第26話 独立記念日の花火
私たち3人と夫ママと母の5人でワードセンターやアラモアナ、ワイキキといろいろな場所へ行った。
7月4日のインディペンデンツデーにはカーニバルに行き風船を割るゲームやコインを投げるゲームをした。 カーニバルとは移動式の遊園地のようなものだ。 一定期間だけ開催される。子供たちは皆楽しみにしているのだった。
そして独立記念日の大きなフィナーレは花火だ。
パールハーバー基地のそばの芝生に皆で寝転がって見た。
ハワイの夜は涼しくここちよい。芝生は少し湿っていて良い香りがした。
息子はゲームでゲットした大きなクマのぬいぐるみと寝転がっている。
ひゅるるるっと白い光が昇っていく。
パッと一瞬明るくなって皆の嬉しそうな顔を照らす。
大きな色とりどりの花火が頭の上から降り注いでくる。
遅れてお腹に響くどーんという音に続いてパリパリパリと音がする。
火薬の匂いが立ち込める。
隣を見ると夫と息子が嬉しそうに手を叩いている。
少し後ろに母が2人並んで座っている。
真っ暗な中、花火が上がるたびに皆の顔が色とりどりに染まっていた。
毎年7月4日に花火を見ていた。
またこうやって家族で花火を見られる日が来るなんて、と幸せで胸がいっぱいになった。
だけど、あと何回見られるのだろうかと思うと涙が流れた。
夫ママは行きたいところを全部見て2週間ほどで帰って行った。タキソールはやはり足が痛むのだが、我慢できないことはない。 なので一緒にあちこちに行けた。
ずっと看病してくれた母もやっと一緒に出かけられるようになった。
一度だけ外出先で具合が悪くなったのだが、脱水症のような感じだった。抗がん剤中は水をたくさん飲まなければいけない。
この頃、抗がん剤を始めたキャリーはひどい吐き気で何も食べられず、水も飲めずに心臓が石のように固く痛くなったと緊急室へ運ばれた。脱水で入院となった。キャリーは初めての抗がん剤なので
「どうやってこれをやりとげたの?私は無理かもしれないわ」と弱気になっていた。
母も日本へ帰る日が来た。帰るときはやはり寂しかった。
母2人が帰っていき、急にポンと時間ができて、静かになった。
夜妹の家に電話をしたら、ちょうど母が帰ったところだった。ただの寂しさではない言葉で言い表せないような不思議な気持ちだ。
自分のいるべき場所へと帰って行った母親への切ない感情なのだろうと思う。
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