第9話 乳房切除手術が終わる。 モルヒネと止まらない吐き気
――うんと遠くから声が聞こえる。
「……終わりましたよ、聞こえますか?」
「麻酔薬をいれますよ」から「聞こえますか?」まで一秒くらいしか過ぎていない感覚だった。実際には4時間ほどの手術を終えて、さらに数時間が経っていた。
まだ目がはっきりと覚める前だったがガクガクと震えていた。やっとのことで振り絞った声は老婆のように枯れていた。
「……気持ちが悪い《I feel nauseous》」とかろうじて言えた。歯がガチガチと鳴り、足が震える。
幾つもの顔が覗く、白黒だが時折強烈なフラッシュのような光が入る。
バッバッと白い光。誰かの顔、手を握る誰かの手の感触。「カモーン大丈夫ミセス?」と誰かが呼んでいる。「オーノー」と誰かの声。なにがOh Noなの?と聞こうとしたけれど声が出ない、声が出ないどころか息ができない。パニックになる。
苦しい苦しい。もう一回息がしたい。この窒息しそうな瞬間はとても長かった。
全身麻酔のため、喉に直接入れた酸素の管を抜いている時だった。
足が跳びはねるほど震えていた。そして、また意識を失った。
その後また目が覚めた時には夫と息子がぼんやりと見えた。
手術室からリカバリー室そして一般の部屋に戻ってきたらしい。
大きな色とりどりのバラの花束とぬいぐるみとカードを持ってきてくれていた。心配そうな2人の顔が一瞬ぼんやりと見えた。嬉しかったが、その日はとても目を開けていられなかったので、そのまま、また暗闇に引きずり込まれた。
ハッと夜中何度か目が覚めた。隣の部屋がうるさい。それでも頭がふらふらして、ただただ眠い。目を閉じた瞬間、別の世界に行ってしまうようだった。
痛み止めにモルヒネを使っていた。「これはmorphine(モーフィン)よ」と言われたが、当時はそれがモルヒネだとは知らなかった。点滴につながっており、痛みのあるときはボタンを押すように言われていた。致死量が入らないようになっていたが、知らずに何回もボタンを押して注入して気分が悪くなっていった。
吐き気が止まらない。何度も吐き気止めの薬をもらうがあまり効かなかった。
担当のナースは意地が悪く言い方がきつい人だった。
「お水をください」と言うと、面倒くさそうにプラスチックのコップを取リ、床に落とした。そのまま水を汲もうとするので
「他のコップと取り替えるか、せめてゆすいでください」と言うと、チッと舌打ちをされた。
夜中このナースに立って歩いてトイレに行きなさいと言われる。
「できません《I can't》」と言うと
「できるわよ、あなたが手術したのは足じゃないの」と言われた。
それでも起きられない無理です。というと、タライのようなものをお尻の下に入れて、横になったまましろ、という。それも出来ないというと1時間位そのままにされた。
退院してから見てみるとお尻にタライの後がミミズ腫れののように真っ赤に晴れていた
どのくらい後か覚えていないが、ゆっくり起き上がり、一歩一歩あるいてトイレに向かう。すさまじい吐き気に襲われる。
手術後で弱っているので言い返したりできないのがつらい。 ナースの仕事もきつのだろうと思うけれど、はじめて大きな手術をした患者にもう少し優しくしてくれたら良いのにと思った。
目を開けていられない、かと言って寝入っているわけではない。2時間おきに起こされる。血圧と体温のチェック。
足には数分おきに膨らんでふくらはぎを圧迫する物をつけている。血栓予防のためサーキュレーションを付けているのだが、うとうとするとブーブーっと膨らんで目が覚める。目が覚めると吐き気だ。
ぐっすりと眠ったほうが回復するのではないかと起こされるたびに思った。
手術翌日 2日目
朝はジュースとスープの朝食だったがとても食べられなかった。 眠気と吐き気が同時に襲ってくる。起き上がるどころか、横を向くだけでも吐き気が襲ってくる。
胸にはきつく晒のように包帯が巻いてあった。すごく痛くて、熱い。ものすごく分厚く重い焼けた石版が乗せられているような感じだ。そっと触ってみると、感触も石のようにカチカチだった。
午前中、夫と息子が来てくれた。 小さいぬいぐるみを持って。
嬉しくて、元気が出てくる。家族の愛情が一番の回復薬だ。病院の中で売っている小さいぬいぐるみを手術や入院の度に買ってきてくれるようになった。
吐き気もだいぶ止まってきたのでランチを食べてみる。
ランチと言ってもクリアビーフコンソメ、ゼリーを一口、グレープジュース一杯。力が湧いてきた。アイスティーにお砂糖を入れてもらって飲む。ものすごく回復していくのを感じた。食事の力はすごい。
それ以来すっと立ちあがれるようになり、トイレにも歩いていける。
昨夜とは全く違う。1日でこれほど回復するものだろうか? 食事の大切さを改めて知る。夕食もチキンコンソメやゼリーそれからパイナップルジュース。完食出来た。
「固形のもの食べられそう?」と聞かれたので「はい、もう食べられそうです」と言うと、なんと牛肉が出てきたので驚いた。すごくアメリカらしいと思った。
硬いご飯3口、肉1切れ、グリーンビーンズ2本パン一口を食べられた。看護師は食べたものを記録しながら
「食べられるから明日は退院ね」といった。
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