時間を止める

どうぞ。開いているよ。


珍しいね、こんな時間に来るなんて。まだお昼を過ぎたばかりじゃないか。食事は済ませたのかい?

そうか、良かったよ。僕もちょうど先ほど済ませたばかりでね、食べていなかったら何を用意しようかと考えなければならなかった。

それにしても今日は暑いね。冷たいコーヒーなんかはいかがかね?あいにく、この部屋にクーラーなんて気の利いたものはないのでね、そのまま居たら脱水になってしまうよ。遠慮せず飲みたまえ。さあ、どうぞ。


さて、今日はあることについて考えてみようか。




君は、もし時間を止められたら、と考えたことは無いかい?

例えば、学校に遅刻しそうで、あと1分あれば間に合うのに、とか。例えば、試験の前日に勉強をしていて、あと一日あれば対策できるのに、とか。あるいは、好きな人と一緒にいて、門限が迫っているときにずっとこんな時間がずっと続けばいいのに、とか。

そんなことは考えたことないって?


もし本当に、時間を止めることが出来るとしたら、君はどうする?誰も動かない世界で、君は一人自由に動ける。誰にも見られずに、知られずに、何も気にせず君は好きなことをできる。そんな時間が止まった世界で、何をしようかと考えたことはないかい?

え、ひょっとして本当に時間を止めることが出来るのかって?何を言っているんだい。そんなことは無理に決まっているだろう。仮定の話、もしも出来たら、ifの話だよ。


今回のテーマは、本当に時間を止めることが出来たら、だ。


さて、この話をするときに気を付けなければならないことがある。それは、時間を止めることの出来る範囲、だ。


まず……特定の個体の時間を止める場合について話そうか。

そうだね、目の前にいる特定の誰かの時間を止めることが出来るとしよう。この場合、対象となる人物だけが時間が止まる。つまり、目の前の人の時間を止めれば、その人にとって周りで何が起きようと、その時は認識できない。例えば、時が止まっている人の目の前で手を振ったとしても、それを見ることは出来ない。当たり前だね。その代わり、もし何か変化があったとしたら、再度その人の時間が動き出した時に、それは一瞬の出来事として認識することとなる。時が止まっている人の周囲や、その人に対して何か変化を与えた場合は、突然それが起きたと錯覚するだろう。

ここで注意することは、時が止まる対象となる人以外の世界の時間は、進み続けるということだ。長い間時間を止められた人はその時間経過に当然気づくだろうし、敏感な人ならば周囲の変化から、自分の感覚との間に違和感を察知し、時間の進みがおかしいと気付いてしまうかもしれない。また、その人以外の時間は進んでいるわけだから、もし時間を止められてそのまま放置されたとしても、その人の周りが気づくだろうね。

あと、その人に変化を加えるといっても、その人の存在自体の時間が止まっているわけだから、その人に直接変化を加えるようなことは出来ないだろうね。だって、そうだろう?時が止まっているということは、分子レベル、原子レベルで活動が止まっているんだよ?吹雪にさらされても、炎にさらされても何も起きないだろう。

なに?そんな状態で触ったらどうなるって?個体として時が止まっているのだから、きっと石のようにかたい感触だろうね。

例えば、痴漢が時間を止める能力を得て、痴漢目的で君の時間を止めたとしよう。でも安心したえ。そんな訳だから、例え触られても一切痴漢を喜ばすようなことは起きないわけだ。対象は全く動かないし動かせない。触っても感触はない。おまけに時間が止まっている本人の反応も全く無い訳だからね。え?例えに品がない?ああ、すまない。女性に対して配慮に欠けていた。謝罪しよう。

ああ、そうそう。時間を止めた際に、その対象の位置まで固定されたとしたら、あっという間に宇宙空間に放り出されてしまうね。だって、地球はものすごい勢いで太陽の周りを回っているのだから。だから、今話したのは、対象の位置は宇宙に固定されずに、地球上に固定されると、都合の良い解釈をした場合の話だ。まあ、このケースで時間を止めたとしたら、都合よく対象の位置が地球上に固定されてくれるとは思えないがね。だからこのケースで時間を止められたが最後、その対象は宇宙の迷子になってしまうだろう。


次に空間単位で時間が止まったら、地球上の時間が止まったらというケースについて考えてもいいんだが、スケールが違うだけで話は一緒だね。止まった瞬間に宇宙空間に放り出される。敢えていうなら、地球という単位で時間が止まったら、太陽系から地球が飛び出してしまうだろうね。太陽の周りを回っているだけだから、飛び出さないって?何を言っているんだい?ビッグ・バンによって宇宙は広がり続けているんだよ。太陽系も宇宙の中にあるわけだから、その影響からは逃れられない。地球の時間が止まった場合、地球だけ残して、太陽系はどこか遠くへ行ってしまうだろう。さらに、地球がなくなった後の太陽系は力のバランスを崩してそのうち崩壊してしまうだろう。


最後に、本当の意味で時間を止めるとしたらこうなるだろうが、全て、つまり宇宙全体の時間が止まった場合について考えてみようか。

この場合、悲劇が起こる。宇宙全体が止まる故に、止めた本人も含めて全ての時間が止まってしまう。再開させる人がいないために、永遠に時間は止まったままとなる。簡単に言うと、誰にも知覚されない世界の破滅が訪れる、という訳だね。


何?理屈が乱暴だと?時間を止める範囲を全体としたら、当人も含まれるのは当然だろう。まあいい、当人を含めないで止められた場合についても考えてみようか。また、ここで悲劇が起きる。止めた本人が、真っ暗闇の世界に閉じ込められ、永遠に動けない状況に陥る。

時間が動いているのに真っ暗闇になるのはおかしいって?さらに動けない意味が分からないって?簡単な話だよ、自分以外の全ての時間が止まっているということは、自分以外の何も動いていないんだよ。光も、空気もね。目で何かを見ることが出来るのは、光があってこそだ。その光が目に入ってこないんだから、何も見えない。つまり暗黒の世界になってしまうのは当たり前だろう?同じ理屈で、空気が動かないんだから、身体を動かそうにも空気のせいで身体が固定されて動かない。

なんだって?それじゃつまらない?おいおい、乱暴なことを言っているのは君じゃないのかね?

まあいいか、更に譲歩して光の時間は止まらず、空気も動かせることにしよう。だが、それでも悲劇は起きる。まず、時間を止められるとして、約8分が限界だ。それ以降は危険だ。

光のおかげで目が見えて、身体も動かせるのに何故かって?それは光を発するものが無いからだよ。普段目が見えるのは光が動いているからだといったばかりがね。光の時間が止まらなかったとしても、光を発するものがなくなるのだから意味がない。

よく考えてみたまえ。光の時間は止まらないが、他のすべての時間は止まっているのだよ?普段世界を見ることが出来るのは、太陽から非常に多くの可視光線が届けられているからだ。それを供給する太陽の時間が止まるのだから、太陽が最後に発した光が届くまでの約8分が時間を止めていられる限界ってわけだ。まあ、それ以上時間を止めていることは出来るかもしれないが、暗黒の世界の中でずっと、平常心を保つことは出来ないだろうね。

あと、時間を再開した後にも悲劇が起きる。時間を止めた分だけ、最長で約8分の暗黒の世界が地球を襲う。ある日、前触れもなく突然訪れる8分の暗黒世界の間に、世界はパニックを起こすだろう。起きるのが交通事故だけで済めばいいが…最大級の災厄になるんじゃないかと僕は思うよ。


何?まだ納得いかない?今日は随分食い下がるね。そうだね、じゃあ時間を止めるのとは話が変わるが、それに近い話をしよう。もしかしたら、こちらが現実的かもしれないが。いや、そうでもないな。

周りの時間を止めるのでは無くて、周りの時間が止まって見えるほど早く動けるようになるということにしようか。まあ、君がとても早く動けるようになったとしよう。この場合、君はなんと殺戮マシンとなってしまうんだ。

え?早く動くけると殺人鬼に変わってしまうのかって?違う、本人の意図とは関係なく周りに破壊を振りまいてしまうということだよ。

考えてもみたまえ。光の速度に遠く及ばない速さで動いたにせよ、時が止まって見えるほど早く動くということは、超音速で動くということだ。マッハ1や2どころではすまない速度でね。物体が音速を超える速度で動くと何が起きるか知っているかい?衝撃波だよ。君が動いた後を起点に、衝撃波が起き続ける。そうすると、君が動いた周りにあるモノ、人がその衝撃波に巻き込まれてしまうわけだ。

衝撃波が起きないようにするにはどうしたらいいか?簡単なことだよ。人として常識的な範囲の速度で動くことだ。ここまでくると、時間を止めるとかそんな事とは程遠いことは分かるかな?



さて、そろそろ話をまとめようか。

時間を止められたら良いなとか、人は良く口にするが、実際は建設的なことは何も起きない。百害あって一利なし。時間を止めるということは、とても危険なことなんだ。

自分だけずるしてみたい、他人のプライベートを覗いてみたいとか、そんな不埒な考えで時間を止めたいとかいう輩もいるが、そんなことで時間を止めて、宇宙規模で破滅するのでは割が合わないだろう?

みんな時間を止められたら良いな、と良く言うが、結局はその人にとって都合の良いことしか考えていないからそれが良く見えるだけなんだ。デメリットについてもちゃんと目を向けないと大変なことになる、ということがよく分かる例だね。


まあ、結局は誠実に生きていくことが一番ということだな。




どうだい?新発見ばかりではなくて、たまにはこんな話も良いだろう。


おや、口を開けてどうしたんだい。ああ、僕の素晴らしい考察について、理解が追い付いていなかったのかな。すまないね、ちゃんと確認しながら話を進めていくべきだったね。

さて、どのあたりを補足しようか。え、もういい?いや、食事も話も消化不良は良くない。きちんと理解した方がいい。よく分からなかったところは無いのかい?

何?この後大事な用事があるって?それは、この僕の素晴らしい話を捨て置くほど重要な用事なのかい?何、親が危篤だとメールが届いた?これから病院に行かなくてはならない、と?

そうか、親御さんの命の危機ならしょうがない。行ってあげたまえ。


この話の続きはまた別の機会にでも。気にすることなく、落ち着いたらまた顔を出せばいい。さあ、親御さんが危ないのだろう?もう行きなさい。

僕はいつでも待っているよ。

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