6. 転禍為福

 大晦日の夜。居間リビングに寝転んだ俺達は、除夜の鐘を遠くに聞きながら、越年の興奮に沸き立つラジオ番組に耳を傾けていた。彼女が3畳間に持ち込めないテレビは、俺も点けない。それに、集中力を求めるテレビよりも寧ろ、ラジオの方が2人で四方山話よもやまばなしを交わすには好都合だ。

「初詣は氷川神社?」と確認する俺に、「そうよ」と彼女が返事する。

「此処からだと、小田急線を越えるから、歩いて30分位かな?」

「そうね。暖かい格好をして行かないと、身体を冷やすわね。どうせ参拝客が数珠繋じゅずつなぎで、参道に長い行列が出来ているでしょうし」

「そうだね。何時頃に出発する?」

「2時頃で如何どう?」

「梨恵って夜更かしが苦手なんじゃ? 大丈夫?」

「頑張るわ。年に一度だし」

「去年も頑張ったの?」

「ううん。毎年、熊本に帰省しているの。御母おかあさん、独りだし」

「今年は帰省しなくて構わないの?」

 口に出して直ぐに、野暮な質問だ、と自省した。

「今年は我儘わがままを言わせて貰っちゃった。明日の朝、御母さんには電話する」

 無理強いは勿論、彼女に居残りを強請ねだった事も無いが、母娘の越年行事を邪魔したのは俺だ。少し気後きおくれした俺は、無く、話題を元に戻す。

「初詣では何を御願いするの?」

「無病息災、家内安全。貴方は?」

 俺は、自分で話題を再開しておいて、彼女の逆質問に慌てた。口籠った挙句に「縁結び・・・・・・かな」と口走る。俺の冗談ぽい声音も一因だろうが、彼女は「まぁ」と反応しただけで「誰と?」とも「私と?」とも問い詰めなかった。

 失言めいた答えで御茶を濁したのには理由わけが有る。

 彼女には内緒で、9月から音楽教室に通い、電子ピアノの練習を始めたのだ。彼女の誕生日に俺が演奏するサプライズが目的だった。1月25日まで1ヶ月足らず。俺は練習に余念が無かった。

 曲目は唯一ただひとつ。福山雅治の『誕生日には真白な百合を』、ドラマの主題歌にも採用された曲だ。以前に確かめたら、俺達が出会う少し前まで放送されていたドラマを彼女は欠かさず観ていたし、主題歌も好きだと言っていた。

 だから、氷川神社での俺の願い事は、サプライズの成功だった。


 2014年1月25日、土曜日。

 電子ピアノは居間リビングに置いてあるのだが、トンネルから離れているので彼女の視野には入らない。(本番はトンネルまで動かそうか?)とも考えたが、どうせ演奏中は俺の下半身と鍵盤までしか映らない。だから、音声だけを彼女に届けるつもりだった。

 誕生日バースデイケーキに蝋燭を灯すまでは彼女に秘密だ。朝早くから起き出した俺は、ヘッドフォンを着けて最後の練習に向き合っていた。

 ところが、彼女も休日の筈なのに、どっぷりと陽が暮れても現れる気配は無かった。壁時計の短針が6時を回り、7時を回る。

――如何どうしたんだろう?――

――急に体調を崩し、寝込んでいるのか? でも、隣の部屋から動けない程に・・・・・・?

――もしかして、事故に遭ったとか? 梨恵は大丈夫なのか?――

 居間リビングに不穏な空気が漂う。電子ピアノの練習どころではなかった。

 その日、トンネルに座り込んだ俺は、夜通しで壁を見詰めていた。彼女の登場に直ぐ気付けるようにと、居間リビングの照明は点けなかった。カーテンも閉じていたので、さながら暗闇の洞窟に閉じ込められた囚人のごとき有様だった。

 カーテンの隙間から朝日が漏れ差しても、トンネルは何ら変化しなかった。脂ぎった頬に伸びた無精髭を擦りながら、もう一つの可能性に俺はおののいていた。

――トンネルが消えたって言う可能性は・・・・・・?

 俺にとって、最悪の可能性だった。


 その後の約1ヶ月、俺はトンネル消滅と言う否定しようの無い事実を受け入れられず、苦悩していた。

「もしかして」との期待を抱き、帰宅しては落胆する毎日。

 喪失感に打ちひしがれる一方で、夜中にハッと目を覚ましては、居間リビングを確かめずには居られない。残念ながら、居間リビングの床に寂しく佇む2つの床上灯フットライトの陰影を確かめる以外、徒労に終わってしまう。

 細った食欲と睡眠不足で憔悴し切っていた俺は、深酒に溺れるようになり、精彩を欠くようになった。

 それでも出勤し続けたのは、勤め人の哀しいさがだろうか。毎朝、鏡に写る顔を眺めながら、自暴自棄に陥らない自分を嫌悪した。

 そんな俺の様子に驚き、心配してくれたひとがレストランテ・イタリアーナの佐々木シェフだった。

「五十嵐君、大丈夫か? 悩み事が有れば、聞くぞ」

 太く逞しい両腕を腰に当て、普段は柔和な笑みを絶やさない口を真一文字に結んで、俺の顔色を窺っている。

――誰かに相談した処で、解決するような悩みではない。それに、説明したって信じないだろう――

 俺は弱々しい笑みを浮かべ、シェフの好意を曖昧な返事で辞退した。

「差し出がましいが、実家で何か揉め事が生じているのかい?」

 俺が無言で首を振ると、佐々木シェフは顎に皺寄せて唇を歪ませた。

「失恋か?」

 俺が反応を示さずにいると、佐々木シェフは「重症らしいな」と溜息を吐いた。

「君が元気を失くすと、こっちも調子が狂っちゃうからな」

 御節介だが口下手なシェフは上手い言葉を思い付かなかったらしい。俺の肩を叩くと、厨房に引き上げて行った。

 その翌日。妻の久子さんから俺の業務用アドレスに電子メールが届いた。ピザ生地用小麦粉の発注内容を事務的に記した後で、

『元気出しなさいよ。恋路に邪魔は付き物なんだから、ファイト!

 でも、知り合いの私達相手じゃ傷心を癒せないかもしれないから、相応しい相手を紹介するわ。和尚さんに悩みを打ち明けてみなさい。

 私達も時々、座禅集会に参加しているの。人生の師匠に胸を借りる事は貴方あなたにも有意義な筈よ』

 と、書き加えられていた。

 佐々木夫婦も、俺の恋愛が進行中なのか、頓挫したのか、確信を持てなかったみたいで、どっち着かずの文章だったが、俺を気遣う気持ちは十分に伝わった。


 観浄寺の座禅集会は、住職の考えから、日の出から約1時間後の刻限を開始と定めていた。2月であれば、午前7時半前後。(日曜日の早朝に誰が集まるのか?)と最初は訝ったが、年配者を中心に参加者は多かった。

 1時間余りも中庭に向いて座禅を組む。座禅と言っても、半跏趺座はんかふざを組むに過ぎない。住職の考えでは、無心に内面の自我と向き合う事が肝要であり、肉体的には楽な足の組み方で構わないそうだ。肌寒い早朝の空気に包まれ、雀のさえずりだけが耳に響く。

 座禅の時間を終えると、観浄寺では簡単な精進料理が朝食代わりに振る舞われる。少しだけ腹を満たした後、住職が時節を踏また講話を語り、そして散会となる。

 その後は大半の者が辞去するのだが、幾人かは座禅を再開する。住職の方も心得たもので、道場に居残りする者は放っておく。住職ご自身は淡々と寺務を勤めている。

 毎週の事ながら、俺は居残り組だった。自宅に戻った処で為すべき用事は無く、道場で足を組み、半眼で瞑想に耽る時間が心地良かったのだ。

 そんな或る日、俺一人だけが居残っていたら、終わり時を見計らった住職が近寄って来た。

「五十嵐さんとやら。あんた、若いのに熱心に座禅を組んでおるなあ。深刻な悩みでも抱えておるのか?」

「いえ、悩みと言う程の事では・・・・・・」

「曹洞宗の寺じゃからのう、方便として只管打坐しかんたざを指南しておるが、人々の悩みを慰めるに、只管ひたすら「己を見詰めよ」とだけ言い続けるのも酷な言草いいぐさよのう。

 出家した者ならば未だしも、在家の者ならば、誰かに打ち明けるのも有効な方便なんじゃろう、とわしは思う。

 無理にとは言わんが、この老骨に心情を吐露する事で五十嵐さんが楽になるならば、喜んで耳を貸すぞ。それだけは覚えておいて下され」

 しわの寄った柔和な顔を見ている内に、俺の強張こわばった心もほぐれるべき時期を見出したのかもしれない。

「和尚さん、私の話を聞いて頂けますか」

 と、言葉が口を衝いて出た。その一言が堰堤えんていを決壊させる蟻の一穴いっけつとなり、誰にも話さなかった梨恵との遭遇譚を住職に話し始めた。

 走馬灯の様に梨恵と過ごした日々が脳裏に浮かび、俺は淡々とした口調で述懐し始めた。住職は、正座した膝の上で抹茶の湯飲みを包み持ち、俺の話に耳をかたむけ続けた。身動きもせず、相槌も何も差し挟まない。

 一頻ひとしきりの告白を終えた俺は、俯き加減だった顔を上げ、中庭の梅の木に視線を移した。七分咲きの赤い花が早春を告げている。住職がようやく、冷め切った湯飲みを口に運ぶ。釣られて俺も抹茶で喉を潤した。

「これは曹洞宗の教えと言うよりは、法相宗の得意分野なんじゃがの」と、住職が顎鬚あごひげいじりながら前口上まえこうじょうを述べる。

「御釈迦様の高弟子である世親せしんは『唯識ゆいしき三十じゅ』と言う経典を著しておる。日本に伝来した経典は、ほら、西遊記で有名な玄奘三蔵の漢訳じゃ。

 その唯識ゆいしき思想とはな、仏教の観点から自我を解説したものなんじゃが、大きく無意識と意識とに自我を大別しておる。無意識は更に阿頼耶識あらやしき末那識まなしきに分けるんじゃが、自我の根本は阿頼耶識あらやしきじゃと考える。

 阿頼耶あらやはサンスクリッド語で倉庫を意味する言葉でな、種子しゅうじの貯蔵庫じゃ。その種子しゅうじとは、輪廻転生が始まって以降、過去から連綿と続いた自我の蓄積に等しい。

 つまり、本人がそれと認識できぬ深層意識の阿頼耶識あらやしきは、五十嵐さんが見聞した全てを包摂しておる。

 仮令たとえあんたが出会ったと言う女性が実体を持たない存在だとしても、五十嵐さんの阿頼耶識あらやしきには蓄積されておる。あんたの自我を形作る撚糸よりいととなっておる」

「でも、所詮は幻です・・・・・・。私は思い知らされました」

「幻か・・・・・・、確かにのう・・・・・・。五十嵐さんや。

 仏教ではのう、諸行無常の思想が教えの根底に流れておる。平家物語で有名な諸行無常の事じゃ。

 この世の一切の事象は常に変化し、不変の物は無い。未来永劫ともに存在の確とした物は無いと言う一種の諦観じゃ。

 その一瞬一瞬を刹那と称するんじゃが、くだんの女性は姿を現したんじゃろう? 幻ではないぞ。何らかの意義が有って、あんたの目の前に現れた筈なんじゃ。縁起じゃよ」

「でも、触れ合う事が出来ませんでした。幻と言わずして、何と言えば良いのでしょう?」

唯識ゆいしき思想に拠るとな、無意識と意識。意識の方は視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感と第六意識に因数分解される。

 人々は第六意識の先入観に従って五感を働かせる。見たいと望んだ物を見、触れたいと望んだ物に触れたと思い込む」

「私は彼女と触れ合いたかった・・・・・・。でも、出来なかった」

「表層的にはな。何らかの第六意識。或いは、無意識の領域である末那識まなしきが、そう認識させたのかもしれぬ。

 自分に好都合ならば貪り、不都合ならば毛嫌いする執着の心。我々は偏計所執へんげしょしゅうと称しておるが、それを超越する事は、仏の道を悟らぬ限り叶わんからなあ。

 じゃがな。大切な事は、あんたが感じた事ではなく、真の姿じゃ。その女性は確かに存在したんじゃろう? その存在を、あんたが信じないで如何どうする?」

「住職のおっしゃりたい事は理解できます。でも・・・・・・、信じれば、光明を見出せるのでしょうか?」

「五十嵐さんの念頭に浮かぶ“光明”次第じゃ」

 眉間に皺を寄せる俺には頓着せず、住職は淡々と説教を続ける。

「女性との再会を“光明”と考えるならば、偏計所執へんげしょしゅうに囚われた発想じゃ。五十嵐さんの魂が救われる事は無いじゃろう。

 そうではなくて、女性との一期一会が意味する真如しんにょに深く考えを至すのであれば、いずれ光明が差すのかもしれぬ。在るがままに、無きがままに受け入れる姿勢こそが大切なんじゃ」


 住職との対話に光明の糸口みたいなものを感じた俺は、曹洞宗でも馴染みのある般若心経はんにゃしんぎょうを取り寄せてみた。流石に写経に興じようとは思わなかったが、僅か262文字の漢字が並んだだけの経文を眺めると、住職の説話が思い出される。

 有名なフレーズは“色欲是空、空欲是色”だろうか。住職の「存在の確とした物は無い」との台詞せりふに通じる。般若心経は、自我の存在を深く探究して得た悟りだが、“自我の存在”を“緒方梨恵”に置き換えて読解すると、俺にとっては心のよすがとなった。


 春分の日が金曜日に当たって3連休となった週末。俺は久しぶりに帰省した。

 俺の故郷は福島県喜多方市。東北新幹線を郡山駅で下車し、在来線の磐越西線に乗り換える。電車は郡山市を外れると直ぐに奥羽山脈の南端に分け入る。猪苗代湖と磐梯山の間を通って会津平野に抜けると、只見線との分岐駅である会津若松駅で喜多方方面行きの電車に乗り換える。

 郡山駅から喜多方駅までは約2時間の旅程で、会津若松駅では30分前後も後続便を待つのだが、相対的に接続の良いダイヤは1時間に1本と少ない。

 地元の人間は自家用車で移動するのが通例だが、東京暮らしの俺は車を保有しておらず、田舎時間の電車の旅に揺られるしかない。

 そんな交通の不便さもあって帰郷の足が遠退とおのいていたのだが、今回は一種の傷心旅行でもあり、長閑のどかな時の流れが心地良かった。

 3月下旬であれば、安達太良山あだたらやまや磐梯山が雪化粧を落とさずに鎮座している。車窓に迫る雪景色に、心を洗われるような清々しさを感じた。

 そして、喜多方駅でバスを待つ間に肌を包む3月の冷気。東京では桜の蕾が開花の合図を待っている時頃だが、此処では粘り腰の冬が最後の座り込みを続けていた。

 最寄りのバス停を降り、所々に根雪の残る田圃たんぼの畔を進む。柔らかく凸凹でこぼこした地面の感触が懐かしかった。

「ただいま!」

 家の奥から出て来た兄嫁が「あらぁ、健吾さんでねっか! ずんがりだねぇ」と家中に響く声を上げた。続いて兄夫婦の娘の手を引いた母が玄関まで出迎えに来た。確か小学生の低学年だった姪は、滅多に会わない俺に人見知りして、母の腰の陰から顔を覗かせている。

「もはあ、やんだおらぁ。まんまごしぇ、こせてたとこだ。

 にしゃも、そんただ玄関とんぼぐちで立っとらんで。ほれ、はいらんしょ!」

 標準語が跡形も残っていない母の言葉を耳にすると、実家に帰ったのだ――と実感する。母に促された姪が俺の手を引き、父と兄が寛ぐ居間まで案内をする。

 木造平屋の古い家屋。縁側の引き戸は昔ながらの木製で、障子戸を閉めていなければ冷気が漏れ込んで底冷えする。畳敷きの居間の中央に穿った掘り炬燵で、丹前たんぜんくるまった父と兄は酒を酌み交わしていた。隣の台所では灯油ストーブに据えた薬缶やかんが湯気を揺らしている。

 夕食の支度中だった母と兄嫁は、俺の帰省を受けて品数を1つ増やそうと、調理器具棚から取り出した鍋に湯を沸かし始めた。兄嫁に背中を押された姪が「酒の肴に」と、烏賊人参と漬物を運んで来た。

「お帰んなんしょ」

 それだけを口にした父は炬燵の空いた一画を顎でしゃくり、兄は炬燵から足を抜くと、3つ目の茶碗を持って来た。

 父は無口だ。一方の兄は、社交的とまでは言わないが、決して無愛想ではない。だから、弟の俺と話をしたそうにしていた。それでも、(何か事情が有って短い休みに戻ったのだろう)と勘繰ったようで、結局の処、晩飯時までは3人揃ってテレビの聞き役を務める展開となった。

 炬燵で宿題に取り組む積りの姪は、俺の横に陣取り、ノートを広げている。酒肴しゅこうの小鉢を卓上に並べる際に交わした軽口が奏功したようで、俺への警戒心を解いたらしい。幼い姪と話している限り、大人が立ち入った質問を放つとは思えないので、俺の方でも好都合だった。


 翌日の土曜日。俺は「会津若松の市街で何か御馳走するよ」と姪を誘い出し、飯盛山いいもりやままでドライブした。白虎隊が自刃じじんを遂げた場所として観光名所になっている。

 俺の目的地は同じ飯盛山でも円通三匝堂えんつうさんそうどうの方だ。建物の外観が栄螺さざえに似ている事から、会津さざえ堂と呼ばれている。

 天頂に向けて地面と垂直に建っている事は、柱を冷静に眺めれば納得するのだが、六角柱の形状をした御堂の壁面に斜めに打ち付けられた長押なげしや窓枠が目の錯覚を誘い、歪んだ建物が崩れそうに見える。不思議な建築物だった。

 二つ目の特徴は二重螺旋階段で、昇り通路と降り通路が垂直方向に組み重なっている。入口から右回りに螺旋斜面路スロープを昇って最上階の太鼓橋に至ると、今度は左回りの螺旋斜面路スロープを降りて裏面の出口に至る。堂内の参拝者は一方通行で高さ16メートル強の建物を上り下りする。

 平板の斜面路スロープには滑り止めの桟を幾つも横に渡しており、好きな歩幅で進む事が出来る。螺旋斜面路スロープの天井を這う床梁は逆方向の螺旋斜面路スロープを支えている。頭上に響く足音は、自分の進行方向とは逆に進む参拝者が踏み鳴らしたものだ。

 天井、或いは床を隔てただけなのに、自分とは逆進路を歩む者が併存する。その姿は見えない。けれども、同じ建築物の中で確かに共存しているのだ。最上階の太鼓橋が二つの異世界をつないでいる。

――まるで俺と梨恵の関係だな・・・・・・。さながら太鼓橋が俺達のトンネルか・・・・・・。

 螺旋斜面路スロープの構造を面白がった姪は、子供らしい小走りで何度も地上と頂上を行き来した。姪が俺を追い抜いた数十秒後には、軽やかに駆け降りる足音が天井から響いてくる。不思議な気分だった。


 連休3日目の日曜日。俺は朝早くに実家を出発した。農閑期といえども、農家の朝は早い。

「健吾。今度は田植えの時期に帰ってこらんしょ。にしゃの身体に期待してっがら」

 俺の様子を遠巻きに見守っていた兄の放つ短い言葉は、「何時いつでも疲れた羽根を休めに戻って来い」との含意が明らかで、優しい気遣いを感じさせた。

 磐梯山の斜面越しに会津平野を照らす朝日を浴び、俺は再び人生に向き合う活力を取り戻しつつあった。


 観浄寺に通い始めてからの俺は、平日・休日を問わず、早起きする習慣を身に着けていた。平日でも短時間ながら居間リビングの壁に向かって座禅を組み、精神状態を落ち着けてから出勤するようにした。

 改心した俺に仏が報いたとは思わないが、その日、“早起きは三文の得”の諺は俺の為に伝承されたのでは?――と誤解するような出来事が再発した。“三文の得”を遥かに凌ぐ僥倖だった。

 消滅してから約2ヶ月半が経った4月7日、トンネルが再び開口したのだ!

 カーテンを開けようと居間リビングに足を踏み入れた俺は、雪窯かまくらの様に壁際で光る空間を目の当たりにした。思わず足が止まり、瞠目する。鼓動が早まり、生唾を呑み込んで、深呼吸する。自分が近付けばトンネルが消えるのでは?――との怖れから足が震え、次の一歩を繰り出せない。

 の位の時間、金縛り状態で佇んでいたのだろう。ハンガーをらす微かな擦過音に呪縛を解かれた。

「梨恵っ!」

 大声を上げて駆け寄り、ドンと壁に両手を突いた。

「健吾さんっ?」

 左の方から、彼女が半信半疑の声を返す。

 俺は肩越しに振り返るが、カーテンが邪魔をする。抵牾もどかしさに半狂乱となり、引き千切る様にしてカーテンを開け放った。

 ガラス扉の向こうに、彼女の薄い姿を認める。両手を口に当て、滂沱の涙を流し始める彼女。少し前屈みに腰を曲げながら漏らす嗚咽の声が、ガラス越しでも俺の耳に届いた。

 俺は、ガラガラとガラス扉を開け、テラスに躍り出た。理性を掻殴かなぐり捨て、彼女を抱き締めた・・・・・・、否、勢い余って手擦りに突進した。

 肩透かしを喰らった俺はようやく理性を取戻し、振り返って彼女に歩み寄った。

「やあ。随分と久しぶりだね」

 パジャマ姿の彼女は未だ泣いている。ウン、ウンと大きく頷くのみ。


 その日、2人とも体調不良を装って欠勤した。俺達の精神的動揺は激しく、あながち仮病とも言い切れないが、常識に囚われた者に電話で真相を伝える事は不可能だ。

 居間リビングに引き返した俺達は昼過ぎまで、飲まず食わずで一心不乱に語り合った。

 トンネルが消滅して以降、彼女は俺以上に気分が塞いでしまい、2週間の長期休暇を願い出たらしい。そして、故郷の熊本で静養していたそうだ。

 静養中、阿蘇外輪山の一画に建立された上色かみしき見熊野座みくまのいます神社にも参拝した。この神社は2年前に公開されたアニメ映画の舞台として一般人には有名だが、彼女の目的地は別にあった。

 穿戸岩うげといわ

 苔す石段の参道を鳥居から神殿まで登り、更に奥まで続く山道を歩き続けると、山肌の一部が剥き出たかと錯覚しそうな巨岩が現れる。巨岩の中央には高さ3メートル程の大きな穿上洞が形成されており、如何なる艱難辛苦をも貫き通す御利益を期待しての訪問者が後を絶たない。

 超常現象のトンネル開通が彼女の願い故、頼みの綱を神仏に求めるしかない。穿戸岩のアーチ形状は彼女にトンネルを連想させた。前近代的な“お百度参り”宜しく、彼女は何度も足を運んだそうだ。

 気持ちを落ち着けて東京生活に復帰してみれば、残念ながら、トンネルは消滅したまま。半信半疑の期待を胸に3畳間の引き戸を開けた時は、酷く落胆したらしい。

「でも、最後に、神様は願いを聞き入れて下さったんだわ・・・・・・」

 神妙な面持ちの彼女は、感謝と安堵の気持ちがにじんだ言葉で話を締め括った。

 禅宗の助けを借りて平穏な心を取り戻した俺は、彼女の行動と心情変化に強く共感した。人智を超えた存在に依って引合された2人だからこそ、信仰とはニュアンスの違う、敬虔で素直な気持ちをはぐくめたのだと思う。


 再会の翌日以降、俺達は代り映えのしない日常生活、つまり、自宅と会社を往復する毎日に戻った。自宅ドアを開ける前、胸に手を当て(トンネルが消滅していませんように)と念じる癖が身に着いた事を除いて・・・・・・。

 3週間後に始まった黄金週間ゴールデンウィークは、外出を極力控え、自宅にこもって過ごす事にした。「休暇だから自堕落に生活しても許される」と言い訳しながら、トンネルに枕を並べて添い寝した。

 何せ、不安だった。自分達は無力なのだとわきまえながら、一方で、俺達が会い続ける事でトンネルの存続に寄与している――と信じたい気持ちが心の奥底に潜んでいたのだと思う。

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