。ハワイに来て6ヶ月間ずっと治療をしている。
家を引っ越すことが出来た。 息子は地元の小学校に通うことが出来た。
そして放射線治療も始まった。
だんだん抗癌剤が抜けてきたようだ。 髪の毛はまだフワフワの産毛だ。 眉毛のあった場所がうっすら青くなってきた。 それから、やっと短い睫毛がプツプツと生えてきていた。最初はゴミが付いているのかと思ったが、生えかけている睫毛だとわかった時は飛び上がるほど嬉しかった。
睫毛のない目はなんとも言えずに奇妙だ。縁取りがないと目はすごく小さく見える。
私のDNAはここに睫毛が生えていたことを覚えていてくれた。嬉しさと同時に人体の神秘を感じ、不思議な気もした。
病気をする前は髪を切ったら伸びる、眉毛を抜いたら生えるということが当たり前だと思っていた。でも当たり前だと思っていたことは実はすごく複雑なしくみなのかも知れない。世の中の当たり前のことも実はそうではないことも多いのだろう。
毎日6時半に起きてランチを作り、朝食を作り息子を送り出してから放射線治療に行く日々だった。毎日放射線治療があるので、ほぼ同じような毎日だ。
10回目頃からかなり疲れが出てきた。 足の痛みはなくなったが手足はまだしびれていた。これは抗癌剤の副作用で、抜けて来たようでもしつこく身体の中に居座っていた。
食事も少しだけ変えている。家で作るときはなるべく健康的にしようと思う。それでも食材に限りがあるので洋食中心になってしまう。
肉が多いのでなるべく手に入る魚を買ったり、煮物ができなくてもせめて温野菜をとブロッコリーやアスパラガスを毎回食べていた。
息子の精神状態も安定してきた。 毎日宿題を見て、学校の話を聞いている。病気前の生活に戻りつつあった。いろいろな話を聞いてあげられる母親でいたいと思う。病気をして以来、気持ちが大きく変わった。前は子供のためにいろいろなことをしてきた。教育ママではなかったけれど、学校に関わりボランティアをして無理していたかもしれない。
今は親のする一番大事なことは健康で居て、精一杯の愛情を注ぐことだと思っている。
ある日放射線が終わってドクターと話しをしていたら抗がん剤の部屋から呼び出しを受けた。何事かと思ったら新しい抗がん室に患者の手形を押すのだという。
私とキャリーは手の平にカラフルなペンキを塗られて壁に手形を押した。 何の記念もなかったので嬉しかった。 奥の方にペタッと手形を押して日本語でありがとう。と書いた。キャリーは何か英語で書いていた。 最初は少なかった手形が行くたびに多くなっていって、壁一面の手形は正直不気味だなと思った。 一通り見渡すと胸の型を押している人までいて、その様子を想像して思わず笑ってしまった。
放射線治療でしょっちゅう病院へ行っていたのでキャンサーサバイバーの会に顔を出してみた。
手術が終わってすぐの頃に行ってみたのだが、どうしても(サバイバー)という気持ちになれずに続けることが出来なかったのだ。 自己紹介をするのだが、皆私よりもステージが低いような気がして「初期だからだからサバイバーなんじゃないの?」とふてくされたこともあった。
キャリーもあんなに泣いていたけれどステージ1だっだ。抗がん剤は4回だけで放射線もなしだ。彼女のために喜ぶべきなのに
「そんなに軽いんだ」とショックを受ける自分がいた。
誰かと比べてもしかたがないことはわかっていたけれど、いつも自分よりも(悪い乳がん)でも生きている人を探していたような気がする。
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