8. 彼氏との出会い
緒方梨恵は年休を取得し、2番目の作戦として、五十嵐健吾の勤務先である興国食糧を訪問した。
3畳間に収めた洋服のレパートリーは少なく、今日も独身寮の訪問時と同じ服装だ。梅雨入り後には珍しい晴天だったので、フリル付きの白い日傘を手にしている。
平日だが、スーツ姿で興国食糧を訪問すると
梨恵は、登戸駅で小田急線をJR南武線に乗り換え、大田区に向かった。
興国食糧は京浜地区の物流倉庫街の一画に在る。敷地内には2棟の大きな倉庫を擁し、正門を潜った直ぐの場所にプレハブ2階建ての事務所棟を構えている。
その事務所棟まで難無く辿り着けると梨恵は油断していたのだが、現実は甘くなかった。
梨恵は、正門で入構手続きをする際に、訪問相手は『営業部の五十嵐健吾』だと素直に申告した。
警備員らしい制服に身を包んだ守衛は60歳前後の老人で、とても人懐っこい性格のようだった。とは言え、社内規程に従い、事務所棟に内線電話を掛けて社外者の来訪を知らせる。
「御嬢さん。五十嵐健吾なる従業員は在籍していませんよ」
守衛の返答を聞いた梨恵は途方に暮れた。守衛も申し訳なさそうな顔をする。
「困ったわぁ。
興国食糧さんの営業部には、興国商事さんからの出向者が居る筈なんです。その方に御話を伺う事は出来ないでしょうか?」
梨恵は喰い下がった。
「守衛の私には
でも、立場上、御紹介する事は出来ませんし、此処を通す事も出来ません。申し訳有りませんが・・・・・・」
梨恵は守衛の前で、「困ったわ」を連発した。
事務所棟を目前にして立ち往生する状況に腹立たしくなり、ちょっと泣きそうな顔になる。守衛の前を行ったり来たりする。
そんな梨恵の様子に同情したのか、守衛が質問する。
「御嬢さん。その五十嵐さんとやらとは、
梨恵は守衛の方に向き直った。
「五十嵐さんからは確かに「此処に勤めている」って聞いているんです!」
「御嬢さんと、その五十嵐さんとやらは、恋人なの?」
セクハラっぽい質問だが、好々爺の守衛に卑猥な意図は全く無い。それに、守衛の指摘は概ね的を射ている。但し、相手は
丁度その時、梨恵は、祈るようにハンドバックを握り締めていた両手を、胸から僅かに下げた。
――きっと、男に騙されて妊娠した彼女は、今後の事を思い悩んで駆け付けて来たのだろう。彼女の必死な面差しを見れば一目瞭然だ。世の中には酷い男が居るもんだ――
メロドラマの見過ぎだ――と第三者が指摘したくなる守衛の誤解だったが、梨恵には窺い知れない。
「分かった。御嬢さん」
踏ん切ったように宣言する守衛を、梨恵は驚いて見詰めた。
――何が分かったのだろう?――
梨恵が黙っていると、守衛が優しく話し始める。
「御嬢さんを構内に通す事は出来ないが、間も無く昼休みだ。
事務所棟の社員は、昼飯を食べにゾロゾロと出て来るよ。此処には社員食堂なんて洒落たものは無いからねえ。
その時に、私が知り合いの社員に頼んで上げよう」
梨恵の為に守衛が尽力してくれる事は、何となく理解できた。でも、具体的な内容は分からない。梨恵は猶も黙っている。
「興国商事からの出向者が事務所棟に居るなら、その人に声を掛けてくれと、私から頼んで上げるよ。
五十嵐とやらに辿り着ければ
兎に角、御嬢さんは前に進まないといけないんだから」
予期せぬ展開に、梨恵の表情はパっと明るくなった。守衛が口にした
梨恵の表情の変化を見て、守衛も嬉しくなった。
「有り難う御座います」
梨恵は元気な声を出すと、守衛に深々と頭を下げた。そして、
「此の名刺を、その方に渡して下さい」
守衛は老眼なのだろう。梨恵から受け取った名刺を遠目に確かめている。
「緒方梨恵さん? 御嬢さん、旅行会社に御勤めなんだね」
守衛は名刺を胸ポケットに仕舞いながら、梨恵の後背に顎を
「承知したから、御嬢さんは守衛所の中で座っていなさい。こんな暑い所に吊っ立っていたら、
梨恵は守衛の言葉にキョトンとした。明らかに勘違いしているわ・・・・・・。
守衛の誤解を解いた事で流れが暗転しても困る。梨恵は黙って守衛の指示に従った。
30分も経つと、構内には12時を告げるサイレンが鳴り響く。事務所棟に限らず倉庫棟からも、巣穴から這い出る蟻の様に従業員がゾロゾロと溢れ出る。
守衛は、昼食に向かう従業員の流れが止むまでは、いつも正門の脇に立っているようだ。顔見知りの幾人かとは挨拶を交わしている。
人群れの中に初老の男性を認めた守衛は、「待ってました」とばかりに手招きして呼び寄せる。
「ちょっと悪いんだけどさあ。興国商事からの出向者って、事務所棟に居るかなあ?」
「何人か居るけど」
「何人も居るの? 困ったなあ」
「何?」
「いやね。あそこの御嬢さんと恋仲の男性を探しているんだ。五十嵐って言う男らしいんだけど」
守衛の指先に誘導された男性の視線は、守衛所の中で控える梨恵を捉える。
「五十嵐って言う人、居ないよ」
「そりゃ、分かっている。だからさっ、親会社の方に五十嵐って言う男が居ないか
「30歳前後の男性社員って言う事だよね?」
「多分」
「五十嵐の下の名前は何て言うの?」
「名刺の裏に書いてある」
守衛は男性に名刺を渡した。
「分かったよ。同年代の出向者に頼んでみるよ。でも、今日は外出しているよ」
「それじゃ、事務所に居る時に
「それでさあ、分かったら、
「名刺の勤務先に連絡してやって欲しいのよ」
男性が昼食を食べに立ち去ると、守衛は梨恵に顛末を報告した。
「だからさっ、
親切な守衛に梨恵は何度も御辞儀した。
その日の夜、彼女が俺に昼間の成果を報告する。
「これで、私の方は2つ種を蒔いたわ。芽吹くか
俺は「そうだな」と首肯した。
「でも、
「その可能性は有る。
興国商事の食糧事業部は手広く食糧を取り扱っているからね。小麦以外の穀物だってあるし、穀物以外にも海産物とか色々。商品毎に子会社が存在するよ」
「総合商社だものねえ」
彼女は嘆息した。こんな事で総合商社の巨大さを実感するとは、俺自身も想像しなかった。
「そもそも、
俺は自分に言い聞かせるように言った。
「
「興国商事は食糧以外にも取り扱っているからね。金属とか何やら。
それを考えると、出向先は無数に有るよ。是非とも、独身寮と今日の線で辿り着きたいけどなあ」
俺は後ろ手を組み、壁時計を見上げた。未だ午後10時だ。
彼女は今日も座椅子に座って足の裏を合わせ、カエルのポーズでストレッチをしている。背中を曲げて前屈しながら、「本当よねえ」と、今度は
それでも、
問題は
「
彼女は背筋を伸ばして頭を背凭れに預け、「そうねえ」と思案顔で天井を見上げた。
「最後は、梨恵の実家を訪ねようと思っている。でも、君の実家って、熊本だっけ?」
彼女が頭を起こして、「そう」と答える。
「週末に九州まで飛んでも、殆ど探し回れないだろうな。夏期休暇まで待つしかないね」
「そうよねえ」
今夜は俺の
「ねえ、貴方」
「私と貴方。どちらが先に相手を見付けるかしらね」
「そうだね。運を天に任せるしか、俺達に出来る事は無いからね」
「私ね・・・・・・。このまま見付からなくても構わないかな、って思っているの。
貴方の考えには
心情を吐露する彼女を、俺は本当に
案ずるよりは産むが易し。期待したよりも早く、緒方梨恵の蒔いた種は芽吹いた。
梨恵が興国食糧を訪問した翌々週。五十嵐健吾が梨恵の職場に電話を寄越したのだ。
梨恵は、検討中のツアー工程について、
首から吊り下げた携帯電話が鳴る。会社支給の安いガラ携の液晶画面には、見覚えの無い電話番号が表示されている。03始まりなので仕事の電話だろう、と思って通話ボタンを押した。
「私、五十嵐健吾と申します。緒方梨恵様でしょうか?」
心の準備をしていなかったので、耳から離したガラ携をマジマジと見詰めた。フッと我に返り、慌てて耳に当て直す。
「はい、はい。私が緒方梨恵です。ちょっと間延びしてしまって、済みませんでした」
「いえいえ。独身寮と興国食糧の2つのルートから、
「そうなんです。貴方を探していたんです。連絡を戴けて、凄く助かっています」
「それで・・・・・・。独身寮で預かった手紙を拝見しますと、信濃さんからの
「そうなんです。そうなんですよ」
「彼女は、今?」
「はっ?」
「彼女は今、
「あっ。信濃麗子さんですね。彼女、実家に戻って地元の方と結婚しています」
「そうですか・・・・・・。そりゃ、結婚しているでしょうね」
「それで・・・・・・。彼女は幸せにしているんでしょうか?」
「はい。幸せそうです」
「そうですか。・・・・・・そりゃぁ良かった」
五十嵐健吾は、胸の
「それで。言付とは何でしょうか? 今、此の電話で伺えますか?」
「いいえ、それがちょっと・・・・・・。実はですね、彼女からの預かり物を渡したいんです」
「重いんですか?」
「いえ。そんなに重くはないです」
「では、御都合の良い日を指定して頂ければ、私が緒方さんの勤務先まで取りに伺います。
「いえ。重くはないんですけど・・・・・・、嵩張るから、満員の通勤電車に乗って持ってくるのは、何だかなあと言う感じで・・・・・・」
五十嵐健吾に手渡す物なんて無いので、梨恵の返答もムニャムニャと小さくなる。
「分かりました。私の自宅住所を伝えますので、御面倒ですが、宅急便で送って頂けませんか? 勿論、着払いで」
「それがぁ・・・・・・。宅急便で送る程には嵩張らないんです」
何だか
「その預かっている物とは何ですか?」
「さあ。包んであるので・・・・・・。私も預かる時に「絶対に中を見ないでくれ」と釘を差されまして・・・・・・」
「そうですか。一体、何だろう?」
五十嵐健吾は素直に悩んでいる。
「それで、ですね。五十嵐さん」
梨恵の呼び掛けに、五十嵐健吾が「はい」と返事する。
「私のアパートまで取りに来て頂けませんか。今週末にでも。それが一番良いと思うんです。世田谷区なんですけど」
「分かりました。土曜日と日曜日の
「
「分かりました。では、土曜日に伺います。昼過ぎの時間帯が一番ご迷惑にならないでしょうねえ?」
「そうですね」と相槌を打った途端、明るい時間帯ではトンネルの像が薄い事を思い出した。慌てて、言い直す。
「いえいえ、五十嵐さん。夕方にして下さい。夕方6時前。いや、7時前で御願いします」
「分かりました。それでは住所を教えて頂けますか?
お嫌ならば、最寄駅を教えて下さい。ちょっと迎えに来て頂かなくてはなりませんが・・・・・・」
梨恵と五十嵐健吾は住所を教え合った。
案の定、梨恵のアパートから近い住所だった。とは言え、世田谷区の住宅密集地で、手掛かりも無く探し出すのは不可能な話だ。
その日の夜。トンネルで会うや否や、彼女は興奮して「来たわよ、来たわよ」と騒ぎ立てた。
「一体、何が来たの?」
「
珍しく、俺の方がキョトンとする。
「五十嵐健吾さん。
彼女の
「そうなの? 本当に喰い付いて来たんだぁ!」と、ガッツポーズを取る。
彼女が昼間の顛末を俺に報告する。
「今週の土曜日に奴が来るんだね?」
「そうよ」
「
実際、俺を見た
1年中で最も陽の長い時期だから、7時近くでも外は明るい。照明を点けず、雨戸も閉め切っていたので、3畳間は
アパートの呼び鈴を耳にした梨恵は「は~い」と応え、足音をドタバタ言わせて玄関に向かった。
彼女は「どうぞ、どうぞ」と
「
と、襖の引手を指し示した。
五十嵐健吾は、梨恵が妙に緊張していているな――と感じたが、(初対面の男を自宅に上がらせるのだから当たり前か)と思い直した。
3畳間は壁を隔てて玄関と隣り合っている。初対面の客ならば、最も手前の部屋に招き入れるのが普通だ。だから、梨恵に言われる通り、五十嵐健吾は自分で襖を右にスライドさせた。
五十嵐健吾は正体を確かめようと前屈みで近付き、その光源を覗き込んだ。そして、俺と視線を合わせる。
俺は、ニッコリと笑顔を浮かべ、右手を挙げて「やあ」と挨拶をした。五十嵐健吾にとっては、ワっと脅かされたのと同じだった。奴は「ヒィ~っ」と小さな悲鳴を上げて
「驚かして、御免なさい。でも、五十嵐さん?」
五十嵐健吾は硬直した表情で梨恵を凝視する。
「貴方に見せたかった物は、これなの」
途方に暮れた五十嵐健吾は視線を左右に泳がせた。ただ、意識しているのだろう。俺から顔を背け続けた。
――我ながら、不甲斐無い奴だ。俺と彼女は、最初に会った時、そこまで狼狽しなかったぞ――
俺は奴との直接対話を諦め、彼女に介添えを頼んだ。
「緒方さん。彼も直ぐには事情を飲み込めないだろう。
それに、此処じゃあ落ち着かないと思う。隣の部屋に連れて行って、君から粗方説明してくれないか?」
彼女は五十嵐健吾に向かって「
8畳間の正面には東向きの窓が開けてある。
丘の中腹に建つアパートの窓からは住宅密集地の屋根群が臨めた。窓から身を乗り出して右手を向けば、駅前商店街と小田急線の駅が視界に入る。
部屋の入口に立つ五十嵐健吾の目には、住宅街の屋根の上に広がる夕暮れ時の空が映った。何処にでもある普通の風景が不安を和らげる。
右手にはシングルベッド。
反対の左手はキッチン。狭いキッチンの上には、切り刻まれた晩御飯の食材がボウルに仕分けられて、仕込みが終わっていた。炊飯器からは湯気が立ち上り、米の炊き上がる香りが部屋に漂っている。
手前の壁際には小さな2人用テーブルが置かれていた。テーブルとセットの椅子は1つだけ。丸い座面の折畳み椅子だ。
梨恵の勧めに応じ、五十嵐健吾が折畳み椅子に座る。壁を背後にする事で部屋全体を視野に入れ、無意識に警戒している。梨恵は、五十嵐健吾の緊張した面持ちを見ながら、「仕方無いわねえ」と呟いた。
単身者用の小さな冷蔵庫から麦茶の瓶を取り出すと、2つのコップに注ぎ、その1つを五十嵐健吾に手渡す。五十嵐健吾は礼を言って受け取るが、飲まずにコップをテーブルの上に置いた。
梨恵はベッドに腰を降ろすと、五十嵐健吾と斜めに向かい合った。
「驚いたみたいね」
「ああ。・・・・・・驚いた」
五十嵐健吾が放心の態で梨恵の言葉を繰り返す。
「あれは、一体、何?」
五十嵐健吾は、両手を膝の上に置き、まるで卒業式に臨む小学生の様だった。
「あれは、
「僕?」
「そう。貴方」
「
「彼は異なる世界の貴方なの。
瞠目した五十嵐健吾は右を向き、そして左を向いた。
梨恵は、初めてトンネルの存在に気付いて以降の出来事を、掻い摘んで五十嵐健吾に説明した。
黙って梨恵の話に耳を傾ける五十嵐健吾。時々は口元にコップを運び、息苦しく感じる喉を
梨恵が話し終わっても、五十嵐健吾は顔を上げず、膝上に載せた両手の親指を弄び続けている。
「
五十嵐健吾の素朴な疑問を梨恵は反芻してみる。これまで彼の探索で気を紛らせていたが、接触できた今日以降は、梨恵自身が改めて対峙しなければならない根源的な疑問だった。
――自分は
「説明できないわ。・・・・・・一言では」
梨恵は、フウっと長い息を吐き出すと、憂いの表情を浮かべた。
「もう一度、隣の部屋に行けるかしら? もう落ち着いたならば・・・・・・だけど」
梨恵の問い掛けに、五十嵐健吾は
今度は先に彼女が3畳間に入って来た。
彼女は座椅子を奴に勧め、自分は
「緒方さん。部屋の灯りを点けてくれないか?」
「分かったわ」と答え、彼女は立ち上がると部屋の灯りを点けた。俺の姿が少し薄くなった筈だ。
「
珍しい見世物を目にした子供みたいな顔で奴が頷く。恐怖心と好奇心との相克が如実だった。
「見ての通り、俺には実体が無い。お前からすると、幽霊みたいなもんだ。
今度は、俺の手を握ってみな」
俺は右手を奴の方に伸ばした。おっかなびっくりで奴も右手を伸ばしてくる。
触れ合う直前で、奴の指先が止まった。自然な心理として警戒心が頭を
「心配するな。大丈夫だ。何も起きやしないから」
不安げな顔を巡らせて確認を求める奴に対し、彼女が無言で頷き返す。
決心したようだ。再び伸ばし始めた指が交差する。奴は
「分かっただろ? 俺は幽霊みたいなもんだ。でも、生きている。但し・・・・・・、
「お前さんと信濃麗子とは
「お前を呼ぶ為の方便として、彼女の名前を使っただけだ」
奴は「そうか」と短く呟いただけで、未だ掌を泳がせている。そして、右手を踝の上に戻した。此の不思議な現象を受け入れたようだった。
「俺と会って、
――
「その前に、お前。彼女の事、
「
「もう一度、
俺の強い口調に促され、奴が気後れしつつも、彼女の横顔を眺める。彼女は無表情を保っていたが、奴の視線に耐えかねて少し目を逸らした。
「彼女の事、
俺からの同じ質問に、奴は「素敵な
俺の場合、バルコニーで初めて彼女に会った時から、一目惚れだった。奴の場合、一目惚れとは行かないようだ。
――やっぱり、状況が状況だからか? それに、第三者の俺が間近に居れば、色恋沙汰の感情も湧き難いだろう――
俺は腕組みしてしまった。
「これは何かのテストなのか?」
痺れを切らせた奴が質問する。
「いや、テストなんかじゃない」
「それじゃあ、何だ?」
「説明するのは難しい。・・・・・・一言では」
「何だ?
――そうか、彼女も同じ事を言ったのか――
「何だか、全く事情が呑み込めないぞ」
つい1時間前に抱いていた恐怖心を忘れ、奴は俺と普通に話している。
「お前に相談が有るんだ。相談と言うか・・・・・・、提案だな」
「はあ?」
「今日から俺達、ダブルデートをしないか?」
「はあ?」
「お前、今日から彼女と付き合ってみないか?
まあ、今は頭も混乱しているだろうから、明日からでも」
「そんなポン引きみたいな事を言われたって・・・・・・。彼女の気持ちは
「彼女とは既に話し合った事なんだ」
「じゃあ、何故、彼女が俺に直接言わない? 彼女は押し黙っているぞ」
そう言うと、彼女を指差した。奴も引き下がらない。
「俺達2人は触れ合う事が出来ないんだ! 見ただろ! こうするしか無いんだ!」
思わず大声で感情を爆発させてしまった。その場が凍り付く。
「俺だって、彼女をお前になんかに紹介したくないさ。でもな、俺では彼女を幸せに出来ないんだ」
今度は小さな声で言い訳する。
「俺なら彼女を幸せに出来るかなんて、分からないんだぞ。
その前に、彼女が俺を好きになるのか、それさえも分からないんだぞ」
俺の気持ちを察した奴は、穏やかな声で冷静に指摘する。
「お前ら2人に恋愛感情が湧かなかったら・・・・・・。その時は、別れたら良い」
俺の声音が更に弱くなる。少し投げ遣りな感じも滲む。
「お前さん、それで良いのか?」
「気持ち良いわけがない。でも、他の男と梨恵が付き合うよりは、お前の方が遥かに我慢できる」
此の状況を考えれば、奴だって同じ結論に辿り着く筈だ。
「
「居る筈だ。でも、
「つまり?」
「だから、今は居ない」
「つまり、お前さんは俺達の仲人をしただけ?」
「そう言う事だ」
10分か15分だろうか。猶も奴は頭の中を整理しようと努めていた。俺達3人は無言の
だが、俺達の事情に納得した奴は、彼女の方に振り向き、彼女の方に座椅子を引き摺った。
彼女が膝の上で組んだ両手に、奴が右手を柔らかく重ねる。幾ら渇望しても俺には実現できない。絶望と嫉妬が心の奥底で
でも、
「改めまして。五十嵐健吾です」
彼女がコクリと頷く。緊張で身体を堅くしている。
奴は腰を浮かせ、彼女にもっと近付いた。そして、左手も添えて彼女の両手を優しく包み込む。
「先の事は分からないけど、焦らず、少しずつ知り合いになって行きましょう」
俺は鼻の奥がツーンとなるのを感じた。
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