卒業式に桜は舞わない
「卒業式に桜は舞わない」
数歩先の君が言う。
「現実ってのはなかなかどうして、ドラマのようにはいかないものだねぇ」
その横顔はとても綺麗で、相変わらず僕は、胸が苦しくなる。
現実ってのはなかなかどうして、ドラマのようにはうまくいかないものだ。
三月十二日。
一日にあった卒業式を終え、国公立入試の合否がその数日後に発表された。僕は無事、志望校に合格した。
諸々の手続きを終え一息つくと、待っていたのは漠然とした、空っぽの時間。
高校生は終わり、大学生でもない、何者でもない、空白の期間。
打ち込んでいる趣味でもあればきっと、受験の重荷から解放され嬉々として手に付けるのだろうけど、生憎僕にそんな趣味はなくて。
そうして、手持ち無沙汰な僕を、とっくに推薦合格を決めていた君が、連れ出してくれた。
いつかみたいに。
いつもみたいに。
二人、並んで、川沿いの土手道を歩いていく。
三年間、僕らが歩いた道。
通りから一本外れた、静かで、のどかな、田舎道。
並木に植えられた桜はもちろん、実さえつけてはいない。未だ物悲しいこの風景も、しかしやがては春色に染まる。桜の色と、菜の花の黄色と、空の青色と、思い返すのは、鮮やかなその景色。
「この風景は変わらないねー」
君は言う。変わらないと、君は言う。
そうかな。
「うん、変わってないよー。北に向かって広がる街並みも、その先にそびえるあの山も、向こうの土手にある変な形のあの建物も、泳いでるカルガモも!」
泳いでるカルガモはさすがに違うでしょ。
「カルガモの寿命ってどのくらいなんだろ」
知らないよ。
「でも、大丈夫だと思うよ、ここはきっと、ずっと変わらないよ」
希望?
「うん、そうだね」
変わらないもの。
「変わらないもの」
例えば――
例えば?
過去?
過去。
僕は今だって、覚えている。
高校一年生で同じクラスになって、同じ中学校だったにも関わらずほとんど初対面で、でも僕たちはたまたま、同じ部活に入って、仲良くなった。
君は明るい性格で、人懐っこくて、絵に描いたような人気者だった。
君のことを噂する男子はたくさんいた。
そうして、僕は、そんな君の近くにいられることに、優越を感じていた。
他の男子たちよりも、特別でいられていると、思っていた。
誰かに「あの二人は付き合っている」と噂されることを、望んでいた。
何の取り得もないかもしれない僕でも、その偶然に、これほどないまでに縋って、喜んだ。
一緒に帰れるだなんて、君にとってはたまたまいろんな条件が揃っていたからに過ぎない気まぐれだったかもしれなくても、そんな些細なことでも、いつだって、浮かれていた。
部活帰りに、一緒に帰った日々のこと。
それはとても大切で、掛け替えのないもので。
綺麗な夕暮れを、一緒に見た日のこととか、
桜を見に、散歩した日のこととか、
雨の日に、傘を忘れた君が、僕の傘に入って一緒に帰った日のこととか、
夏の涼風に、思わず立ち止まった日のこととか、
悔しくて、君が思わず涙を流した、地区大会の日のこととか、
先輩からの告白を断ったなんて笑って教えてくれた日のこととか、
勇気を出して映画に誘った日のこととか、
旅行の計画を二人で練った日のこととか、
君が隣のクラスの男子生徒に告白されたことを知って、一人先に帰った日のこととか、
一人で帰っていたら後から追いついてきた、その次の日のこととか、
たった一度だけ、手を繋いで歩いた日のこととか――
僕は全部、覚えている。
「三年間楽しかったなぁ」
そうだね。
「思い出たくさんだなぁー、みんなと離れるのいやだなぁー」
友達多いからね、君は。
そんな君と歩ける僕は、やっぱり出来過ぎた偶然に選ばれた、幸せ者なのかもしれないな。
幸せ者。
あの時、――あの頃。
僕たちは多分、きっと、お互いがお互いのことをちゃんと見ていて、
でも、僕は、君が小さく呟いた「好き」に、怖くなってしまった。
永遠なんてないなんて、解っているのに、それが永遠じゃなかったらどうしようだなんて、どうしようもなく青臭く、君の言葉を跳ね除けてしまった。
その関係になったら、いつか終わりが来てしまうかもしれないから、
なんて、
何様だったんだろう。
後悔。
でも、取り返しは、つかなかった。
ある意味で、僕は、永遠を手に入れたのかもしれない。
永遠に変わらない関係性。〝それ以上〟がない関係。でも、だけど、〝それ以下〟は、多分きっと――――
「でも、ほんと、すごいよ」
何が?
「第一志望合格! 改めておめでとう」
ありがとう。
一番初めに合格の報告をしたのって、実は君なんだけどな。
「正直、なんというか、カッコイイって思った」
……ありがとう。でも、推薦でとっくに大学決まってる方がすごいよ。
「一応成績はいい方だったからねー」
同じ部活だったのに、何処で差がついたんだろうなぁ。
「やっぱり授業ちゃんと聞くのがいちばんっぽい」
受験期間は、何してたの。
「うーん、自由登校までは放課後は友達に勉強教えたりとか、あと何だかんだ授業も真面目に受けてたし、大学からの課題もあったし、センターの結果も一応送る必要あったし」
そっか。
――うん。
僕は見た――あの日。
放課後、君はクラスの男子と一緒に、二人きりで、勉強会をしていた。
楽しそうなその横顔は、僕に気づくことはなくて、
僕の方だって、気づかれないように、早足で廊下を通り過ぎた。
あの日の心拍数の高まりは、吐き気を伴う動悸の感覚は、今でも思い出せる。
夕暮れの南校舎三階。階段、踊り場、色褪せた校内新聞。立ち止まる、影。翳。僕の陰。
未練。
自分からその手を取ることを拒んだくせに。
未練。
ずっと変わらないままでいてほしい、
という、
甘え。
――なんて、馬鹿みたい。こんなことばかり考えているんだ。考えてしまうんだ。
僕の目の前にいる君は、もう遠くを見ていて、
僕の知らない世界へ、飛び立ってゆく。
巣立ち。
なんて、
馬鹿みたい。
「東京かぁ、田舎者って馬鹿にされないように気をつけなきゃなー」
君なら大丈夫だよ。
「えー、根拠は?」
君はおどけて笑う。とても、可憐だった。どうしようもなく、綺麗だった。
少し、大人びたようにも見えた。遠き日の無邪気さは、変わらないままで――なんてさ。
僕は立ち止まる。
歩みを止めたくなったから。
君が振り返る。
「どうしたの」って、不思議そうな顔をする。
好きだった。
でも、きっと、この恋は、いつか、終わる。
君は僕の知らないところで、僕の知らない誰かを好きになる。
僕の知らないところで、大人になっていく。
僕はいつか君を忘れる。月日が経って再会しても、きっと君が僕を見ることはもう、ない。
この春の桜を、僕はこの街で、僕一人で見るよ。
きっと君のことを思いながら、これまでの日々を思いながら、
来年も、再来年も、きっと見るよ、一人で見るよ。
少しずつ、君を思い出さなくなっていくかもしれない。
手と手を繋いだあの日は、もしかしたら単なる夢か妄想だったのかもしれなくて、
もう、有ったのか無かったのかさえ判らない日々が、遠く、淡く、ぼやけて、薄れて、美化されて、苛まれて、
そうして気づく。多分、きっと、過去だって、変わってしまうことになるんだって、
なんて、
肌寒い風が、君の髪をなびかせた。
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