第4話 一人称とはなにか?
さて、ここで一人称とはなにか、ということを確認しておきましょう。
ある特定のキャラの視点(大抵主人公や語り手)から見て書かれたこと。
もちろん、作品によっては複数の語り手が登場することもありますが、
基本はどれも同じことです。
わかりやすい説明として、語り手がカメラを構えてその場を撮影しているように文章で描くこと、というものがあります。
確かに間違っていません。でもこれだけでは80点です。そしてあと残りの20点ができなくて多くの書き手はしくじりをしでかしてしまうのです。
正しい回答はこうです。
作者は、その語り手本人になりきってその場を描かなければならない。
つまり語り手もまた役者である。つまりキャラだということを忘れてしまっている書き手が多いのです。
例えば街を歩いてみよう。オタクの少年と女子高生、中年のフリーター。
同じ舞台を歩いても、その描写はまったく別物となります。
オタクくんは街中の萌えキャラポスターに過剰に反応し脳内で一席ぶつだろうし、女子高生は道行く同年代の少女がのファッションをチェックしたりするだろう。中年フリーターはおどおどし、警官から職質されないかと余計に挙動不審になる。
つまり語り手のキャラによって書き分けられなければダメということです。
そしてそのキャラそのものに成りきらなければならないということは、作者が知っていてもその語り手が知らないことは知っていてはいけない、ということです。
書き手が初音ミクサイコーと思っていても、語り手がネット文化に対して無知ならまったく興味を示さないでしょう。
そして作者が知っていても、語り手が”覚えていない”ことは覚えていません。例えば2歳時に大怪我をした事故があっても当人が覚えていなければ語り手の口からその話題を出すのはご法度になります。
一人称は便利で書きやすく、ついスラスラと筆が流れてしまい、語り手が知らないことや、できないことまで、さも前もって知っていたかのように書いてしまいがちです。そこに魔物が潜んでいるのです。
すべてはキャラなのです。語り手も他の登場人物と同じくキャラだということを忘れてはいけません。
語りになりきりつつも、頭の後ろでは冷静にチェックをし、監視をおこたらぬようにしましょう。
語り手をうっかり作者に便利な超能力者にしないためにも、ね。
そしてそういうことに気づいた時点で、初めて一人称の難しさが理解できてきます。
なにせ映画のように複数のカメラを使うのではなく、たったひとつのカメラしか使わず、手に汗握るアクションやら異能力バトル、はたまた悲痛な悲恋やほんわかするポエミーな作品を描かなければならないのですから。
描写の武器はたったひとつのカメラだけ。
もちろんより多くのカメラの使える三人称を使うのもアリです。実はこの三人称も一人称の延長線上にあるのですが、それは自分で考えてみてください。
一人称を使う時にはゆめゆめ油断をするなかれ!
ではでは~♪
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