第2話 不可視リレーション

 三日前の、夜中のこと。

 枕元の携帯電話に突然の着信。相手は幼馴染の佐原さはら貴臣たかおみだった。

 時計を見ると深夜二時半。こんな時間に電話をかけてくることなんて今まで一度だってなかった。

 何か緊急の要件だろうか、胸騒ぎがして眠気がすっかり吹き飛んだ。

 通話ボタンを押すと、普段より高揚した貴臣の声が聞こえてきた。

 

 「通り魔に、遭ったんだ……が怪我をした」

 「は?」


 と呼ぶのは、文字通り貴臣のカノジョであるあの子のことだろう。

 話を聞くと、貴臣と彼女が一緒に歩いていたところを通り魔に襲われて、彼女が怪我をしたという。救急車で運ばれて、病院へ行って、警察がきて、警察署で聴取されて、と貴臣は矢継ぎ早に語った。


 突然巻き込まれた非日常的な事態に、貴臣は混乱しているようだった。

 目の前で襲われた彼女、押し寄せてきた警察官、何もかもが今まで体験したことのない事態。興奮と動揺で身やり場に困っているといった様子だ。


 だからきっと私に電話をよこしたのだろう。

 昔からそうだった。部活の試合で勝ったとき、友達と喧嘩したとき、嬉しかったり悲しかったりどうしようもなく昂ったとき、貴臣はいつも私の元に飛んでくる。


 どうやら貴臣は、彼女と一緒にいたにも関わらず怪我を負わせてしまったことに対して自責の念に苛まれているようだった。

 人一倍、責任感が強くて優しい貴臣のことだ。

 彼女が怪我をしたのは俺の責任だなんて、勝手に思っているのだろう。



***



 「そもそも私、疑われる覚えはないんですけど」

 一方的に犯人扱いされた私は、目の前の男を睨み付ける。


 相変わらず柔らかな笑みを携えている男――神木だが、もはやその笑顔は胡散くさいことこの上ない。

 何しろ、つい今しがた『黙秘権はない』『服従しろ』『従わなければ罪に問う』的なことを次々と口走ったのだ。

 少なくとも、この男が私の味方ではないことだけははっきりと分かった。


 張り詰めた緊張を解くように、マユラが大きなお盆を抱えて歩いてきた。

 お盆の上には上品なティーカップ、そしてケーキ、クッキー、マカロン、どら焼き、饅頭、杏仁豆腐――と、これでもかというほど節操のない選び方をした甘味が乗せられている。


 「あぁぁ……マユラちゃんたら、またそんなにスイーツを買い込んで……」

 「本日は大奮発致しました! パティスリー・ルメイユの新作ケーキ、一切れなんと二千円!」

 「――ひ、一切れ二千円っ!? ……そんなにするんですか!?」

 「それから老舗和菓子屋風煌堂の黒糖カステラ三千円もご用意しております!」

 「だから財政難だと言っているじゃないですか!」

 「……必要経費だと、おっしゃいましたよね?」


 可愛らしく微笑んだマユラの瞳は笑っていなかった。

 神木が頭を抱えてむせび泣く。

 マユラは気に止める様子もなく、ガラステーブルの上へ次から次へとお菓子を並べる。

 テーブルの上が賑やかになったのを確認すると、自分のデスクへと引っ込んで、余りもののお菓子――故意に余らせたのだろう――を頬張り始めた。


 神木はひとしきり嘆いたあと、諦めがついたのだろうか、ソファへ座り直した。

 コホンと一つ咳払いをして、私へ向き直る。


 「改めて確認しますが、君の名前は妃崎きざき莉音りおん。南福音高校の三年生、で間違いありませんね」

 「……はい」


 神木がどこからともなく取り出したのは、赤く分厚いファイル。

 ぺらぺらと中身を眺め見ながら、気まぐれに読み上げる。


 「成績は優秀。常に学年の上位五位以内をキープ。クラス委員を任命され人望は厚く、部活動では弓道部の部長も務めている。ふむふむ。すごいじゃありませんか」

 わざとらしい仕草で関心し、神木は続ける。

 「身長157センチ、体重48キロ、スリーサイズは上から79、60、82――」

 「ちょっと待って!!!」

 思わず私は勢いよく立ち上がる。

 そんな情報、どこから仕入れてきた!?


 ふふん、と得意げな笑みを浮かべる神木。「驚きましたか? 捜査に必要な情報とあらば、我々厚生心理保安省に調べられぬことなどないのです」

 「スリーサイズって必要!?」

 「気になる点があるとすれば……少々バストが小さいですね。これから成長するとよいのですが、高校三年生の時点でそれでは――」

 「余計なお世話よ!」

 「気にすることはありません。私は大きさより形の方が――」

 「黙れ変態赤眼鏡!」


 激高する私をまぁまぁとたしなめながら神木は笑う。


 「お互い、仲も深まったようですし、そろそろ本題に入りましょうか」

 「全っ然深まってないけど、さっさと入ってください」


 それじゃあ、と前置きした神木が一呼吸置いた。


 「例の通り魔事件についておさらいしますね。

 三日前の夜九時。場所は人通りの少ない住宅街。

 君のクラスメイト、佐原さはら貴臣たかおみくんと山野やまの美香みかさんが一緒に歩いていたところを何者かに襲われました。

 犯人は背後から山野美香さんの頭部に一撃。山野美香さんは犯人を目撃することなく昏倒。運よく無傷で済んだ佐原貴臣くんが犯人の姿を目撃しています」


 神木が手元のファイルを読み上げる。一区切りついたところで、こちらの顔色をちらりと覗き込んできた。

 「ちなみに、佐原貴臣くんを第一容疑者として挙げています」

 「貴臣が容疑者!? 被害者の間違いでしょ!?」

 「仕方がないのですよー。彼の証言は曖昧でいまいち信憑性がないですし……」

 やれやれ、といった様子で肩を竦める神木。

  

 冗談ではない。貴臣が他人を傷つけるようなことをするはずがない。

 だってあの日、一番ショックを受けていたのはきっと貴臣だ。彼女を守り切れなかった自分自身を必死に責めて悔やんでいた――


 「貴臣がそんなことするはずない!」

 「どうしてそう言い切れるんです?」

 「私は幼馴染だから、貴臣のことは嫌っていうほど理解してるんです!」

 

 私の熱弁に神木は腕を組み「それはどうでしょう」と首を傾げた。「恋愛沙汰になると豹変するタイプもいらっしゃいますし。仕事柄、そういう人間をうんざりするほど見てきたもので」

 「貴臣はそんなタイプじゃないってば!」

 私はムッと眉を寄せながら答える。


 不機嫌になった私を見て、神木が嘆息した。

 「彼の証言はこうです――『犯人は人成らざる『黒い影』で、煙のごとく忽然と姿を消した』――こんな証言をするのは、酔っ払いか薬物中毒者くらいでしょう」

 「薬物なんて、貴臣はしない! お酒だって――」

 「分かっています。落ち着いてください」

 

 憤慨する私を一瞥し、神木は能天気にテーブルの上のマカロンを一口放り込んだ。


 「身近な人間を犯人として疑うのが捜査の基本なのですよ。

その理論でいくと第二の容疑者として浮かび上がるのは君ということになるのですが――」

 「どうして私が?」

 「君は佐原貴臣くんと非常に親しいみたいですから」


 神木は抹茶プリンに手を伸ばし、スプーンをくるくると弄びながら推理を始めた。


 「我々が描いたシナリオはこうです。

 君は佐原貴臣くんに好意を抱いていた、もしくは交際していた。

 が、彼には山野美香さんという第一夫人がいた。嫉妬に狂った君が山野美香さんを襲った」

 「全部想像でしょ!」

 「想像? 事実に基づいた推測と言って欲しいですねぇ」


 カステラを頬張りながら神木が言う。

 推測だって? 随分と勝手な言い草だ。

 確かに私にとって貴臣は特別な――大切な友人ではあるが、あくまで幼馴染であり、恋愛とは違う。

 何も知らないくせに――と私は唇を噛んだ。


 「私は山野さんに嫉妬なんてしていないし、貴臣ともそういう関係じゃありません!」

 「それにしては君と佐原貴臣くんは仲が良すぎやしませんか? ほら」

 神木は赤いファイルをペラペラとめくり、中から写真を取り出す。

 一枚、また一枚とテーブルの上に並べ、最終的には十枚以上になった。

 映っていたのは私と貴臣。それぞれ場所や服装が違っていることから、別の日に取られたものだと分かる。いずれも私たちの視線はカメラに向いておらず、隠し撮りのような構図だった。


 「よくもまぁ、これだけの写真を集めたわね……」

 「直近一か月分の監視カメラの映像を収集しました。君たちは毎日のように行動を共にしていますね」

 「……単純に、仲が良いだけです」

 「ほら、これなんてアクセサリーショップですよ? 付き合ってもいない男女が一緒に行くようなところじゃないでしょう?」

 「……これは、山野さんへのプレゼントを一緒に選んで欲しいって言われたから」


 女性慣れしていない貴臣は、一人でプレゼントを選ぶ自信がなかったらしい。

 あのときの貴臣の言葉が蘇る。

 ――莉音がいないと彼女へのプレゼントひとつ選べないなんて、情けないよね――

 ――いつも頼りない俺のそばで支えてくれて……ありがとう――

 思い出して、胸がほんの少しだけ、ちくりと疼く。

 

 そうだ。私と貴臣はいつだって一緒だった。

 けれどいつの間にか、貴臣の一番は山野さんになっていて……

 複雑じゃないと言ったら嘘になる。

 が、別に悔しくはないはずだ。

 だって私は、貴臣が幸せなら、それでいいと思えるのだから。


 「私たちの関係を、あなたの尺度で量らないでください」

 「そうですか……」 

 神木がちっとも納得していない顔で頷いた。値踏みするような視線が痛い。

 「君に恋愛感情は全くない、と?」

 「はい」


 ふと、神木が私の座る足元を指さした。 


 「ちなみに、君の座っているソファは嘘発見器になっています」

 「っなっ……!」


 慌てて立ち上がった私を見て、神木がぷっと吹き出した。

 「冗談ですよ。そんな便利なソファあるわけないでしょう。君は分かりやすいですねぇ」

 「……このっ!」


 からかわれて頭がカッと熱くなる。

 なんて嫌なヤツなんだろう。もう嫌だ。こんな場所、さっさと帰りたい。

 事実、私にはこれから行くところがある。油を売っている暇なんてないのだ。

 「そろそろ帰ってもいいですか? このあと用事があるんですけど」

 「おや。こんな時間からどちらへ?」

 「……言わなきゃいけない?」

 「教えてくれないのであれば、尾行するのみです」


 にこやかに答える神木。私は深いため息をついた。

 「……山野さんの病院へ。彼女が休んでいる間の課題を届けるよう先生に頼まれて」

 「ほーう?」

 神木が面白いものでも見つけたかのようにニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

 「ライバルに会いにいくのですか? これは一悶着ありそうですねぇ」

 「ライバルじゃないってば」

 「いっそ届けないでバックレてしまうのも……」

 「却下!」

 「なんだ。つまらないですねぇ」

  

 どうやら神木は心底、私と山野美香を敵対させたいらしい。


 神木が手を上に挙げてひらひらさせ、助手を呼び寄せた。

 「マユラちゃーん。莉音ちゃんを外までお見送りして差し上げて」

 デスクの上でお菓子を頬張っていたマユラが、もごっと喉を詰まらせる。

 「っ、よ、よろしいのですか? まだ聴取の途中では?」

 「かまいませんよ。これ以上話していても平行線でしょう」

 

 手元にあったカステラを慌てて口の中に詰め込んだマユラが「こちらです」と私を事務所の出口へ案内した。

 「また会いましょう莉音ちゃん」立ち去ろうとした私の背中に物騒なことを予言する神木。「すぐに再会できる気がします」

 できることならもう二度と会いたくない。彼の予言が外れるように祈った。


 表へ出ると、日が暮れ始めていた。

 茜に群青が入り交じる夕空の下、私はここへ来るときに乗ってきた怪しげなタクシーを使わせてもらい、山野美香が入院する病院へと向かった。


 車窓から外の景色をぼんやりと眺めながら、私は想いを馳せていた。貴臣から『彼女ができた』という報告を受けた日のこと。


 それは何の前触れもなく心構えする余地もない、本当に降って湧いたような話だった。

 貴臣に彼女ができたことにも驚いたけれど、相手がクラスメイトの山野美香だったことが何より意外だった。

 確かに彼女は美人だ。スタイルも抜群に良い。大方の男子高校生は、その二つで十分だろう。

 が、そんな上辺だけの理由で貴臣が彼女を選ぶとは思えない。


 山野美香は性格に難がある。

 孤高――と言えば恰好は良いが、要は周囲と交わろうとしない、他人に感情を明かそうとしない人だった。

 笑っているところを見たことがない、万年澄まし顔の彼女。

 そんな彼女を、どうしてあえて選んだのだろうか。

 

 山野美香のどこが好きなのか、思い切って本人に聞いたことがある。

 「どこが――って訳でもないんだけど……」

 貴臣は曖昧に濁しながらも、はにかみながら答える。


 「……彼女、両親を亡くして親戚に引き取られたらしいんだ。

 けど、あまり居心地のいい場所じゃないみたいで。

 俺が支えてあげられたらなぁと思って。

 ほら、俺の親父が死んだとき、莉音はずっと俺のそばに居てくれただろ? あんな感じに……」


 なんだか酷く虚しく聞こえたのを覚えている。

 かつて父親を亡くして沈み切った貴臣のそばに私がいたのは、彼を支えたいとか助けたいとか、そういった崇高な目的ではない。

 単純にそうしたかったから、だ。

 その行為がまさか、後々、貴臣と山野美香の絆を深めることになってしまうだなんて、そのときは考えてもみなかった。


 そういえば、三日前に事件の電話を受けて以来、貴臣と連絡を取っていない。学校にも姿を見せていなかったから、少し心配だ。

 もう貴臣には彼女がいるのだし、私が気に掛けるのはおかしな話なのかも知れないけれど。

 それでも気にしてしまう私は、流れる時間と変わりゆく関係に置いてきぼりを食らっているのかもしれない。

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