B.想像と言う名の無限の世界

昼休み。少年は屋上へと足を向けた。誰も使わない階段。自分だけが開けることの出来る扉。しかし扉は、既に開いていた。考えてみると、階段にも違和感があったかもしれない。少年は取り出しかけた鍵をしまい、屋上に出た。


 少年は、高さが胸ほどまであるフェンスの外にいる少女の姿を認識した。


 …あれって、自殺?ちょっ…おいおいおい。こんな場面に立ち会えるなんて…落ち着け、落ち着け俺。コレはある種望んでたケースじゃんか!そうだ、落ち着け。声が上ずらないように。ゆっくりと。平常心。


 少年はゆっくりと少女に近づいた。


「…そこの君さー。…自殺するの?」


 少女はその声にびくりと動いて、そろそろと後ろに首を回す。現れた少女の顔は、長い髪でよく見えなかった。


「そこからじゃあさ、死ねないよ」


 少女は、下を覗く体勢に戻った。そして、言葉を紡ぐ。


「どうしてあなたにそんなことが分かるの」


 小さな声ではなかったが、何故か聞き取りにくかった。


「いや…そう思っただけ。実際に落ちたことはないけど」


 落ちてみるまで分かんないね。


「落ちようって思う度に、死ねなかったら嫌だなって思っちゃうんだよね」


 !やべ。本音が出た。…何でだ?…まあいいか。ちょっとスッキリした。


「俺も一応、自殺願者なんだ」


 少女はまた少年の方に顔を向けた。


 おっ、反応した。そうだ、この際全部吐いちまおう。普通ならここで『生きてればいいことあるよ』とか言うんだろうけど、そんな格好悪いことはしたくないね。というかそんなんで止めるやつなんかいるんだろうか?


「ねぇ、君は死後の世界ってあると思う?」


 少女は少し眉をひそめた。


…変に思われたかな?


「知らない。…あろうとなかろうと…ここから離れられるならどっちでもいい」


 …自殺願者ってそれが普通…か。


「ふーん。…俺はね、あると思うんだ。あ、いや、正確に言うと無いってことなのかな」


「どういうこと?」


「つまりね、イメージの世界ってこと」


「人は死んだらさ、魂はどうなると思う?肉体を離れて来世に行く?そん時記憶はどうなる?俺は、この世の思い出がほぼゼロになって新しい人生を送るなんて考えられない。だから―」


 言いながら、少年は酔い痴れていた。


 ああ。何て気持ちがいいんだろう。こんなに自分の考えを人前で喋ったの初めてだ。あれかな、同じ自殺願者同士シンパシーでも感じてんのかな。


「―想像と言う名の無限の世界を堪能できる。それが死後の世界だと俺は思うんだよね。だから、俺は死にたい。…まあ、死ぬ勇気は無いんだけどね」


 ふぅ。一気に喋ると疲れるんだな。


「あなたも、この世が嫌いなの?」


 うーん。そうでもないよなぁ。


「嫌いな時もあれば、好きな時もあるよ」


「本当に自殺願者なの?」


「そうだよ。この世は俺を縛ってる。それに付き従うのは嫌だね。でも、自由がありすぎると退屈してだるくなる。そうした空虚な思いに耽っているとき、何度も思うんだ。死にたいってさ。…でさ、…君は、何で死にたいの?」


 少女は、金網のフェンスの上で手を組み、答えた。


「この世界に、私は必要の無いものだから」


 ……嘘だな。それだけじゃない。いや、その答えで無理矢理押さえ込んでる感じだ。…まあ、その答えは分からなくもないけど。


「ふーん。苦労したんだね。俺よりは数倍死ぬ資格があるよ。でもまあそんなこと考えるとさ、世界中にもっと苦労してる人間はいるだろうし、それでいて生きたいって思ってるやつもいるだろうし、俺なんかが死にたいなんておこがましいんだけどね。あ、そもそも『死にたい』なんて考え自体おかしいか」


 あ。これ遠回しだけど自殺止めるような台詞言ってる?まあ、


「それでもやっぱり死にたいんだよなぁ。どこかの誰かよりも、君よりも恵まれてるとしても。死ねばこの世界とは関係が無くなる。だからそんなことは考えなくてもいいんだ。そもそもこの世界は俺の視界から見えてるものだから、世界自体が消失するのと同じことだしね。だから…」


 ドン


 ん?………いない…嘘だ…落ちた…のか?


 やばい。俺のせいだ。俺が早く引き止めなかったから。こんな話ばっかしてたから。死んだ?死んだのか?そんな。いや、それは憶測だ。ここからじゃ死なないはず…いやそれも憶測だ。くそっ。


 少年は慌ててフェンスに近寄り、下を覗く。


 そこには、目を閉じて仰向けに倒れている少女の姿があった。


 くそっ。嘘だ、俺が。俺のせいだ。俺が殺した、俺のっ俺のせいでっ!ああもう、何だよ!何で俺はいつもこう…畜生。チクショウ。ちくしょぉ!…何が俺より死ぬ資格があるだよ、何が死にたいだよ、何がなんなんだよ!うああぁぁぁああぁあ…


 少年は、暫く声にならない呻きをあげていた。


 どれくらいたったのか、少年は落ち着きを取り戻していた。


 …つーか、自分で死後がすばらしいなんて言っておきながら、こんだけうろたえるって何だよ。馬鹿だな。俺。自分は死にたいけど人が死ぬのは嫌ってか。…ははっ。…もういいや。


 いつの間にか少年はフェンスの外に立っていた。一通り自嘲すると、少年は…


 どうせいつかは死ぬ気だったんだ。恐くてできなかっただけで。今は何も思えない。ただ、落ちているだけ。…あ。そういえば、あの子の名前聞いてなかったな…


 ぐしゃっ


 何かが、ひしゃげた気がした。

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