第5話
弦之助は目の前の光景を、大した衝撃もなく受け止めていた。
とっぷりと日の暮れた夜中、彼らが盗賊の拠点となっている洞穴を奇襲する予定となっていた時刻、何故かそこでは松明が燃えて周辺を煌々と照らしてしまっていた。
それどころではない。数人の男が槍や刀を手に巡回を行っている。弦之助たちからすれば、前もって完全に警戒態勢をとられている格好になっていた。
コウが情報を漏らしてしまったのだ。彼らにもその程度の推測はついていたし、予測もしていた。
「……ああ、くそ。まあ、予想通りといえばそうだけどな」
「なんにせよ、やることは変わらん。往くぞ。正面からねじ伏せる」
気負うことなく鈴千代は明かりに向かって足を踏み出した。腰の刀を抜くこともしていない。ただ平然と拳を作っているだけだ。
これはいつもこうなのだ。そのような行いが許されるだけの力があるにせよ、傍で見ている自分は途方もなく肝を冷やす。一年と少々前から傍に仕えているが、未だ慣れることがない。というよりも、慣れてはならないのだ。
油断が一番の敵、さも楽勝と噛み付いてから返り討ちに遭うほど、だらしのないことはない。あくまでも自分は鈴千代の側役で監視役で、護衛なのだ。
音を立てないように刀を抜く。深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。無性に手甲のずれが気になる。縛り紐を少しだけきつく引いて、柄を握り直した。
鍔が鳴る。男たちの視線が一斉に集まった。
「――何モンだ、手前ら」
「弦之助、よもやコレがあの娘の兄ではなかろうな」
「違うでしょう。あのお嬢さんの兄でしょうが。このあばた面はねぇよ」
無視されたことに気色ばむ連中を横目で確認する。十もいない。
――上等、ならばよし。
外に出ているのがこれだけ、内部に控えている人数がどれほどになるかはともかく、十分に対処できる。手加減をしていい。
容赦はしないが、全力は出さずに済む。それ以上に重要なことはなかった。
弦之助の足が砂利を踏み鳴らした。次の瞬間、彼の身体は矢の様に加速する。蹴飛ばされた石が木々に跳ね返り、甲高い音がした。
呆けた顔の男に袈裟を振り下ろす。心地よい手応え、切断した人体が地に赤色を塗りたくった。調子がいい。
「なに――っ!?」
「おう!」
弦之助は裂帛の気合と共に前方に突貫、対する男は手斧を構えたが意味は無い。柄ごと逆袈裟に切り捨て、彼は体勢の反転と同時に大上段に構えなおした。
ここまでの経緯を経て、そこで賊たちは現状をようやっと飲み込んだ。眼前の男は下らない都のだらけた兵ではない。二年前の戦を生き残った兵たちをして一合すらも叶わない、間違うことなき強者である。
瞬く間に武装した兵士を二人切り伏せ、それでもなお表情に喜色は見られない。静かに息を押しつぶし、次なる標的を見定めている。
灯火が血の張り付く刀身に揺らめく。炎の近くに居るというのに、盗賊たちの首筋を冷えた汗が流れ落ちた。
侍の口からしゅう、と蛇の威嚇するような声がした。真正直に掲げられた切っ先がその持ち主の姿と全く同時にぶれる。
「おお、言い忘れていたが……その男、中々強いぞ?」
鈴千代は蹂躙を見物しながら艶かしく微笑んだ。
正面の者に兜割りで打ち込む。横一文字で受けようとしているらしい。右にて打ち下ろし、硬直したところに左拳で鼻っ柱をぶん殴る。骨の砕ける感触、敵の掲げた腕を左で掴み、切り落とした。
血飛沫が上る。背後から突き出された槍の穂先を篭手で打ち払い、一息に踏み込んで持ち主の首を飛ばす。弱い、単純にそれだけが脳裏に浮かんだ。こんなものでは話にならない。
そこで弦之助の身体が唐突に停止した。囲んで殺せと意気込んでいた者たちの呼吸も、不意のことに乱される。瞬間、止まったはずの弦之助が弓を持ち出した男の傍にあった。
「――しゅう」
隣に移動した――だけではない。弦之助は静止状態から一瞬で距離を詰め、流れるままに首を落としていた。
縮地である。時折勘違いして解釈されるが、これは妖術や仙人の秘法のような埒外の技術などではない。物理学上の速度を上げるだけでは意味がないのだ。仮に人が鍛えて早く走ることに全てを注ぎ込んだとしよう。確かにその者が侍ならば、獣の如く駆けることは可能である。がしかし、専門に特化した者でもなければ弓矢の方が余程早い。場合によっては投石にすら速度では敵わないかもしれないのだ。
故に縮地とは疾く動く技法ではない。意識の間隙に自らの動作を滑り込ませる技である。認知できない故に反応も不可能。ならば自然、敵は振るわれた刃を受け止める行動すら起こせない。
「弦之助、遊ぶのも悪くはないが急げ。件の侍が合流するのは面倒だ」
「合点承知」
「て、手前ら! ふざけんじゃねえ!! なんだってんだ!」
男が反射的に言い返した。呂律も碌に回っておらず、だからこそ異常事態に恐怖していることが明らかであった。
一方恐怖の対象たる二人は、対照的である。転がる屍骸とこれからその中に加わる予定の男たちに冷淡な目を向けていた。
「――のう弦之助。
「
「であるな。全く、つくづく下賎の者の言葉はよう分からん。うむ、どうせ言葉が分からんのだから、その口、切って落としても構うまい。舌も要らぬし、まあ喉も首もよかろう。どうせ用を為さんのだ。弦之助、妾は間違うておるか?」
「
「ふ、ふざけんな! おれたちだって生きて――」
――赤光が奔った。口角泡を飛ばしていた男の太い首が面白いように宙を舞い、何の偶然か篝火の中に落ちて明かりを一つ消してしまった。
「まあ、コレで死んだわけだから、構わんだろう」
「貴様にしてはいいことを言う」
「お、おい! こ、これでもおれたちはこの国のために戦っていたんだぞ! お前たちだって都の兵なんだろ!? なあ!」
「ああ、確かに我が国のために戦った者を葬るのは気が重い。が、昔の話だ。こうなっては首を刎ねてやるのが情けというもの。貴様らなど、今となってはただの害獣よ」
「ああ、そうかい!!」
文句を言った男が真直ぐに鈴千代に向かったので少しばかり焦った。
本当にその必要があるのかという点はさておき、繰り返すが自分は鈴千代の護衛だ。万が一にでも傷を負うようなことがあってはならない。
弦之助の心配はこの時点で杞憂に終わった。
「ふむ、いや、駄目だなこれは。このような貧弱な打ち込み、話にならん」
「――な」
鈴千代を目掛けて振り下ろされた長巻は、丁度額の一寸前で止まっていた。
正確には、鈴千代は親指と人差し指、そのたった二本の指で思い切り振りかぶって叩きつけられた刃をたじろぐこともなく掴み取っていたのだ。
少年は大の男が全力で押し付けている刃を軽々と捻り、場の誰もが喉を干上がらせる中で嘲笑を浮かべた。
「何だ、これは。戦っている
「化け物か……!」
のこり3人もいない賊たちが、刀を奪われている者を含めて絶句している。
――仕方がない。鈴千代の馬鹿力とくれば、侍である自分からしても常軌を逸しているのだ。一体何の血を引けばこんな人間が生まれるのだろうか。一応、家系図などは調べているので俄然不思議なのである。とりあえず両親は普通の人間だった。
鈴千代の細く白い、刀を掴んでいない方の腕が盗賊の顔にのびた。
たったの一握りだ。
赤子の手を捻るよりも、という言い回しがあるがこれをなんと比喩すればよいのか。軽く頭蓋を鷲掴んだかと思えば、その頭が潰れて弾けた。脳みそやよく分からない粘ついた内容物がべたべたと落下する。
血と内臓、それに小便や諸々の構成物が発する饐えた臭いがつんと鼻の奥を突いた。
「も少し綺麗にはならんのですか」
苦言を呈した弦之助に、鈴千代は嗤って答えた。
「そこは妾の顔を見るがいい。可憐だろう?」
こうして洞穴の外に居た者たちは、終ぞまともな反撃をすることなく命を刈り取られていったのである。
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