第一話 平等主義魔法少女三姉妹、日本に参上

放課後。耕平、絵美、里乃の三人は一緒に部活動拠点の校舎中庭へと向かって行く。三人とも同じ生物部に所属しているのだ。

耕平は入学当初、部活に入るつもりは無かったのだが、絵美によって無理やり入らされた形となった。絵美にとって耕平は、里乃よりもさらに古い幼馴染。そのためか絵美は耕平が高校生活を無味乾燥に過ごしてしまうのではないかと心配していたのだ。

ただそれが、絵美が耕平を生物部に強制入部させた最たる理由ではなかった。

絵美と里乃が高校入学式前から入部しようと決めていた生物部は、四月当初部員数0で廃部の危機にあった。存続のためには部員を三人以上集めなければならず、耕平も入部させたことによって廃部を免れたわけである。生物部員は今も、この三人だけだ。

「ちょうど芙蓉のお花が満開だね。きれーい」

「まだまだ暑いけど、お花はすっかり秋の装いやね」

 絵美と里乃は中庭花壇に植えられたそのお花の前で足を止め、中腰でうっとり眺める。 

「今日は水遣りした方がいいよな」

 耕平は花壇近くの水道蛇口を捻り、ジョウロに水を浸した。

「耕平くん、任せたよ。私は草引きをしておくね」

「ワタシもそうするよ。いつの間にかたくさん生えとるね。時間かかりそう」

 絵美と里乃はそう伝えると自前の軍手をはめて、草引き開始。

「里乃ちゃん、ダンゴムシさんって、癒し系だよね」

「うん、ゴキブリやクモやナメクジは気味悪いけど、こいつは好きや。特に丸まった姿」

 しゃがみ姿勢で楽しそうに作業を進めていく。

中庭花壇には他にも孔雀草、玉簾、杜鵑などなど色とりどりの秋のお花がたくさん咲き乱れていた。耕平はそれらへ丁寧に水遣りをしていく。

今日の活動のメインは、梨の収穫。

中庭花壇の水遣りと草引きを終えた耕平達三人は裏庭の、梨の木が植えられてある場所へと移動していく。そこはちょうど屋外プール裏になっていた。

「なんかこの間よりちょっと減ってる気がするねんけど、誰か取ったんやろうね。一言断って欲しかったな」

「まあいいじゃない里乃ちゃん、とっても美味しいんだから皆食べたいんだよ」

「生物部だけのものじゃないし、鳥が食った可能性だって大いに考えられるな」

 三人はたわわに瑞々しく実った果実を、手で一つ一つもぎ取ってビニール袋に詰めていく。

 その最中、

「コラァッ、橋下ぉっ! 何やっとるねん? おまえのせいで他の子の足引っ張ることになるねんぞ。おまえが一番遅いねん」

 こんな怒声が轟いた。

 プールサイドからだった。

「びっくりしたー」

 里乃は思わずそっちを振り向く。

「あの子、また顧問の先生に叱られてるよ。かわいそう」

 絵美は憐憫の眼差しで金網越しに見守る。

 目下、水泳部員達が次の大会に向けて練習中なのだ。

「メドレーリレーの記録がかかってるみたいだね。スポーツ競技は勝敗に拘らず、楽しくやるべきだよな」

「そうや、そうや」

「私も耕平くんの考え方に同意だよ。勝ち負けよりも競技を楽しむことだよね」

三人でこう話し合っていると突然、

「皆さん、素晴らしい考えの持ち主ですね」

 こんな声が聞えて来た。

「ん? 今どこかから声がせんかった?」

「うん、俺にも聞こえた。この木の上のような……」

「きっとそうだよね」

 三人が梨の木隣の大きなクスノキの前へ歩み寄り見上げてみると、

「その通りです。尋常じゃなく暑かったのでここに隠れていました。きゃっ、きゃぁっ」

 そんな声と共に、生い茂る葉っぱの間から人の姿が――。

 見えた瞬間、落下して来た。

「いたたたぁ。滑ってしまいました」

 落ちて来た子は梨を頬張りながら伝える。姿をよく見るとさらさらなブロンドヘアーを三つ編みにして、黒縁の丸い眼鏡をかけ、鶯色の夏用ワンピースを身に着けていることが分かった。

「あっ、あの、ちょっと」

 耕平は仰向け姿勢で苦しそうにする。この子の下敷きになってしまったのだ。

「ごっ、ごめんなさい」

 この子は慌てて立ち上がり、ぺこんと頭を下げた。

「だっ、誰や? あなた」

「外国人?」

 里乃と絵美はぽかんとした表情で問う。

「あんな所に人がいるとは思わなかったよ」

 耕平は背中を押さえながらゆっくりと立ち上がった。

「はじめまして、日本の学生様。わたしの名前は、バルルートと申します。一三歳の中学二年生です。こちらの男の子のお名前は、平等耕平さんですね?」

 いきなりこう問いかけられ、

「なんで俺の名前を?」

 耕平は当然のように耳を疑った。

「わたし、つい一時間半ほど前からさっきまでこの木の上におりまして、涼しげなプールの様子をこっそり覗き続けてたんです。耕平お兄さんが、奈良東大寺の金剛力士立像のような魔王のような恐ろしい風貌の先生から、こら平等、と何度か怒鳴られ、クラスメートから耕平と呼ばれていたのを聞き、自然に覚えてしまいました。素晴らしい名前ですね」

「そういうわけか……」

 耕平は苦笑い。反応に困ってしまう。

「あの時からおったんか。全く気付かんかったわ。日本語やけに上手いね。あなたはどこの国から来たん?」

 里乃の質問に、

「カナヨト王国ですよ」

 バルルートが素の表情で答えると、

「カナヨト王国? そんな国、聞いたことないで」

里乃はぽかんとしたのち、怪訝な表情へ。

「シーランド公国みたいな、国家承認されてない小国かな?」

 絵美はこう推測する。

「はい、その通りです。カナヨト王国もその自称国家と同じくヨーロッパにありますよ」

 バルルートはきっぱりと伝えた。

「シーランド公国はイギリス沖だけど、カナヨト王国はどこの国の辺りなんだろ?」

 耕平が尋ねると、

「そこまでは秘密です」

 バルルートは笑顔でこう答える。

「なんか信じられへんなぁ。カナヨト王国なんて検索で出て来んよ」

 里乃はスマホのインターネット機能で調べてみた。

 その直後、

「おかっぱ頭のお姉ちゃん、ネットで検索されないから存在しないって考えは視野が狭いよ。さすが島国根性の日本人だね」

「こんばんはー、日本の皆さん。あらっ、うわっ。きゃっ!」

 もう二人、木の上から降って来た。

「よっと」

 うち一人は、地面に足から着地したが、

「ひゃっ!」

 もう一人は、耕平に直撃した。

「ぐわっ」

 耕平は目の前が真っ暗になる。

 耕平のうなじにこの子のお尻が乗っかって、スカートを被せられたのだ。

 まるで肩車をしているような形になった。

「ごめんねボク、狙ったわけじゃないの」

 そう謝って耕平の頭を馬跳びの要領で飛び越え地面に着地した。背丈は一七〇センチを越えていると思われ、面長でつぶらな緑色の瞳、胸の辺りまで伸びた黒髪のセミロングウェーブ、涼しげな水色のチュニックにレモン色のプリーツスカート、白のニーソックスに茶色のウェスタンブーツを身につけていた。

上手く飛び降りれた、三人の中で一番ちっちゃい子はオレンジ色のサロペットを身に纏い、ぼさっとした栗色ショートボブヘアー。日焼けした小麦色の肌、四角っこいお顔で、まっすぐに伸びた一文字眉、くりっとした青い瞳もチャーミングだった。

「まだおったんかっ!」

 里乃は少し驚く。

「この子達は?」

 絵美が問いかけると、

「わたしの姉と妹ですよ」

 バルルートは即答した。

「あたしの名前はクリュカだよ。十歳、小学四年生」

 栗色の髪の子は笑顔いっぱいで、

「マズアン、一六歳、高校一年生よ。初めまして」

 黒髪の子はやや緊張気味に自己紹介した。

「みんないいお名前だね。マズアンちゃんは私達と同い年か。私は山鳥絵美だよ。よろしくね」

 絵美はぺこんとお辞儀する。

「ワタシは瀬木里乃。ねえねえ、本当にカナヨト王国なんてあるん? ファンタジー小説とかRPGに出てくる架空の国ちゃうん?」

 里乃が怪訝な表情で問うと、

「お嬢ちゃんは日本にある全ての市町村名を答えることは出来るのかな?」

 マズアンが得意げな表情で逆に質問する。

「いやぁ、それどころか大阪府内でも無理や」

 里乃が苦笑いしながら答えると、

「そうでしょう。あなた達が住んでる地区の名前も、日本地図には載ってないでしょ」

 マズアンはこう言い返してにこっと笑う。

「確かにそうやけど、どうも納得いかん」

「里乃ちゃん、この子達の言うこと信じてあげようよ。私達が今住んでいる街のことですら知らないことだらけでしょう?」

「エミちゃんがそう言うなら、一応信じるけど。三人とも外国人なのに日本語ペラペラやから、日本育ちの外国人やないの?」

「違うわ。わたくし達三人とも、今回が日本初訪問よ」

「そうなん? けど普段から日本語で話してそうな流暢さやね」

 腑に落ちない様子の里乃に、

「だってカナヨト王国の公用語は日本語だもん」

 クリュカはにこにこ顔で伝えた。

「マジで? 信じられへん」

「本当なの?」

「日本語って、日本でしか公用語としては使われてないんじゃなかったのか?」

 当然のごとく驚いた里乃達三人の反応を見て、バルルートはにっこり微笑み、

「じつはわたし達姉妹の祖父母は、カナヨト王国から初めて日本旅行をされたお方なんです。一九六四年のちょうど今くらいの時期、祖父母はカナヨト王国以外の国の人から、これからの時代はカナヨト王国に留まってないで、よその世界も見た方がいい。日本はカナヨト王国に負けないくらいとても安全な国だから、まずはそこから見てみないかと勧められたそうです。祖父母は最初乗り気ではなかったのですが、ちょうど日本の首都、東京でオリンピックが開催されることもあり、祖父母は一応見に行ってみるかという結論に至ったそうです。祖父母はさっそくパスポートを申請し、十月半ば頃に専用機で日本へ向かいました。オリンピック観戦後、浅草と両国も訪れまして、とりあえず観光してみると、日本文化と落ち着いた町並みが楽しめてとても気に入ったようです。祖父母は他にも鎌倉や箱根温泉を観光し、開通したばかりの新幹線にも乗って十日ほど日本に滞在し、カナヨト王国へ帰国後、カナヨト王国の人々に習得した日本語を伝えました。わたし達の住むカナヨト王国は国土が狭く、人口も少ないので日本語が僅か数ヶ月で国全体に広まり、一九七〇年にはカナヨト王国の公用語となったそうです。そんなわけでカナヨト王国の人々は、日本語をごく自然に話すことが出来ているのです。日本人名のお方もけっこうたくさんおられますよ。年配の方々ももはやカナヨト王国独自の言葉は日常会話では使いません。祖父母ももう忘れたとおっしゃっています」

 ゆったりとした口調で楽しそうに長々と説明してくれた。

「そうなんや。日本以外でも日本語が使われとる地域があるんやね」

「教科書には載ってない事実だね」

「世界は広いな。自国の言葉捨てるのに抵抗なかったのか気になるな」

「当時の国民全員、全く未練がなかったそうですよ。なんといっても日本語は文字の種類が無数にあり、豊かな表現が出来ますからね。祖父母は東京観光した際、当時カナヨト王国民の間で日本語と考えられていた、でげす、てやんでぇ、わっち、という言葉遣いをする人を一人も見かけず、とても驚いたそうですよ」

「それ、江戸時代の言葉やから」

 里乃はくすっと笑う。

「カナヨト王国はけっこう親日的な国みたいだな」

 耕平は好印象を持ったようだ。

「はい、とっても親日的ですよ。ただ、カナヨト王国民には日本人に恐怖心を抱いている方も未だ多くおられます。日本を、日本刀を振り回すお侍さんが蔓延る国としてイメージされていますから。わたしも正直なところ、あなた達のことがちょっと怖いです」

「あたしもー。耕平お兄ちゃん達、日本刀とか隠し持ってないよね?」

「わたくし達を、不審者だからって襲わないでね」

 ちょっぴり警戒心を示した三姉妹に、

「今の時代、そんな人はテーマパークとかのショーや時代劇に出る役者さんの演技でしか見られないから怖がらないで」

 絵美はにっこり笑顔で優しく話しかける。

「外国人らしい発想だな」

 耕平は思わずくすっと笑ってしまった。

「確かに日本人にも怖い人はいっぱいおるけど、ワタシ達はそんなことないよ。それにしてもあなた達、さっきから思うねんけど、ものすごい汗やね。真夏にマラソンした後みたいや」

全身滝のようにポタポタ汗を流し続けていた三姉妹を、里乃は不思議そうに見つめる。 

「だってあたし達、暑さに弱い民族だもん。大阪に着いてから汗が止まらないよ」

「日本の大阪では、今の時期屋外だと瞬く間に汗だくになっちゃうわ」

「あの、皆さん、香水でにおいを隠しているゆえに気付いてないと思いますが、わたし達はカナヨト王国を旅立ってから丸四日間、お風呂に一切入っていないものですから不潔ですよ。服は毎日替えてはいますが」

 三姉妹は苦笑顔で申し訳なさそうに伝える。

「それじゃ、これからみんなで箕面温泉へ行こう! 電車に乗ればすぐだよ」

 絵美が誘うと、

「お気遣い、誠にありがとうございます」

 バルルートはぺこんとお辞儀した。

「マズアンお姉ちゃん、温泉だって!」

 クリュカはやや興奮気味になる。目をきらきら輝かせていた。

「箕面は日本の紅葉の名所としてカナヨト王国民の間でもそこそこ知られてるけど、温泉もあったのね」

 マズアンの表情もほころんでいた。

「まあ、近場に有馬温泉があるからマイナーやね。でもきっと気に入ると思うよ」

 里乃は自信を持って言う。

 そういうわけで耕平達三人は今日の活動をここで打ち切り、三姉妹を箕面温泉へ案内することにした。

「わたくし達が取った梨、元に戻しておくわね」

 マズアンはそう告げると、枝にハンカチのようなものをかざした。

 外すとなんと、もぎ取られた梨が元に戻っていた。

「おう、手品や」

「すごいな」

 里乃と耕平は感心する。

「今の、魔法だよね」

 絵美は嬉しそうに質問した。

「その通りよ。わたくし達三姉妹は、魔法使いなの」

 マズアンがさらっと告げると、

「やっぱり♪」

 絵美は嬉しそうな反応をしたが、

「えっ! 魔法使い!?」

「ほんまなん? 手品やろ」

 耕平と里乃は疑う。

「マズアンお姉さんが先ほど披露したのは、まだ手品の範疇から飛び出してないですね。わたしがもう少し魔法らしい魔法をお見せしますね」

 バルルートはそう伝えて、梨の木に向けて両手をかざす。

「梨の実さん、増えて下さい」

と呪文を唱えると、

 梨の実が枝にポンポンっと現れ、新たに十個以上は増えたのだ。

 さらに、周囲にあった枯れかけていた草花も元の青々とした状態へ戻った。

「すっ、すごい!」

「これは、魔法やね、完全に」

 耕平と里乃も、これには驚く。

「カナヨト王国にはあたし達みたいな魔法使いがいっぱいいるんだ。でも皆が皆、魔法を使えるわけじゃないよ。魔法使いになれるのは、それなりに訓練して来た子だけだよ。日本人の能力に例えれば、剣道初段以上みたいな感じかな」

「魔法使いのうち、わたし達のような二〇歳未満の女の子は魔法少女と呼ばれていますよ。カナヨト王国では魔法使いは日本の忍者のような伝統文化でして、わたし達のように趣味として嗜まれているお方がたくさんいます。わたしは幼い頃からの大親友の、ジルフマーハちゃんとカヤロンちゃんに誘われて、一緒に魔法使いになったのですよ。ちなみにカナヨト王国の魔法使いは、日本の忍者の上忍、中忍、下忍のような身分の差もありませんよ。老若男女皆平等なのです」

 バルルートは照れ笑いする。

「みんな仲良しってことだね」

「階級がないわけだな」

「っていうか、あなた達が魔法使いってこと、ワタシ達にバラしてよかったん?」

 里乃が問うと、

「はい、皆さんになら特に問題ないと思いまして」

バルルートはきっぱりと答えた。

「そっか。ワタシ達、信頼されてるんやね。嬉しいよ。日本へ来たんは観光旅行目的?」

「いえいえ、このたびわたし達はママから、日本の競争主義的な学校教育方針に辟易している子達への人助けをして来なさいと命じられ、日本へやって来たのです」

「そうなんか。頑張ってやー」

「大変な使命を課されたんだね。こんな時こそ、温泉に浸かって気分リフレッシュだよ」

 里乃と絵美はいたわりの言葉をかける。

「お気遣いありがとうございます。ちなみにわたし達が、なぜ大阪を選んだのかといいますと、日本人の中でも特に競争心の強い民族が集まる地域だとママから教わったからです」

「外人さんには、大阪の人は競争好きって思われてるのか」

 耕平は疑問に思った。

「大阪は商人の町として発展して来た歴史があるでしょう。商売には競争が付き物。そういう理由で大阪人は競争好きって考えられてるみたい」

 マズアンが伝えると、

「イタリア人は陽気ってくらい一部の人にしか当てはまらん認識やね」

 里乃はにこにこ笑う。

「私も競争は嫌いだよ。人間関係にいがみ合いが生まれるし」

 絵美は軽く苦笑いして主張した。

「カナヨト王国民の意識では、順位付けしていいのは観光施設の面白さ。果物やお茶などの品種の味や、山の高さとか気温・降水量とかの自然界のことと、野生動物の危険度、治安といった個人の生命に関わることだけってされているわ。学力とか、スポーツの出来とか、歌や料理の上手さとか、個人の能力を序列化するのはご法度なの」

 マズアンは加えて説明する。

「そんなカナヨト王国の歴史は日本ほどではありませんが、わりと古いですよ。十五世紀前半、争いごとを嫌うとある村の住人数百人が、フス戦争から逃れるために広大な森の奥地にカナヨト王国を建国したことが起源とされています。以来、二〇世紀の第二次世界大戦も終わって十数年後に至るまで、他の地域の住人に一切気付かれることなく、独自の文化を築き上げて来ました」

 バルルートは沿革を大まかに語り始めた。

「日本でいうと、岐阜の白川郷や徳島の祖谷みたいな、隠田集落的なものか?」

 耕平が問いかけると、

「似たようなものですね。他の地域で魔女狩りが深刻化していくなか、カナヨト王国では逆に魔法使い文化がどんどん成熟していきましたよ。現在は他の地域に住む方々の観光、さらには移住も認めています。ただ、それには国境検問所で非常に厳しい人格審査の突破が必要です。世界一良い治安を保つため、犯罪人、犯罪者予備軍、殺傷能力のある武器類の徹底排除をするようにしていますから。モナコもびっくりの警備体制ですね。たまに悪いことをしようと企んでいるのに、良い人ぶって接してくる人もおられますが、そういった方は魔法の力で簡単に心を見破られますよ」

 バルルートはさらに詳しく説明してくれた。

「なんか、信じがたいけど」

「ワタシ、行ってみたいわー」

「私も」

「皆さんなら、カナヨト王国への入国許可が下りると思うわ。性格穏やかそうだし」

 マズアンは自信を持って言う。

「そうか?」

「ワタシ、そんなにいい人に見えるかな?」

「行けるなら、行ってみたい」

 絵美は期待を膨らませていた。

 みんなはここをあとにし、学校裏門へと向かって歩いていく。

その最中に、前触れもなくブワァッと突風が起きた。

「うわっ!」

 耕平は思わず声を漏らす。

 ほぼ同じタイミングで、

「きゃっ!」

「うひゃっ、風っ。ワタシのパンツが丸見えやん」

 彼の前を歩いていた絵美と里乃は慌ててスカートを押さえた。

今しがたこの二人の制服スカートが裏返った傘のごとく思いっきり捲れ、ショーツが露になったのだ。ちなみに二人とも地味な白だった。

「耕平くん、見た?」

「見たよねー? 絶対。怒らへんから正直に答えて」

 絵美と里乃が目を見つめて問い詰めてくる。

「うっ、うん。でも、わざとじゃないって」

 耕平は焦り気味に弁明する。

「分かってるよ」

 絵美はにっこり微笑んだ。

「見てないって答えてたら、ワタシ、コウヘイくんのほっぺたパッチンしてたかも」

 里乃はにやりとする。

 その傍らで、

「こらクリュカ、魔法を悪用しちゃダメって学校でも先生に再三言われてるでしょ」

「いたたたぁっ。痛いよマズアンお姉ちゃん。ごめんなさぁい」

 マズアンがクリュカの両こめかみをこぶしでぐりぐりしている光景があった。

「さっきの、クリュカちゃんが?」

「あれはクリュカちゃんの魔法やったん?」

 絵美と里乃はクリュカの方を向いて問う。

「うん、ごめんなさーい。スカート捲りの魔法、あたしの通ってる学校でも大流行だよ。一番簡単な魔法だもん。特に男の子に大人気なんだ。先生に見つかるとめちゃくちゃ叱られちゃうけど」

「クリュカちゃん、スカート捲りは日本の女の子も嫌がるからやったらダメだよ」

 絵美は優しく注意した。

「はーい」

「魔法でスカート捲るんは古臭いよ。DVDで見た三〇年くらい前のド○えもんの映画でもそんなシーンあるし。それにしても、あなた達三人とも、魔法少女って雰囲気が全くせんね。魔法少女いうたらもっとフリフリした可愛らしい衣装身に着けて、黒のとんがり帽子被って、手にステッキ持って。それから、変な小動物も連れてて」

「それは日本人がテレビアニメなどで勝手にイメージした魔法少女像ですね」

 バルルートはにこやかな表情でずばっと言った。

「日本にも泥棒さんが多くいるみたいだけど、唐草模様の風呂敷背負って口ひげ蓄えた、昭和の漫画的な泥棒さんはいないでしょう。それと同じことよ。里乃ちゃんも、制服を着てなかったら高校生って雰囲気じゃないでしょ。小学生に見えるわ」

「里乃お姉ちゃんは、あたしより一つ上くらいかなーって思ってたよ。マズアンお姉ちゃんと同い年には見えなーい」

 マズアンとクリュカに笑顔でこう突っ込まれ、

「それは失礼やで。まあワタシ、私服で歩いてたら未だに小学生に見られるのは事実やから」

 里乃は苦笑いする。

「それじゃぁ、箒に乗って空を飛んだりもしないの?」

 絵美が質問すると、

「もちろんよ。あんなバランスが悪いに乗って空を飛んだら怖いじゃない」

 マズアンはにこにこ微笑みながら答えた。

「カナヨト王国の魔法使いが空中移動をする時は主に、畳に乗りますよ」

「へぇ。変わっとるね。アラジンみたく絨毯なら分かるけど」

「和風アラジンだね」

 想像してみて、里乃と絵美は思わず笑ってしまう。

その直後、

「あら、こちらの方達は?」

 大八木先生がひょっこり姿を現した。

「あっ、大八木先生、見回りに来たんやね」

 里乃はびくっと反応する。この子達のこと、どう説明しようかなと次の瞬間考えた。

「こんばんは、おばちゃん」

「はじめまして」

「あっ、どうも」

 三姉妹はやや緊張気味に、ぺこんと頭を下げ会釈する。

「この子達は、外国人観光客なんです。箕面を訪れようとしたら、道に迷ってここに来てしまったようでして、私達が、そこへ案内しようと思いまして」

 絵美は爽やかな表情で冷静に説明した。

「そっか。山鳥さん達はとっても親切ね。それじゃ」

 大八木先生は信用し切った様子で財布から一万円札を二枚取り出し、絵美に渡してくれた。

「あの、いいです。そんな大金」

 絵美は断ろうとしたが、

「いいから、受け取って。海外からのお客様に最高のおもてなしをしてあげなさい。お釣りも返さなくてけっこうよ」

 大八木先生は渡して来て、茶道部の活動場所へと戻っていった。そちらをメインで受け持っている。生物部にはたまーに見回りに来る程度で、基本的にこの三人にお任せしているのだ。

「先ほどの大八木先生というきれいなお方は、耕平お兄さん達の担任の先生ですか?」

「そうや。桜豊高一の美人教師なんよ」

「確かにそんな感じのおばちゃんだったね」

「京美人って感じね」

 クリュカとマズアンも好感が持てたようだ。

「きれいなだけじゃなく、生徒思いで優しくて素敵な先生だよ」

 絵美は笑顔で伝える。

「テストの採点はけっこう厳しいけど」

 耕平は苦笑いで加えて伝えた。

みんなは学校の敷地内から出て、最寄り私鉄駅へと向かって歩いていく。

「あの、不思議に思うねんけどあなた達、わざわざ外国からやって来て、よくこんな特に有名でもない郊外の町選んだね。大阪やったら普通一番中心の大阪市に来るやろ」

 里乃は感心すると共に不思議がる。

「お母さんが事前に大阪府の詳細地図を広げて、ダーツを当てて決めたの」

 マズアンが伝えると、

「所さんの番組のやり方やん」

 里乃は思わず笑ってしまう。

「この近くには伊丹空港があるけど、バルルートちゃん達は外国からだから関空経由でここまで来たんだよね?」

 絵美の質問に、

「いいえ、自家用機で自宅から直通で来ましたよ」

 バルルートは笑顔で答えた。

「自家用機持ってるのか。大金持ちなんだな」

「羨ましい」

「ワタシ、自家用機持ってるセレブな人に生まれて初めて出会ったよ」

 耕平達三人は驚きの反応を示す。

「カナヨト王国の人々は今や、日本人のマイカーみたいな感覚で自家用機を所有し、世界各地を旅行しているので、特別なことではないですよ」

 バルルートはにこっと笑った。

「国民全員がお金持ちってわけか」

「すごい国だね」

「どんな国なんかめっちゃ気になる。ここまでご両親か祖父母に送ってもらったんやね」

「いいえ、わたし達だけで来ましたよ」

「えっ! 運転出来るん?」

 里乃が驚き顔で尋ねると、

「わたし達には無理です。でも自動運転なので」

 バルルートは素の表情でさらりと答えた。

「あたし達の乗って来た自家用機は、地球上の行きたい場所の緯度・経度を入力して、スイッチを押せば自動運転してくれるんだ」

 クリュカは自慢げに言う。

「その自家用機、すごく気になるぅ。どこにとめてあるの?」

 絵美が興奮気味に質問すると、

「ここだよ」

 クリュカは自分のリュックを指し示した。

「コンパクトにまとめちゃいました」

 バルルートは爽やかな表情で説明を加える。

「本当に?」

「小さ過ぎやろ?」

 耕平と里乃は疑いの心を持つも、

「どんなのかな?」

絵美はすっかり信じ切っていた。

「見せてあげるね」

 クリュカはリュックから取り出すと、

「この形、庵みたいや」

「本当だ。そっくりー」

「ユニークな形だな。飛行船に全く見えない」

 里乃達三人は思わず笑ってしまった。

 船体は本当に日本家屋の象徴、庵に良く似ていた。手のひらサイズだった。

「膨らませるね」

 クリュカは麦茶と書かれた、日本のコンビニやスーパーでもごく普通に売られている五百ミリリットルペットボトルをリュックから取り出し、中の液体をぶっかけた。

 すると瞬く間に膨らんでいき、ついには高さが二メートルくらいまでになった。

「すごーい」

「本当に、三人が乗れるようなサイズになった」

「こりゃ増えるワカメちゃんの比やないで」

 当然のように驚いた絵美達三人。 

「この飛行船も魔法で出来たのか?」

 耕平が質問した。

「いいえ、これは純粋な科学技術ですよ。カナヨト王国の理工系の技術者さんに作ってもらいました」

 バルルートが淡々と答えると、

「そうなのか。カナヨト王国は科学技術が相当発達してるみたいだな」

「科学技術立国日本、完敗やね」

「まるでド○えもんの世界だよ」

 三人は舌を巻いた。

「ステルス機能と防御機能もすごいわよ。飛行中はレーダーに感知されないどころか、人の目にも映らないの。雷が直撃しても、隕石が衝突しても、ミサイルを打ち込まれても全くの無傷なくらい頑丈よ。みんな、中もご覧になってみて」

 マズアンはそう言うと、障子の形をした扉に指を掛け、ガラリと引いた。すると船内の様子が露になった。

三姉妹に続いて、耕平達三人も船内へ入ってみた。

 内部はお茶っ葉の仄かな香りが充満していた。

船内を見渡してみると、畳敷きの床の上に冷蔵庫や電子レンジや炊飯器やトースター、洗濯機、薄型テレビ、HDDレコーダーが設置されてあり、マンガやラノベ、アニメ雑誌やアニメブルーレイソフト、携帯ゲーム機、ゲームソフト、トランプ、ウノ、人生ゲームなどの娯楽品も揃えられてあることが分かった。

「これらの家電って、日本の製品だよな。シャー○とか東○とかパ○ソニックとかって書かれてあるし」

「ほんまや。電○文庫とかフ○ミ通文庫とかM○文庫とかアニ○ディアもあるし」

「タ○ラトミーやバン○イのおもちゃもあるね。私もこれ持ってる。カナヨト王国でも売られてるんだね」

「日本で流通されているコミックスや雑誌、小説、その他書籍、玩具、ゲームソフト、CD、アニメやドラマのDVD・ブルーレイ、食料品、衣類、家電製品、その他日用雑貨といった生活必需品がカナヨト王国でも入手出来るのは、カナヨト王国の国家公務員の方達が自家用機で頻繁に日本へ出向かい大量購入し、カナヨト王国へ持ち帰って転売しているからなのです。また、個人旅行するさいに現地で購入してくる場合も多いですよ」

 バルルートの説明に、

「そういうことか」

「日本人が知らず知らずのうちに国際交流しとったんやね」

「素敵な話だね」

 耕平達三人は興味深そうに耳を傾けた。

「カナヨト王国側からは、日本へ何も与えていないのですがね」

 バルルートは苦笑いを浮かべ、申し訳なさそうに伝える。

「燃料を見たらきっともーっと驚くと思うわ」

 マズアンは得意げな表情で言い、船内隅の方にあったタンクの蓋を開けた。

 中は、薄緑色の液体が浸されていた。

「この香り、色、もしかして……煎茶?」

 耕平が尋ねると、

「正解っ! 正真正銘本物の煎茶だよ。飲んでも美味しいよ。たった一リットルで二万キロメートル走行出来るのーっ! 地球およそ半周分だよ」

 クリュカは自慢げに答えた。

「煎茶の燃料でそんなに長距離飛べるなんて、凄いねー」

「ジェット燃料じゃなく、ごく普通の煎茶とは……」

「超未来的やー」

 三人は改めて驚かされたようだ。

 みんな飛行船から外に出ると、

「元に戻すよ」

 クリュカはそう伝えて、飛行船上部にある鬼瓦的な部分を、よじ登って手で押した。

 すると、シューッという音と共に飛行船は見る見るうちにしぼんでいき、手のひらサイズまでになった。

「これが空を飛べるなんて――」

「ド○えもんのひみつ道具にあってもおかしくないよね」

「中にあった物は、どうなっちゃったんやろ?」

 耕平達三人はあっと驚いていた。

「同じように縮小されてるよ。質量もね」

 クリュカはこう説明すると、高さ三センチ横幅一センチほどの大きさにまで縮小された出入口扉を人差し指の爪をかけて開け、中を里乃達三人に見せてあげた。

「本当に、日本の科学技術以上やね」

「既存の物理法則では説明出来ないよな」

「さすが魔法使いが実在する国なだけはあるよ」

 覗いてみた三人はまたしても驚く。

「カナヨト王国でここ二〇年以内くらいに開発された飛行船は全部、コンパクトに出来る機能を持ってるんだよ。日本で創られた大人気娯楽作品、ド○ゴンボールに出て来たアイテムを参考にして開発したらしいよ」

 クリュカは自慢げに説明し、圧縮された飛行船をリュックにしまった。

 再び足を進めたみんなは、学校最寄りの私鉄駅へ。

 ホームへ出ると、

「この電車、小豆羊羹みたーい」

 クリュカは嬉しそうに叫び、停車していた車両に近寄っていく。

 関西人にはお馴染みの阪急電鉄だ。

「カナヨト王国で出版されている日本の電車図鑑の写真の通り、雅な形ですね。雲雀丘花屋敷行き。豪邸が立ち並んでそうな地名ですね」

「高級感があるわね。写真撮らなきゃ」

 マズアンとバルルートはスマホを肩に掛けていた鞄から取り出し、カメラ機能で撮影をする。

「スマホも同じ形なんやね。ワタシのスマホからもそっちへかけれるんかな?」

「申し訳ないですが、これはカナヨト王国製なので、日本で作られたスマホからは不可能なのです。わたし達のスマホからそちらへかけることも。優れた人格者の里乃お姉さん達には大変申し訳ないのですが、異国の方と不用意に接触しないようにするための安全策なのです」

「そうか、そりゃ残念やね」

 里乃はそう思いながらも、カナヨト王国民の意図には同情出来た。

 みんなはほどなくしてやって来た各駅停車に乗り込む。

乗車中。

「そういえば、耕平お兄ちゃんと絵美お姉ちゃんは、里乃お姉ちゃんみたいに関西弁で話さないね。生まれは大阪かその他の関西エリアじゃないのかな?」

 クリュカはふとこんな疑問が浮かんだ。

「俺は両親も含めて大阪生まれだけど、使わないな」

「私も大阪生まれの大阪育ちー。関西人だからって皆が皆、関西弁で話すわけじゃないよ」

 耕平と絵美はやんわりと伝える。

「そうなんだ。あたし達の国の学校で使われてる社会科の教科書に書かれてある事と、実際は違うんだね」

 クリュカはハッと気付かされたようだ。

「クリュカ、教科書を鵜呑みにし過ぎるのは良くないですよ。特に社会科については日々変化していきますから。地域の暮らしについては著者の主観もあると思いますので」

「地域の暮らしを深く知るには、現地を訪れるのが一番よ」

 バルルートとマズアンは助言する。

 一回乗り換え、他にもいろいろ会話を弾ませているうちに阪急箕面駅に到着。ちなみに運賃は絵美が全員分支払ってあげた。

このあとみんなは駅近くにあるお目当ての温泉施設へ。

「俺はどうしようかな?」

「耕平くんもお風呂入ってきなよ、収穫作業でけっこう土埃ついたでしょ?」

「そうだな。ここへはかなり久し振りに来たし」

 絵美が入湯料を全員分支払い、いよいよ入館。

バスタオルをレンタルし、当然のように耕平は男湯、他のみんなは女湯へ。

 女湯脱衣室。

「日本のお風呂、楽しみだなーっ。まっぱになーれ」

 クリュカがこんな呪文を唱えると、一瞬のうちに自身の服が脱げすっぽんぽん姿になった。休まず浴室へと駆け込んでいく。

「クリュカったら、妙な魔法思えちゃって。ねえ絵美ちゃん、耕平ちゃんっていう子は、あなたの彼氏さんかな?」

 マズアンは床に散らばったクリュカの脱げた服を籠に移しながら、唐突にこんなことを尋ねてくる。

「何回か訊かれたことがあるけど、耕平くんは彼氏じゃなくて、幼馴染だよ」

 絵美は制服のスカートを下ろしつつ、照れ笑いしながら答えた。

「やっぱり。思った通りだわ」

 マズアンはくすっと微笑む。

「でも、将来的に……十年後くらいに、私の旦那さんにしたいなぁって思ってる。結婚相手は昔から知ってる人の方が安心出来るし」

 絵美の頬はカァーッと赤くなった。

「そっか。絵美ちゃんは計画的な子ね」

「そうやったんかぁ。今もそう思っとるってことは、幼稚園の頃の発言は冗談やなかったんやね。コウヘイくん心優しいし真面目な男の子だし、エミちゃん彼氏風に振舞ってないと他の女の子に取られちゃうかもよ」

 里乃はにやけた表情で会話に割り込んだ。

「でもそれは、恥ずかしいかな。キスはまだ出来ないよ」

 絵美はますます俯く。

「焦らず少しずつ、大人な関係になっていけばいいと思うわ」

 マズアンはにこにこ微笑みながら、優しく助言する。

「カナヨト王国では狭い世界ゆえ、幼馴染同士での結婚はごく普通のことですが、日本では滅多に無いようですね。絵美お姉さん、耕平お兄さんとの幼馴染婚が実現出来るよう、頑張って下さいね」

 バルルートはきらきらした眼差しでエールを送った。

「うっ、うん。あの、さっきのことは、耕平くんには絶対に言っちゃダメだよ」

 絵美は俯いたまま、お願いする。

「分かってるわ絵美ちゃん」

「もちろん言いませんよ」

「ワタシも絶対言わへんって。コウヘイくんも絶対戸惑っちゃうやろうからね」

 マズアン達三人は事情を理解し、にこっと微笑む。

「ありがとう」

 絵美の頬はまだ、ちょっぴり赤らんでいた。

 そんな時、

「みんな早くぅーっ。浴室すごく広いよ」

 クリュカが出入口引き戸を開け、叫びかけて来た。 

「こらこらクリュカ、走ったら危ないわよ」

 すっぽんぽんでスキップしながらはしゃぐクリュカを、マズアンは優しく注意し一緒に浴室へ。

「バルルートちゃん、お肌白くて羨ましいよ」

「さすが欧州系やね。ナイスバディ」

 絵美と里乃はすっぽんぽん状態になったバルルートの姿をじーっと眺める。

「そんなにじっくり見られると、いと恥ずかしいです」

 バルルートは頬をぽっと赤らめ、ふくらみかけの胸を手で覆う。

「月一のアノ日はもう来た?」

 里乃の質問に、

「はい、もちろんですよ。けっこう辛いですよね。特に体育の授業がある日に重なっちゃうと」

バルルートは照れ笑いしながらこう伝えて、メガネを外して浴室へ。

「通じたみたいや。バルルちゃん、思春期真っ只中やね」

「そうみたいだね。お体のことについては深く触れないようにしてあげなくちゃ。さっきは私も悪いことしちゃったよ」

 里乃も絵美も、最後にショーツを脱いで後に続く。

 平日で空いているとはいえ、他のお客さんも何名かいた浴室内。

「クリュカ、湯加減はどうかな?」

「ちょうどいいよ、マズアンお姉ちゃん」

 クリュカは風呂椅子に腰掛け、マズアンに髪の毛を洗ってもらっていた。

「仲良いねー」

「姉妹っていうより、親子みたいやね」

「マズアンお姉さんとクリュカは、お風呂に入る時いつもこんな感じですよ」

 他の三人もシャワー手前の風呂椅子に腰掛け、シャンプーを出して髪の毛を洗い始めた。

 クリュカはこのあと、体は自分でゴシゴシ洗って、

「それーっ!」

 洗い流し終えると一目散に湯船の方へ駆け寄り、はしゃぎ声を上げながら湯船に足から勢いよく飛び込んだ。ザブーッンと飛沫が高く上がる。

「見てーっ。ホイヘンスの原理で波紋が円状に広がっていくよ」

そう伝えてさらに犬掻きのような泳ぎをし始めた。

「クリュカ、はしゃぎ過ぎですよ」 

「クリュカったら、四年生にもなってそんなことして。小学校低学年の子みたいね」

「クリュカちゃんの気持ちは良く分かるよ。ワタシもクリュカちゃんくらいの年の頃はしょっちゅうやってたから」

「クリュカちゃん、日本のお風呂に入れてよっぽど嬉しいんだね」

 四人は湯船の方を振り向き、微笑ましく眺める。

 それから数分後、この四人はお行儀良く足から静かに湯船に浸かった。

「ちょうどいい湯加減やから、広くて最高やーっ!」

「一日の疲れが一気に吹き飛ぶよね」

「四日振りのお風呂、とっても気持ちいいです」

 里乃と絵美とバルルートは、首の辺りまで浸かりゆったりくつろぐ。ほっこりした表情を浮かべながら。

「わたくしには、かなり熱く感じるわ。わたくしは熱いお風呂苦手なの。いつも三四度くらいで入ってるし」

 マズアンが下半身だけ浸かって苦笑顔で言ったその時、

「それぇーっ!」

 この四人の背後からバシャーッと湯飛沫。

「こらクリュカ、熱いじゃない」

 思いっきり被せられたマズアンはぷくぅっとふくれた。

「クリュカ、ダメですよ、公共の浴場でそんなことしちゃ。他のお客様にも迷惑になりますからね」

 バルルートは優しく注意して、クリュカの頭を軽くペチッと叩いておく。

「はーい」

 クリュカはちょっぴり反省。

「バルルちゃん達が住んどる国も、湯船に浸かる習慣があるん?」

「はい、その点は日本と同じですよ。というより、日本を真似たようです」

「わたくしは、夏はシャワーだけで済ませることも多いけどね。あ~、火照って来ちゃったわ。もう出るね。あつい、あつい」

 マズアンはゆっくりとした動作で湯船から出て、脱衣室へ向かっていった。

(今何キロあるかしら?)

 そしてすっぽんぽんのまんま、体重計にぴょこんと飛び乗ってみる。

「……えええええっ!? 出発前日より、二キロも増えてるぅ。なっ、なんでぇ!? 適度に運動もしたのに?」

 目盛を眺めた途端、マズアンは目を見開き大きな叫び声を上げた。

「マズアンお姉ちゃん、一度体重計から降りてもう一度乗ってみて」

 クリュカも駆け寄ってくる。

「分かったわ」

 マズアンは言われたとおりにしてみた。

「あら? 二キロ減った。出発前と変わりないわ。さっきのは、ひょっとして……」

 あることに気付き、クリュカをニカッと微笑みかける。

「最初に乗った時、質量増大魔法をかけたの。二回目に乗った時がマズアンお姉ちゃんの本当の体重だよ」

 クリュカはにこにこしながら打ち明けた。

「もう、ひどいなクリュカ。二キロ増はあり得る話だから悪質ね。罰としてくすぐり攻撃しちゃおう」

「あーん、やだぁ。あたしくすぐられるの苦手」

 すっぽんぽんのマズアンに追われ、クリュカもすっぽんぽんで逃げ惑う。

「仲良いねー」

「私、ジャックと豆の木のお話、思い出しちゃった」

 里乃と絵美も脱衣室へ上がって来て、にこにこ微笑みながら眺めていた。

「皆さん、耕平お兄さんはとっくの昔に上がってると思いますので、あまり待たせないようになるべく速やかに行動しましょう」

 バルルートは髪の毛を拭きながら注意を促す。

五人は服を着込むとまっすぐ休憩所へ。

「耕平くん、やっぱり先に出てたね」

「まあ、十分ちょっとで上がったから」

「コウヘイくんはやっ。男の子でも三〇分くらいは楽しまなきゃ損やで」

「四日分の汚れが落ちて、さっぱりしましたよ」

「お湯が熱過ぎること以外は、最高だったわ」

「耕平お兄ちゃん、約三〇分振りーっ!」

(なんか、女の子特有の匂いがぷんぷん……)

 先に待っていた耕平はけっこう緊張してしまう。女の子五人の体から漂ってくる、桃やラベンダーの石鹸の香りが彼の鼻腔をくすぐっていた。

「名物のもみじの天ぷら、程よい甘さでいと美味しいです」

「焼き栗も最高ね」

「どっちもすごく美味しい♪」

 三姉妹は事前に購入していた箕面名物を幸せそうに味わう。

「そういえば、カナヨト王国の学校はまだ夏休みなん?」

 里乃が問いかけると、

「いいえ、皆さんの学校と同じく、既に授業が始まっていますよ。このたびは日本研修という名の特別休暇を頂きました。カナヨト王国の学校では、長期休暇は日本と同じく夏休み、冬休み、春休みです。ただ、夏休みは三週間、冬休みは二週間、春休みは一週間ほどで祝祭日も少ないため、日本の学校よりも休日は若干少ないですよ」

 バルルートはもみじの天ぷらをサクサク美味しそうに頬張りながら説明する。

「そうなんか。その点は日本の方がいいかも」

「カナヨト王国の中の風景も、見せてあげるね」

 マズアンは自分の持っていたデジカメに保存されている写真の数々を見せてあげた。

「日本の街並みと変わらんね。看板も日本語やし」

「本当だ。ヨーロッパって感じが全然しないよ」

「日本の大半の街より日本っぽい気がする。大阪城っぽいのもあるな」

 里乃達三人は目を凝らして興味深そうに眺める。

「大阪城をモデルに造られた物だから似ていて当然かも。それはわたくし達のおウチよ」

 マズアンが説明すると、

「すごーい。とっても立派なおウチに住んでるんだね。ひょっとして、マズアンちゃん達は、カナヨト王国のお姫様?」

 絵美は羨ましがり、逆にこんな質問をする。

「近いです。わたし達姉妹は、国王の娘ですから」

 バルルートがさらっと答えると、

「おううう、高貴なお方なんやね」

「私達、凄い良家のお方をおもてなししてたんだね」

「俺らとは格が違うな」

 耕平達三人は途端に恐縮してしまった。

「いえいえ、全くそんなことないです。カナヨト王国では国民皆平等の観点から、身分の差は無いに等しいので。国王といっても、他のカナヨト王国民と生活水準は同じですよ。他国のように職業の違いによる時給の差もありませんから。家族構成や労働時間の違い、勤続年数・年齢を得る毎に国民労働者一律に時給が上がっていくこともあり、世帯所得の差はどうしても出てしまいますが、世帯年収二千万円未満のご家庭には年度末毎に不足分が国費から補われますので、世界の中では所得格差の少ないといわれる日本と比べても、差は遥かに少ないですよ」

 バルルートは謙遜気味に説明する。

「ジニ係数が限りなく0に近いってことか。理想的な社会が築かれてるんだな」

「小さな国だからこそ実現出来たことだと思うけど、日本、さらには諸外国もカナヨト王国の社会制度を見習わなきゃいけないね」

「ワタシもエミちゃんの意見に同意や」

「これは、学校か?」 

 次に表示された写真について耕平が尋ねた。

「はい、ちなみにわたしの通っている中学校ですよ」

「日本の教室と違って畳敷きの和室なんだな。それに、すごく広い」

「書道教室みたい」

「クラスの人数はかなり少ないみたいやね」

 学内の写真も物珍しそうに眺める。

「カナヨト王国の学校には、クラス分けというのはないですよ。そのため担任という制度もありません。座席も自由で、教室の仕切りもなく開放的です。児童生徒達は、必修教科を自分のペースに合わせて常に違う教室や、屋外へ移動して学ぶようにしています。また、一人の先生が受け持つ児童生徒の数は最大十人までとカナヨト王国の学校教育法では定められているので、先生の目が行き届きやすい環境になっていますよ。学力テストはありますが、日本のように順位付けはせず個人の点数のみが通知されます。さらには日本では学期末の恒例となっている通知表も付けません」

「でもそれやと、勉強サボる子ばっかりになるんと違う? ワタシやったら絶対勉強する気になれんわ」

「その点は全く問題ありません。学力テストで良い成績を収めると、図書カードや遊園地のチケット、高級レストランの食事券などなど様々なご褒美が貰えますから。カナヨト王国の児童生徒達はそれを目標に勉強の士気を下げないようにしているのです。宿題を継続的にきっちりこなしてもご褒美が貰えますよ。カナヨト王国の教育方針は他人と競争させず優劣も付けず、個人の能力を高める努力をさせることを重視しているのです」

「そういうわけね。ご褒美貰えるんやったらワタシも頑張れるかも」

「学校の勉強を頑張れば、将来の夢にも大きく繋がるしね。カナヨト王国では就職についての適性検査で、国が職業ごとに定めた試験内容で基準点以上を収めれば希望者全員が採用されるようになってるの。試験は通年行われるから受けたい時に受けれて、何度でも挑戦可能よ。性別年齢制限も一切ないし、ワークシェアリング制度も充実してて、一般的に競争の世界といわれる商売も助け合いで成り立ってるの。人気店が進出して来たから近場に元々あった同業のお店が閉店に追い込まれるなんて、カナヨト王国じゃあり得ない話よ。日本やその他諸外国よりも遥かに、夢は必ず叶う、努力は必ず報われる社会が築かれてるってわけ。だから子ども達はみんな、いろんな夢や目標に向かって生き生きと学校生活を送ってるわ」

 マズアンは幸せそうな笑顔で語る。

「カナヨト王国って、希望に満ち溢れた楽しい国みたいだね」

「日本じゃ好きなことを仕事に出来る人は、ごく僅かなのが現実だからな」

「夢のような国やね。日本もいつかそうなって欲しいわ~」

 絵美達三人は羨ましそうに呟いた。

「ちなみに国王も試験をパスすれば誰でもなれるから、お父さん以外にも何十人かいるわよ」

 マズアンが伝えると、

「それって、国王って言うんかいな?」

「国王って、普通一王国に一人だよな」

「一つの王国に国王のいっぱいいる国かぁ。斬新だね」

 里乃達三人は呆気にとられた。

「日本の学校でいう、各クラスの学級委員長さんみたいなものですよ。日本の学校について、みんなで掃除をするという点はカナヨト王国民の間で高評価されており、カナヨト王国の学校でも見習っていますよ」

「そっか。外国では学校の掃除は業者任せってとこも多いみたいだもんな」

「日本の誇りやね」

「私、光栄に思うよ」

「ただ、日本の学校にはダメな部分も多いと思います。カナヨト王国の学校にも、いじめ問題が全く無いということもありませんが、隠蔽体質な日本の学校とは違い、すぐに発見され解決されますね。学校は開放的ですし、互助精神の国民性なので」

「いいお国柄やね。その点は日本が見習わなきゃいかんね。ところで、あなた達は日本には何日おる予定なん?」

「三泊四日の滞在予定よ」

「そこそこ長い間おるつもりなんや。ぜひ思う存分楽しんでや」

「ホテルか旅館、どっちに泊まるつもりなの?」

 続いてされた絵美からの質問にも、

「せっかく日本に来たから、和風な旅館に泊まろうと計画してるわ」

 同じくマズアンが答えた。

「両親は、わたし達姉妹に旅行資金をたくさん与えてくれましたよ。カナヨト王国も三五年ほど前から日本円と同じ通貨が使われているのです。日本円が流通する以前は、通貨単位はタイスでしたよ。ご覧下さい、皆様が使われているお金と同じですよ」

 そう伝えるとバルルートはリュックの中から財布を取り出し、札束をいくつか出した。

「これ、明らかに偽札じゃ……」

 里乃は呆気に取られた表情で突っ込む。一万円札の肖像が松尾芭蕉、五千円札が与謝蕪村、千円札が小林一茶だったのだ。

「飾るのにはいいけど、使ったら犯罪だな」

「これは使ったらお巡りさんに逮捕されちゃうよ」

 耕平と絵美も警告する。

「偽札だったのですか! 普通に使えると思ったのですが」

「あたしが持ってるお札も小林一茶さんの千円札だよ」

「わたくしのも同じ肖像よ。それじゃ、銀行で外貨両替しなきゃね」

 腑に落ちない様子の三姉妹に、

「今日本で一般的に使われてる肖像は一万円札が福沢諭吉さん、五千円札が新渡戸稲造さんか樋口一葉さん、千円札が夏目漱石さんか野口英世さんだよ」

 絵美が教えてあげた。

「そのお方が肖像の紙幣もカナヨト王国でたくさん使われていますよ。他に一万円札に宮沢賢治さん、五千円札に正岡子規さんや太宰治さん、千円札に二葉亭四迷さんや芥川龍之介さんも。日本の学校の国語の教科書や国語便覧でお馴染みの方々ですね。カナヨト王国で日本円が流通するようになったきっかけは、ある旅行者が日本でたまたま拾ったお金を持ち帰り、模作したことだとされています。たくさん製造されていくうちに、いろんなバリエーションが出来てしまったようですね。よく考えますと、日本のお金で本物と認識されるのは日本の造幣局や印刷局で製造されたもの。つまりカナヨト王国で製造されたものは、全て偽札であるともいえますね。例え日本の紙幣と同じ肖像のものでも」

 バルルートは苦笑顔で呟く。

「そうやろうね。バルルちゃん達が持っとるお金は、使ったら絶対いかんよ」

 里乃は念を押して警告。

「外貨両替も絶対怪しまれるぞ」

 耕平は断言する。

「こうなったら、物体変化魔法を使うしかないわね」

 マズアンはふと思いついた。

「さすがマズアンお姉ちゃん、頭良い!」

「マズアンお姉さんの一応の得意技ですね」

 クリュカとバルルートは自分の持つお札を全てマズアンに手渡す。

「そうやって出来たのは、いいのかな?」

「あかんような、どうなんやろう?」

「法律的に前例ないだろうし、判断に困るな」

 傍で固唾を呑んで見守る絵美達三人。

「日本の本物のお札になーれ!」

 マズアンは、自分の分を含めたそれらのお札にハンカチをかけ、呪文を唱える。

 外すと、

「あらら、失敗しちゃった。てへぺろ。もう古いか、日本では」

 マズアンは苦笑いした。お札は全て、モノから生き物、ツバメに変化しそれは瞬く間に羽ばたいてどこかへ飛んでいってしまった。

「残念だったけど、すごく高度な魔法だね」

「あれはあれで、見ものやったよ」

「日本円に換えるより、難易度高いんじゃないのか」

 絵美達三人は微笑ましくツバメ達を見送った。

「困ったわ。無一文になっちゃった。このままカナヨト王国へ引き返すしか無さそうね。でもせっかく日本へ来たのにとんぼ返りじゃ勿体無いわ。なによりママからの指令も果たせないし……」

 マズアンは一呼吸置いた後、

「あのう、どなたか、わたくし達をしばらくの間泊めて下さらないかしら?」

 決まり悪そうにこうお願いした。

「そうしてあげたいねんけど、ワタシんち狭いし、ママにきっと断られるよ。ごめんね」

 里乃は申し訳無さそうにお断りする。

「私んちも、大変申し訳ないんだけど、泊めるのはたぶん無理だと思う。ねえ耕平くん、耕平くんち元民宿だから広いでしょう。この子達を泊めてあげて」

 絵美からこう頼まれると、

「うーん、いきなり言われてもなぁ」

 耕平は当然のように困惑してしまう。

「耕平お兄さん、お願いです。わたし達をホームステイさせて下さい。一宿一飯の恩義は必ずしますので」

「耕平お兄ちゃん、お願ぁい。大好きな日本にしばらくいたいよぅ」

「耕平ちゃん、頼むわ。ほんの三泊だけ。ねっ♪」

 三姉妹からきらきらとした瞳で見つめられると、

「一応、頼んでみるけど……」

 耕平は断り切れなかった。

「サンキュー、耕平ちゃん」

「ありがとう耕平お兄ちゃん」

「ありがとうございます。あの、耕平お兄さん、ご家族の方々にも、わたし達はヨーロッパからの旅行者であるとお伝え下さい。カナヨト王国からやって来たと伝えると、不審なお顔をされると思いますので」

 バルルートからのお願いを聞き、

「もちろんそうするつもりだったよ」

 耕平は苦笑いした。

「ありがとうございます。そういえば、日本人との友好の証に、カナヨト王国のお土産も持って来ていたのでした。カナヨト王国の最高級の名産品、タコウマ入りのマシュマロです。ぜひお召し上がり下さい」

 バルルートはリュックから可愛く包装された四角い箱を取り出し、三人に一箱ずつ手渡す。

「タコウマって、半分タコで半分馬の、カナヨト王国固有の生き物なんかな?」

「お馬さんの足がタコの八本足になってるのかなぁ? 気になるぅ」

 里乃と絵美は姿を想像してみる。 

「あのう、日本語でイメージされているようですが、カナヨト王国で元々使われていた言語が語源になっているので里乃お姉さんと絵美お姉さんの想像とは全く違うものです。タコウマは木の実ですよ。桃に近い食べ物です」

「そうなんや」

「どんな味なのかな?」

「俺も気になるな」

 三人はさっそく試食してみた。

「甘くてめっちゃ美味しい♪ 確かに桃に近いね。併せてメロンみたいな味もする」

 里乃はとっても幸せそうに頬張る。

「まさにほっぺが落ちる美味しさだよ。これの木の種をこの辺で植えたら育つかな?」

 絵美はこんな疑問も浮かんだ。

「関西地方では気候が温暖過ぎて、おそらく育たないと思います。北海道オホーツク海側くらいの自然環境であれば問題ないと思いますよ」 

 バルルートにこう説明されると、

「そっか。残念。貴重品だから、次はもう少し味わって食べよっと」

 絵美は別れ惜しそうな面持ちでこう呟いて、もう一つ手に取った。

           ※

箕面をあとにして地元最寄り駅に戻った後、平等宅に向かって歩いている途中に、

「あら?」

 バルルートはある光景を目にし思わず呟く。駅前に立ち並ぶ○○舎、××ゼミナール、△△館と書かれた看板がある雑居ビルに入っていく子ども達の姿を見かけたのだ。

「あの小学生達、ひょっとして、今から塾と呼ばれる教育施設へ向かうのでしょうか?」

「うん、中学受験をする子は学校終わってから夜十時頃までほぼ毎日塾通いだな。この辺りは中学受験する子を持つ家庭の割合がけっこう高いらしいよ。俺はしなかったけど」

「日本の子ども達はかわいそうです。カナヨト王国の学校には受験というものはありませんから、みんな受験競争のプレッシャーなど無縁でのびのびと勉学に励んでいますよ。大学も希望者全員が入れますよ。しかも無料で。カナヨト王国には学費という概念がないのです。医療費も交通費も」

「そうなんや。羨ましい。日本もそうして欲しいわ」

「希望する皆が無条件で大学に入れるって最高だよね」

 里乃と絵美も、バルルートの考えに同意出来た。

「でも、大学相応のハイレベルな講義が行われるから、勉強サボって気まぐれで入るとついていけずにかなり苦労する破目になるみたいよ」

 マズアンは微笑み顔で付け加える。

「そういうオチがあったかぁ。やっぱ日々の勉強努力は大事やね」

里乃は苦笑いを浮かべた。


「――というわけで、この子達を三泊ホームステイさせてやってくれないか?」

 午後六時ちょっと過ぎ、耕平は三姉妹を連れて帰宅後、茶の間にいたお互い五〇歳くらいの両親に理由をそのままではなく、フランスから旅行しに来て、ホテルや旅館に泊まる所持金が足りなくて困っているからと、出身地以外のことは正直に伝えた。日本語が流暢に話せることもついでに。

「もちろんOK、大歓迎よ」

「おれももちろん大歓迎だ。民宿時代を思い出すなぁ」

 両親は快く承諾してくれた。

「うちは嫌や。こんな無計画な子達。それに、耕平と同い年くらいの女の子達じゃない。耕平に良くないわっ!」

 しかし耕平の大学一年生の姉、香子は困惑顔を浮かべ強く反対。丸っこいお顔でぱっちりとした瞳、痩せても太ってもなく標準的な体つき。ほんのり茶色がかった髪の毛をポニーテールに束ねているのがいつものヘアスタイル。背丈は一五二、三センチでバルルートよりも小柄だ。まだ女子高生としてもじゅうぶん通用するちょっぴりあどけない顔つきをしている。

「「「……」」」

 三姉妹はそんな香子に申し訳なく思ったのか、気まずそうな面持ちを浮かべていた。

「まあまあ香子、そんなこと言わずに。遠い所からお越し下さったお客様なんだから」

「香子、フランス人らしくすごく気品の良さそうな子達じゃないか」

 両親に説得され、

「……しょうがないなぁ」

 香子は数秒悩んだ後しぶしぶ承諾。

「わたし達を受け入れて下さり、誠にありがとうございます。この度はお世話になります」

「みんなありがとう」

「やっぱりとってもいい人達ね」

 三姉妹はホッとした面持ちになる。

「ところで、あなた達のお名前はなんていうのかしら?」

「長女のマズアンよ」

「次女のバルルートと申します」

「三女のクリュカだよ」

「そっか。みんな格好良いお名前ね。うちは千賀子よ。これから晩御飯作るけど、フランスからお越し下さった皆さんのために、関西の郷土料理をご馳走するわね」

 千賀子はうきうきした気分で台所へ。

「お母さん、手抜きで良いと思うわ」

 香子もお手伝い。夕食準備時、家にいる時はいつもそうしているのだ。

「あたしも手伝うーっ!」

「わたくしも、何か出来ることがあれば、手伝うわ。大阪は天下の台所っていうし」

「わたしも手伝いますよ。わたし、お料理得意ですから」

三姉妹も加わろうとする。

「あら、悪いわね。お客様なのに」

 千賀子は申し訳なさそうに言う。

「邪魔しないようにしてね」

 香子はやや迷惑そうにそう言って、戸棚からたこ焼き器を取り出した。

「香子お姉ちゃん、たこ焼き作ってくれるの、やったぁ!」

「大阪名物ね。これがたこ焼き器か。実物は初めてお目にしたわ」

「大阪の一般家庭には、本当にたこ焼き器があるんですね」

 三姉妹は興味深そうに眺める。

「そんなに珍しがらんでも」

 香子は微笑みながら、たこ焼き器をコンロの上に置く。

「じゃーん」

 千賀子は、一匹のマダコを三姉妹に見せた。

「あーっ、タコさんだぁっ! こんばんはーっ」

 クリュカは唇を尖らせ楽しそうに眺める。

「クリュカ、そんなに間近で見ると墨を吐かれるかもしれないですよ」

 バルルートは笑顔で警告しておいた。

「これはもう死んでるから大丈夫だよ」

 クリュカは確信を持って言う。

「外国ではタコを食べる習慣がないみたいやけど、あんた達はタコ大丈夫なん?」

 香子はにやけ顔で問う。

「わたくし達の国でも、他国の文化が入って来た今ではサラダ和えとかにして食されてるから、抵抗は全くないわ。でも、生きてるタコは、エイリアンみたいで正直気持ち悪いと思う」

 マズアンは苦笑いしながら伝える。

「わたしも、そう思います。生きた蛸に触るのは無理です」

 バルルートも肯定派のようだ。

「そっか。まあうちも生きとるタコは触るん無理やけどね」

 香子はにこっと微笑む。

「あたしは生きたタコさんもうねうねしててかわいいと思うけどなぁ」

 こんな風に五人で夕食準備を進めていく中、父は足りない材料を近所のスーパーへ快く買い出しに行ってくれた。

耕平は自分のお部屋に移動していた。私服に着替え、目下今日の古文の授業の復習中。彼の自室は和室になっていて、八畳ほどの広さがある。

出入口扉側から見て左の一番奥、窓際に設置されてある学習机の上は教科書・参考書類やノート、筆記用具、プリント類、CDラジカセ、携帯型ゲーム機やそれ対応のソフトなどが乱雑に散りばめられてはおらず、きちんと整理されている。彼の几帳面さが窺えた。

机備え付けの本立てには今学校で使用している教科書類の他、地球儀や、動物・昆虫・恐竜・乗り物・天体・植物などの図鑑といった、耕平の幼少期に母が買い与えてくれた物も並べられてあった。 

机の一メートルほど手前には、幅七〇センチ奥行き三〇センチ高さ一.五メートルほどのサイズの本棚が配置されている。そこには三大週刊少年誌連載のコミックスが合わせて百冊くらい並べられていた。

夕食準備が着々と進む台所。

「ぐちゃぐちゃになっちゃったわ。ひっくり返すの、思った以上に難しい」

「形がすぐに崩れちゃいますね」

 たこ焼き返しが上手くいかず、マズアンとバルルートは悔しそうにする。

「二人とも下手くそね。根っからの大阪育ちのうちに任せなさい!」

 香子は得意げに言い、専用のピックを使って見事にきれいにひっくり返してみせた。

「香子お姉ちゃん、すごーい! あたしだって負けないよ」

 クリュカはそう言うと、たこ焼き器の上に手のひらをかざした。

 そして、

「やぁっ!」

 と叫ぶ。

 するとたこ焼きが自動的にきれいにひっくり返った。

「おめでとうクリュカちゃん、香子より上手かも」

 千賀子はパチパチ拍手してくれた。

「全く触れてなかったよね? どっ、どうやったん?」

 香子はあっと驚く。

「これはね、ま……」

 クリュカが得意げな表情で伝えようとしたのを、

「手品よ」

 マズアンが咄嗟に口をふさいで阻止した。

「ふーん」

 香子は腑に落ちてくれたような反応をし、別の食材に手をつける。

「ちょっとお手洗いに行ってくるわね」

「いたたた」

 マズアンはクリュカの腕を引っ張って、茶の間へ戻る。

「クリュカ、あの香子ちゃんって子に魔法なんて言ったら、絶対不特定多数の人に言いふらしそうだからダメよ」

 そしてクリュカの耳元でこう囁いた。

「はーい。あたし達が魔法使いだってこと、不特定多数に知られたらダメだもんね」

「香子お姉さんなら信用しないと思うので、かえって特に問題ないと思うのですが」

 バルルートも戻って来て意見した。

三姉妹は、何事もなかったかのように夕食作り手伝いに戻る。

 夜七時頃から一階、広さ一二畳ほどある応接間にて七人での夕食会。

 周囲に座布団が敷かれた長机の上にたこ焼き他、551の豚まん、明石鯛の塩焼き、丹波篠山産の松茸、お刺身の数々、栗金団なども並べられていた。耕平が今日収穫して来た梨も。

「クリュカ、あぐらはかかない方がいいですよ。パンツが丸見えですから」

 バルルートは向かいに座るクリュカに優しく注意する。彼女は行儀良く正座姿勢だった。

「はーい」

 クリュカは素直に従い、お膝を伸ばした。

 耕平も香子も両親も、正座ではないが膝を伸ばしてくつろいでいた。

「マグロのお刺身、すごく美味しそうだぁーっ」

 クリュカは一切れお箸でつまみ、わさび醤油をたっぷりつけてお口に運ぶ。

「あーっ、鼻につんとくるの、最高だよ」

 一口噛んだ瞬間、満面の笑みを浮かべる。

「クリュカ、わさびも食べれるようになったのね。わたくしにはまだ無理」

 向かいに座るマズアンは苦笑いし、わさびはつけずにイカの刺身を食した。

「明石鯛の塩焼きも、いと美味しいです」

 その隣に座るバルルートは鯛の身をお箸でつまみ、お口へ運ぶ。

「三人とも、フランス人だけどお箸の使い方も知ってるのね」

「箸使い、僕より上手いな」

 両親は感心していた。

「はい、わたし達は幼い頃から日本食中心の生活をして来ましたから」

 バルルートは得意げに伝える。

「そっか。三人とも香子よりも箸使い上手よ」

「母さん、酷いわ。まあ否定出来へんけど」

 香子はむすっとしながらも、好物の栗金団を美味しそうに頬張る。

      ※

「ここが、あなた達のお部屋よ。民宿時代は一番高いお部屋だったの」

 夕食後、千賀子は三姉妹を二階の一室へ案内してあげた。

「純和風で素晴らしいです」

「広くて素敵っ!」

「とても落ち着けそうね」

一五畳ほどの広さがあった。大満足な様子の三姉妹に、

「おトイレと洗面所、お部屋には付いて無くて共同なのよ。ご不便だと思うけど、ごめんなさいね」

 千賀子は申し訳なさそうにその事実を伝えたが、

「いえいえ。寝泊り出来るだけでじゅうぶんありがたいですよ」

「あたしんちの自分のお部屋にもおトイレは無いから大丈夫だよ」

「わたくしも、不満は全くないわ」

 三姉妹は快く納得してくれた。

「ありがとう。お風呂ももう沸いてるわよ。一階の一番奥ね。パジャマも用意してあるから、よかったら使ってね」

 千賀子から次にこう伝えられ、

「夕方に箕面温泉に入ったけど、もう一風呂浴びましょう」

「二度風呂もいいですね」

「あたしもまた汗いっぱいかいたから、もう一回入るぅーっ!」

三姉妹は楽しげな気分で風呂場へと向かっていく。

脱衣場へ入り服を脱ぎ、脱いだ服は千賀子が用意してくれていた籠に入れて浴室へ。

クリュカを先頭に入った瞬間、

「ひゃっ!」

 中からこんな叫び声。

 香子だった。ちょうど風呂椅子に腰掛け、髪の毛を洗っている最中だった。

「あっ、関西弁の香子お姉ちゃん、入ってたんだね」

 クリュカはにこっと微笑みかけた。

「どうもー、香子ちゃん」

 マズアンは香子に向かって手を振りかける。

「香子お姉さん、お背中流しましょうか?」

 バルルートの親切心にも、 

「いいわよ。早く出て行って!」

 香子は不機嫌な様子だ。

「まあまあ香子お姉ちゃん、お風呂はみんなで入る方が楽しいよ。それに、一人だと広過ぎるでしょう?」

クリュカはお構い無しにもう一つあった風呂椅子に腰掛ける。平等宅には、自慢ではないが大人でも十人近くは一度に入れる広い檜風呂が備え付けられてあるのだ。ちなみに風呂掃除や湯沸しは基本的に千賀子が担当している。

「ちょっ、ちょっと」

「あのう、香子お姉さんは、彼氏さんはいらっしゃいますか?」

「おらへんわっ! いきなり何訊いてくるんよこの子」

 バルルートの質問に、香子は不機嫌そうに即答した。

「意外だなぁ。香子ちゃんとってもかわいいのに。香子ちゃんのおっぱい、触り心地良さそう」

「ひゃぁんっ、んっ」

 マズアンに鷲掴みされ、香子はびっくんとなる。

「香子お姉ちゃん、気持ち良さそう」

 クリュカはにこにこ笑う。

「香子ちゃん、わたくしのも触ってみて。触りっこよ」

 マズアンは香子のおっぱい揉み揉みをやめると、両手を上にぴっと伸ばした。

「いいって」

「おっぱいを触り合うのが、日本風のスキンシップだって里乃ちゃんって子が言ってたわよ」

「そんな下品な日本文化は無いから」

香子は頬を赤らめたままそう伝えて、風呂場から逃げていく。

そして、

「耕平ぇぇぇぇぇっ、あの子達、淫乱よ。気を付けてっ!」

 そのまままっすぐ耕平の自室へ駆けた。必死の形相で彼の両肩をつかんでゆさゆさ揺さぶり、注意を促す。

「ねっ、姉ちゃん、全裸でしかも濡れたまま出てくるなよ」

 その時机に向かって数学の宿題を進めていた耕平は、反射的に目を覆った。

「あっ、ごめんね耕平」

 香子は照れ笑いを浮かべながら、お部屋から出て行く。

(姉ちゃんには、もっと恥じらいを持って欲しいよ)

 耕平は呆れた表情を浮かべた。

 香子が脱衣場へ戻った時には、

「おかえり香子ちゃん、案外かわいらしいの穿いてるのね」

マズアンがすでにいた。 

「こらぁ、マズアンちゃん、それのうちのやー、勝手に穿かんといてっ!」

「きゃぁん」

「うちのお気に入りやねんっ!」

 香子はマズアンを睨みつけたのち押し倒し、穿かれた自分のショーツをずるりと引き摺り下ろす。

「ごめんね、香子ちゃん。ちょっと穿き心地試してみたかったの」

 すっぽんぽんのM字開脚、あられもない姿にされたマズアンはてへっと笑う。若干怯えていた。

「二度としちゃダメよ。今度やったら……」

 香子はむすーっとしながら奪った水玉模様のショーツを穿くと、体を洗面台に向け、

「これであんたのアンダーヘアー、全部剃っちゃうからね。本気で」

 剃刀を手に取り、刃先をマズアンの眼前にかざして脅す。

「わっ、分かったわ香子ちゃん。もう絶対しないって」

 マズアンはM字開脚状態のまま、びくびくしながら誓った。

「分かればよろしい。さっきはごめんね、怖い思いさせちゃって」

香子は剃刀を元の位置に戻すとブラをつけ、テキパキとパジャマを着込み、脱衣場から出て茶の間へ。風呂上りのよく冷えた麦茶を一杯飲み、ドライヤーで髪の毛を乾かしていたら、

「やっほー香子ちゃん、約五分振り」

「耕平お兄さんちのお風呂も、箕面温泉と変わらず、いいお湯でした」

「香子お姉ちゃん、逃げなくてもいいじゃん」

 三姉妹も後を追うようにやって来た。

 マズアンとバルルートは浴衣、クリュカは暗闇で光るフォトプリントパジャマを身に着けていた。

「マズアンちゃんだけじゃなく、バルルートちゃんもクリュカちゃんもうちが昔着てたの着てるし。母さんが用意したのね」

 香子はハァッとため息をつく。

「べつにいいじゃない。仕舞ったままにしておくのは勿体無いし」

 その時座布団に腰掛け、バラエティ番組を眺めていた千賀子はにこっと微笑む。

 三姉妹は、下着だけは自前のものを身に着けていた。

「あのう、香子お姉さんのお部屋、見せていただけないでしょうか?」

 バルルートは恐る恐る頼んでみる。

「ダメよ」

 香子はきっぱりと断った。

「香子お姉ちゃんのお部屋って、どうなってるのかな?」

 けれどもクリュカは聞く耳持たず、二階へ向かってしまう。

「あーっ、ちょっ、ちょっと、待ちなさぁーい!」

 香子は慌てて後を追うが、追いつけず。

結局、クリュカは先に香子のお部屋へ到着。扉が開かれた瞬間、

「すっごーい、あたしのお部屋よりずーっと豪華! お店みたーい。自分のお部屋にテレビがあるなんていいなぁ。いつでもアニメ見放題じゃん」

 クリュカは目の前に広がる光景に大興奮する。

窓際に観葉植物、学習机の周りにビーズアクセサリーやオルゴール、クマやウサギ、リスといった可愛らしい動物のぬいぐるみがいくつか飾られてあり、普通の女の子らしいお部屋の様相も見受けられたが、それ以外の場所に目を移すと、オタク趣味を思わせるものがたくさん。

本棚には四百冊くらいのマンガやラノベ、アニメ・声優系雑誌に加え、一八歳未満は読んではいけない同人誌まで。木製のラックに載せられたDVD/BDレコーダーと二〇インチ薄型テレビ、学習机の上にはノートパソコンもあった。本棚の上と、本棚のすぐ横扉寄りにある衣装ケースの上には、萌え系のガチャポンやフィギュア、ぬいぐるみが合わせて二十数体、まるで雛人形のように飾られてあり、さらに壁にも、瞳の大きな可愛らしい女の子達のアニメ風イラストが描かれたポスターが何枚か貼られてあったのだ。耕平の自室と同じ広さの和室だが、家具や飾りが多く、散らかっている分こちらの方が狭く感じられた。

「もろに見られちゃったぁ」

 香子はやや落胆する。

「香子ちゃんのお部屋って、こんな様相になってたのね。これは人に見せたくない気持ち分かるわ」

「失礼致します、香子お姉さん」

 マズアンとバルルートもいつの間にか入り込んでいた。部屋全体をきょろきょろ見渡す。

「アキバやポンバシにいそうな男の子のお部屋みたいやろ?」

香子は苦笑顔で問いかけてみた。

「いえいえ、わたしも日本のマンガやラノベやアニメが大好きですから、香子お姉さんのお部屋と似たような感じですよ。香子お姉さんって、マンガも描かれてるんですね?」

 バルルートは学習机の上に、描きかけの漫画原稿用紙が置かれてあるのを発見した。

「うん。中学の頃に漫画の創作に目覚めてん。それで高校時代は文芸部に入って、大学も漫研サークルに入ったんよ。うちが描くマンガはかわいい女の子がいっぱい出る百合系が多いかな。うち、BLは苦手やねん」

「わたしも同じですよ。日本でアキバ系と呼ばれている男の子が好みそうな、萌え系アニメの方が好きです。あの、香子お姉さんの描いてるマンガ、見せてくれませんか?」

「もちろんいいわよ。好きなだけ見てね」

 香子はバルルートに仲間意識が芽生えたのか、快く承諾してくれた。

「ありがとうございます!」

 バルルートは嬉しそうに礼を言うと、さっそく原稿用紙の束をパラパラッと捲ってみる。

「エッチな絵が多いですけど、上手過ぎます! わたしも趣味でマンガ描いてますけどとても敵いません」

「そっ、そう?」

 大いに褒められて、香子はちょっぴり照れた。

「香子お姉ちゃんなら将来絶対漫画家さんになれるよ。あたし、応援してる」

 クリュカからもエールが送られ、

「あっ、ありがとう」

 香子はますます照れてしまった。

「これは大人向けの絵柄だから、クリュカはまだ見ちゃダメよ」

 マズアンは背後からクリュカの目を覆う。

「ごめんなさーい。あたし、耕平お兄ちゃんのお部屋も見たいなぁ」

「わたしも、見たいです」

「わたくしと同い年の日本人の男の子のお部屋、わたくしも非常に気になるわ」

 三姉妹はそう呟くや、香子のお部屋から出て行き耕平の自室へと駆けて行った。

「こらぁ、うちの許可なく勝手に。待ちなさぁい!」

 香子も慌てて後を追う。

「どうしたの? みんな」

耕平はちょうど机に向かって宿題に取り組んでいるところだった。

「耕平お兄さんのお部屋を拝見しに来ました」

 バルルートは笑顔で説明する。

「日本の男子中高生は大半が持ってるって保健の授業で教わった、エッチな本は耕平ちゃんは一冊も持って無さそうね」

 マズアンは本棚を調べてみる。

「当たり前やっ! うちがおるのに耕平がエロ本なんて持っとうわけないやろ!」

 香子は険しい表情で強く主張する。

「あの、みんな、俺、勉強に集中出来ないから……」

 耕平は当然のごとく、迷惑そうにしていた。

「耕平お兄ちゃん数学の宿題やってるのかぁ。あたし、これくらいならすぐに出来るよ。ちょっと貸してね」

 クリュカはそう伝えると、プリントを奪い取ってシャープペンシルを手に持ち、全部で十問あるうち耕平がまだ解いていない四問目以降の答を記述し始めた。

「本当に解けるの? 高校の数学だよ」

 耕平は当然のように疑う。

「うん! もちろんだよ」

 クリュカは高速で記述しながら自信満々に伝えた。

「そんなんあり得へんやろ。まあ、一応お手並み拝見したるわ」

 香子はくすっと笑って、こう呟いた。

 クリュカ以外の四人は静かに見守る。

 三分半ほどのち、

「はい、出来たよ耕平お兄ちゃん」

 クリュカは残っていた分を全て解き終え、手渡して来た。

「早過ぎる。問い4だけでも標準解答時間五分なのに。しかも全部、当たってるっぽい」

 耕平は驚き顔だ。

「凄いやん、この子。まだ小学生やのに高校の数学の問題解いちゃうなんて。うちなんて大学生になった今でも中学レベルでもさっぱりやねんよ」

 香子も唖然としていた。

「クリュカの数学力は、すでに日本の大学の最高峰、東大京大理系学部二次試験にも対応出来るくらいありますから。わたしは香子お姉さんと同じく、数学は大の苦手です」

 バルルートは苦笑顔で伝える。

「わたくしも文系脳だから、数学は日本の中学レベルもちんぷんかんぷんよ。わたくしと香子ちゃん、似てるところがあるわね」

 マズアンは握手を求めて来た。

「なんであなたと握手なんかせんとあかんのや」

 香子は俯き加減で拒否し、マズアンの手の甲をパシッとはたく。

「もう、照れちゃって、日本人らしい」

 マズアンはにこっと笑った。

「耕平お兄ちゃん、明日も数学の宿題出たら、あたしが全部やってあげるね」

「あの、クリュカちゃん、気持ちはありがたいんだけど、筆跡で他の人がやったってバレるから。今後は、俺一人の力でやるよ」

 耕平は申し訳なさそうに伝える。

「ごめんなさい、耕平お兄ちゃん。あたし、数学の問題を見るとついつい解きたくなっちゃうの。宿題は自分の力でやらないと、自分の力にならないもんね」

 クリュカは深く反省。

 三姉妹は割り当てられたお部屋へ戻っていった。

「テレビ見ようっと」

 クリュカはさっそくリモコンを手に取り、テレビをつけてみる。

「今やってるドラマ、殺人事件が出て来そうだから他のチャンネルに変えるわね」

 マズアンはそう言ってすぐにチャンネルボタンの3を押した。

「これって、関西のローカルCMかなぁ?」

「きっとそうね。淡路島のホテルだし」

「あっ、今度は変な太陽のおじちゃんが出て来たよ」

「何こいつ? 正直ちょっと気味悪いわ。マ○オのゲームに出てくるあいつのパクリ? お母さんが昔遊んでたボン○ーマンのゲームにもこんな感じのやつがいたような……」

 切り替わった画面に、クリュカとマズアンは釘付けになる。

「あのう、クリュカにマズアンお姉さん、テレビばかり見てないで、お勉強もしなきゃダメですよ。わたしも宿題を片付けていかないと」

 バルルートは文房具と数学の問題集とノートをリュックから取り出すと、漆塗りのローテーブル上に置いた。

「それもそうね、どっさり出されてるし。クリュカも、宿題早めに片付けないと後で地獄を見るわよ」

 マズアンは英語と国語のワークをリュックから取り出しながら警告する。

「はーい」

 クリュカはしぶしぶリュックから文房具と漢字練習帳を取り出し、テーブル上に置いた。

「あたし、漢字苦手だよぅ。全然覚えられなーい」

 そしてため息交じりに呟く。

「漢字は、最低十回は繰り返し書かなきゃダメですよ」

 優しく忠告したバルルートに、

「バルルートお姉ちゃんも、数学の問題は何度も繰り返し解かなきゃダメだよ。答の丸写しもダメだよ」

 クリュカは得意顔で言い返す。

「分かってはいますけど……」

 バルルートが苦笑顔で言ったその時、

「あの、これ、京都銘菓の生八ツ橋。母さんが差し入れしてあげてって。うわっ、寒っ」

 耕平がお部屋へ入って来た。身震いしながらテーブル上にそれらが乗せられたお盆を置く。

「どうもありがとうございます、耕平お兄さん」

「本場の生八ツ橋だ。勉強が捗りそう」

「メルシー、耕平ちゃん」

 三姉妹はさっそく口にした。もぐもぐ美味しそうに味わう。

「冷房、効かせ過ぎてるような。あれ? スイッチは入ってない。これも魔法で?」

「はい、冷房一番低温の一八℃設定でも暑いと感じ、耕平お兄さん宅に電気代を使わせるのは悪いと思いまして、クーラー魔法を使いました。氷系の魔法はわたしの得意分野ですから」

「そうなんだ。みんな半袖だし、寒くないの?」

 耕平がカタカタ震えながら問いかけると、

「はい、これでちょうどいいくらいですよ」 

「すっごく快適だよ」

「わたくしは、まだちょっと暑く感じるわ」

 三姉妹は爽やかな表情で答える。

 室内の温度計を見ると、一六℃になっていた。

「日本の、特に大阪の夏はあまりに暑過ぎます」

「今、秋なんだけど。今日も確かに暑かったけど、これでも真夏よりはマシだよ」

「カナヨト王国民は暑さに弱いのよ。国土全体が亜寒帯気候区だからね」

 マズアンはさらっと伝える。

「そっか。それにしても三人とも、勉強してたのか。真面目だね」

 耕平が褒めてあげると、

「だって、授業代わりの宿題がどっさり出されてるもん」

「問題難しいのが多くって、計画通りに終わる気がしないわ。特に化学と数学」

 クリュカとマズアンはうんざりとした様子で伝えて来た。

「カナヨト王国の学校制度も三〇年ほど前からは、日本に倣って満六歳を迎えた次の四月に小学校へ入学し、小中高大六、三、三、四制で進級していきますよ。高校まで義務教育なのは日本と異なりますが。大学進学率はここ十数年、百パーセントで推移していることもあり、大学も義務教育にしようかという計画も出ております」

 バルルートはにこにこ微笑みながら、楽しそうに説明した。

「そうなのか。カナヨト王国民が日本人より高度な科学技術力を持ってる理由が頷けるよ」

 耕平は感心していた。

「日本の学校と比べて特段高度な内容を学習しているわけではないですよ」

 バルルートは謙遜気味に伝える。

「耕平ちゃんの通う高校も、机に貼られてた時間割表から察するにけっこう濃密な教育が行われてるみたいじゃない。水曜が六時限目までなの以外、七時限目までびっしり埋まってたし、使ってる教材もレベル高そうだったし」

「まあ、毎年東大京大現役合格者が出て、近隣の公立じゃ二番手くらいの中堅進学校ではあるけど、俺は大したことないから」

「日本の高校は、治安対策のために国公私立問わず入試を設け、学力偏差値で序列化せざるを得ない状況にあることは残念です。学力偏差値の低さは、学内の治安の悪さに比例するみたいですね」

「必ずしもそういうわけじゃないけど、確かに学力偏差値の低い高校では染髪やピアスしてタバコ吸って、無免許でバイクを乗り回して暴力沙汰を起こすようなろくでもない連中が多く入学してしまう傾向にあるな。俺の通ってる高校ではそういうやつは見かけないし」

「カナヨト王国にはそういうタイプの悪人がいないので、誰でも入学させても全く問題ないですね」

「平和なんだな」

耕平が感心していた次の瞬間、ガラガラッと向かいの家の二階の窓が開かれる音が聞こえた。

「クリュカちゃん、バルルートちゃん、マズアンちゃん、そのお部屋に泊まることになったんだね」

 続いて絵美の声も。

「あーっ、絵美お姉ちゃんだぁーっ。やっほー」

 クリュカは窓に近寄り、嬉しそうに手を振る。

「絵美ちゃんのお部屋、そこだったのね」

「親しい幼馴染がお隣同士。日本のラブコメの定番ですね」

 マズアンとバルルートも絵美ににこっと微笑みかけた。

「私、昔は耕平くんとよくベランダ越しに糸電話で遊んでたよ。みんなは、明日はどう過ごす予定なの?」

 絵美の質問に、 

「学校視察の予定よ」

 マズアンが答える。

「そっか。大阪観光してみるのもお勧めだよ。それじゃ、おやすみなさーい」

 絵美はこう告げてベランダから中に入り、窓を閉めた。

「学校視察もいいけど、大阪の街巡りをするのも楽しいよ。観光地がいっぱいあるから。じゃみんな、宿題頑張って」

 耕平もこう勧めて、自室へ戻っていった。

「マズアンお姉さん、クリュカ、明日の計画について、話し合いましょう」

「そうね。今日も魔法を使って水泳競技でみんな同じタイムでゴールさせようと思ったけど、わたくし達の魔力じゃ無理だったからもっと簡単なことをしなきゃね。まず手始めに……まあとりあえず、日本の学校教育の改善すべき点から話し合わない?」

「そうですね。わたしが最初に思いついたのは、体育の授業や部活動でのスポーツ試合の勝敗、個人競技の順位付けですね。日本ではスポーツの出来は、児童生徒さんが学校生活で人間関係を築いていく上で、学力以上に重要な要素だと聞きます」

「日本の学校では先生の世界においても体育系が強い立場にあるっていうものね。スポーツの出来ない子は、勉強の出来ない子以上にいじめの対象になりやすいらしいわよ」

「日本の学校の体育教師は、日本の学校教育を競争主義的に仕立てた諸悪の根源ですね」

「うん、うん。日本の体育教師は、素行が悪くて腕白な子よりも、人間的に善良な気弱で大人しそうな子の方に厳しく八つ当たりするとも言われてるし。自身が前者のタイプだから、親近感が湧くのかしら?」

「きっとそうですね」

「日本の学校では、一人が出来てないために、みんなが責任取らされることもあるよね。そんなことしたら人間関係にヒビが入っちゃうよ」

 クリュカも意見に加わった。

「連帯責任という日本人らしい考え方、文化祭の合唱や、体育祭のマスゲーム、入退場行進の練習が特に当てはまりますね」

「日本の学校教育は連帯感、協調性、団結力をあまりに強く求め過ぎるものね。個人の意思を無視して無理やりやらされてる感があるわ。それゆえに疎外されちゃう子がどうしても出てきてしまうと思うの」

「性格は一人ひとり違いますし、べつに全体がきれいに揃わなくてもいいですよね。日本の学校の先生は変ですよ」

「小学校の先生は特に酷いらしいね。日本の小学校の先生は、授業で習ってない漢字を知ってても使っちゃダメとか、算数で数学の知識使ったら簡単に解けるのでもこういう解き方をしなきゃダメとかって制約を課すらしいよ」

「日本は学習指導要領主義ですから、天才が生まれにくいわけですよ」

「自分の学びたいことを、学年に関係なくもっと自由に学ばせるべきよね」

「そうだ、そうだ。日本の小学生はかわいそうだよ」

「聞いた話なんだけど、日本の学校の先生には児童生徒に間違いを指摘されると、逆ギレする人もいるそうよ」

「日本の学校では先生の言うことは絶対。先生は上、児童生徒は下の立場だから歯向かうことは許されないという風潮が蔓延っている影響ですね」

 三姉妹は日本の学校教育の問題点を語り合いながら、引き続き宿題を進める。

           ☆

午後十時半頃。耕平のお部屋。耕平が今やっている英語の宿題が終盤まで差し掛かった頃、

「耕平お兄ちゃん♪」

 クリュカがやって来た。

「どうしたの? クリュカちゃん」

「今からあたしのとっておきの魔法を見せてあげるね」

 クリュカはそう言うと窓を開け、斜め向かいの外壁に向けて両手をかざした。

 そして、

「透視!」

 こう叫ぶ。

「こっ、これは――」

 耕平は思わず窓から身を乗り出した。

 壁が透明になり、絵美のお部屋が露になったのだ。

ピンク色のカーテンで、水色のカーペット敷き。窓際に観葉植物。学習机の周りにはオルゴールやビーズアクセサリー、可愛らしいぬいぐるみなどがたくさん飾られてある、女の子らしいお部屋であった。何度か絵美のお部屋を訪れている耕平には特に目新しくは映らなかったが、こんな視点で観察したのはもちろん初めてのことだ。

「どう、すごいでしょう。えっへん」

「すごいけど、これって、法律上……」

「大丈夫。向こう側からは気付かれてないよ。これは壁など不透明な物体を透視出来る魔法なんだ。絵美お姉ちゃん今、ベッドに寝転がってポッキー食べながらマンガ読んでるね。ジャ○プに載ってるやつかな?」

「クリュカちゃん、これはプライバシーの侵害だよ」

 耕平は絵美のお部屋から目を背けていた。

「耕平お兄ちゃん、絵美お姉ちゃんの日常生活、見たくないの?」

 クリュカは絵美の様子をじっーと観察しながら質問した。

「ない、ない、ない!」

 耕平は必死に否定する。

「クリュカ、透視魔法は機械が故障した時に内部を調べるために使うものよ。悪用厳禁!」

 いつの間にか入室していたマズアンは、クリュカの頭を背後からゴチッと叩いておく。

「あいてっ。ごめんなさーい、マズアンお姉ちゃん」

 クリュカはようやく反省したようだ。

(マズアンちゃん、お姉さんらしいな)

 耕平は心の中で感謝。

「ところで耕平ちゃん、学校生活での悩みはないのかな?」

「べつに、ないけど」

 唐突に質問され、耕平はやや戸惑った。

「本当? 今日、根性論的な体育教師に厳しく叱責されてたでしょ」

「よくあることだから、慣れてるし。べつに厳しくってこともないと思う」

「そっか。耕平ちゃんあんなのに耐えられるなんて、精神力とっても強いのね。でも、我慢し過ぎるのはダメよ。鬱病を患っちゃうかもしれないからね。学校で嫌なことがあったら、わたくし達に何でも相談してね」

「耕平お兄ちゃん、あたしも協力するよ。困った人を助けるのは、カナヨト王国民の義務だもん」

「……ありがとう」

「それじゃ、耕平ちゃん。おやすみ」

「耕平お兄ちゃん、おやすみなさーい」

 マズアンとクリュカは元のお部屋へ戻って行く。

(カナヨト王国民って、本当に心優しい民族だな)

 耕平は思わず笑みがこぼれた。

 三姉妹の宿泊部屋。

「今日撮った写真、お父さんとお母さんに送っておこうっと」

 マズアンは自分のスマホから画像をいくつか添付し、両親のメールアドレスに送信した。

「バルルートお姉ちゃん、マズアンお姉ちゃん、今から日本の秋の虫さん探しに行こう!」

「ダメですよ、クリュカ。大阪近辺は治安が悪いらしいですから、わたし達だけで夜出歩くのは大変危険だと思います」

「じゃあ耕平お兄ちゃん達も誘おう!」

「今お勉強中でしょ。邪魔するのは良くないわ。それにね、日本では一八歳未満の子は深夜の外出は青少年保護育成条例で禁止されてるの。お巡りさんに叱られるわよ」

 マズアンも反対の意見をする。

「あーん、残念だなぁ。スズムシさんにマツムシさんにコオロギさん、他にもいっぱいカナヨト王国じゃ見られない虫さんが見れるチャンスなのに。でも条例なら仕方ないかぁ」

 クリュカはため息混じりに嘆いた。

「今、午後十一時を回っています。クリュカ、もう寝る時間とっくに過ぎてますよ。早くおねんねしましょうね」

 バルルートが優しく伝えると、

「はーい」

 クリュカは素直におトイレを済ませて来て、お布団に潜った。

バルルートとマズアンは引き続き勉学に励む。

 同じ頃、カナヨト王国首都シャバダント。三姉妹の自宅リビング。

 この街は日本との時差がマイナス八時間、今おやつ時だった。

「カヤロンちゃんにジルフマーハちゃん、今日も相変わらずウチヘ遊びに来てくれてありがとう」

 三姉妹の母は嬉しそうに礼を言う。

「いえいえ、バルル達がいなくて寂しいでしょうし」

「それに、おば様の手作りお菓子があまりにも美味しいので」

「そうだね、カヤロン。女王様の料理の腕前はカナヨト王国一だよ」

 二人ともパラチンタと呼ばれる、杏ジャム入りクレープ状のお菓子をもぐもぐ美味しそうに頬張っていた。

ジルフマーハは一二歳の中学一年生。背丈は一四五センチに届かないくらい。赤毛のぱっつんショート。丸っこくあどけないお顔だが思春期らしくほっぺににきびが少々、緑色の瞳が特徴的。

 カヤロンはバルルートと同じ中学に通う同い年の同級生ながら背丈は一八〇センチを越え、足も長くすらりとした体型。腰の近くまで伸びたロングウェーブな栗毛と、とろーんとした垂れ目、青色の瞳が特徴的だ。

「カヤロンちゃん、ジルフマーハちゃん、得意な料理は人それぞれ違うから、上手いとか下手って評価しちゃダメよ」

 三姉妹の母は優しく注意。彼女は二人のために冷たいハーブティをカップに注いでくれていた。

「バルル達がカナヨト王国を旅立ってから今日で丸四日かぁ。GPS機能によれば目的地へは無事辿り着けたようやけど、今後の行動が心配やなぁ」

「ワタクシもです。世界でトップクラスに治安が良いといわれている日本にも、貞操や人命を脅かす犯罪人がうろうろしていると聞きますし」

「国王様、アタシらが同行しなくても、本当に良かったん? バルル達だけで日本視察をさせるのは、まだ早過ぎやと思うで」

 ジルフマーハとカヤロンは心配そうに言う。

「三人ともまだ大人ではないが、もう幼い子どもでもない。かわいい子には旅をさせよという諺も日本にはあるし、全く問題はないだろう。写メールも送って来てくれたし、日本人のお友達も出来たようだし、かなり楽しんでいるみたいだぞ」

 カナヨト王国国王の一人である三姉妹の父はバウムクーヘンを味わいつつ、自分のスマホに送られて来た写真やメール文を眺めながら機嫌良さそうにこうおっしゃる。

「あの子達、旅館やホテルじゃなく一般の日本人宅に泊まることにしたのね」

 母も自分のタブレット端末に送られて来た同じ内容のものを眺め、嬉しそうに呟いた。

「それ、やばいんちゃう。日本人にも悪人はおるし」

「日本人には変態も多いらしいよ。バルルちゃん達、レイプされて殺されちゃうかも」

 ジルフマーハとカヤロンは心配そうな様子。

「文面見た限り、大丈夫そうだぞ。ここなら宿泊費も節約出来るし、日本人の暮らしを体感出来る良い機会じゃないか」

 父はこう伝える。

「あ~、めっちゃ心配や」

「バルルちゃん達、カナヨト王国に、生きて戻って来られるかなぁ?」

 それでも二人は安心出来なかった。そわそわしていた。

 再び平等宅。午後十一時半を少し過ぎた頃。

耕平が自室にて休憩のため布団に寝転がり、コミック単行本を読んでいた最中、スマホの着信音が鳴り響く。

「守也か」

 耕平はこう呟いて、通話アイコンをタップした。

『耕平、数学の宿題プリント出来たか?』

 いきなりこんなことを質問してくる。

「まあ、一応な」

『さすが耕平、明日の朝、写させてくれ。オレ、全く分からんからまだ白紙やねん』

「分かった、分かった」

 耕平は呆れ顔でこう伝えて電話を切る。ほぼ毎日のことなのだ。

 それからほどなく、

(ちょっとトイレ)

耕平はお部屋から出て、二階廊下を一番奥まで突き進む。『便所』とネームプレートの貼られた扉をガチャッと開けた。

「きゃっ!」

「うわっ、ごめん」

 タイミング悪く、バルルートがちょうど洋式便座に腰掛けて用を足している最中だった。目もばっちり合ってしまった。

「あっ、あの、わたし、目下排便中なので後五分くらい待ってから再びお越し下さい」

 バルルートは頬をカァーッと赤らめながら早口調で伝える。

「バッ、バルルートちゃん、鍵は掛けようね」

 耕平はくるっと体を反対に向け、慌てて扉を閉めた。

(どうしよう。わざとじゃないとはいえ、嫌われちゃったかな?)

 自室に戻った後、後悔の念がよぎる。

 四分ほど後、コンコンッと扉がノックされる音が聞こえて来た。

「耕平お兄さん、出ました。どうぞ」

 バルルートが入って来て伝える。

「あの、べつに、報告しに来なくても、いいから」

 耕平は気まずい面持ち。

「わたし、さっきのことは全く気にしてないので。むしろわたしの不用心さを注意して下さって嬉しかったです。カナヨト王国には鍵を掛ける習慣がないので」

 バルルートはにこっと微笑んだ。

「あっ、どうも」

「耕平お兄さんのおウチのおトイレ、家の構造を見る限り和式かと思ったのですが、洋式だったので意外でしたよ。ウォシュレットまで付いてさらに驚きました」

「民宿時代は和式みたいだったけど、俺が物心ついた頃には既に洋式だったよ。変えるつもりはなかったけど、姉ちゃんが和式なんて今時あり得ないとかってごねたらしい。まあ最近じゃ和式トイレなんてほとんど見かけないからな」

「日本でも和式トイレは年々減っているみたいですね。カナヨト王国では、逆に洋式が減って和式トイレが昔より増えていますよ。古き良き日本文化を尊重するという国の政策によって。わたしのおウチも今は和式ですよ」

「そうなんだ」

 耕平は思わず笑ってしまった。彼は再びトイレへ向かい、出入口扉を開ける。

 すると、

「あら、耕平ちゃん」

 今度はマズアンが用を足している最中に出くわしてしまった。

「ごっ、ごめん」

 耕平はまたも慌てて扉を閉める。

(またやっちゃった)

 鍵を掛けなかったマズアンちゃんの方が悪いだろと耕平は思ったのだが、罪悪感に駆られてしまう。自分の部屋に戻ろうとしたら、水を流す音が聞こえて来て、

「こちらこそごめんね、耕平ちゃん。鍵掛け忘れてて。次から気をつけるわ。消臭スプレー振り掛けといたから、すぐに入っていいわよ」

マズアンが中から出て来た。てへっと笑い、お部屋へ戻っていく。

(本当に大らかだな、カナヨト王国の人って)

 三度目でようやく用を足せた耕平は、ほとほと感心した。

 日付が変わって少し過ぎた頃、耕平は守也から借りていたラノベを読み終えて鞄に仕舞い、電気を消して布団に潜り込む。

 それから一分ほどして、

「耕平、一緒に寝てあげるわ」

 香子がまたやって来た。しかも両手に布団一式を抱え持って。

「姉ちゃん、自分の部屋で寝ろよ」

「スペースじゅうぶんあるからいいじゃない。耕平があの子達に襲われないためでもあるのよ。耕平の貞操が心配なの」

「そんな心配ないって。姉ちゃん、あの子達に失礼だぞ」

 耕平はかなり嫌がるも、

「耕平の身に何かあったら、姉ちゃんが助けてあげるから」

香子は聞く耳持たず布団を並べ、掛け布団に包まる。

「しょうがないなぁ、でも俺の布団に潜り込んで来たら、蹴り飛ばすぞ」

 耕平はしぶしぶ了承。

「耕平ったら、女の子みたいに警戒心強いわね。心配しなくても何もせんって。ちなみに耕平の今の体位、横たえるは英語で言うとlay、スペルはエルエーワイよ。この動詞はlaid,laid,layingと変化するからね。横たわる、嘘を付くのlieとの紛らわしい区別。一学期の学習内容だけど、今もちゃんと覚えとるかな?」

「うるさいぞ姉ちゃん」

「あーん、高校英語の重要ポイントやからちゃんと聞いて欲しいのにぃ。それじゃ耕平、おやすみなさい」

 香子が紐を引いて電気を消した。

それから三〇分ほどのち、

「……眠れない」

 耕平は天井を見つめながら、硬い表情で呟く。

 香子はもう、すやすや寝息を立ててぐっすり眠っていた。

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