萌黄色の恋

 彼女の名前は秋広雪あきひろゆき。知り合って一年が経ったある梅雨の日、僕は『ユキ』と呼ぶようになっていた。初めて呼んだ時は彼女の家に泊まった時。

 僕が初めて彼女の好意に気付いた日だった。


 外はどしゃ降りで、夕方なのにすっかり暗い。

「雨、すごいね」

「うん。でもそろそろ帰らなきゃ」

「今日は家族もいないから、泊まってく?」

「え?」

「これだと、楽器も濡れちゃうし」

 この雨の中で楽器を持ち帰るのは確かに億劫だ。

「じゃあ泊まろうかな」

「うんうん。そうしなさいっ」

 彼女は僕の肩をポンと叩いた。

「ちょっと色々片付けてくるね」

「あ、うん」

 僕はもう一度楽器をケースから出した。


 女の子の家に泊まるなんて初めてだから妙に落ち着かない。今の状況に動揺しているせいか、ギターで弾くコード進行がいつもより単調で全く面白くない。気にくわない。そんなそわそわしてる自分が半分嫌だった。

 でも、もう半分は楽しんでいた。

 彼女が戻ってくる右手には、B4ぐらいの大きさのスケッチブックを持っていた。

「ねぇ、ちせ君を描いていい?」

「あっ、姿勢はそのままでいいからっ。そこでいつものようにギターを弾いてて」

 そういうと彼女はスケッチブックを開き、芯の太さが色々ある鉛筆の中から1本を選んで描き始めた。

 モデルになるのは初めてだからどうしたら良いかわからない。 困惑した表情を出さないようひっしに冷静さを保とうとした。


—シャッシャッ

 鉛筆で描いている音が聴こえる。

—シャッシャッ


「……ねぇ」

「うん」

「緊張してるでしょ」

「え、なんで?」

「作曲してる時と少し違うっていうか、ちせくんらしくないコード進行だなって思って」

「えっ?」

「まるであの時みたい」

 僕は知り合って間もない時のことを思い出した。


 二ヶ月前。

 僕が学校の放課後に1人でギターを弾いていた時、彼女に声をかけられたのがきっかけで知り合った。それから放課後に弾いていると彼女がよく来るようになった。話ながらも僕はずっとギターを弾いていた。

その時だった。

「緊張してる?」

「えっ」

「なんかぎこちないような」

「んー、曲を人に聴かせるなんて初めてだから」

「ふーん。でもいつも教室で弾いてたらみんな見ると思うけど?」

「人に聴かせるに弾くのが初めてだからさ」

「あぁ、なるほど」

 知り合って10日ぐらい経ってようやく1人で弾いてるような感覚を取り戻すことが出来た。彼女はそんな時を見計らったかのように、一緒に作曲をしようと話を持ちかけてきたのだった。


—シャッシャッ


「……秋広さん、気付かれたくないころまで気付きすぎ」

「隠れファンだったからね」

 彼女は照れくさそうだった。

 あの時の彼女への返事は勿論、オーケーと言って今日を迎えている。

「ちせくんの奏でる音って、好きだよ」

「どういうこと?」

「なんか色んな色が混ざりあってる感じで真っ白な音がする」

「何も考えずにただひいてるだけだよ。そんな大したものじゃないって」

「私では作れないもん。そんな色、出せないから」

「ちせくんは白色だ。私、好きだよ」

「そんなに言われたらなんだか照れる」

「照れるとこも可愛いくて好きだなぁ」


—シャッシャッ

 シャープペンが進む音がする。


「ねぇ」

「うん」

「私を色で例えたら何だと思う?」

「秋広雪…だから」

「白色以外で」

「連想したのがバレたか」

 そう言いながら少し考える。

「そうだなぁ」


—シャッシャッ


「緑色かな。濃い緑色」

 絵を描く音が一瞬止まる。

「そっかぁ、緑色かぁ」

「何でとか聞いても無駄だよ。いつものように直感で決めたんだから」

「じゃあ、二人で作った曲が出来たら萌黄色だね」

「萌黄色?」

「初めて土から出た芽の草木の色。黄緑色って言えば想像つくかな」

「なるほど」

「私達が初めて作る曲はきっとそんな色をしてる気がする」

「初々しい曲が出来るんだろうなー。でも僕たちに合ってる色かもね」

「うん。はい、もう動いていいよ。描いたから」

「見せてくれるんだよね」

「やーだ」

「えー?」

「ふふ。もう夜遅いしお風呂入る?」

「あ、うん。借りようかな」

「はい、バスタオルはこれ使って」

「わかった」

 風呂から出ると、居間に1つふとんが敷かれていた。彼女が風呂からあがるまで、ふとんに仰向けに横になって真っ白な天井を見ていた。


「あ、もう寝る?」

「なんか眠くないんだよね」

「私はソファーで寝るから眠くなるまで話、しよっか」

「え?いいのに部屋で寝てきて」

「せっかくのお泊まり会なんだから」

 そういうと、ふとんのすぐ隣にあるソファーに毛布だけかけて横になった。

「電気、消すよ?」

「うん」

—カチッ

 月明かりが窓から入って彼女の顔が微かに見える。

「なんかさ」

「うん」

「なんだか面白い1日だなって思って」

「そうだね。まさか秋広さん家に泊まるなんて思わなかったよ」

「私も。お泊まり会、初めてだからかな。なんか緊張して眠れないかも」

「僕も妙に緊張してる」

 チラッと彼女の方を向くと、彼女は僕の方に体を向けていた。

「ねぇ」

「ん」

「手、繋いでもいい?」

「……、うん」

 僕はソファーに近寄り、体を彼女の方に向けた。

 薄暗い中で微かに白いものが見えたので、

 左手でそれをゆっくり握った。

 

 沈黙が続く。

 沈黙は続く。

 けれど、僕と彼女は見つめ合っていた。

 何十分もずっと。

 恥ずかしいなんて思わなかった。

 彼女の瞳がとても綺麗で、

 微かに見える顔がとても可愛くて……


「ちせくん…」

「……うん」

 僕は布団から体を起こし、彼女にキスをした。

 初めてのキスだった。

「ユキ」

「うん」

「ユキって呼んでもいい」

「…うん」

「おい、泣くなって……」

 彼女は泣いていた。

 それでもずっと僕のことを見つめていた。

 僕はもう一度だけキスをした。

 初めてより少し長く。

 今度は涙の味がした。


  真っ白と言われた僕と、


  緑色の君。


  初めての、萌黄色の恋。


    【完】


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萌黄色の恋 村乃 @orikouko

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