これにも利益はある。

 小説以外の何かを書きたいと思った。何故かというと書いている小説が進まないからだ。目先の目標から逃避するために新たな目標を建てる。その繰り返しで自分の人生が出来上がっている様に思える。

 もしそうならば波打つ砂浜が一面に広がり、所々墓標が刺さっている様な人生だとも言える。楽しいかどうかは目標の墓標ではなく、自分の墓標を建てた時にわかるだろう。

 恋人が近々、私の部屋に来るので掃除をした。自分しか入らない部屋だから、これを自室と呼ぶ。とっさに出てきた嘘だが、当たらずといえども遠からずということでどうだろう。紛らわしい日本語が好きなので、ネット向きの性格をしていない。

 先日Twitterでクソ見たいなリプライを頂いた。私の様なクソにクソを投げつける人はクソだ。と思う事にする。この文章に対するクソがまた来る事を期待している。

 期待すると何もコメントが来ない。だから小説投稿サイトの新参者にはコメントがつかないのではないか。果報は寝て待てという。期待を失う程待てば着くはずだ。

死ぬ程待ち続け、その果てに死んだらきっとこんなコメントが着く。「読んだ事はありませんでしたが、ご冥福をお祈りします。」とか。前の部分は余計だし、冥土での福を祈られても困る。現世にいる時に福を祈れよ。むしろ送れよ。と思うこと間違いない。

 ざっと十分程で五百文字書くことが出来た。内容的には非常に面白くないので推敲する必要がある。そうなると最初の段落しか残らない気がする。志賀直哉ならそれで許されるだろうが、私の様なネットの片隅でゴロゴロしている人間には許される事ではない。

 ネットに載せるなら誰かの利益になるような文章を載せるべきだと思うが、誰かの利益になるような文章を書けたら金銭が発生している。金銭が発生していない文章なのだから利益にならなくて良い。だから一文にもならないクソみたいな文章を載せることにする。金銭が発生していない以上、文句もクソも投げつけられる義理はない。

 いやいや。あの人は利益になるような事を無料で公開しているよ?というのであれば、書いている人は考え無しの馬鹿である。もしくは貴方は騙されている。

 金に直結しない文章を無料で載せているという事は、金にならない利益を載せているという事だ。名声か権力といったところだ。クソの文章でも、光り輝く一文でも載せる事自体が目的なのかもしれない。インターネット上の全てを疑ってかかった方が良い。とISBN世代の私は思ってしまう。メガバイトの転送が苦でもないこの時代にはいらない配慮なのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る