第31話 引っ越しと最後の抗がん剤
8月の最後の抗がん剤の前に基地の施設からビーチエリアのタウンハウスへ移れることになった。ビーチエリアと行ってもワイキキではなく、西側のエバビーチという場所だった。タウンハウスというのは家が二軒横にくっついている集合住宅だ。一階2階が住居になる。こんどはここに3か月ほどいることになる。
日本からの荷物はコンテナに入ったまま港に保管してあった。 これは家が建ったら運び込まれることになっている。
息子は3年生からここ地元の小学校へ通うことになった。ハワイでは8月の初めごろから新学期になっていたので、夫が連れて行ったのだが、やはり初めはクラスに入れなかった。最初は夫が一日付き添った。
闘病中の引っ越しは足を引きずりながらで大変だったが、やることがたくさんあって、嬉しかった。タウンハウスの2階の寝室にタオルやシーツや洋服を一日運んだ。
施設では借りていたお皿やキッチンのものが、ここにはないので少し買った。毎日忙しくても、普通の生活ができる喜びでいっぱいだった。
ついに最後の抗がん剤をする。
うれしくて叫びたいくらいだ。 前日の腫瘍科医は忙しく機嫌も悪く、書類もなくし、リンパ腺の転移の数も間違えていた。 自分で見つけたくせにと思う。 この人に会うと余計に具合が悪くなってしまう。
前夜と早朝に薬を2回飲み、抗がん剤室へ。
大きい部屋にうつってから2回目だ。たくさんの人がいる。
この人たちは皆、がんという病気と闘っている。 顔色が皆似ている。
灰色のようなどす黒い感じになるのだ。生きるための薬のはずなのに一様に生気を失う。
最後の抗がん剤治療ということで、病院で知り合いになったケーシーが電話をくれた。
この女性は20歳から5回も違う個所の癌になっている人だ。 初めて手術した時に隣のベッドにいて、私が痛くて唸っているときに声をかけてくれたのだった。
「ハーイお隣さん、どこの手術なの?」
「乳がんで、だから胸なの」と答えると
「何回目?」と聞いた。
「もちろん、初めてよ」というと
「私なんてねー5回目!」なんていうので本当に驚いた。
それから病院で会うたびに彼女の話を聞いて、勇気をもらった。
そのケイシーが「おめでとう」と電話をくれたのだった。
「ケイシー本当にありがとう。泣いてた私を励ましてくれたよね。手術の後で」
「どういたしまして。ここまで本当によくやったわね!誇りに思うわ」と言ってくれた。
病院に通っている間にいろいろな人と知り合いになる。 中には苦手な人もいたが、優しく思いやりのある人も多かった。ケイシーの5回の癌の話と
「5回も大丈夫だった私がだいじょうぶなんだから、あなただってだいじょうぶよ」というセリフには本当に励まされた。
私も治療が終わったら、できるだけ多くの人に自分の話をしようと思った。
「こんな大きな癌で大丈夫だったんだから、あなたもだいじょうぶよ」と。
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