第13話   病理検査の結果


 手術後の胸の組織の病理検査結果が出た。


左胸の一番大きい腫瘍が4、5センチ。 他にも数個見つかる。


脇の下のリンパ腺に3つ。 胸の中のリンパ節に1つ。脇の下から全身へ広がるため、胸の中のリンパにもう進んでいるのは良くない印だと言われた。


そして胸の中に出来かけていて、取れなかった癌もあるらしい。

これから抗癌剤で治療していくことになる。


 それにしても4、5センチとは……みかんぐらいの大きさだ。

そんなに大きな癌だったから触診で見逃されたのだった。


乳がんを触診で発見するときは(小豆大)が多いという。まさか(みかん)のような塊が癌腫瘍だったなんて、ベテランの医者も考えられなかったらしい。


「これは癌ではないと思う、大きすぎるもの」というドクターの声が頭に響く。


胸の半分くらいのゴツゴツした手触りが全部、乳がんだったのだ。


そしてまことしやかにまかり通っていた(癌は痛くない)というのも嘘だった。ズキズキと胸の奥の方から痛んでいた。


母乳が乳管に詰まる乳腺炎になったことがあるのだが、その痛みにそっくりだった。触った感じも似ていた。 母乳なんてとっくに出ていなかったのに、なぜだろうと思っていた。


6ヶ月以上かかる治療のため、夫はハワイの基地へ転勤することになり、ハワイに移り住むことになった。仕事に空きがあったのはラッキーだったと思う。 なんと同じ職場で上司として転勤してくる人の奥さんキャリーも同じくY基地で乳がんになってハワイに来ることになったのだった。


キャリーと私はその後友だちになり、長い闘病生活を支えあった。


キャリーは白人女性だ。長い金髪のカーリーへヤーをそれは大事にしていたので、抗癌剤だけは嫌だと言っていた。


乳がんは残酷な病気だと思う。 女性の象徴を次々に奪っていく。

 

北のM在日基地から来ていた女性タミーは、旦那さんの職種のあきがなく、ユタ州へ行くことになった。日本の基地に専門医がいなかったため、まずハワイに検査に来て、本国へ帰って行く。


 私は日本に帰りたかった。 日本へ帰ったのは2012年のはじめ。 それまで3年間アイダホ州の田舎に住んでいてノイローゼのようになっていた。 乳がんはここでのストレスではないかと密かに考えていた。

 

 アジア人はほとんどいない地区で保守的な場所だった。悲しい思いやつらい思いをした。 

「日本に行きたい、帰りたい」日本への思いが爆発していた。 そうやって頑張った3年間、やっと帰れた日本でこんどは癌が発覚したのだった。


日本には1年と少ししかいられなかった。





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