第4話


 この日、鈴千代の機嫌は稀に見るほどよかった。

 幸運なことである。彼女の同行者にとっては、十五にもならない少女の気分こそが、旅の中での最も重要な案件となりつつある。敵がいれば、確かにその相手を一番に考えなくてはならないだろうが、常に目の前に刀を手にした者や追っ手が放たれているわけではない。

 歓迎されない旅路ではあるが、決して彼らとて戦いを望んでいるというわけではないのだ。表面上その様に見えたとしても、それは目的の為に戦闘が必須であったり、あるいは事情が闘争を必要としていたりと彼ら自身が望んだことではないのである。


「やくざ。やくざか。ふ、果たしてどのように歯向かってくるのか……いや、――か」

「楽しそうですね」

「何、いや。分かっておる。実のところ今回ばかりは、とりあえず斬って捨てればいいという話ではないだろう。だが、まあ……向こうが先に抜けば仕方があるまいよ」


 勢いで斬ればよい、とは言うものの、彼女は何も考えもせず実行に移すほどの暗愚ではない。

 港町、漁港、どちらでもよい。船が集まるということは富が集まるということだ。町の規模も中々大きい。総州の都ほどではないが、人も集まって賑わっている。海路が少々滞ったところで陸路を伝って商人は仕入れに訪れる。

 そこで人と物の流れを取り仕切っているのが、件の宗右衛門某だ。

 政に関わる人間でない。それはその通りである。しかし、かの人物が港町の中心に居り、多くの商船多くの取引を指揮しているのも事実なのである。

 想像するにも膨大な仕事を滞りなく回しているという彼の手腕、決して軽んずることはできない。

 斬ったとして、後釜を手配せねば国の重要な貿易拠点が一時的に規模を縮小することとなりかねない。それ以前に後を引き継げる人員が敗戦後数年の浪州にどれだけ居るのか。そしてそれまで一切を取り仕切っていた男を殺した連中が、取って付けた様に連れて来た者に漁師などの荒くれ者がどれだけ従うというのか。

 このようなことを考えると、首を切って御仕舞いとはいかないのである。

 鈴千代は短気で勢いとその時々の気分で物を言うことが多い。だが、全く考えなしというわけでもないのだ。問題は考えたとして、その結論を全て無視して腹の立った相手を殺しかねないという部分であるが。

 そんな風に、昼下がりの町の大通りを二人は若干物騒な空気を漂わせて歩いていたのである。人魚との対話から一夜が明けていた。


「まあ、斬れと仰るならこの東堂弦之助、相手が何であろうと斬りますがね。ただ、きちんと斬るは考えておいてくださいよ。俺ァ斬ることはできても、治すこたぁできないですからねぇ」

「分かっておる、分かっておる。貴様の取り扱いは心得ておるとも」


 ぞんざいな態度である。

 彼女の表情を伺うと何処か鷹揚な様子すら見て取れる。何か、納得尽くの返事であるか、それとも何らかの理解がその根底にあるような、人によってはそれを鼻持ちならないと表現するかもしれない顔であった。


「つまるところ、貴様はわたしに使われたいと言うのだろう」

「……ああ、まあ。そういうことにしておいてもいいですがね」

「何、そう照れるな。分かっておるとも」


 ――違うのだ。そうではない。

 否定はしない。成程、確実に自分には、鈴千代――鈴姫に惚れている部分があるのだろう。そうでなくてはこの横暴ぶりについて行ける道理がない。顔がいかに美しかろうと、その性質を受け止めて幾ばくかの愛着を持っていなければ、この旅は厳しいものだ。

 少女との二人旅など字面だけを見れば何か色っぽくて、何か華やかで、愛だ恋だと面白げな話に思えるかもしれない。実態は違う。掠りもしていない。何しろこの鈴千代、気位は高く気難しく、さらには癇癪持ちで馬鹿力。ひょっと口が回れば皮肉に罵倒と諧謔が八割、残りの一割五分が自己賛美の言葉であって、最後の五分が申し訳程度の褒め言葉と礼である。

 それでも未だ嫌気が差さないし、まだ旅を続けていたいと思うあたり、自分はこの少女を好いている傾向にあると言わざるを得ないのだ。

 然るに、今言いたいのはそのことではない。


「――鈴千代どの、往来ですぜ。ちょいと困ったことと思われやすので」

「……ふ、そういうことか」


 現在の鈴千代は、その呼び名のまま若い武家の少年の格好をしている。世間からすれば、弦之助の供として連れられているのが彼女という風に見えるのだ。

 何しろ外見として認知できるのは、彼女の口元と影になった若々しい顔のみ。弦之助と兄弟として見られる可能性もあるだろうが、普通の旅人として見た場合、実際の主従関係とは逆に受け取られる確立の方がずっと高い。

 そうなると二人の会話はかなり怪しいものとなってくる。惚れる惚れない、使うなどという言葉が行き交ってくると、である。

 短絡的に言えば、衆道(※)の関係だと勘違いされかねないのだ。この時代においては特別珍しい趣味ではない。多くの国主は小姓を控えさせているものであり、ある程度の歴史ある家系の者であればこれも同じであった。

 弦之助もそれは否定しない。彼も自分の父が殆ど彼と同い年の小姓を相手に色々と楽しんでいたことは知っている。その手の趣味の人間に嫌悪感があるということもなかった。

 だが、周囲の人々に自分が男色趣味だと思われるのは嫌だったらしい。


「よかろう。妾としても些か不本意だ」

「どうも」

「どうせ、連中の店も直ぐ近くだ。さてさて、貴様の言葉を借りるのなら――鬼が出るか蛇が出るか、だな」

「俺としちゃあ、話が通じる人間が出てくることが望ましいんですがね」

「だといいがな――」


 と、鈴千代の言葉が途切れた。

 珍しい、と思ったのだろう。通りの先、丁字路の突き当たりにある宗右衛門某の店先に目を遣り、弦之助も石のように固まった。

 ――全体的にけばけばしい。

 赤塗りの外壁は、なにやらよく分からない材料で意味もなくきらめいている。女郎を囲う店でもないのに、何か怪しげな格好の提燈がいくつも風で揺れていた。

 その上何の冗談か、出入りする男共は上半身を日差しの下に曝していた。荒波に揉まれて鍛え上げられた肉体が惜しげもなく輝き、店先を覗く女性たちの黄色い声が弦之助たちにも聞こえていた。

 何やらその男たちも無意味に仲が良さげで、無駄に話す距離が近く、無意識の内に手が伸びているのか頻繁に同僚の体に触れていた。

 しかも、である。

 矢鱈と店の周辺の男共は美形だった。漁師の癖に色気づいて、一丁前に化粧をしている者まで発見できた。弦之助はそういう男が嫌いだった。具体的には美形が嫌いだった。何故か彼の自尊心や、嫉妬心というものを悪戯にくすぐるからである。小物である。


「あ、あー……鈴千代どの。その、どうしましょ」

「……いや。そうだな。うむ。入らないわけにはいかぬのだが……いや、勿論行くのだがな。うむ。うむ……」


 店構えとその前の男たちにさしもの鈴千代も面食らっていた。

 弦之助も正直なところ、入りたくないと言いたげである。ほんの数分前まで男色と見られるのは、と話していたところであった。

 しばらく二人ともが硬直していたが、そのうち小さく弦之助が鈴千代の背中を押した。


「……ここは、鈴千代どのの美貌を駆使していただいて、ですな」


 鈴千代は思い切り弦之助の着物を引っ張った。


「いや……こういう時こそ護衛の出番だろう」


 ――沈黙。


「いえいえ、ご謙遜なさらずに……」

「貴様、妾を盾にするか……」

「鈴千代どのこそ、俺を盾にしようとしないで頂きたいですね……!」

「馬鹿を言うな、これは先を譲ってやっておるのだ。ありがたく妾の前を歩くがよい……!」


 二人が互いに互いの背を押し合えば、当然ずんずんと前に進むことになる。

 やがて弦之助たちが気付かぬ間に、彼らは周囲の人間の視線を存分に集めながら店先まで進んできてしまっていた。美丈夫たちも騒がしい二人組に興味を惹かれてか、それとも美貌とやつれ顔の不釣合いな組み合わせに思うところがあってか、綺麗に道を開けていた。

 ある意味で往来の邪魔ともなっていた二人である。そこに声がかけられるのは時間の問題であった。

 

「――ちょっと、あなたたち!」


 芯のある、力強い声であった。

 しっちゃかめっちゃかにお互いを押し合っていた弦之助と鈴千代の顔が、その主に向けられ、一瞬で青ざめた。すかさず鈴千代は弦之助の背に隠れてしまった。


「あら! そちらのコは可愛らしいのね。もうひとりの彼も……中々アジのある男じゃない。でも、店先での諍いはダメよ!」


 大柄ではない。しかし均整を失わない程度の大きさに、最大量の筋肉を詰め込んだ肉体が、そこにあった。弦之助をしても、その黄金比ともいえる最高の形を保った筋肉は見事という他がない。兎に角、そんな男が建物の奥から現れた。

 役者をしていれば日にどれだけ稼ぐだろうか。そのような考えが浮かぶほどの美男である――何故か上品な着流しを肌蹴させていたが。

 凄まじい外見と口調の男を前に、きっちりと背後に収まった護衛対象をどうすることもできず、


「あ、はい……すみません」


 と弦之助は小声で謝った。



※ 衆道(しゅどう) 男色、厳密には現在で言う一般的なホモセクシュアルとは異なるとされる場合が多い。

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