第7話
団子屋の主人は一度恨めしげに眺めて、眺めるだけ眺めて去って行った奇妙な客を覚えていたらしい。気さくに声をかけて、今度は金があるのかい、と笑ってくれた。変に気を使われるよりはそちらの方が余程楽だった。
味も悪くはない。田舎のものと馬鹿にしたものではないようだ。みたらしはいい塩梅の塩気と甘みで腹を満たしてくれる。
「貴様、食い過ぎだ。
「いやいや、俺とおたくじゃあ体つきが違いますからね。これはむしろ等分ってもので」
「たわけ。最後の一本をどうして食してよいと思う。妾に譲るのが男としての誉れであろうが」
何しろ財布の重みが心もとないのである。彼らは確かに盗賊から救い出した村から幾ばくかの金銭と食料を提供されて――否、徴収していたが、得てして田舎村の蓄えなど知れたものだ。ならば団子など贅沢品だから食わなければよいのだが、一応働いた後ということで我慢するのはつらかったということらしい。
三本、串に刺した団子が三本である。
二人で分けようとすれば、当然どこかでどちらかが譲る必要がでてくる。だというのに、二人ともが全く自分の腹の空き具合を隠す様子がないので、困ったことになっている。子供でも分かるだろうに、何しろ鈴千代は鈴千代で花よ蝶よと育てられた身であるし、弦之助は弦之助でその警護を任されるだけの名家の出身である。互いに誰かのために一歩引くということを知らない、とまではいかずとも、我が強いのは否定できない。
最後の一本を手にしたまま弦之助は、口に運ぶ途中で相棒の妨害を受けて、その手を小刻みに震わせている。
「……離してくださいませんかね、鈴千代どの。意地が悪いですよ」
「阿呆、食い意地が張っているのは貴様だ」
二人ともである。
しかしそんなこと当人たちが気付くわけもない。何しろ、双方とも自分は大人であるという意識の元でこの子供じみた遣り取りを繰り広げているのである。
解決する方法としては今後の路銀を諦めて、もう一皿注文するというものがあるのだが、そして実際できないというほど財布が軽いわけでもなかったのだが、残念なことに目の前のことに一所懸命で発想が硬直しているらしい。もっとも、実行したとしたら次の宿場まで一食ほど我慢することになるので、仕方がないとも言える。
――この人とくれば、全く道理を分かっていない。大体小食のくせに何故こういう時ばかり胃袋が大きくなるのだ。いや、それは女性全般に言えるのかもしれないのだが、蕎麦屋にいってもろくに喰わないくせに、甘味処に連れて行くとやたら食い出すのが不思議なのだ。
弦之助のいうところの道理とは一体何なのだろうか。真相は彼のみぞ知ることである。
「待ちなせえ、鈴千代どの。先刻干し菜を一本お食べなすったではありませんか」
「貴様こそ、干し肉を一切れ隠しておっただろうが。昨晩妾に見えぬよう、眠ったふりをして食っておったろう。気付いていないとでも思ったか」
「ほお、貴方様ともあろうお方が除き見とは驚いた。そいつはいただけませんぜ」
「ほうほう、否定せんとは潔いのう。おい、首を出せ」
めきり、と弦之助の腕の骨が音を立てた。とんだ馬鹿力である。
「ちょ、鈴千代どの? 洒落になっていないんですがね……!」
「妾は常に真剣だ。さあ、その団子を寄越すがいい。この浪州にある甘味は尽くが我が物よ。さあ」
どのような育ち方をすればこんな横暴な性格になるというのだ。
――いや、自分とて彼女が元からこのような言動をしていなかったのは知っている。というよりも、実際二年前の戦が起きる前に目にしたことがあるし、その時齢10程であった鈴姫は純粋無垢で可愛らしかったのを覚えている。血が通った人間ならば、ひと目見た瞬間庇護欲を覚えずに入られなかっただろう。
今の鈴姫――鈴千代はもちろん美しいのだが、言わぬが仏というものである。可愛らしい顔つきであることは否定しない。
そうでなければ監視役などとうにやめてしまっている。つくづく、戦役で彼女の顔に傷がつかなかったことが幸運であると思う。
「は、はしたないですぜ」
「ふん、貴様こそ侍の矜持はどうした」
「今はこの串が俺の剣なんでねぇ……」
「……まあ、貴様ならばそれでも大丈夫だろうがな」
鈴千代は儚げに苦笑した。
弦之助の顔が僅かに赤らむ。それほどに彼女の表情は仄かで、爽やかで、春風に揺れる蒲公英の花を髣髴とさせるほど温かなものであった――のだが。
彼がそれに見蕩れているのを知ってか知らずか、直ぐに彼女は邪悪な笑顔に犬歯を剥き出しにした。
「だが、貴様の刀は腰にくっついているそれであろうが――!」
「鈴千代どの、それは駄目ですぜ! 何が駄目ってわけじゃあございませんが、そいつは駄目だ!」
「黙れ! 貴様のそちらが役に立たんことなど知っておるわ!]
数秒弦之助は黙り込んだ。
そして滝のような汗を流した後、震える声で何故、と言った。
「ど、どこでそれを……」
「ふ、以前貴様、妾と別の部屋を取ったことがあったのう? ああ、知っておるぞ。女を買ったな? しかも、何もせずに返した。応々、分かっておる。分かっておるともよ。翌日、なにやら怪しい漢方を買うて腹を壊しておったのもな」
「……」
漢は何も言わなかった。
ただその背中に、形容し難き哀しみを背負って項垂れた。その手にあった団子は鈴千代に奪われ、しかし抗議の言葉をつむぐことなく彼は沈み込んだ。
団子屋のおやじは慰めようとはしなかった。彼の背後から静かに、奢りで団子の皿を差し出して店の奥に戻っていった。その皿の団子に、鈴千代が手を伸ばして、
「サラシ、買わなけりゃあいけませんね」
「何?」
「もう、一年と少し。長さを変えて頼んだ覚えがないですが、買わなくちゃあなりませんな」
「……よい。弦之助よ。その皿、貴様にくれてやる。ありがたく拝領せよ」
あいよ、と弦之助は塩気の増した団子を食った。
この二人、何故か互いに腹の痛いところを刺し合うのが趣味のようだ。
到底一般の民には理解の及ばぬ行為であったが、何となく二人にとっては常習化しているような気配のある光景であった。
しばらくの間無言で団子をむさぼり、膨れた腹を擦って鈴千代は口を開いた。
「それで、次はどこだ。一度都に戻るのか」
「いえ、先ほど飛脚を捕まえて路銀を寄越すよう都に文を送りました。宿場で受け取って……」
彼は地図を取り出して、連れに次の目的地とその経路を示しながら気付いた。
――最初からもう一皿頼んでも、問題なかったではないか。
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