第三話 陸上競技は競っちゃダメ!

翌朝、七時頃。

目覚まし時計の音で目を覚ました耕平は、とりあえず布団の中を確かめてみた。

「よかったぁ。今日は何もいないや」

 普段と変わりない様子に、耕平はホッと一安心。

「ん?」

 けれども次の瞬間、伸ばした右腕に妙な違和感を覚える。

 むにゅっとしていた。突起物もあった。

「これって、ひょっとして……」

 耕平はすぐに手を離し、焦りの表情を浮かべる。

 恐る恐る、視線を横に向けた。

「うわっ!」

 咄嗟に視線を元の位置に戻す。香子が上着パジャマとブラジャーを脱ぎ捨て、おっぱい丸出しで横臥姿勢になって眠っていたのだ。

「ねっ、姉ちゃん、なんて格好を……お腹冷えるぞ」

 耕平は、ずれていた羽毛布団を素早く被せる。

「……んにゃっ、おはよう、耕平」

 すると、香子は目を覚ましてしまった。寝起き、とても機嫌良さそうだった。むくりと上体を起こすと、また布団がずれて、香子の裸の上半身が露に。

「姉ちゃん、なんで、服脱げてるんだよ?」

「耕平、何焦ってるのぉー?」

 香子はぼけーっとした表情。まだ寝惚けているようだ。

「その……」

 耕平はさっきから視線を床に向けたままだった。

「あっ! うち、おっぱい丸出しにしてたんやね」

 香子はついに今の状況に気付いたが、特に取り乱すことなく冷静に自分の腕を耕平から離した。布団から出て、ゆっくりと起き上がる。

「ねっ、姉ちゃん、どうしてパンツ一丁になってるんだよ?」

ちらりと見てしまった耕平、咄嗟に壁の方を向いた。

「今朝は暑かったから、無意識のうちに脱いじゃったみたい。男の子が水泳する時の格好になってたね。おかげですごく気持ちよく眠れたわ」

 香子は照れ笑いしながら言う。

「とっ、とにかく、早く服着ろ」

 耕平は壁の方を向いたまま命令する。

「耕平ったら、そんなに慌てんでも。うちのおっぱいなんて昔から見慣れとるやん」

 香子はにこにこ微笑む。

 そこへ、

「おっはよう! 香子お姉ちゃん、耕平お兄ちゃん」

「おはようございます。今朝は大変蒸し暑いですね。おそらく熱帯夜でしょう」

「おはよう耕平ちゃん、香子ちゃん。よく眠れた?」

 三姉妹がこのお部屋へやって来た。

「きょっ、香子お姉さん! なっ、なんてはしたない格好を――」

「香子ちゃん、耕平ちゃん、ひょっとして……しちゃったの?」

 バルルートとマズアンは目を大きく開く。頬もちょっぴり赤らんだ。

「二人でお相撲さんごっこしてたんでしょう? それとも内科検診ごっこ?」

 クリュカは興味深そうに質問する。

「いや、これは……」

 耕平はかなり焦りの表情。

「クリュカちゃん、正解よ。うち、耕平とお相撲さんごっこしてたねん」

 香子は冷静に説明すると、耕平の右腕をガシッと掴んだ。

「こんな風に。えいっ!」

そして担ぎ上げるようにして耕平を投げ飛ばす。

「いってぇぇぇ!」

 耕平は抵抗する間もなく畳の上にびたーんと叩き付けられた。

「香子お姉ちゃん、力すごーい。一五センチくらい背の高い耕平お兄ちゃんがくるんって回転したぁーっ」

「美しいです!」

「見事な投げ技ね。さっきの決まり手は、一本背負いね。わたくしも中学の頃、体育の授業で習ったわ。実技テストはさっぱりだったけど」

三姉妹は納得してくれたようだ。お部屋へと戻っていく。

「姉ちゃん、いきなり何するんだよ。いたたたたぁ」

 耕平は痛そうに腰をさすりながら、ゆっくりと立ち上がった。

「耕平も相変わらず弱いわね。うちもあんなに軽々と投げれるとは思わなかったよ。それじゃ、うち、もう一眠りするから」

 香子は散らばったブラジャーとシャツとパジャマ上下を着込むと、布団に潜り込む。

「姉ちゃん、今夜からは自分の部屋に戻ってくれよ」

 耕平は速やかに制服に着替え、一階へ。今日は父もまだ起きていないため、母と朝食を取る。

「おはよう耕平くん、私、まだ眠いよ」

 七時半頃に絵美が迎えに来て、耕平は家を出発。

 集合場所の陸上競技場へ。

桜豊高の学校行事の一つ、体育祭は毎年ここを貸し切っているのだ。

「エミちゃん、熱中症は大丈夫そう?」

「うん、たぶん。日焼け止めもしてきたから」

 里乃と絵美は隣り合って座席に座る。

「耕平、オレ、見学中の暇潰しにアニメ雑誌とDSとラノベも持って来たぜ」

「おい守也、不要物だろ。大八木に見つかったらまた没収されるぞ」

 守也と耕平も後ろの方の席で隣り合わせだ。

「皆さん、おはようございます。全員揃ってますか?」

 集合時刻の八時半頃、担任の大八木先生が出欠確認をしている最中、

 平等宅では、

「じゃ、行ってきまーす」

香子が家を出ようとしているところだった。今日は書店でバイトだ。

 三姉妹は昨日よりも少し早め、八時四〇分頃に平等宅を出発。今日も学校視察はせず、大阪城などを巡る計画を立てているらしい。旅費は昨日よりもたくさん頂いた。もちろん香子にはナイショで。

      ※

 耕平達のいる陸上競技場。トラックで囲まれた芝生の上で行われた開会式の後。

「耕平、九月中旬になったばっかでこんなのやるなんて、早過ぎるよな?」

「あー、今日も大阪最高三一℃の予想だったし、まだ真夏並みの暑さだもんな。一ヶ月後でも、いや、むしろこんな行事やらなくてもいいだろ」

「激しく同意。こんなスポーツリア充しか得しないイベント」

 守也と耕平が観客席に戻ってからこんな愚痴を言い合っていたら、

「こら平等、谷森、パラソル使うて日除けするなっ!」

 力丸先生から怒号が飛んだ。

「はい、はい」

「分かりましたー」

 二人はすぐさま従う、ふりをする。

「あいつ本当に鬱陶しいよなぁ耕平」

「あー」

力丸先生が遠ざかったら再び広げた。

 刻々と時間が過ぎてプログラムが進行していき、

『クラス対抗男子7×百メートルリレーに参加する生徒の皆さんは、待機口に集合して下さい』

 いよいよこのアナウンスが流された。

「さてと、行くぜ耕平」

「ああ、めんどいよな」

 守也と耕平はだるそうに立ち上がり、集合場所へと向かっていく。

このリレーがスタートして何人かにバトンが行き渡った頃、

「どの競技も参加者同士、競い合ってるねぇ。順位付けなんて、醜い争いやで。なんとかしなきゃ」

 観客の一人がこう呟く。

ジルフマーハだ。宣言通り見に来ていたのだ。保護者用の観客席に腰掛けていた。

「疲れたぜ、耕平」

 守也はゼェゼェ息を切らしながら、アンカーの耕平にバトンを手渡す。

「歩くなよ、守也。気持ちは分かるが。すごい汗だな」

 受け取った耕平はこう伝えて走り始める。その時ビリから二番目だった。

 結局ゴール二〇メートルほど手前で追い抜かれ、一年四組は最下位に終わった。

「これで今日の任務は終わったぜ」

「あとは見るだけだな」

 守也と耕平、達成感を得たような気分で会話を弾ませながら座席に戻っていく途中、

「谷森、平等、おまえら真面目に走らんかいっ! だらだらーっと面倒くさそうに走っとるのが丸分かりやったぞ」

 背後から力丸先生に大声で怒鳴られる。

(やっぱり来たよ、無駄なお説教)

(鬱陶しいものだぜ)

 二人は振り返らず無視し、不快に感じながらせかせか歩き進んでいく。

「まあまあ力丸先生、この子達は速く走るのが苦手ななりに一生懸命頑張っていましたよ」

 和泉先生が優しくなだめてくれた。

「和泉さん、こいつらは。あれ? もう消えとる、まったく」

 力丸先生がこう呟いたその時には、二人は既に元いた座席近くまで戻っていた。

 席に着いて、

「耕平、帰りにポンバシ寄ろうぜ」

「そこは遠い。行くなら梅田だな」

「分かったぜ」

 パラソルの下で、だるそうに過ごしていると、

「耕平くん、守也くん、よく頑張ったね」

「コウヘイくん、モリヤくん、はいどうぞ」

 絵美と里乃がキンキンに冷えた烏龍茶缶を渡して来てくれた。参加したクラスメート全員に渡しているらしい。

「ありがとう」

 耕平は丁重に、

「どっ、どうも」

 守也は緊張気味に受け取る。

【クラス対抗女子7×百メートルリレーに出場する生徒の皆さんは、昇降口前へお集まり下さい】

 ほどなくしてこのアナウンスが流れ、

「それじゃ、走ってくるね」

「ワタシ達もたぶんビリになると思うわ」

絵美と里乃はここをあとにした。この二人もこの競技のみに出場することにしたのだ。

「今日も本当に暑いよな」

「あー、九月半ばとは思えないぜ」

 耕平と守也は受け取った烏龍茶を片手におしゃべりしていると、

「耕平、守也、おまえら真面目にやれよ。おまえらのせいでビリになってんぞ」

 とあるクラスメートにやや険しい表情で愚痴を言われた。さっき一緒にリレーに出た子だった。

「一応、真面目にやったって。たかがクラス順位が悪かったくらいでいらつくなんて、バカらしいぜ」

「俺もそう思う。よく考えてみろ、くだらないことだろ。おまえがキレたところで何も得するわけでもないし」

「おまえ、一学期の球技大会の時も、オレらに文句言ってきたな。オレらが真面目にやらないから試合に負けたって」

「たかが学校行事のスポーツ試合に負けたくらいでぶちギれるやつの心境、俺には理解出来んな」

 守也と耕平は素の表情でその子に向かっていろいろ意見する。

 すると突然、

「何やとっ!」

 その子は耕平の首襟に掴みかかって来た。

「おっ、落ち着けって」

 耕平はやや焦る。まさか突っかかってくるとは思わなかったようだ。

「おいおい、やめとけよ」

 守也が止めようとする。

「戦争や。戦争が起きてはる。やはり個人やクラスの順位付けは確執を生み、戦争に発展したね。なんとか鎮めなきゃ」

 ジルフマーハは心配そうに耕平達の様子を双眼鏡越しに眺めていた。

 ほどなく、

「その辺にしとけって」「まあまあまあまあまあ」

クラスメートの男子何人かが止めに入った。

「おまえらの、やる気のない態度が許せんねん」

「俺も悪かったって」

「すっ、すまねえ。来年はちゃんと真面目に走るぜ」

 それから一分後には話し合いによって、収拾がついたようだ。

(血の流れる大戦争に発展せずに済んでよかった、よかった♪ 学力偏差値の高い高校の子はケンカが起きても違うねぇ。先生が出て行くまでもなくあっさり仲直りしちゃったよ。もし精神年齢の低い小中学生、高校生でも学力偏差値の低い高校の子やったら、きっと殴り合い蹴り合いの大ゲンカになっとったやろうね。日本人高校生にもけっこう互助精神があるじゃん。傍から面白おかしく眺めとるだけの子もやはりおったけど)

 ジルフマーハもホッと一安心。

 クラス対抗女子7×百メートルリレーもちょうどスタートした頃。

 それから一分二〇秒ほどのち、

「絵美ちゃん、けっこう速いな。守也も3DSで遊んでないでちゃんと見てみろ」

「あの子は性格もかなり良いよな。それでもオレは二次元の方がいいぜ」

「重症だな」

 耕平と守也はこんな会話を弾ませる。

「あのおさげ髪の子、めっちゃ頑張っとるね」

 ジルフマーハも感心しながら絵美の走る姿を眺める。絵美は第五走者だった。

 次の瞬間、

「あっ、こけちゃった」

 ジルフマーハはこう呟いた。

 絵美が次の走者、里乃の待っている場所まであと十メートルほどに迫った所で、ずてんと前のめりに転んだのだ。

「大丈夫かな? 絵美ちゃん」

 耕平も心配そうに眺める。

「エミちゃーん、大丈夫?」

 里乃もスタート地点から心配そうに叫びかけた。駆け寄ろうとしたがそうすると失格になるので堪えたのだ。

「うん、大丈夫」

 絵美はすぐに立ち上がって笑顔で伝え、すぐに走り出した。

 けれども何人かに追い抜かれ、ビリで到着。

「エミちゃん、膝から血ぃ出とるよ」

「私は平気だから、里乃ちゃん頑張って私のせいで遅れた分取り戻して」

 絵美はこう告げてバトンを手渡す。

「……分かった」

 受け取った里乃は、やや戸惑いながらも全力で走り出した。

「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」

 ジルフマーハはカナヨト王国民の間でも親しまれている小泉純一郎元首相の名言を呟き、ぽろりと涙を流す。

 里乃はゴール直前で一人だけ追い抜くことが出来、次のアンカーにバトンを手渡した。この子も一人追い抜いてくれ最終的に、一年四組は八クラス中六位に終わった。

 この競技をもって、お昼休みに入る。

(あの子の膝の怪我、感動を与えてくれたお礼に治癒魔法で治してあげんと)

 ジルフマーハは、救護所に向かおうしている絵美に向けて手のひらをかざす。

 すると、

「あれ? 痛みと傷が消えちゃった」

 絵美はこう呟いた。

 見事成功だ。

「おう、きれいに元通りやん。バルルちゃん達が魔法かけてくれたんやない?」

 すぐ隣を歩く里乃が突っ込む。

「きっとそうだね。見に来てるのかな?」

 絵美は周囲をぐるりと見渡してみた。

「姿見当たらへんね」

里乃も同じようにする。

「うん、でも絶対あの子達の魔法のおかげだよ」

この二人はこのあとお昼ごはんを食べるため、競技場近くのレストランへと向かっていく。その他の多くの生徒達もそちらへと向かっていた。

【ただいまの競技の結果をお伝えします。一位、二年三組。二位、三年一組……】

 そんな中、こんなアナウンスが流され、

「だからぁ、順位なんてどうでもいいねん。どの競技についても言えるけど、なんでそんなに順位に拘るの? 該当するクラスの子ぉら、おおーって叫んでパチパチパチって拍手して喜んではるけど、何が嬉しいんやろ?」

 ジルフマーハは不機嫌そうに呟き、ぷくぅっとふくれた。

 絵美と里乃が向かったお目当てのレストラン前。

「あっ、耕平くんに守也くんだ」 

「おう、偶然やね。ねえ、コウヘイくーん、モリヤくーん、一緒に食べよう!」

 ちょうど店内に入ろうとしたのを見かけ、呼び止める。

「俺は、かまわないけど」

 耕平は快く承諾した。

「オレも、べつに、いいぜ」

 守也も承諾してくれた。若干緊張している様子だったが。

「あの、絵美ちゃん、こけてたけど怪我はなかった?」

「膝を擦りむいたけど、すぐにきれいに元通りに治っちゃった」

 絵美は耕平の耳元で囁いた。

「そっか、それは良かったよ」

 耕平は嬉しそうな笑みを浮かべる。彼も心の中で、あの子達が魔法をかけたんだなと思っていた。

 店内に入ると四人掛けのテーブル席に向かい、耕平と絵美、守也と里乃が向かい合う形で腰掛けた。

「今日は暑いから天ざるそば定食にしよう」

絵美はメニュー表を手に取る。

「ワタシもそれにする」

「俺もそれでいいや」

「オレは、それプラス海鮮丼大盛りとステーキ定食と、かき氷も頼むぜ」

 守也はにこやかな表情で伝えた。

「食い過ぎだ守也。内臓に悪いぞ」

 耕平はやや呆れ顔。

「守也くん、やっぱりそれくらいは食べるんだね」

「モリヤくん、いつものお弁当よりは少なめじゃない? ついでにデザートのチョコレートパフェも頼んじゃいなよ。もう出る競技ないし、満腹食べても問題ないやろ?」

 絵美と里乃はにこっと微笑む。

「いや、腹七分目に抑えたいから、今回はこのくらいで」

 守也は照れくさそうに言う。

「あれだけ頼んでも腹七分目なのかよ」

 さらに呆れた耕平が代表して注文してからしばらく後、四人前の天ざるそば定食が数十秒置きに運ばれて来た。それから一分も経たないうちに守也の頼んだ他の三つのメニューもお盆に乗せられ同時に運ばれて来る。こうして四人のランチタイムが始まった。

「耕平くん、はい、あーん」

 絵美はいきなり耕平側の天ぷらの一片をお箸で掴み、耕平の口元へ近づけてくる。

「いや、いいよ。自分で食べるから」

 耕平は咄嗟に左手を振りかざし、拒否した。照れ隠しをするように、おまけで付いて来た冷や水に口を付ける。

「耕平くん、かわいい」

 絵美はにっこり微笑みながら、その様子を眺める。

「傍から見ると、本当のカップルみたいやね。モリヤくんも、はいあーん」

 里乃も絵美の真似をしてみたが、

「けっこうです」

 守也は里乃のお顔よりも大きいくらいの手のひらを里乃の眼前にかざし、拒否。

「モリヤくんは相変わらずコウヘイくん以上の照れ屋さんやね」

 里乃はにこりと微笑む。

「……」

 守也は照れ隠しをするかのようにステーキをがつがつ食らい付いていた。

 同じ頃、

(けっこう賑わってるね、ここも。あ~、甘くて美味しい♪)

 ジルフマーハはそのレストラン隣の中華料理店で大好物の杏仁豆腐を食していた。

「耕平お兄ちゃん達がいる陸上競技場は全然見えないよぅ」

「方角は合ってると思うけど、さすがに無理かぁ」

「残念です。高い建物が邪魔をしていますから仕方ありませんね」

 三姉妹は大阪城を散策中。三人とも天守閣の展望台から、カナヨト王国製の双眼鏡を使って北北西方向を眺めていた。

 それから数分後、

「午後からは、わたくし達も体育祭を見に行った方がいいかしら?」

「あたし、大阪観光の方がいい」

「わたしもそっちの方がいいです。体育祭はジルフマーハちゃんが代わりに見に行ってくれているようですし、あの子に任せておきましょう」

「そうね」

 三姉妹は城内の階段を下りていく最中に、こう打ち合わせる。

 午後一時頃、耕平達のいる陸上競技場では午後の部最初のプログラム、個人競技の男子百メートル競走が行われようとしていた。主に陸上競技部の短距離走の子が出場しているハイレベルな戦いだ。

 号砲が鳴り、一斉にスタート。十秒ちょっとで決着がついた。

「トップは一一秒三一か。オレの五〇メートルよりも速いな」

「守也、確か十一秒五三だったっけ?」

「ああ。途中で走るのやめたからな」

「五〇メートルくらいは全速力で走り切れないと、三学期のマラソンで地獄を見るぞ。俺も他人事ではないが」

 守也と耕平、こんな会話を弾ませている頃。

「これはいけませんね。次の組ではなんとかしなければ」

 保護者席に戻っていたジルフマーハは、若干険しい表情でこう呟く。

 それから二分ほどのち、 

「位置について、よぉい」

 次の組が号砲の合図と共にスタート。

 その直後、ジルフマーハは走者達に向かって両手のひらをかざした。

 すると、レースに異変が起きた。途中までけっこう差が開いていたが、ゴール付近になるとほぼ横並びになったのだ。

 そして、

『全員ほぼ同時にゴォール。タイムは……』

 放送部員の子からのアナウンス。のち、一瞬の沈黙。

『なんと、八人全員。一二秒三七。全く同じでしたぁ!』

 テンションの高い声でアナウンスされると、

「「「「「おおおおおおおっ!」」」」」」「マジかよ!」「計測器の故障ちゃうん?」「いや、でも同時にゴールしたように見えたよな?」

 観客席から驚きの声と、大拍手。

(大成功。でも、かなり疲れちゃった。みんな仲良く一等賞魔法は大人数にかける強力な魔法だもん)

 ジルフマーハはまるでさっきの競技に参加していたかのように、ゼェゼェ息を切らしていた。

『奇跡です。とんでもない奇跡が起こりました』

 競技場内。引き続きテンションの高い声でアナウンスされ、

「さっき、おれの足が勝手に速まったぞ」「オレもなんか急に足が軽くなったし」「どうなってんだ一体?」

 参加した生徒達がどよめく中、

(これは、バルルートちゃん達が魔法を使ったんだろうな)

「ねえねえ里乃ちゃん、さっきの、あの子達のうちの誰かの仕業だよね?」

「そうやろうね。そうじゃなきゃおかしいで。バルルちゃんかな? やっぱどっかで見てくれてはるんやろうね」

 耕平達三人は勘付いていた。

(あの魔法は、今日はもう無理。もっと鍛えなきゃね)

 ジルフマーハ、諦め宣言。

(そうや。中止にさせればいいんやっ!)

 しかし、すぐに別の方法を思いついたようだ。

(でも、天気を操る魔法はアタシには無理やから、あれや。でもかなりリスクあるよな。全国ニュース新聞沙汰になりそう。でも、今後の競技以降も続く醜い争いを回避させるためには、仕方ない。あっ、でも、あの魔法、みんな仲良く一等賞魔法以上に体力使うんやった。そうやっ! 助っ人を使おっ)

 ジルフマーハは、バルルートのスマホに連絡する。

『ジルフちゃん、どうしたのですか?』

 すぐに出てくれた。

「バルル、今どこおるん?」

『天王寺動物園ですよ』

「おう、ちょうどええ場所やん。ちょっと協力して欲しいことがあるねんけど。バルルの能力なら出来るやろ」

 続けて用件を伝える。

『……それは、絶対やめといた方が』

 それを聞いたバルルートは困惑した。

「ほんの数十秒だけ使うだけやから」

『しょうがないなぁ』

 バルルートは仕方なく承諾。電話を切った後、

「あの、ちょっと用事が出来たので、ここで少し待ってて下さいね」

 アシカを眺めていたマズアンとクリュカに伝えて、目的地へと移動する。

 陸上競技場にて次の個人競技、男子一一〇メートルハードルが始まろうとした矢先、

「うわっ」「きゃぁぁっ!」

 悲鳴が起きる。

 グァォッ!

 ゴァォ!

 こんな鳴き声も。

 陸上競技場のトラック上に突如、ライオンとトラが現れたのだ。

「うっ、嘘!」「どこから入って来たん?」「瞬間移動?」「あり得ん」

 観客席からも当然のようにどよめきが起きた。

『皆さーん、速やかに観客席に逃げて下さーっい!』

 放送部員の子は早口で指示を出す。かなり慌てている様子だった。

 天王寺動物園でも、

「あれ? どこいった?」「急に消えたよね?」「ママ、ライオンさんがいなくなっちゃった」

 来場者や飼育員さん達がどよめいていた。

「本当にこんなことしてよかったのかな?」

 バルルートが動物移動魔法を使ったのだ。

 陸上競技場では、あれからすぐに驚くべきことが起きていた。

「まったく、競技の邪魔しおって」

 力丸先生が、ライオンとトラに果敢に立ち向かって行ったのだ。

 そして、

 なんと彼は、その二頭の顔面に目にも留まらぬ速さでパンチを食らわせた。

 グァオッ!

 ゴゥォ!

 怯むあの猛獣達。

「あいつ、昨日アタシを追い出したセクハラ先生やん。すご過ぎる。人間技やないで。やっぱ魔王ちゃうん」

 ジルフマーハは双眼鏡越しに観察し、驚いた様子で呟く。

 次の瞬間、二頭ともパッと姿を消した。

「あれ? あいつら忽然と消えた。とどめさそうと思ったのに、まったく」

 力丸先生は目を丸くし、呆気に取られていた。

 天王寺動物園では。

「あれ? おる」「さっきの、ホログラム?」「今確かに消えた思うねんけど」「ママー、ライオンさん戻って来たよ」

 またもどよめきが。

(やっぱりあんなことしちゃダメですよね)

 バルルートがもう一度動物移動魔法を唱え、二頭とも天王寺動物園に戻してあげたのだ。

『被害が出なくて良かったですね。それでは、競技を再開致します。それにしてもさっきのは一体何だったんでしょう?』

 陸上競技場では、こんな素っ頓狂なアナウンスが。

男子一一〇メートルハードルに出場する生徒達は、安心した様子でトラックへと戻っていく。

「ありゃりゃ、作戦失敗や。想定外やで」 

 ジルフマーハは肩をがっくり落として嘆く。

 さっきの騒動にも、耕平達三人はあの子達の魔法だろうと推測出来たことで終始落ち着いた様子だった。ちなみに守也は、イヤホンをつけて大音量で携帯型ゲームに夢中で一切気が付かなかったという。

男子一一〇メートルハードルは、普通どおり明確な順位がついて終わった。

「おばちゃん、バルル達を派遣した高校、今日は体育祭やってるところでな、クラスや個人の順位付けなんかしてたからアタシ、今、天王寺動物園におるバルルに協力してもらってライオンとトラ召喚してもらって、競技中止させようと思ってんけど、無理やったわ。ヴァイキングを髣髴とさせるような恐ろしい顔のものすごい強い先生がおってな、二匹とも一撃で倒されてもうてん」

 ジルフマーハはスマホで三姉妹の母に申し訳無さそうに連絡する。

『そっか。ジルフマーハちゃん、よく頑張ったわ。成功はしなくても、競争を止めさせようと試みた意気込みは高く評価するわ。それに引き換え、あの子達は。観光がダメとは言わないけど、ちゃんと任務を果たしてからにしなさいって伝えといて』

 三姉妹の母はお褒めの言葉もかけてくれた。

「まあまあおばちゃん、さっきのはバルルの協力もあったし、責めんといてや」

 ジルフマーハそう言って、電話を切る。

午後三時頃、天王寺動物園。

園内の動物達を見終えた三姉妹は、併設されている売店へ立ち寄っていた。

「シロクマさんのお人形、欲しいなぁ」

「わたくしはこのコアラのキーホルダーが欲しいわ。スマホに付けたい」

「あの、あまり買い過ぎると香子お姉さんに叱られますので、なるべく五千円以内に収めておきましょう」

土産物を物色している最中に、マズアンの持っていたスマホの着信音が鳴り響く。

「やっぱりカヤロンちゃんかぁ。かかってくるの、一昨日日本に着いてからでも十五回目ね。心配性なんだから」

 番号を確認すると微笑み顔でこう呟いて、通話アイコンをタップした。

『マズアンお姉様達、何かトラブルには巻き込まれていませんか? 日本人に危険な目には遭わされていませんか?』

 するといきなり早口調で、深刻そうな様子で問いかけて来た。

「全く心配ないわ。いちいち電話してこなくても大丈夫だから」

『そっ、そうですか。今日はきちんと学校視察をされてますのですか?』

「いやぁ、今日は大阪城や天王寺動物園の見学を。これから通天閣へ行くところよ」

『今日も女王様の忠告を無視して観光なのですか。ジルフちゃんは今日もきちんと学校視察へ行ってますよ。さっき連絡あったの』

 ハァッとため息をつかれた。

「だって、せっかく日本に来たんだし、観光もしとかなきゃね」

 マズアンはてへっと笑う。

『ということは、やはり電車にも乗られたということですね?』

「ええ」

『マズアンお姉様達、昨日も言いましたようにマズアンお姉様達だけで国外の電車に乗るのは危険ですよ。日本の電車には他のヨーロッパ諸国のようなスリは滅多にいないようですが、痴漢と呼ばれる危険人物は大勢いると聞きますし』

「もう、心配性ね。昨日も今日も危険は全く感じなかったわ。わたくし達に、もし何か困ったことがあったらこっちから電話するからね」

 そう余裕の笑みで伝えて、マズアンは電話を切った。

「あーん、心配してあげてるのにぃ。ぷんぷん。もう知らない!」

 カナヨト王国、カヤロンの自宅リビング。固定電話から先ほどかけたカヤロンはかなり残念そうにしていた。一息ついて、朝食のデザートに大好物のチョコレートアイスクリームを頬張る。 

再び日本、大阪。

「この辺り、日本の中でワーストクラスに治安が良くないみたいだから、じゅうぶん気をつけて歩かなきゃね」

「マズアンお姉さん、警戒し過ぎですよ。祖父母が万博のついでに訪れた一九七〇年頃は相当危険な雰囲気が漂っていたらしいですが、今は明るいうちなら女性の一人歩きも安心して出来るようになっているみたいです」

「マズアンお姉ちゃん、きょろきょろしてたらマズアンお姉ちゃんが怪しい人に思われちゃうよ」

 三姉妹は天王寺動物園をあとにして、ジャンジャン横丁を訪れた。

「確かにそうね。まだ明るいし、有名な観光地だから、大丈夫だとは思うんだけど……」

 マズアンはまだ不安な心境。

「せっかくなので、名物の串かつを食べましょう」

「いいねえ、バルルートお姉ちゃん。カナヨト王国の郷土料理、チーズフォンデュみたいな食べ物なんでしょ」

 バルルートとクリュカは、とある串かつ専門店に立ち寄ろうとしたが、

「やめておいた方がいいと思うわ。なんか怖い雰囲気が漂ってるし。串かつ食べるならもっとおしゃれでファミリー向けのお店にしましょう。そもそも串かつは、酔っ払いのおっさんのための食べ物だと思うわ」

 マズアンが後ろ首襟を引っ張って阻止。

「マズアンお姉ちゃんは心配性だなぁ」

「まあ確かに初心者には入り辛い雰囲気ですね」

 クリュカとバルルートは少し残念がった。

 三姉妹はジャンジャン横丁を抜けると、通天閣へと繋がる道を歩いていく。

 その途中、予期せぬことが三姉妹の身に降り注ぐ。

「あっ、あの、すいませーん」

 誰かに背後から、ぼそぼそっとした低い声で話しかけられたのだ。

「何かしら?」「何でしょうか?」「なぁに?」

 三姉妹は思わず立ち止まり、後ろを振り向く。

 そこに立っていたのは、背丈が一六〇センチくらいで眼鏡をかけた、四〇代くらいに見えるリュックサックを背負った小太りで薄毛の男性だった。服装はジーンズに赤いチェック柄の長袖Tシャツ。白のスニーカー履き。

「日本語、分かるみたいだね。よかった。写真、撮らせてもらっても、いいかな?」

 高そうなカメラを手に抱え、にやにやした表情で、こんなお願いをして来た。

「もちろんいいですよ」

「おじちゃん、かわいく撮ってね」

 バルルートとクリュカは快く承諾し、ポーズを取ろうとしたが、

「クリュカ、バルルート。このお方は危険人物よっ! 逃げるわよ」

 マズアンは顔を引き攣らせ、こう警告する。

「分かりました、マズアンお姉さん」

「逃げた方がいいのかな?」

 三姉妹は足早にその男性から遠ざかっていった。

「ありゃまっ、逃げられちゃったよ」

 男性は苦笑い。諦めて北方向、日本橋でんでんタウンの方へと向かっていく。

「日本に来て、初めて怖い思いをしたわ。本当にこの辺り、治安の良くない地域だったわね。さっきの変なおじさんはきっと痴漢よ。見るからにそんな感じがしたわ」

「マズアンお姉さん、外見で判断して即逃げるのは失礼だと思うのですが……」

「マズアンお姉ちゃん、さっきのおじちゃん変なおじさんバージョンの志○けんになんとなく似てて、面白そうだったでしょ?」

「でも、一学期に地理の授業で先生から、ああいう特徴の人物には女性は特に要注意って教わったから」

「その先生、視野が狭いですね。日本ではイケメンと呼ばれている容姿端麗な男性は性犯罪を起こさないと思い込んでいそうです。さっきのお方は、カメラ小僧と呼ばれる人だと思いますよ。わたし達が外国人だから珍しく思われたのでしょう」

「そうかしら? まあ万が一のために逃げておいて良かったと思うわ」

 こうして三姉妹は無事、通天閣へ辿り着くことが出来た。

 桜豊高校の体育祭は、あれ以降の競技も当然のように明確な順位がついて終わり、午後四時頃に閉会式まで終了。

(表彰式も酷いもんやったね。最優秀クラスとか出さんでもええやろ。あのクラスの子だけやなく他のみんなも頑張ってたやん。体育祭の醍醐味っていうのは競争することやなくて、競技をドラマティックに楽しむことやろ。順位とかどうでもええねん。しかしあのやり方でも楽しそうにきゃあきゃあ盛り上がってた子はいっぱいおったし、日本人の感性は理解出来んわ~)

 ジルフマーハは不満そうに競技場をあとにする。

生徒達の解散後、生物部の三人は学校へ向かってお花の水遣りをしに行ったため、耕平が帰宅したのは午後六時を過ぎた頃だった。

「おかえり耕平ちゃん、わたくし達もさっき帰ったところよ。今日はわたくし達、大阪城と天王寺動物園と通天閣を巡って来たわ。やっぱり本物の大阪城は迫力が全然違ってたわ」

「天王寺動物園ではカナヨト王国には棲息してない動物さんがいっーぱい見れて、すっごく楽しかったよ」

「通天閣も中に面白い施設がたくさんあって、非常に楽しめました」

 昨日と同じく、一足先に帰っていた三姉妹が満足げな様子で今日の出来事をいろいろ報告してくる。

「そっか。あの、今日、競技場にライオンとトラが現れて、すぐに消えたんだけど、ひょっとして……」

 耕平はバルルートの方をちらっと見る。

「はい、大変申し訳ございません。ジルフちゃんにしつこく頼まれて断り切れなくて」

 バルルートは苦笑いし、決まり悪そうに伝えた。

「バルルート、あの時そんなことしてたのね」

「バルルートお姉ちゃん、動物移動魔法をそういう風に使っちゃダメだよ。あれはすき間に挟まって出られなくなったネコさんとかを助けるために使うものだからね」

「はい、次からは気をつけます」

 このあと七時頃に香子、七時一五分頃に父が帰宅。

七時半頃から、応接間にて全員揃っての賑やかな夕食会。

八時四〇分頃。今日も耕平が入浴中に、

「やっほー、耕平ちゃん」

「失礼します」

「耕平お兄ちゃん、一緒に入ろう!」

 三姉妹が割り込んで来た。

「またかよ。入って来ないでって言っただろ」

 湯船に浸かってゆったりくつろいでいた耕平は咄嗟に壁に視線を向ける。

「耕平ちゃん、今日は水着を付けてるんだからいいでしょう?」

 マズアンにこう言われるも、

「そういう問題じゃ……」

 耕平は壁から視線を移そうとはしない。

 クリュカは昨日と同じくすっぽんぽん、マズアンとバルルートは日本の学校でお馴染みの紺色の女子用スクール水着を着けていた。マズアンはきつそうだった。

「あんた達、また耕平に性的な乱暴を――それ、うちの中高時代の水着。勝手に着んといてよ。まだ着るかもしれんのに」

 ほどなく香子がすっぽんぽんで乱入してくる。

「……」

 耕平は困惑顔を浮かべて湯船から上がり、足早に浴室から出て行った。今日は入浴時間がずれたためか絵美の訪問は無し。

夜九時頃、耕平が机に向かって英語の宿題に励んでいたところ、外から、

「おーい、耕平くーん」

 と絵美の声が聞こえてくる。

「絵美ちゃん、どうしたの?」

 耕平は窓を開け、問いかける。

「あの、明日、クリュカちゃんとバルルートちゃんとマズアンちゃんと、里乃ちゃん、皆で三宮へ遊びに行こう。大阪は大都会過ぎて落ち着かないから。都合がつけば香子ちゃんも誘って。明日の夜にはお別れだし」

 斜め向かいの部屋にいる絵美から、こう伝えられた。

「それはいいね。あの子達にとって、最後の思い出作りにもなるだろうから」

 耕平は快く賛成する。

「それじゃ、明日ね、耕平くん」

 絵美は満面の笑みを浮かべながら、就寝前の挨拶をして窓を閉めた。

そのあと耕平は、風呂上りの三姉妹と香子にさっきの連絡事項を伝える。

「行く、行くぅ!」

「わたくしももちろん行くわ」

「わたし達のために、お別れ会のようなものを計画して下さり、誠にありがたいです」

 三姉妹は参加意欲満々。とても嬉しそうだった。

「うちは行けんわ。原稿の〆切が近いし、皆で楽しんで来て」

 香子は残念そうに参加を拒否。ちなみに香子は、今夜も耕平のお部屋に泊まりに来た。

(姉ちゃんの顔の上にこっそりスズムシ置いてやろうかな。でもそうすると、あとで絶対ぼこぼこにされる)

 そんな恐怖がよぎり耕平は、文句は言えなかった。

「探偵ナ○トスクープ、めっちゃ面白いやん。カナヨト王国でも放送して欲しいな」

 ジルフマーハは、今夜もJR大阪駅近くのビジネスホテルに宿泊したのであった。

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