天狗のなり損ないと白き龍(2)

「あなたが人だった頃の名は何というの?」

「そんなもの、とうに捨てた。おれにはいらないものだ」


 千瞑の乱暴な言葉に、八重はついと瞳を曇らせる。


「天狗になると、人であった頃の過去を捨ててしまうものなのかしら。……他の天狗も、あなたと同じように」

「天狗じゃない。天狗のなり損ないだ」


 八重の思惑を知るよしもなく、顔をしかめて千瞑は頬杖を付く。

 どういう事かと八重は瞳を見開いた。本人の代わりに、白淳が説明する。


「くら坊が天狗だったら、こんな処にいやしないさ。天狗のもつ妖力も全ては有していないし、姿はそれに近いけれども完全じゃない。翼だって、本来ならば空を翔ることすら難しい」


 白淳の言葉によくよく彼の姿を見れば、確かに千瞑の羽はどこかみすぼらしく所々折れ曲がっているのが見受けられる。これでよく八重を抱えて逃げおおせられたものだ。


「ヒトでもない。が、天狗になりきれなかったおれは妖しですらない。何処にも属せぬただの異形だ」


 千瞑は感情の起伏が見られぬ声色でぶっきらぼうに言った。白淳は少々芝居掛かった口調でもって静かに視線を伏す。


「その力は天狗にほど遠く、その様相は人にほど離れ……」

「おい。どうでもいいだろう。おれの事は」


 千瞑の制止も構わず白淳は続ける。


「ついでに形相は常に仏頂面ぶっちょうづらで愛想も悪い」

「黙れ。人贔屓ひとびいきの根無し龍が」


 かみつく千瞑に、白淳はにこやかに笑ってみせる。


「龍が根ざすというのも、またおかしな表現だけれども。根を張ったら、空を翔られっこないじゃないか」


 あまりに自然な二人のやりとりについ流してしまいそうになったが、遅れて気付き、思わず八重は驚きで咳き込みそうになった。


「……っ、龍……?」

「そう。ぼくは龍だ」


 驚愕きょうがくする八重を余所に、白淳は何でもない事のようにさらりと言った。


「人ならばこんな場所にいるはずもないだろう。

 くら坊と一緒だよ。ただ、ぼくはなり損ないというより、住み損ないだ。どこにもいるべきところはなくなってしまった。仲間もいない。

 だから人が寄りつかないこの場所にいるんだ。ぼくらには居場所がないから。

 結界を張ってあるから、この屋敷の界隈にあやかしは近付かない。怪の中でもぼくらは異端なんだよ。人からも怪からも外れている。

 要するに、ぼくらは似たもの同士ということだ」

「貴様と一緒にするな。虫唾むしずがはしる」


 苦虫を噛み潰したような顔で千瞑は吐き捨てる。


「おれは貴様のように、人如きの為に無駄な労力を割いたりしない。何の意図か知らんが、あんな連中に肩入れするなどとんだ酔狂すいきょうだ。偽善の悪趣味が」


 微笑しながら白淳は答える。


「悪趣味とは酷い言いようだね。ただぼくは自分の思うようにやっているだけだ。それに、確かに色々な奴がいるけれども、ぼくは人が好きだよ。実際」


 千瞑は息を吐き出すと、少しだけ翼をはばたかせ、梁から柔らかく床へ飛び降りた。


「まあ良い。与太よた話はその辺りにしておけ。目覚めたならば、さっさとその小娘を村にでも都にでも帰してくればいいだろう」

「私、帰れません」


 八重は千瞑を真っ直ぐ視線でとらえて、反射的に答えた。朱の瞳を光らせ、千瞑は八重を睨み付ける。


「……小娘、冗談も大概にしろよ」


 慌てて八重は手を横に振り、弁解する。


「いえ、あの、そういう訳ではないのです。ただ、帰らないというより帰れない……つまり」


 八重は一呼吸おいてから抑揚のない声で続ける。


「平家に父母を殺され、家を焼かれました。戻る場所などないの」

「……まさか、仇討ちでもするために山に迷い込んだのかい」


 真摯な眼差しで白淳は八重をのぞき込んだ。少し迷ってから、八重は否定の意で、首を横に振る。


「いいえ。……私がここまで来たのは、兄を捜したかったから」


 どこかぼうっとした遠い眼差しになり、八重は半ば自分に言い聞かせるように訥々とつとつと語る。


「十年前、私が六つのときに兄は出て行ったの。自分は天狗になる、とそれだけ言い残して。それっきり、姿をくらませてしまった。

 だから、私は天狗を捜して山に入ったの」


 ぽつりと、ごく小さな声で八重は呟く。


「私は、兄を捜したい。……もう一度、会いたい」


 八重の言葉を耳にして、なおも千瞑は冷たく言い放つ。


「今更、兄貴を捜してどうなる。今度は親の代わりに天狗に養ってもらうのか。家を出て行った兄貴にしてみれば、それこそ迷惑千万だろう」


 八重は千瞑の物言いにむっとして言い返した。


「家族に会いたいと願う気持ちは自然なことではないの」

「どちらにせよ同じ事だ。親を亡くし家を無くし、今度はその拠り所を兄に求めようとしているだけだろう。

 いくら離れていても兄だからな、居場所を無くした妹を放っておくはずはない。そう微塵みじんも思っていないと、どうして断言できる。

 それにお前の兄が本当にお前に会いたいと思っているのなら、十年も戻らぬはずはない。とうの昔に一度なりとも姿を現しているだろう」


 八重は言葉に詰まってうつむいた。眉をひそめて白淳は千瞑を非難する。


「くら坊、それはいくらなんでも言い過ぎだ」

「事実だろう」

「それでも、今のは良くない。なにも傷をえぐってやる必要はないだろう」


 うつむいた八重の手をとると、白淳は優しい眼差しで彼女をのぞき込んで語りかける。


「くら坊の言うことをそっくり真に受ける必要はないよ。良い方向に考えなければ、物事はどんどん悪い方へ進んでいってしまうから。

 もし八重が天狗を捜すというのなら、ぼくが手をかしてあげよう」

「……本当に?」


 今度は良い意味での驚きに目を見開きながら、八重は伏せていた瞳をあげた。それを見つめて白淳は自分も嬉しそうに微笑む。


「ああ、その方が良いよ。うつむいているよりも、前を見つめている方がずっと綺麗だ。

 無論、本当だよ。ただし八重の体力が完全に回復してからだ。そうすれば、ぼくが鞍馬くらままで連れて行ってあげる。

 ここに天狗はいないけれど、鞍馬なら天狗がんでいるし、ぼくの知り合いがいるからきっと何かの手がかりが得られるだろう」

「何を勝手なことを言っているんだ、貴様は」


 声を荒げ不機嫌をあらわにして千瞑が抗議した。白淳は千瞑の方を振り向くと、顔色を少しも変えずに淡々と告げる。


「八重を助けるかどうかはぼくの好きだろう。くら坊には関係ない。いつもと同じように、何もせずそこで傍観ぼうかんしていればいい」

「困る。目障めざわりだ」


 白淳はいたずらめいた眼差しで口元を結んだ。


「正直ぼくも、くら坊が目障りだよ」

「奇遇だな、おれも貴様が目障りだ」


 対抗するように言い捨てると、千瞑は一回ばさりと翼をはばたかせてから、きびすを返して外へ出て行ってしまった。


「……なんだか、本当にごめんなさい」


 八重は千瞑の後ろ姿を見送るりながら恐縮して謝した。

 笑って白淳は八重へ向き直る。


「いいんだ。あれもいつものことだから。決まって人が絡んでくるとくら坊は機嫌を損ねるんだ。そのうち普通に接するようになるよ。

 根は悪い奴じゃないから。口が悪いのは誰にでもそうだし、気にしなくていい」


 白淳はしばらく放置してあったかゆの椀をとり、八重の方へ差し出した。


「さあ、朝餉あさげの続きにしよう。どちらにせよ、八重は早いところ回復しなくてはいけないよ」

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