第2部 全摘出手術
第8話 手術の前日と当日 手術室に入るまで
手術は18日に決まった。
前日8時に麻酔医との予約があった。この日の血圧は上が98下が77。血液検査もする。
手術に関しての注意も聞く。真夜中過ぎから何も食べてはいけない。飲み物もだめだった。水さえも。 朝歯磨きをしてうがいをした水は残さず吐き出すこと、と言われた。
アメリカらしいと思ったのはボディーピアスは全部外すことと書いてあったことだ。耳のピアスだけではなく、おへそのピアスが流行していた頃だった。
手術中はいろいろなケースがあり、うまくいかない場合もあると聞いていた。うまくいかない場合とは手術から蘇生できない場合だ。
夜、万が一に備えて夫と息子それぞれ手紙を書く。
「夫へ――どんなときも支えてくれて、とても心強く幸せでした。あなたがいなければ、なにも乗りきれなかった。今までのこと全て感謝しています。本当にありがとう」
「息子へ――生まれてきてくれて本当にありがとう。素晴らしい息子を持てたことをとても誇りに思っています。これからも強くやさしく健康に育ってください」
どちらにも
「心から 愛してる」と書いた。
封をしてホテルの机の引き出しの奥の方へいれておいた。もしものことが起こって荷造りしているときに手紙を見つけたらと考えると胸が締め付けられた。
この時ばかりは耐えられず号泣した。
――手術当日
7時に病院入り。
5時半に起きてシャワーだけしてきた。 ボディーローションなどは塗れない。顔もクリームも何も塗れないのでバリバリでかさかさだ。
リビングウイルというものをを書く。これはもしもの時の為の医療的な措置などを書類にすることだ。意識が戻らない場合は蘇生措置をとるのかどうかを明確にする。 手術前に書かされる遺書のようだ。
悩んだが夫の意志に任せることにした。夫は医療関係者だ。きっと状況を見て的確な判断ができるだろと思った。家族の負担になりたくないという思いが強いが戻ってこられないかもしれないという恐怖もあった。
それと日本の母のことも思った。もしものときは駆けつけてくれるのではないかと。その時まで装置をつけていて欲しいとも思った。せめてまだ暖かい娘に会いたいのではないか、と思ったのだ。
手術前に紫色の色素を胸の乳管に入れてレントゲンのような写真を撮る。 CTスキャンのようなものかも知れない。これが1時間かかった。 ウトウト眠ってしまった。 お腹も空いていた。 当日はもう覚悟が決まっていたので、2週間前のような不安はなかった。
裸の上から手術用の薄い布でできたガウンを着て待つ。この時間がとても長かった。おなかも空いていたけれど水が飲みたかった。朝から待って結局手術をしたのは夕方だった。
待合室で看護師がプラスチックの腕輪の名前を確認する。「これからあなたがする手術は?」とも聞かれる。「左胸のマスタクトミーです」と答える。乳房切除の事を英語でmastectomyという。アメリカは裁判の国であり医療関連に厳しい。それでもこれから大きな手術をする患者に術式を言わせるというのはどうなのだろうか?いよいよ手術だ。最初のリビングウイルと言い、なにもかもはっきりさせておかなければならないのが辛い。
いよいよ手術だ。
「じゃあ行ってくるね!だいじょうぶだよ!」と夫と息子に笑顔を向ける。
See you soon(すぐに会おうね)と夫も笑う。
まだしがみついている息子の頬にキスをする。
「だいじょうぶだよ!」
自分にもそう言い聞かせていた。
ガラガラとベッドのまま移動させられる。
天井の蛍光灯が眩しい。立入禁止のドアのところまで2人は付いて来てくれた。
「じゃあ行ってくるね! 2人とも大好き!」
――そしてドアは閉まった。
ドアの向こうはステンレスの多い冷たい空間だった。
「では、麻酔薬いれますよ」と点滴から麻酔薬を注入される。
あっという間に世界が暗転した。
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