第4話


「ご兄弟が? それは、なんというか。いやそれ以上に、放っておくというのは……」


 コウの訴えを聞き届け、しばし思考の海を漂っていたが、やっとのことで口にすることが出来たのはそんな意味の無い言葉だった。

 曰く、一年前に盗賊の頭として暴れ始めたのは彼女の兄らしい。侍というのは大抵素質を持つ家系にしか生まれることがないのだが、本国にも2・3人ならば心当りがあるのでありえない話ではない。

 二年前の戦まで彼女の兄は浪州の一軍に加わっていたのだという。それが負けたというので村の者もコウも大層悲しんでいたそうで、彼が戻ってきたのはとうとう諦めてそろそろ墓を立ててやろうかと相談していた時分だった、とのことであった。


「兄貴は……戦ですっかり人が変わっちまったんです」


 弦之助が沸かした白湯を一口、コウは息を詰まらせた。

 コウの兄はいつでも明るく、村の者が困っていれば飛んでいって手伝ってやっていた。童が遊べとせがんだならば、決して乱暴に振り払うようなことはなく、必ず時間を作って相手をしてやるような男であった。

 それが戦から帰ったと思えば、村の収穫を奪っていた賊を成敗することもなく、それどころか顔見知りの若い衆を殴り倒し、一団に加わって若い女を寄越せとまで言い始めたという。

 ――辛かろう。村の者からもよい目では見られまい。この娘は自分たちを案内する時に、何を思っていたのだろうか。小さく笑っていたのは嘘だったのだろうか。

 弦之助は深く頷き、伸びてきた顎鬚を思案顔で弄んだ。


「事情は承知した。しかしだな……」

「娘よ、分かっておるのか。貴様はこの浪州が領地を荒らす輩を、見逃せと言っているのだぞ。否、それどころではない。村を潰しかねん者を庇っておるのだ」

「それは、百も承知でございますが……」


 珍しい事態である。基本鈴千代はこういった問答を好まないものだが、どういった風の吹き回しか。不遜な面をしているが、怒ってはいない。

 もちろん、この場で怒り狂ってコウを蹴飛ばしなどすれば、事はまたも捩れていたのでよいことなのだが、不安である。

 鈴千代は眇めた眼で座する乙女を見下ろした。


「のう、貴様は確りと分かっておるのか。がどういうことなのか、考えたのか。聞き及んでおるぞ、かの者は飯と女を所望しておる。嗚呼、なるほど? 腹が減ったというなら粟でも稗でもくれてやればよかろうよ。気に入らんがな」

「そりゃあ、一体全体どういう……?」

「だがな、よいか。第一に我らは既にこの地に参じておるのだ。討伐殲滅は必然にして必須だ。見敵必殺である。分かるか。我ら、否。わたしが通った後に賊が残る。これがどれほど腸が煮えくり返ることか、貴様には分かるまいよ。それが道理よ。妾は美しく我慢強く寛容である故に、無知を叱りはせん。しかし、はて、いや。思い返せば……貴様やそこのに妾の深慮を解せよという方が無体か。分からぬが道理、これを理解しろというのは、うむ。済まぬ」


 厭味な響きすらなく、鈴千代は真面目腐って言った。

 縁起でもなんでもなくこれが素なのである。

 一体どのような場所で育てばこのような性格に育つのか、と国元へ書面を送りたくなってくる弦之助であった。


「……へいへい、才色兼備ってのはおたくのためにある言葉でございましょうよ」

「おお、よく知っておるな」


 弦之助は舌打ちを一つ、


「まあ、お綺麗なことは認めますがね。それで、第二としては何が来るのですか」


 と手短に訊ねた。ひとまず鈴千代の顔立ちが類稀なほどに美しいということに異存はないらしい。


「ふんふん、殊勝なことだ。さて、第二の問題はこの村だ。何が問題なのか? 分からんだろうから先回りして話してやろう。謹んで拝聴せよ」


 最初は飯を求めた。次、つまり今は女を求めている。

 これが何時まで続くのだろうか。それを考えたことはあるか。

 鈴千代はそう言って皮肉げに口端を上げた。

 要求を最初に呑めば、段々と相手は付け上がる。なまじ武力を持ち始めたから欲が出てきているのだ。これを放置すれば、その次は何を求めるか。


「武力か、金か。とにかく碌なもんじゃァないでしょうな」

「うむ、それにだ。これが何年も続いてみよ。賊どもの血を引く者が村に溢れかえるぞ。そうなれば、事は俄然面倒だ。嗚呼、とても面倒に」


 老人は死ぬ。しかし若者は育つ。赤子が生まれたのなら、当然周囲の人間が育てることになるだろう。その場合教育を施すのは誰になるのか。盗賊の息子は盗賊になる。無論、全然改心する機会がないとは言えないだろう。だとしても、その足が最初に向くのは他人から財と尊厳を奪う行為である。

 一人二人ならば勘定に入れることもない。だが、年月が経てばどうなるか。もし、そこに生まれ育った者だけでなく、周辺地域からも共謀する輩が集まったならばどうなるか。

 ――ただの盗賊はちいさなとなるのだ。つたなくとも体系じみた統治を行うようになる。何せ、この国は戦に負けたばかりだ。忠を尽くして裏切られたという者ならば、抵抗も少なかろう。

 鈴千代は笠を目深に下ろし、気障にため息をついた。


「……どうする。貴様の兄が、貴様を掻き抱くということもあるやも知れんぞ」

「まさか! そんなこと!」

「あるのだ。人も獣だ。道を外れたモノなど犬猫と変わらぬ。盛れば……何でもやるだろうよ。


 何となく怨嗟の色が見える声色であった。

 弦之助は身震いをしながら囲炉裏に薪をくべた。


「そこまで。鈴千代どの、少々苛めすぎでは」

「何を言う。妾が苛めるのは貴様のみよ。これは我が民、道理を説きはするが手折る心算など、毛頭ない」

「できりゃあ、俺も苛めないで欲しいのですがね」

「よいのか? 妾に話しかけられて、内心嬉しいのだろう。何、隠さずともよい。こうして他の誰よりも間近で我が声を聞くこと。これに優る栄誉があるか?」


 彼は肩をわざとらしく竦めて答えに代えた。

 ふと、そこで慌てたようにコウが声を上げた。それは抗議や怒りといった様子ではなく、本当に慌てただけ、という動きである。


「あ、あのっ! それともう一つ、お願いが……」

「何だ、攻めるのはよいのか」

「いえ、あの……できるのなら、兄は生きて返してやってほしいンです。あ、いや……それと、その、もう一つありまして」


 ――なにか拙いことでもあるのだろうか。

 敵の拠点は村から一刻歩いた山中の洞穴である。日が沈んでから奇襲を仕掛けるという手筈だ。もしや獣を捕らえる罠でも道中に仕掛けてあるという話なのだろうか。

 結果的に言えば、弦之助の予測は大はずれであった。

 掠りもしていなかった、と言っても過言ではない。この男、特別に普段から頭が切れるというわけでもないのだ。愚鈍かというと、そうでもないのだが。

 コウは迷いに迷って、あーだのうーだの呟いた挙句、頭を振ってから口を開いた。


「その……実はその洞穴、村の蔵になっておりまして」

「うむ、それはよろしくない。今年の年貢に困るだろう」

「い、いや、それが……」


 鈴千代は今ひとつ合点がいかない、と言いたげに弦之助を見詰めた。


「……もしや、隠田かくしだ(※1)か」

「あ、あの! その、申し訳ございません! あ、あたしたちも食うに困ることがあって、少しだけならと山の中に……」


 弦之助が呆れた顔で言うと、コウはコメツキバッタのように頭を畳に押し付けた。

 税にとられることのないように育てていた分を溜め込んでいたということか。

 一年、二年も城に救援の要請がなかったのもそういうことなのだろう。それは、言えるわけがない。国に収めるべき量を誤魔化して貯めていた、その蔵を奪われたなど言えるとしたら余程の馬鹿だ。

 逆に言えば、それだけ馬鹿なことをしなくてはならないほど、この村が盗賊どもの被害を受けるようになってきた、その見込みがあるということである。


「どうしますかね、鈴千代どの」

「……どうせ碌な米は残っていまい。いや、それ以上に斯様な馬鹿げたこと、構う気も起きん。蔵の中は村の者で如何様にもするがいい」

「あ、ありがとうごぜぇます! あ、あと兄貴のことも……!」


 コウがぱっと明るい顔になったところで、鈴千代は華奢な雷を落とした。


「いい加減にせんか! 貴様の兄など知ったことか。強いて殺しもせんわ! 生き残ったのなら慎ましく勝手に生きていろ! 弦之助、何を笑うておる。早う支度せよ!」


 とうとう面倒になって投げやがった、と弦之助は苦笑しながら頷いた。

 夕暮れ時のべたりと張り付くような赤橙が、村と山の端だけを厭に明るく染め上げていた。


※1 年貢の徴収を避けるために地方の村の住民が 作った水田。「かくしだ」の他には「いんでん」という読みもある。

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