若者のすべて

 音楽は、常に生活の傍にある。なんて書くと如何にもだけれど、お気に入りのアーティストが一組でもいれば、記憶に寄り添うバックグラウンドミュージックとして、再生ボタンを押すと同時に過ぎ去った思い出に浸ることなんて容易だ。楽しかった経験、苦しかった経験、その時その時イヤホンから、スピーカーから、或いは街頭で、ライブハウスで、コンサートホールで、カラオケで流れていたことで印象付けられた記憶を、呼び覚ます。そういう効能もまた、人間が音楽を愛する所以のひとつだろう。個人的な話をすれば、中学生活、高校生活、そして大学生活と、それぞれの区切りにおいてなんとなく「主題歌・挿入歌担当」といった立ち位置のバンドが存在していて、それらを聴けば当時の出来事や感情が、なんとなくエモーショナル/センチメンタルを伴ってフラッシュ・バック&フィード・バックする。


 大学生活においてその立ち位置を担うことになったとあるバンドは、ちょうど二十歳前後から聴き始めた。正確にはふたつのバンドなのだけれども、同じフロントマンが跨って作詞曲をしているので、緩やかに連なったものと考えることは間違いではないだろう。


 そのバンドは、十代が終わってなお続くモラトリアムの彩を歌う。

 そしてそれは、大学生である自分にとって居心地よく/息苦しく、脳内に響く。

 エリクソンによって心理学に導入された概念(Wikipedia参照)。思春期だなんていう、生暖かくて優しいものとは違う、その季節。

 不安定な現状、普通にも特別にもなれない焦燥。世界が広がったことで気づく己が小ささ。

 井の中にいるのだと気づいて這い上がっても、知ることはできない大海の全容。


 ――青年と走る鉄塊は交差して、赤黒い物体と駅のホーム。


 卒業式を待たずして、実質的な大学生活の終わりを告げる、卒論発表の帰り道。留年を選択したゼミの同期に遭遇する。前述のバンドが共通の好みということもあり、同じように書けない卒論に悩み、上手くいかない就職活動を嘆いた仲だったけれど、結局自分は卒業が決まり、他方、彼はもう一年大学に残る決断をした。

 自転車を手押しする自分と、彼の間にある白線は。

 何かを決定的に隔てているようで、その実何も、


 そのバンドにまつわる記憶は多くある。大学生になってから知り合った友人との共通の話題であったり、晩夏の旅のお供であったり(連日の車中泊にも悲鳴を上げない関節は、素晴らしい)、大切な人を弔う鎮魂歌であったり。――大学生活の終わりに、そんなことを思い出させるような演出をするなんて、カミサマも憎いな、と思った。カミサマ? なんて、いないとすれば、或いは? ……セカイ?


 それ、単なるこじつけぢゃん? ←それでいいぢゃん。


 彼と別れ、イヤホンを耳に突き刺し、かつてのバイト先までの道程を彷徨く。


 ボロを纏うに従って、果たして頭は冴え切っていく?

 オンボロになって初めて見える価値 ♯とは

 百万回聴いてくれる誰かが、お前にはいる?

 中学の時の歌のテスト、女子の前走る50m。十年経っても、本質なんて変わんないよな。

 A boy in the school caste 俺も未だその中で尖ったり、日和ったりして、

 最近は怪物より、赤い雄牛の機運モードで、

 醜い行為と、憧れと、ざらっとする後ろめたさの中で、

 20万現ナマで買ったテレキャスターの水色は、引き延ばしすぎた青い春で、


 逢えないあなたを想うとは、失念の念を贈ることで、


 中学生の時初めてエロ本を買った本屋が潰れていたこととか、毒電波と誘流メグマ祈呪術のこととか、36歳の上司と付き合っている18歳の女の子と見た「輝きの向こう側」とか、地元の図書館司書になっていた同級生のこととか、形だけの劇団とか、原付で走り回った多摩に生える電線とか、泊まらせてもらう部屋がことごとく汚いこととか、立川のアドアーズとか、17で死んだ後輩とか、西宮の夜景とタブレットで再生したマスターピース.mp4とか、高校の同級生からのマルチ商法の勧誘とか、BLEACHの画像を貼るだけのYahoo!ブログとか、逃した性交のチャンスとか、公演のなされなかった脚本とか、引き摺った失恋の残照とか、京都駅のお好み焼き屋とか、解散ライブの山中湖で「最後に武道館やります」って言われたこととか、弘前のなか卯だとか、もう一生会わないトモダチだとか、名前も覚えていないiモードのアプリとか、父が植え付けた呪いだとか、ステージ賞を取った文化祭公演とか、17歳から21歳までにできた円形脱毛の数だとか、寂れた大洗のアウトレットとか、好きなバンドのインディーズラストライブの日付を間違え渋谷で立ち尽くした後憂さ晴らしするかのように本屋で一冊丸々立ち読みした新人賞受賞作のラノベだとか、電子の海に残留するツイートログだとか、オルタネーターのぶっ壊れたスズキアルトだとか、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドを貸してくれた女の子のことだとか、29の呪いだとか、初めて食べたラム肉だとか、バイト終わりの信号無視だとか、屋上の幽霊だとか、食べ終わったカレー皿横の履歴書の下書きとか、夏の終わりの浅虫の夕焼けだとか、19で覚えたジョークとか、高校の制服を着て臨んだ久々の芝居とか、続かなかったバンドとか、太宰の墓参りだとか、先立った友との果たせない約束だとか、母の涙とか、


 ――随分と長い間待たせたそのお詫びに、理想でも土産に持って征こう。


 多分、これが、若者ぼくのすべてだ。

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