第6話


 雑に向かってくる盗賊を切り捨てながら進むと、洞穴の先には開けた空間があった。若干黴の臭いが気になるが、岩盤にうまく外へと続く穴が開けられているのだろう。息苦しくは感じなかった。あるいは自然とそうなっていたからこそ蔵として、また拠点として利用されるに至ったのかもしれない。

 篝火が揺れている。削り出された岩壁に映し出される影を眺めていれば、多少の無聊ならば紛らわせることもできそうだ。もっとも、そればかりで一月も経てば気を病んでしまうだろうが。


「よう、随分がんばったらしいな」


 若い男の声だった。酒に焼けているという風でもない。健常な者が発する音だと判ずる。自分たちに先んじて呼びかけたということは、牽制のつもりだろう。

 声の主は空間の最奥部、腰掛に座って顎をなでていた。顔つきは若々しく、妹の容姿に負けぬ程度の美男子であった。その傍らには赤樫柄の槍が無造作に立てられている。

 槍は厄介だ。雑兵に持たせるだけでも十分に効果があるのに、一端の侍が携えるとなると穂先は雷光よりも疾く敵の喉下に突き立てられ、振り回すだけでも棍棒のように重い打撃となる。

 肺に大気を溜め、低く吐き出した。


「貴殿がおコウ殿の兄か」

「貴殿? はは、驚いたな。随分丁寧じゃないか」


 如何にも――と男は頷いた。


「そうだよ。その通りだ。そういうアンタたちは都から来たという侍だな?名乗っておくか」

「いや、構わん。気にするな。別に、貴殿の名はどうでもよいのだ」

「ひでえな。まあ都人なんぞ、そんなものか。で、だ。俺の部下はどうした」

「無論、斬って捨てた」


 男の眼が細く絞られる。

 弦之助の顔を注意深く観察している。その言葉に嘘はないか、事実かどうか。

 

「……全員か」

然様さよう。如何に」


 これで引けば良いのだが。

 弦之助は面倒事が嫌いだった。戦が好きかと問われると、すかさず首を横に振る男である。それも人死が厭だ、剣を振るうのが苦手という訳ではなく、根本的に駆けずり回るのが嫌いだからという徹底振りである。

 時としてその辺りの性格が彼の連れを不機嫌にしてしまうのだが、そればかりは性格の不一致というものである。

 男は顎にやっていた手を下ろし、膝を打った。


「そりゃあ、あー、驚いたぜ。逃げたやつもいると思ったんだが」

「ああ、

「……なるほど、なるほどね。悪い連中じゃなかったんだ。いや、それでも盗賊だからな。仕方ねえ」


 言いたい事はあるようだが、若者は喉の奥にそれを引き止めたようだ。

 ――部下に愛着はあったのだ。これは驚くべきことだ。自らが帰郷するまで、まがいなりにも故郷の村を襲っていた連中を庇うような格好である。

 

「どうする。剣を引き、村で百姓として暮らすというならこちらは構わん。今後は貴殿が村を守って行けばよい。村人がそれを受け入れるかどうかは、済まぬが保障できん」

「そうはいかねえよ。応、それは無理ってモンだ」

「おコウ殿はどうするつもりだ」

「あれは大丈夫だ。今更どうこう俺が口を出すつもりも資格もねえ」


 もしかすると、この男は妹を巻き込まぬようにと思っているのか。ありえない。

 最早手遅れもよいところだ。この者が賊の一員であるという時点で村には居辛くなっている。それでも暮らしには困らないようにしてやっているのは、村の者がやさしい性をしているからか、何か代わりのものを差し出しているか、そんなところだろう。

 連帯責任というのは未然に失敗や規則に背く者を生み出さないことを旨とした決まりごとである。都ならばいざ知らず、このような辺境ではそうでもしないと同じ村の中ですら物資の奪い合いが起きてしまう。故にこそ、この男の言葉は信用ならない。

 妹が村で孤立する可能性がある。それを知りながら略奪を続けさせたばかりか、村人に手を挙げ女子を引っ攫おうとしたのだ。

 鈴千代が弦之助に眇めた瞳で合図を送った。見苦しい、と暗に怒り始めているらしい。


「――然様か」

「応よ。元服過ぎりゃあ、なあ。どいつもこいつも独り立ちするもんだ。そこの坊主だってそうだろう? 今こそお守り付だが、あと年が三つも過ぎれば一人旅だ」

「坊主ではない。痴れ者がわらわに知ったような口を利くでないわ」

「そう言うな……あん? だと? おいおい、坊主じゃなくて尼ってか。この暗いのにどうして笠なんぞ被っていると思えば、へぇ」


 男の口元が好色にだらしなく下がった。

 ――これは終わった。交渉の余地がなくなった。

 連れに言われるまでもなく、弦之助が手に提げた段平を肩に担いだ。一方の鈴千代はといえば、行儀悪く舌打ちを何度も繰り返している。鳶色の瞳は氷のように冷え切っており、頬肉がひくひくと震えている。

 の矜持が常軌を逸して高いことは語るまでもないことである。彼女の側役はそれをよく知っていながら憎まれ口を叩くので、頻繁に喧嘩になるのであるが、それなりに気に入られており引き際を心得ているからこそ多少の無礼を許されているのだ。

 元より気に入らないがコウの頼みがあったから見逃そうと思っていただけの相手に、女として見られたのである。しかも愛情ではない、情欲の対象として男は彼女を眺め回した。

 冷徹な声が命じた。


「不快だ。斬れ」


 ――言葉よりも早く駆けていた。

 反射ではない。習慣となった遣り取り。思考よりも先に身体が動き、間接が駆動し、滑り込むように剣線に沿って切り込む。

 雑兵ならば歯牙にもかけぬ突貫、加速から繰り出される剛剣が男の首元に迫り、硬質な音を立ててその間際で受け止められた。

 槍の穂先、その付け根である。瞬き程の間に男は立ち上がり・槍を取り・防御するという行動を完了していた。


「――侍か」


 数瞬前までの軽くふざけた調子は消え去り、若者の顔に緊張が奔る。足捌きにより後退し、気合の声と素早い突きが腹を狙って突き出された。弾く。

 すかさず次なる突撃が足首に放たれる。蹴飛ばし、距離を詰めるべく踏み込むが、これも跳ね飛んで引くことにより避けられた。管槍ほどではないが、引き手が早い。

 目まぐるしい刺突の嵐が弦之助の顔を掠める。その全てを捌き、弾き、慌てることなく弦之助は敵の間合いに踏み入れた。

 槍は直線的な動きしかできないか。それは大きな間違いである。棒術を指して「突かば槍、払えば薙刀、持てば刀」などと賞賛することがあるが、棒にできる動作は当然槍を持っていても可能である。一般に棒術の鍛錬に用いられる長さとは異なっていても、持ち手の調節によってその用途は幾千にも分岐する。

 冷静に考えてみよう。薙刀と違い突くことに向いた穂先ではある。しかし砥がれた鋼の塊であることに違いはない。西洋式の細剣ですら、斬撃に使用することが可能だ。

 もっとも、使い手の技量により兵器の威力は変化する。刀が槍に敵わぬという保証もどこにもない。


「くそっ!」


 男が悪態を吐く。

 薙ぎ払いの一撃を根元で潰した。穂の重みで威力が増すのなら、一歩斜め前方に入り込めばさして苦労もなく受け止めることができる。そのまま刃を滑らせて前手を落とそうと試みたが、少々遅かった。

 切っ先は男の左親指を深々と切りつけるに留まった。苦悶の声が上る。

 識らぬ、存ぜぬ、委細関係無し。

 と、追撃をかけようとしたその刹那、


「ぬ――」


 僅かに目を見開きながらも、脱力と共に身体を沈み込ませることで弦之助は一撃を貰うことなく槍の間合いから離脱した。

 見遣れば、男は槍を構えていた。通常、親指を失くせば構えを取るどころではない。物を持つことすら困難になる。だというのに、若者は確りと足を前後に開き、身を低くして警戒していた。槍は大地と平行に、落ちることなく支えられている。

 ではどのような手段でその奇跡を成したのか。


「ほう、存外つまらん美業みわざであるな」


 傍観していた鈴千代は苛立ちながらも感心した風に頷いた。

 透き通った細長い腕が、男の肩甲骨の根元より生えてかの者に残された右手と共に得物を構えていたのである。

 これこそが侍の侍たる由縁――美業みわざ御美業おんみわざと呼称される超常の力であった。その内容は千差万別、強いて分類するのならば炎を扱う者などは多数いるが、出力や形状は決して同一ではない。剛力無双をその美業とする者も居れば、使用者以外認識のできない非物質的能力を用いる者も存在する。

 言うなれば奥の手、剣術槍術弓術の奥義にも値して侍にとっては秘匿すべき力である。すなわち先の先を取り必殺するか、後の先を取り抹殺するか。開帳するのであれば必ずその敵を討たねばならない技なのである。

 男はそれを外したのだ。

 篝火の灯りがにわかに揺れた。刹那の間、空間の光量が落ちる。何の前触れもなく重い衝突音が洞穴に響き渡った。


「な、何で……ッ!?」


 決着は必然、男の声が途切れる。

 一度間合いの外に逃れた弦之助は、敵が一呼吸を終える前に左下方より槍を跳ね上げ、強引に腹部に刃を突きこんでいた。

 ――次こそ、正真正銘貫いた。

 外した以上不意打ちの効果もない。自らの腕ほど器用に動かすことができれば確かに凄いのだが、それが可能なら刀でも握らせて振らせればいいのだ。槍で牽制して受け止めるなり何なりしたところで、上か横からさくりとやってしまえばいい。

 そうしないのだから程度が知れる。最早突きの引き手が損なわれたと判ったので、躊躇いなく切り込めたのだ。

 田舎槍術でも本来の腕ならばそれなりではあったが、美業との兼ね合いが取れていなかった。要するに、鍛錬が足らない。

 弦之助が刺した刃を丁寧に捻ってから抜き、ごぼりと男の口から血が溢れた。


「くそ……てめえ、ふざけやがって」


 これであとは村長に報告すればいいだろう――と弦之助が頷いていると、


「てめえみたいなやつが、もっといれば……あの戦、勝てたのか」


 などと膝から崩れ落ちて、男は呟いた。

 弦之助は大した理由もなく訊ね返した。


「お前さん、何故仕官しなかった」

「したさ。家ごと戦で潰えて、終わりよ」

「……そういえば、戦の後は侍の仕官を禁じていたな」


 この浪州は敗戦し、名目のみの自治権と領土を有しているだけの状態である。政は勝った総州の言いなりで、軍も縮小されて戦で多くの侍と兵を失っただけでなく、補充すらも満足に行えなくなってしまった。

 男は仕官していた家がなくなり、敗戦後は居場所を失ったのである。戦場であれば怪しげな薬も出回る。阿芙蓉あふよう(※1)のたぐいも見掛けた記憶がある。人となりも変わってしまうかもしれない。


「おい。貴様の国のだぞ」


 にやついた可愛らしい顔で、鈴千代が手加減を感じさせぬ威力の張り手を見舞ってくる。


「痛いですって。全く」

「……あんた、都の侍じゃあ、ないのか」

「俺は総州から派遣されている侍だよ」

「じゃ、じゃあその坊主……じゃなくて、そっちのは」

「正真正銘、この国のお方だ。俺は護衛で、監視役」


 弦之助は刀を担ぎ上げた。

 狙いは男の首である。首級を挙げることに意味があるのだ。

 

「お方ね……お方、だと……? まさか、てめえら――」

 

 ――首が落ちた。仕損じはなかった。


 村に戻ると火を焚いてコウと村長、それに数人の男衆が帰りを待っていた。コウは弦之助が抱えている包みを見るなり、その中身を察してか膝から崩れ落ちた。

 それを無視し、弦之助は村長に首を手渡し話しかけた。


「村長殿、約束どおり賊は成敗いたしました。申し訳ないが中はそのままにしてある。我らも疲れた故、済まぬがよいように村の者で処分していただきたい」

「おお……おお。かたじけない、東堂殿。村の者一同、此度のお働き感謝に絶えませぬ……」

 

 一時はどうなるかと思ったが、村人が口々に礼を述べたことで連れの機嫌も直った。今晩は泊まり、明日は食料を工面してもらい都に向けて出立とすればよいだろう。何しろ長旅である。むくれた彼女と長時間共に過ごすのは辛い。美人には笑顔が似合うという話でもあり、苛々とした顔をされるとやはりすわりが悪いのである。

 と、弦之助が肩を下ろした時だった。


「どうして、どうして兄貴を……!」

「これ、やめんか」

「お侍様、どうして!」


 頼むからやめてくれ――と弦之助は内心で泣いていた。

 せっかくよい加減に収まっていたのに、これ以上彼女の機嫌を損ねないで頂きたいのである。離れに向かっていた彼女の脚が止まってしまったではないか。


「済まぬが、おコウ殿。かの者は賊であった。見所があればと思ったが、結局拙者も見過ごすことが相成らぬ始末だったのだ」

「でも、殺さないと……」

「だから、済まぬ」


 コウとの約束を破ったことは申し訳なく思う、がしかし彼女の兄を切ったことは正しかったのだと、暗に弦之助はそう言ったのである。

 悲運の村娘は目前の侍がそれ以上を譲らぬことを悟ると、村長の抱えた首を奪い取り、蹲った。

 唯一の身内であったのか、弦之助は既に忘れてしまっていたが、悲しむのは当然だと声をかけず踵を返した。

 

「――の治める都の者は、やっぱりいかれか」


 少女のつまらぬ恨み言だった。

 だが、弦之助は背を向けたまま立ち止まった。


「おコウ殿、どうか撤回されよ。への暴言、拙者も聞き過ごせぬ」

「何をいうのさ、にお仕えしているお方も、血がお好きなんだろう? いいじゃないか、兄貴から親も殺したとご立派なお方と聞いているから――」

「――不敬であるぞ。控えられよ」


 弦之助は淡々と言った。


「おコウ殿、繰り返しお諌めいたすが、拙者もそなたも夜が更けて疲れている。一休みされて――」

「都に戻ってどう言うんだい? ひめさまに『首を取ってまいりました。疲れたから慰めてください』ってお尋ねするンだろう!?」

「弦之助、斬れ」


 鈴千代の声がした。

 ――首が一つ転がった。

 弦之助は刀を抜き放っている。

 彼の背後に笠を取り払い、結った髪を下ろした鈴千代がいた。

 夜風に翼の如く薄黄色の髪が広がった様は、万人を強制的に魅了する魔性。美貌に見た者の肝が凍りつくような冷笑を浮かべ、彼女は――鈴姫は――身動き一つ取れない村人たちを睥睨した。


「なん、てことを」


 正気を取り戻した一人の男が拳を握り――そのまま首より上をなくして倒れた。

 驚愕に逃げ出そうとした老人の頭が、無音で刈り取られた。

 何れも弦之助の技が成したことである。彼は止まらず、村長の胸倉を掴み上げ、最初に斬った男の家を聞き出した。


「お、待ちください……ぐっ」


 彼が何をしようとしているのか、何であれ阻止しようとした老人の胸を鉄鞘の先端が酷く突いた。

 ――女房と娘が寝ている。首元を引っつかみ、外に引き擦り出す。

 である。切捨御免である。首を刎ねなくてはならぬ。その必要がある。一族郎党、生かしてはおけぬ。

 悲鳴を上げる母子を弦之助はの前に軽々と放り投げた。

 

「待て、弦之助。その娘見覚えがある」


 彼女の前に震えているのは、この日の昼間、弦之助に盗賊たちの行動を教えた少女であった。弦之助の方は気付かなかったらしい。

 鈴姫は少女の顎を持ち上げ、哂った。


「さて、どうしてくれような」

「あ、あの……なんで……」

「うむ、それは貴様の父が阿呆だったからだ。不運よな」


 僅かに鈴姫の顔に憐憫の情が宿った。或いは、それすらも錯覚であったのかもしれない。

 さて、と彼女は前置いて言った。何かにつけて会話の頭につけるところを見ると、口癖のようなものなのだろう。


「まあこの娘はよかろう。中々の器量よし、気に入った」

「如何様にされます」

「そこの者、貴様の娘は都に送るがよい。下女として妾が使うてやる」


 母親が呆然として返事をしないので、弦之助、と鈴姫は念を押した。彼が刀を振り上げると、母親は慌てて礼と共に頭を地面に擦り付けた。

 そもそも身分の差を考えるとそこまで可笑しな光景ではないというのが、何とも皮肉である。


「さて、さて。村長よ、聞いておるか。妾は明日に出立する。者共を掻き集めて朝には食料を支度しておくのだ。よいか」

「……は、はっ」

「よろしい。娘、貴様は一人で都の城まで来るのだ。できなければ捨て置く」


 少女は戸惑いと恐れで歯を鳴らしながらも、必死に頷いた。

 所々が朱に染まった村に満足したのか、彼女は腰に手を当て、弦之助の刀を握る手に自らの指を重ねた。


「――もうよい。今宵は飽きた」



 ※1 阿片の別名。

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