第19話   夫、息子を連れて日本へ


引っ越しの用意をしなくてはならないので夫が日本へ行くことになった。息子も一緒に連れて行って小学校へ連れていく予定でいた。さようならも言えなかった友達にも会えると思ったのだが、朝から「行かない」と大泣きだった。


空港にいる夫から電話が入る。

「すぐに帰ってくるからね、行ってくるね」というバックグラウンドは息子の泣き叫ぶ声だった。

「飛行機に乗らない~」と大泣きしていた。その声を聞いて胸が痛くなる。私も離れたくなかった。それでも行かせたのは何も出来ない私と一緒よりも夫と一緒のほうが安心だったのだ。 


 最近、夫と息子は夜も一緒に寝ていてゲームをしたり遊んだり、すごく絆が強まったように思う。

今泣いているけれど、日本で楽しんで欲しい。元気いっぱいの笑顔で帰ってきて欲しい。

 

 この頃から上司の奥さんキャリーとよく電話するようになる。この人は年上で細身の白人女性だ。長いカーリーのブロンドへヤーが自慢で、髪の毛が抜ける事を今から悲しんでいた。彼女も全摘出したけれど、放射線治療をしないので、同時再建で胸ができていた。とても羨ましかった。


 副作用の吐き気は収まっているけれど、ひどい疲労感が襲ってくる。 それから喉が焼けつくように痛む。味もわからない。舌の上にサランラップをかぶせているような感じだ。

夜は1人で注射も出来た。実は怖くてブルブル震えていると注射器の針が偶然おなかに刺さってしまった。なので、そのまま薬を注入した。 もう大丈夫だ、怖くない。


 夜遅く夫から電話が入る。息子とも話をしたら、嬉しそうにはしゃいでいた。


「大好きなツナおにぎり食べたよー。家の中はね、まだパーティーの後のままだよ。これからゲームするの」なんて言ってて朝大泣きしたのがウソのようだ。 久しぶりの自分の家、自分の部屋で嬉しかったのだろう。


「ママの顔を思い出すと悲しくなるけど」なんて言う、とてもかわいい。少し強くなれたかな、ハッピーな声を聞けてとても嬉しかった。


 車の運転ができないので夫のいない間病院への送迎を友人に頼んだ。 抗癌剤は2週間に一回だ。 3週間に一回のところ「続けざまに攻撃したほうが効果が良いと思う」というドクターの言葉を信じて投薬していた。 


10日間は生きる屍のようで元気でいられるのは4日程度だった。 この4日を利用して外に出たり家事をする。キャリーと一緒に買物にもでかけた。キャリーもハワイに移住することになったが、それまでの間病院隣りにある施設に泊まってたが、やはり家を買うことになった。


 3回めの抗癌剤も終わり、だんだん慣れてきた。疲労感や吐き気はあるものの、最初の日、それから後半4日はなかなか元気でいられる。


夫の母がカリフォルニアから電話をしてくれた。 もうすぐ来てくれることになっている。その日は疲労感がひどく、横になったまま力なく話をする。

付き合っている人がこんなひどいこと言ったのよ、なんていう内容の話


「なにそれ!ひどい!!」と大きな声を出し、がばっと起き上がってしまった。


「あら!元気が出た」と笑っている。


「胸の傷見てあげるから」と言い「息子が剃ったのなら私も髪を剃るわ」と言ってくれた。夫の母本気だ。もちろんNo way!(絶対ダメよ)といったけれど、その気持がジーンと胸を打った。


この優しい夫の母親もこの後乳がんになるなんて、この時は知る由もなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます