第7章 2

それからしばらく、朝食の時間、兼、歓談の時間が続いた。三人でボールを回しあう、野外競技に近い賑やかさが、グリーシャの心にしみこんでいく。話題は尽きず、なんだか放課した後の学校にいるような気がした(余談ながら、ハンナの年齢が学生よりはむしろ教師に近く、どころか家庭を持ってすらいるのだという事実をもったいつけてミミに教えた所、彼女は「ああ、やっぱりそうだったのね」と平静に返してきた。女性の勘の鋭さは恐ろしい)。


 ミミとハンナがいつの間にか姉妹の様に仲良くなっていたのも、嬉しい誤算であった。昨晩何があったのかは定かでないが、ミミのトゲトゲしい態度が鳴りを潜めているという事実さえあれば十分である。グリーシャは経緯を敢えて問うこともせず、ただ暖かい湯に浸かるような心地よさに身を任せていた。


さて二時間程が経ち、食事もあらかた片付いて――極めて不思議な事に、ミミはあの消炭の味に対して疑問を抱かず、ぺろりと平らげていた――人心地がつくと、グリーシャの脳裏にあまり愉快でない考えが浮かぶ。即ち、今後どう身を振ろうか、と。


ハンナとの約束は「一晩泊まる」だったので、契約通りなら今日出るべきだ。だが外は雨模様だし、頼めばもう一日くらいはいられそうである。一方、それでは厚かましすぎやしないかとも思い、切り出す言葉が見つからず悩んでいると、ハンナが唐突に立ち上がって言った。


「さあ、働かざる者食うべからず! これからお二人さんにちょいと一仕事してもらおうか!」


という訳でハンナの号令一下、グリーシャとミミはなし崩しに野良着へ着替え、一日仕事をすることとなった。秋のこの時期、農家は播種や収穫に大わらわで、雨の日だってするべき事は笑えるほど沢山ある。その手伝いを言い訳に、決断を難なく先送りにできたのは助かった。ついでと言ってはなんだが、久しぶりに土の付いたジャガイモが握れたのも嬉しい。ミミも興味深げに甜菜の山を眺めていた。


グリーシャは小麦の脱穀、ミミは甜菜砕きを割り当てられ、それぞれ指示に合わせて器具の前に立つ。実家で使い慣れた足踏み脱穀機へ春撒き小麦の穂を差し込むグリーシャが順調にもみの量を増やす一方、ミミは恐る恐るといった様子で甜菜の破砕器を弄り、使い方もままならない。ハンナの教授でなんとか形になったものの、その差は開く一方だった。


グリーシャは、自身が珍しく先行者になれた喜びもあって、「貴族様に農家の仕事は荷が重いかもな?」とミミをからかう。すると彼女はあからさまにムッとし、ふん、と気合をいれて甜菜の山に立ち向かっていくのだった。その後ろ姿はすごろくに負け続けた子供みたいで、何となく微笑ましい。なので、甜菜の山が今にも崩れそうなことは敢えて指摘しなかった。


そんなこんなで農作業を進め、概ね順調に午前を終える――甜菜の雪崩に飲み込まれたミミが頭のコブを涙目で抑えていたりもしたが、まあ些細な事だ。


パンで簡単な昼食をとり、午後は動物小屋に場所を移して、飼料の運び込みと家畜の世話を行う。初めは手間取っていたミミも、こちらはすぐにコツをつかんだらしく、あっというまに慣れた手つきで牛や豚を扱う様になっていた。


あんまり手際がよくなったので、グリーシャは飼料をスコップで掬いながら「どっかの農民出と言われても騙されそうだ」とからかったのだが、ミミは余程夢中になっていたのか、彼のちょっとした皮肉にも気付かなかった。どころか、目の覚めるような笑顔で「見て、グリーシャ! 子豚がすごく可愛いの!」と答えるものだから、思わぬ不意打ちを食らったグリーシャの呼吸が、我知らず深くなってしまったのも致し方あるまい。


だが彼にとっての不幸は、丁度作業を一段落つけたハンナが、二人の近くへ歩み寄って来ていたことだ。もはやその場でグリーシャが出来得た最善の行動は、自分の不注意を後悔しながら、悪あがきに平然を装って口笛を吹くくらいだったし、勿論彼はそうしたのだが。


「ふっふー、みーたーぞー? もーグリーシャ君ってばせーいしゅーん!」


首を傾げるミミの横で、ハンナは暫くグリーシャをからかい続け、彼はなんともこそばゆい時間を過ごしたのだった。


その後も動物の世話に精を出すこと数時間。気が付けば外の景色は夜の影に包まれ、既にもう一泊は規定事項となっていた(グリーシャが念のため「今日も泊って良いのか?」とハンナに聞いたところ、彼女は本気で不思議そうな顔をしていた)。


夕食の段になり、是非とも調理に手を出そうと息巻いていたミミだが、そこはハンナが『ゆっくり休んでなよ!』と頑なに許さなかった。結果として、ミミはグリーシャと二人、食卓で待機させられる。雑談をしながらどことなく物足りなさそうに頬杖をつくミミであったが、これ以上の被害を出すことはグリーシャとて本意でない。ハンナの機転に感謝である。

 

夕食を平らげ、ベッドに入ってからがまた賑やかだった。疲れ切っていたグリーシャはすぐ寝るつもりだったが、ハンナがおもむろにトランプを取り出し、大カードゲーム大会となったのだ。根明のハンナと負けず嫌いのミミが揃ったのだから、白熱するのも当然で、最終的にミミが眠気に耐えきれず脱落するまでの数時間、部屋にろうそくが灯り続けた。


賑やかで、平和なひと時。今日の日がずっと続くのなら、人はそれを幸せと呼ぶのだろう。


だがもちろん、終わりはやってくるのだ。今日はただ、見えないふりが出来ただけで。

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