第2話
村長は乾涸びたような老爺であった。伸び放題の眉が、気分で買ったが最後、一切手入れをせずに数ヶ月放置した盆栽を思い出させてくれた。あれはどう処分したのか、などと下らないことが頭を過ぎる。
弦之助は出された白湯を啜ると、深く息を吐いた。都にはない生物的な、人の営みと森の空気が混ざり合ったにおいが彼の鼻腔をくすぐる。
――田舎村とはいえ、その規模はなかなかのものだった。
広がる田には青々とした稲が、手入れの行き届いた畑には作物が生い茂っている。実物を見てみると、自分がこうして足を運んだかいがあったと思える。
これで荒れくれて碌に税も納められないような村だったら、本当に無駄足だ。いや、住んでいる人間には悪いのだが、自分の禄も民の納めた貴重な税より捻出されていることを考えると仕方がない。
「……そうですか、あなた方が来てくだすった御人で」
「ええ、遅くなり申したこと、まことに申し訳ない」
コウに引き摺られるように案内されたのは村長の家だった。
言うなれば庄屋だ。この村にはそこまで厳密な上下関係というものがないらしい。突然風来坊を連れてきた小娘にも老人は嫌な顔をしなかった。
「いや、そればかりか飯まで馳走になって」
「粟だの稗だの、そまつな品ばかりで失礼いたしまする」
「いやいや。お心遣い、有難く思う」
「……貴様がかしこまると気持ちが悪いな」
鈴千代はたらふく飯を食らったばかりか、威厳も何もない口調である。
せっかく人が体裁を取り繕うとしているのに、余計なことをしないで貰いたいものだった。威張り散らされるのは困るが、油断をしてだらけられても結局困る。
と、そこで弦之助は連れの紹介をしていなかったことを思い出した。
「こら、やめなさい……
「ほっほ、若者らしくよろしいではありませんか」
好々爺然として老人は笑って流してくれた。
ふんぞり返って「おい、世話をしろ」とでも言えたのなら楽なのだが、細かいことが気になってしまう性分ゆえに先に頭が下がってしまう。
さて、と村長は無駄話に区切りをつけた。
「そろそろ盗賊どものお話をした方がよろしいですかな」
「ぜひとも」
「あれは、ちょうど二年ほど前の話でしたかな……」
二年前、実を言えばこの国、浪州は戦に敗れていた。なぜ戦が起きたかというと、その経緯は複雑怪奇であるので割愛する。なんにせよ、この地を領土として保有する浪州は隣国である総州に、哀愁を漂わせるほどに一方的に敗北していたのである。
老人の話によればその頃から徐々に村を柄の悪い連中が訪れるようになっていたようだ。恐らく戦に召集された者たちが統率を失い、そう言った行為に走ったのだろう。別に珍しい話ではない。戦が起きれば財産が奪われ、男手は兵に取られ、国土は荒れる。
しかも百姓とて苦しめられるだけではない。中には配られた武具を悪用して同じ農民から金品や女子供を奪う者もいるのだ。戦とはまこと、小利多難を現すものである。
とはいえ今回の場合、最初はそこまで物騒な話ではなかったらしい。
「そうですなあ、飯を寄越せ、程度のものでございやした」
「ふむ、そやつら良いところに目をつけるな。確かにこの村の飯は旨い」
鈴千代の無神経な言葉に、爺は愛想笑いを浮かべた。
とにかくそんな調子だったので、多少米やらを渡してやれば帰っていくものと思っていたのだが、一年ほど前から連中の態度が一変したのだと言う。
「村の若い衆を酷く殴るようになりましてな、やめてくれと頼んだ老いぼれが腕をへし折られまして」
「――興味深い。不思議な話ですな」
「ええ、わしらに乱暴を働いても、何もならないのは彼奴らとて解っているはずなのです」
ある意味で呆けたようにも受け取れる弦之助の口調に、しかし村長は反抗的な態度をとることはなかった。
飯をせびるということは、盗賊たちには食料を安定して得る術がないということだ。
そんな状況で百姓をいじめても何にもならない。それで彼らが作物を作れなくなってしまえば共倒れになる。せめて無理やり大量の食料を奪っていくというだけなら解るにしても、それでもなしに暴力に走るというのは解らない。
「盗賊の頭目が代わったか」
「どうでしょうな、いえ、確かに奪われる米の量も増えたのではございやすが」
「人が増えたか、しかしそれでは説明がつかんな。穏便にしていれば、何事もなく搾取が続けられていたというのに……どうしてだ?」
盗賊をやるものなど所詮は浅学の輩、と馬鹿にするものではない。暴徒となった民衆は統治者にとって決して軽んずることができない存在である。彼らはふるさとの地理をよく見知っているし、短期的な治安悪化であればまだしも、長期の問題となると税や貯蓄にまで悪影響を及ぼす。
――多少の被害ならば見逃す、というわけではない。
そうではないが、中央の人間が熱心に田舎の者共を慮るかというと、それもない。
弦之助は小さく首を振り、思慮深く唇を指の腹で撫でると、千代丸に目を向けた。
「鈴千代どの、如何に思う」
「さあ、
「むう、鈴千代どのは不要と申されるか」
「如何にも」
老翁の言葉に、少年の笠に隠れた細面が上下に動く。
「事の起こり――そんなものは、とうに過ぎたことだ。いいか、老骨。そして弦之助。貴様らは勘違いしておるぞ」
若者は、交渉に訪れたのではないと言いたいのだ。
既に被害が出てしまっている。どんな理由であるにせよ、賊は民を襲い、作物を嵐税を奪っている。この期におよんで原因などを探るのは、時間の無駄である。
鈴千代は偉そうに土壁に背を預けて嘆息した。
「よいか、輩をのしてから考えればよいのだ。先ず、そうでなければならぬ。老体に敬意を払うことも知らん者に、何の道理を説くというのだ。犬猫に墨の磨り方を教えるのは阿呆のやることだ」
「連中は獣と」
「真に人であれば、かような真似はすまいよ。算盤ができぬ、礼儀を知らぬ、道理も分からぬ、とくれば――これをどうして人の子と呼ぶのだ。畜生だ。切るか叩くか、どのみち痛めつけてから骨身に教え込まねば通ずるまい」
「まあ、拙者も切り合わずに済むとは思わん。村長どの、手間をかけるが小屋のひとつでも借り受けられぬか。流石に我らも今すぐに切り込むことはできない」
老人は緩やかに頷き、髭をさすった。
「承りましょう。おコウ。お二方を離れにお連れしなさい」
恐らく彼らを呼び寄せるにあたり、事前に宿泊については想定していたのだろう。
黄ばんだ障子を引いて、コウが現れた。ひとまずは村の事情を知ることができただけ、話したかいがあったと言える。
身体が万全でありさえすれば、遅れをとるようなことはない。それにしても、無策に突っ込むような真似は避けたかった。自分はともかく鈴千代に何かがあれば面倒どころの話ではない。また、事件に裏があることを前提に考えれば、必ずしも簡単な解決になるとは限らなかった。
村長宅を後にしてから、難しい顔をして黙り込んだ弦之助の脛を、いきなり鈴千代が蹴飛ばした。
「痛いですね」
「だろうな。だが貴様、よいのか。娘が何やら貴様を眺めているぞ」
痛いで済む程度に力は加減してくれたようだ。
見れば、コウが所在なく視線を明後日の方向へ逸らしていた。
「如何なされた。拙者に何か」
「あいや、その……弦之助さまに鈴千代さま。お二方はその……失礼かもしれませんが、お強いのかと」
成程と弦之助は首肯した。
「ご心配召されるな。拙者も侍の端くれ、雑兵など物の数にはならぬ故」
「妾は語るまでもない。大儀に背く賊など鎧袖一触よ」
行き倒れて地面で漫才を繰り広げていたり、片方は見かけにちんぴらが少し更生したようなもので、もう片方は小柄な細身であったりするが、これでも二人が二人とも腕には覚えがあった。
能天気と見えたのか、コウは浮かない表情で曖昧に返事をした。
仕方のないことだ、と弦之助は考えた。二人にとってどうであれ、彼女にとってはこの二年故郷を荒らした連中なのだ。そう簡単に排せるとは思えまい。
増して、何の説得力もない状況である。
日が沈もうとしている中、それから何事もなく一行は離れに辿り着いた。掃除が行き届いているとは言い難いが、数日の滞在であれば不便はないだろうという外観であった。
軽くコウに礼を述べるなり、二人は素早く室内に引っ込んだ。
「……あれは何か隠しておりますなァ」
「ま、十中八九そうだろう。敵に心当たりがあるのだろうよ。しかも、都から使わされた兵が返り討ちに遭いかねないだけの、だな」
「はてさて、鬼が出るか蛇が出るかといったところで」
喋りながらも弦之助は荷を下ろし、鈴千代に先行して部屋の畳をひとつひとつ検分して回る。寝起きをする場所に罠があっては対処が難しい。手錬の兵であっても不意打ちは防ぎ難いのである。
――糸を張らなくてはならない。手間ではあるが、侵入者があった時に木札が鳴るようにしておくと楽なのだ。
「毎度毎度、貴様は蜘蛛か」
「これがあるとないとでは違うのですよ。鈴千代どのは障子を見ておいてください。話はそれが終わってからです」
一通り二人が満足いくまで離れの中を調べ終わったころには、外はすっかり夜の帳に覆われてしまっていた。過剰だと思うかもしれないが、ほとんど国の息が届かぬ辺境ではいくら警戒してもし過ぎるということはない。
特に問題となるものが見つからないと知ると、ようやく弦之助は肩を下ろし、囲炉裏に火をくべた。彼のほくち箱(※1)は古く、中身が湿気っていたせいで少々時間を食った。鈴千代がその様子をけらけらと笑って眺めていたことも併記しておこう。
「――それで何だったか。いや、敵の正体は何か、だ」
上機嫌に鈴千代は村長から渡されていた干し菜を齧った。
行儀が悪い。これは、都に戻った時が恐ろしい。
「てっぽうを持っているとか」
「阿呆。そんなものが数丁あったとして、どうして百姓に見せるのだ」
――その通りだ。
さらに言えば、弾と玉薬の都合をつけることも難しいだろう。戦から流れてきたとして、全く配備されたものを使っていないとは考えにくい。もし周辺で使いなどすれば、百姓であっても音で気付く。
鈴千代が笠を置いた。
その過度なまでの美貌に、時と場を忘れて一瞬惚けてしまった。鈴千代の眼が嗤っている。厭らしく口元がゆがんだ。
「ふ……どうした弦之助。
「け、まさか」
「だろうな。嗚呼、貴様はそう言うだろう。そうに違いない。妾は美しいからな。うむ、見蕩れるのは仕方がない、それが道理というものだ」
これで性格がもう少しよければ、と弦之助は常々頭を抱えているに違いない。
「否定はしませんがね。 それで? 何だと思いますかね、鈴千代どの」
「は、正直でよろしい。ふん、まあ、どうせ素浪人――流れの侍だろうよ」
この巫宋において侍とは、単なる兵とは全く異なる存在であった。
剣を振るい弓矢を引くのみならず、化生や妖怪変化が用いるようなおかしな技を操り、戦場では比類なき武勇を誇る
そこいらの兵が相対すれば戦いにすらならぬ、超常の力を有した者たちである。一説には古くよりこの地に住まう何かと人との合いの子である、ともいわれるが定かではない。
なお一般に人々が用いる「侍」という言葉は、大雑把に武家や兵を指していることも多く、しばしば前述の力を振るう者としての単語と区別されずに使用される。
「だとすると、確かに面倒ですな」
「何を言うか。こちらは侍がひとりに、妾がいる。踏み込めばよいだけの話よ」
そして弦之助もまた、その侍であった。
彼らの過剰とも言える自己評価の高さは、単純に種族としての強度の違いを理解しているからである。
鈴千代はというと、これもまた只人ではないようだ。
弦之助は肩を竦め、囲炉裏を火箸でかき混ぜた。
「では攻め入るとして、拠点は
「……貴様、尋ねていなかったのか」
「あ……いや、俺も空腹のあまり、うっかりと」
炉端をわざわざ迂回して、鈴千代は若干紅潮した顔で弦之助の背を蹴った。
推測するに、かの者流の照れ隠しらしかった。
(※1)火をつけるための道具一式を納めたもの。
(※2)L字型の物差し。建築現場などで資材に印をつける際等に用いられる。
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