第5話


 通された応接間は彼の風体とは真逆に、意外なほど質素だった。調度品は地味な色合いばかりで、目を引く美術品の一つもない。

 壺の価値など分からぬが、少なくとも花が活けてある壺は安物だった。儲けているだろうに、倹約に努めているものと考えると、本当に舐めて掛かることのできる相手ではない。やくざものと見縊ることはできないようだった。

 弦之助と鈴千代は、門前での一悶着があった後、事情ゆえに店内でも最奥の部屋に通されていた。部屋の主と向き合う弦之助の傍らに、刀はない。何しろ、騒ぎを起したばかりの者である。得物を持たせて対談を許すほど、無警戒で居られる人物は少ないだろう。


「――して、如何なる用件かな。御客人」


 宗右衛門は静かに切り出した。

 なるほど、と弦之助は脳内で得心した。かの人の奇天烈な風貌とふるまいは、あくまでも客寄せのためである。元の部分はまともで冷静なのだ。


「昨今巷を騒がせている……人魚に関して、お聞かせ願いたいことが」

「人魚、ふ」


 男は弦之助の言葉に失笑を漏らした。


「よもや、あれを信じておられるのか? 冗談は好きですが、少々戯れが過ぎましょう」

「いや、会って話を聞いてきたのだ」

「……会ったと」


 鈴千代は何の躊躇いもなく、男の言葉を否定した。

 二人は実際、あの奇天烈な生命体に遭遇している。それを宗右衛門が知る由もないのだが、何せちらりと覗く横顔だけでも絶世の美少年とされるだけの顔立ちを持つ鈴千代である。ちんぴらもどきと言われて仕方のない弦之助が言うのとでは、全く説得力が異なる。

 これがあるから、この娘は時々弦之助を困らせる。

 ――鈴千代の目は恐ろしいほどに真直ぐと相手を捉えるのだ。さながら矢の如く、或いは槍の如く心根深くにまで突き立つ。一度しかと視線を合わせてしまえば、自分からそらすことが難しくなるのである。

 この男が彼女から目を離さないのは少しばかり面白く、その十分の一ほどつまらない光景であるが――、


「うむ、一通り話しうてみましてな。や、拙者もよもやあの見た目で話ができるとは思うておらなんだが、殊の外彼奴はよく喋ったもので」

「ほお、が喋ったか」

「ということは、アレをご存知だと」


 宗右衛門は縦に首を振った。


「ま、話ができるとは思わんでしょうよ。あの姿では」


 ざっくばらんに商人は肩を竦めた。

 真の姿を知っているからこそ、見かけによらずよく話す、と言い得る。

 あの奇天烈不可解不愉快千万、人をがっかりさせて失望させる要素だけを詰め込んだ生物なまものだったのだ。見ただけで「これは人語を解する」と思う人間が居るのであれば是非とも会ってみたいものだ。

 


「要するに、我らが商売敵を襲っていて――その犯人を奴らであると。そのように汚名を着せていると聞かされたのでしょう」

「違うのか」

「さて、どちらでしょうな」


 鈴千代が聞き、宗右衛門は言葉を濁した。

 ――はぐらかすような言い方はよろしくない。

 鈴千代を知る者ならば、誰でも知っている。彼女は、本気で誰か何かを疑っている場合、誤魔化されるのを嫌う。自分はしょっちゅう適当に話を逸らすが、それは間柄というものが有ってのことだ。

 ひたすら実直で、自らに正直。良い表現をすれば彼女の性格はそういうことになる。少なくとも、普遍的な旅路よりは長い間、隣を歩いている自分としてはそう思うのである。

 弦之助は鈴千代の眉がきゅっと寄せられたことに気付いて、朴訥とした気分でそんなことを考えていた。

 極論、彼は目の前のやくざに興味がないのだ。

 弦之助は他国の人間だ。浪州の経済や政について、そこまで熱心ではない。鈴千代がアレをしろ、コレをしろと言うのだから動いているだけなのである。問題を解決するのはこの国のためなどではない。

 目の前で人が困っていたなら、彼とて相応に節介を焼くだろう。だがわざわざ混み合った案件にまで手を伸ばすことは、単なる配慮というには少々余る。つまりその理由となっているのが大儀ではなく、彼個人の事情と心情であるというだけだ。

 斬れと少女が言えば、彼はそれを斬る。

 単純明快、それだけのこと。斬られる対象の細々とした心境など一切考慮されないのである。とんでもない連中である。大抵の人間にとって迷惑である。


「どちらだ」

「どちらかな。私が教えたところで、では。お二方、無理を仰るな。残念だがそれに答える術はなかろうよ」

「答えよ、と言うておるのだ。なに、真偽はこちらで判断する」


 事前にあれだけ当人が斬ればいいというものではないと言っていたのに、弦之助よりも余程彼女の方が気合が入っている。珍しくはないのかもしれない。

 弦之助は眉間に指を当てて割り込んだ。

 

「……では宗右衛門どの。お尋ねしたい。商船が悪さをされているというのは既に我々も把握しているのだが」

「ああ、我らの船が襲われているか、と。ええ、その通りですとも。しかし、分かっておられましょうな?」

「それはもう。別に偽装として自身の船を手下に襲わせるということも、当然有り得る。が――どうもそれは無さそうだ」


 汚いことをこの男がやっていないとは思わない。

 全く手を汚さずして財を築くことは難しい。とても難しいのだ。ただ真面目に働いて金持ちとなって、事業を成功させられる人間はごく僅かだ。いや、居るかどうかも怪しい。三方よし(※)など机上の空論である。

 しかし、明白に同業者に脅しをかけたり、営業の妨害をするような輩の店にどれだけの人が集まるだろうか。店の前は漁師や商人が行き交い、娘たちが親分である宗右衛門の姿を恐れるということもなかった。

 騙しているのはどちらか、ということになる。

 人魚がこちらを釣り針にかけたか、それともこの男が騙して丸め込みにかかっているのか。

 鈴千代は少しだけ熱が冷めたらしく、さて、といつものように前置いた。


「全く、面倒なことをするでない。違うのだな」

「ええ、まあ。といっても我らにはそれを証明する手段がございませんので」


 この男はこの男で、妙に律儀である。

 適当に証拠はあると言っておいて、後で人を使って用意することもできただろう。そもそも、弦之助たちの対応を直に行うことですら普通は有り得ない話なのだ。


「さて、よろしい。となれば話が面白いことになるではないか」

「騙されたということですかな。ああ、面倒だ。宗右衛門どの、これは面倒なことになり申した。貴殿には係りのないこととなりますがね」


 この流れは身に覚えがある。

 斬るのだ。斬らねばならんのだ。きっとそうなる。間違いなく、鈴千代は斬れというだろう。別にそれはいい。相手が深い海の底に居るという事を覗けば。

 弦之助はため息を吐いた。


「お騒がせした。まあ、さして時間もかからぬ内に、連中は拙者らが始末いたそう」

「となれば、まさかアレを殺すと? しかしそれは……」


 厳しい、と宗右衛門は言いたげである。

 商売の邪魔をする存在である。彼も対処をしようとしたに違いない。部下を動員して、多くの船を出して討伐に向かったはずだ。そして、それに失敗している。

 何故なら、人魚としては釣られなければいいだけのことだ。大勢で行けば物音も波も変わる。水に棲んでいるのだから、恐らくあの生き物たちはその程度でも察知できてしまう。ひとりで釣りをする漁師、そして弦之助たちが確保に成功したのは、考察するにそういった事情によるものだろう。


「――何、拙者は侍。鬼が出ようと蛇が出ようと、斬って捨てましょうとも」

「侍……成程、そうか」


 侍には美業がある。

 自分の業は使うことが少ない上に、使ったことを気付かれることも少ないのだが、侍である以上きちんと何時でも使えるように砥いである。

 切り札は何時でも何処でも何にでも使えるからこそ、意味があるのだ。

 理解した様子の宗右衛門に弦之助は困り顔で頷く。そして彼は鈴千代に目で合図を送った。彼らの目的は既に果たされている。これ以上居座る理由はなかった。

 

「おや、御発ちになりますか」

「ええ。分かった以上、早く解決してしまうに越したことはない……ああ、それと」


 弦之助は唐突に言葉を切って、立ち上がった。

 かたん――と、無音で部屋の襖が斜めに滑り落ちる。

 ひとつではない。、隣の部屋と繋がってしまったのである。

 その向こうには、手に手に得物を携えた筋骨隆々の男衆が数名、呆気に取られた顔で立ち尽くしていた。

 悪意はなかったのだろう。得体の知れぬ二人組、なにやら件の騒動に詳しいとくれば、警戒するのは仕方がない。

 そのことを分かっているだろうに、弦之助は厭らしく、鈴千代の勝ち誇った顔のように、口の片端をぐいと引き上げた。


「侍相手にはしなさるな。何、戯れだとも。そう恐れるな。少しだけ貴様らが気に入らなかったから、からかっただけのことよ」


 かくして彼らは騒々しく店に入り、思う存分に静まり返らせてから帰ったのである。

 はてさて、然るに残された男たちは二人が去った後に騒然としていた。

 本当に人魚を退治してくれるのか。信用ができるのか。何か無茶な注文を押し付けられるのではないか。

 男衆が口々に述べる不安に、宗右衛門は怒鳴りもせず言った。


「大丈夫だ。というよりも、何もできんよ。アレを見ただろうが」


 面々の前に重ねられているのは、何の予兆もなくすっぱりと断ち切られた襖の破片であった。これが首や胴であったら、と思うと荒くれ者たちも肝を冷やすことだろう。


「ともかく、さて。片づけだ。そら急げ。蔵に予備がなかったか見て来い」


 その一言で固まっていた彼の部下たちは動き出した。

 命の遣り取りと喧嘩は違う。彼らの領分は喧嘩である。叩いて殴って、場合によっては斬りあいになるかもしれないが、大半は腕の一本二本を捻ってそれで終わりという世界だ。

 それを、突然殺し合いどころではない蹂躙の場に引き出されたのである。固まってしまうのも無理はないだろう。

 宗右衛門の額から一気に脂汗が流れ落ちた。極度の緊張が、身体の代謝機能を一時的に狂わせていたのである。


「――しかし、あれが鬼東堂か……惜しいが客にはならんだろう」


 独りでそう呟いて、彼は悲しげに着々と片付けられていく襖の残骸を見遣った。


「修理代、払っちゃくれねえだろうな……ああ」


 ――本当に迷惑な二人であった。

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