第1章 1
世界の終りがあるとしたら、あるいはこんな光景なのかもしれない。月明かりが意味を成さず、全てを呑み込むかのように黒く塗り潰された森を眺めながら、グリーシャはそう思った。
ずっと見ていると自分まで吸い込まれそうに思えてきて、遥か頭上へと視線を移す。雲は少なく、星がまるで洪水のように瞬いているが、それも中空の闇を切り取る事は出来ず、目の前にある竜の頭さえ虚空に溶け込んでいた。
「怖いか、グリーシャ」
隣を飛ぶトーシャが話しかけてくる。まるで悪魔の叫び声のような風きり音の中で、彼の声はひどく頼りない。お互いが乗っている竜の翼がくっつきそうなほどに近づいていても、まだやっと聞き取れるかどうかだ。
「へん、そんなわけあるか――うわあ」
竜が急に羽ばたいたせいで、体のバランスが崩れてしまった。あわてて手綱を引く。馬とさして変わらない大きさの竜だが、翼がついているだけ御すには難易度が高い。思いがけず情けない声が出てしまい、取り繕おうと言葉を探す。だが、グリーシャが口を開くよりもトーシャのからかう様な声が届くのが先だった。
「さすがはグリゴリー・イワノヴィチ・セミョーノフ伍長どの。頼もしいね」
闇の中で彼の表情は読めないが、大体の想像はつく。鷲鼻の頭にしわを寄せて、口角を釣り上げているのだろう。グリーシャをからかうとき、彼はいつもそういう顔をする。
「早く一人前になれよ、ひよっこグリーシャ」
侮るような台詞にムッとするが、口応えしたら負け。こいつの軽口はいつもの事だ、気にするなと自制する。
「もし危なくなったら俺の名前を呼びな。哀れなグリーシャを助けてやるから」
「ちょっと黙っとけ。口だけ動かして手綱を緩めちゃ元も子もないだろうが」
結局、そう言ってしまった。これもまたいつもの事だ。自制なんてできた試しがない。言葉で済むならいい方で、取っ組み合いのケンカになった事もある。
「また始まったよ、年上気どりのグリーシャ様。ちょっとくらい生まれた年が早くたって、現場で役に立たなきゃ意味がないんだぜ」
「お前がお気楽過ぎるんだよ。第一――」
「貴様ら! 静かにしろ!」
後ろを飛ぶ年長の騎士が叫ぶ。二人ともその声にびくりとして、いったん口論を止める。
「今は作戦中だ、緊張感を持たんか」
「ほーら怒られた。お前のせいだぞ、ひよっこ」
「なんだと、おまえこそ」
全部言い終わる前に、年長の騎士がグリーシャを睨んだ。そのせいで台詞もしりすぼみになってしまう。仕方なく不満をのみ込み、前を見つめた。
ぶつけるあてのなくなった苛立ちが、様々な言い分となって頭をかすめていく。
トーシャはグリーシャの事をひよっこだと言うが、自分と奴とで竜を扱う技術に差があるわけではない。むしろ騎兵学校の成績は自分の方が上だったし、そもそもトーシャは十五歳で、自分より二つも年下なのだ。
様々な言葉の羅列が、少しずつグリーシャの心を静めさせる。そうだ、トーシャよりも自分のほうが絶対優秀なのだ。だから今日こそは、格の違いをしっかり見せつけてやる必要がある。何といっても、自分たちは今、それを簡単に証明できる所――戦場にいるのだから。
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