4. 交際中・・・・・・の積り

 彼女と遭遇してからの初めての週末。

 俺は土曜日の昼に起き出してからずっと、ワクワク、ソワソワして落ち着かなかった。木曜日と金曜日を独りで過ごしただけなのに、彼女との再会が無性に待ち遠しかった。1週間前には、彼女の存在さえ知らなかったと言うのに、だ。

 彼女は「東京には夕方に戻る」と言っていた。夕方まで特段の用事も無く、ラーメン屋で腹を満たした俺は暇潰しに駅前商店街を散策した。

 普段は素通りする商店街の一画に雑貨屋が有り、初めて足を踏み入れた狭い店内を物色してみると、赤く丸い卓袱台ちゃぶだいを目に止めた。

 直径50センチ弱の小ぢんまりした大きさで、折畳み式の脚が3つ付ついている。

――そうだ! 彼女と会う時には、これを真ん中に置こう。何となく、2人で会っている雰囲気が味わえる筈だ――

 足取りも軽く帰宅すると早速、居間リビングの床に赤い卓袱台を置く。壁に向かい、卓袱台の手前に座ってみる。

 床に胡坐を組んだままだと尻が痛いし、背凭せもたれが無いと背筋も疲れる。テーブルの椅子を持ってきたが、彼女を見降ろす感じになって話し辛い。何か小さな椅子が必要であった。

「どうせ暇だし・・・・・・、ネット通販で適当な椅子を探してみよう」と、俺はキッチンカウンター横のテーブルに座り、携帯パソコンに電源を入れた。頬杖を突きながら、通販サイトの画面をクリックしたりスクロールする。

 1週間後の週末にしか宅配便を受け取れないが、俺は赤い粒袋椅子フィットチェアを発注した。

 粒袋椅子フィットチェアの構造は、お手玉と一緒で、伸縮性の高い生地で作った袋の中に大量のビーズを詰め込んだだけ。変幻自在なので、上から腰架ければ椅子になるし、横から寝転べばクッション替わりになる。


 陽が沈む頃、俺は卓袱台に惣菜弁当を広げた。ビール片手に料理をつつき、食べ終わった頃に、押入の襖を開けた彼女が姿を現した。

「あら! 可愛い卓袱台ね」

 と、俺の姿を見降ろしながら、赤い卓袱台を指差した。

「良い感じだろ?」

「うん。もう食事は済んだみたいね。私は、これから作るけど」

「これから? 自分で作るの?」

「そうよ。女なんだから、自炊して当然でしょ?」

「じゃあ、此方こっちで食べないか? 俺の前で」

 彼女は俺からの提案を少し吟味してみたが、

「やっぱり、向こうで食べてくるわ。床に食器を並べて食べるなんて、行儀が良いとは決して言えないものね」

 と、呆気なく却下。それでは薄情つれないと思ったのか、話を引き延ばす。

「それにしても、此の卓袱台は良いアイデアね。私も同じ大きさの卓袱台を買ってくれば、2人で食事できるわねえ」

「なっ! 良いアイデアだろう? 明日にでも買って来なよ」

貴方あなた何処どこで買ったの?」

「駅前の商店街」

「そっか。私も明日、見に行くわ。

 でも、こうやって一緒に家財道具を揃えるなんて、何だか私達、新婚夫婦みたいね」

――でも、2人が触れ合うことは出来ない――

 閉塞必至の事実を思い出し、2人して急に押し黙った。その沈黙を誤魔化すように、俺が空元気な声を上げる。

「次は何を揃えるかな? 俺は先刻さっきフィットチェアを購入したよ」

「フィットチェア?」

「ああ。赤い奴。長く座っていると、お尻が痛いからね」

 フローリングの床を軽く小突く俺に、彼女は「思い出した。夕御飯を作らなくちゃ」と退場の前触れを告げる。

「作って、食べて・・・・・・、だから、1時間くらいで戻るわ。その間に御風呂に入ってなさいよ。他に遣る事、無いんでしょ?」

「ああ」

 引き止めそびれた俺の生返事を確認した彼女が押入の襖を閉める。

 実際には繋がったままなのだが、雰囲気的にトンネルが分断されたように感じる。「態々わざわざ閉めなくても良いだろうになあ」と言葉には出さず、俺は独白した。


 本当に1時間後、彼女は再び現れた。

「早かったねえ。ラーメンみたいに簡単な食事だったの?

 それとも、出来上がった料理を皿に盛らず、行儀悪く鍋から食べたのかい?」

 俺が意地悪く揶揄からかうと、トンネル外から引き寄せたピンク色の座椅子に座った彼女が反論する。

「貴方って、失礼な発言を次から次に繰り出せるわねえ。まあ、それだけ賢いんでしょうけど」

「君の作る料理に興味を持って当然だろ? だから、一緒に食べないかって提案したんだから」

「分かったわ。明日を楽しみにしてらっしゃい! 私、料理は得意なんだから」

 彼女は両手を腰に当て、勝気に胸を反らせて俺に宣言した。

「今日はんな料理を作ったのさ?」

「肉と野菜を炒めた料理と煮た料理。それに、味噌汁と御飯よ」

「何だかく分からない説明だなあ。俺が作ったって、そんな説明になるぜ」

如何どう説明しろって言うのよ! 百聞は一見にかずなんだから、明日まで待ちなさいよ」

 俺は「分かった、分かったよ」と両手を少し上げて、降参のポーズを取った。

「ところで、昨日の出張はんな感じだったの?」

「聞いてよ。もうクタクタなんだから。朝、家に帰ってから、夕方の4時までベッドの上で倒れていたんだから」

 勿体振って前口上まえこうじょうを言うと、車中1泊の出張内容を最初から最後まで、実況中継の録音テープを再生するが如く、延々と説明し始めた。彼女は30分以上も一方的に話し、俺は笑ったり、「そうだったの」と相槌を打ったり、「大変だったねえ」と慰めもした。

 出張報告の中身は如何どうでも良く、独り芝居の様に表情を変え、身振りを交えて一生懸命に話す姿を眺めているだけで、俺は幸せな気分に浸れた。

 最初は座って耳を傾けていた俺だが、「ちょっと待って」と中座を願い、寝室から持ち込んだ枕に肩肘を突いて寝そべった。

 長い出張報告を終えた彼女は、フーっと深い息を吐き、西瓜すいかのマグカップを傾けて喉を潤す。子供の頃に見た、両手でシンバルを打ち鳴らす猿の玩具おもちゃが、電源を切られた途端に動きを止めた風な感じだった。

「そう言えば、もう直ぐ、黄金週間ゴールデンウィークじゃない?

 君みたいに旅行会社で働いている人は、今更、旅行には行かないんだろうねえ。やっぱり、家でグダグダする予定なのかい?」

 彼女の電源スイッチが再びオンになる。

「そんな非生産的な過ごし方をするわけないじゃない?」

「へえ~。どっか、行くんだ!」

「行くつもりよ」

何処どこに?」

「未だ決めてない」

「でも、黄金週間だから、ホテルは予約無しで泊まれないんじゃないか?」

 俺の指摘に、彼女は背筋を伸ばし、昂然こうぜんと胸を張った。今夜はスウェット姿なので、ボディーラインは隠れたままだ。右頬をニヤリと歪ませると、得意気に言う。

「まあ、普通の人ならばね。私は旅行会社の人間よ。特別の伝手つてを持っているのよ」

 フフンと鼻息を鳴らしたように見えた。

「その秘密を教えてくれよ。んな伝手なんだい?」

如何どうしようかなあ」と焦らして戯れる。彼女の自慢顔に俺も付き合い、哀願調で「教えてくれよ」と何度も強請ねだる。

「良いわ。教えて上げる。それはねえ、従業員用の仮眠室」

 予期せぬ答えに、俺は目をパチクリさせた。

「ホテルは24時間営業なのよ。当然、従業員の誰かが宿直するわ。私は宿直者用の仮眠室に泊まるの。

 勿論、素泊まりだけど、お風呂には入れるわ。だって、料金は払うんですもの」

「それでも、急に押し掛けたら、ホテル側だって迷惑だろう?」

「そりゃあそうだけど、仕事仲間だもの。私の知り合いは先方の責任者だからね。そこは“持ちつ持たれつ”よ」

「ふうん。どの業界にもアングラの世界が有るんだなあ。

 でも、交通機関は如何どうするんだい? 旅行会社の人間だって、予約無しじゃ新幹線に乗れないだろう?」

「バイクだもの」

「バイク?」

「そう。私の趣味はツーリング」

「ふう~ん、そうなんだ。きっと、君って邪々馬じゃじゃうまなんだな」

「何よ! 邪々馬って。本当に失礼しちゃうわねえ」

「だって、そうじゃないか。こうやって話していても、そんな感じだぜ」

「私の悪口ばかり言ってないで、貴方は如何どうなの? 黄金週間ゴールデンウィーク如何どうするの?」

 俺は憐れみを請う表情で「悪口じゃないって」と弁明した。寝転んだ姿勢の釈明では宥める効果も期待薄であったが・・・・・・。

「俺は多分、自宅でグダグダしてる。だから、君との会話が楽しみだったんだ、正直に言うと・・・・・・」

 俺の残念がる本音に感じ入ったのか、彼女の口調が少し憐憫を帯びた。

「本当に何処どこにも行かないの?」

「多分」

「貴方、趣味とか楽しみって、何か無いの?」

「アウトドアを楽しむ趣味は持ち合わせて無いなあ。

 精々ビデオ屋で借りた映画をまとするくらいだ。休みは何時いつも同じ様に過ごしているよ」

「呆れた」と、彼女が目を丸くする。

「貴方、外を出歩かないと肥満デブになっちゃうわよ。立派な体格をしているから、私てっきり、スポーツマンかと誤解していたわ」

「残念ながら、そうじゃない。君の方は、もしツーリングに行くとしたら、何処どこに行くんだい?」

「恐らく、信州の方角でしょう。ライダースーツを着ていても、東北は未だ肌寒いと思うし・・・・・・」

「見せてよ」との頼みに「良いわよ」と速攻で返事した彼女は、軽やかに起立して襖を閉めた。左の方からゴソゴソと荷探しの音が微かに伝わる。

 直ぐに襖が開き、「ジャ~ン」とおどけた声と共に再登場する。ライダースーツを片手に持っていた。

 全身の基調は深紅に染めた革製品。肩から袖、脇から腰、そしてくるぶしまで青いラインが2本、左右に入っている。ライダースーツから想像するに、ヘルメットは同じく赤のフルフェイスタイプだろう。

 彼女と一緒だったら、もう一度バイクに乗っても良いな――と、俺は思った。学生時代にはバイクでく遠出したものだ。

んなバイクに乗っているの?」

「ホンダのVTR250。ネイキッドタイプのバイクよ。オイルタンクは、勿論、赤。

 順序としては、バイクの色に合わせて、ライダースーツも赤い奴を選んだんだけど」

「結構、飛ばすのかい?」

「いいえ、安全運転よ。私は、バイクも好きだけど、遠乗りが好きなの」

「だから、旅行会社か。海外にも行ったりするの?」

「海外旅行は未経験。裕福じゃないし、英語も話せないしね。

 貴方には海外経験が有るの?」

「学生の頃にリュックを背負った貧乏旅行を何度か。『地球の歩き方』ってノウハウ本を知ってる?」

 彼女は「名前だけ」と首を横に振りながら、リクライニング式の座椅子に腰を降ろした。ライダースーツをポイっとトンネル外に投げる。

んな国に行ったの?」

「物価の安い国さ。タイやインドだね。興国商事に入社してからは、何度かアメリカに出張して、小麦を買い付けて来た」

「へえ。それじゃあ、英語、話せるんだ!」

 俺は自慢気に頷いた。

「総合商社に入社する人は違うわね。大学は何処どこなの? 有名大学なんでしょ?」

「また今日も御見合い路線の質問になっているぞ」

 初めて真面に交わす俺達の御喋おしゃべりは数時間も続いた。楽しい話題は尽きなかったが、彼女は入浴を済ませていない。それに明日の日曜日に再会できる。俺達は、名残惜しむ気持ちを抑えつつ、会話を切り上げる事にした。

 俺の求めに応じて、今度は襖を閉めなかった。でも、3畳間の電器を消した途端、トンネルが断絶したようになった。


 彼女に生活改善を促された俺は、翌日曜日の午前中に新宿まで出向き、自転車を物色した。手始めに、黄金週間ゴールデンウィークには自転車で遠出しよう、と決意した。

 夕方、自宅に帰ると、彼女の現れた痕跡が残っていた。新たな卓袱台が居間リビングに加わっていたのだ。俺の卓袱台と同系色の赤で、少し大き目の卓袱台が現実の卓袱台に薄く重なっていた。

 卓袱台にはノートの1ページを破り取った紙切れが置かれ、紙面には『家事』と大きく書かれていた。

 午後3時過ぎ。俺はパソコンを開くと、黄金週間の旅程候補をインターネットで探し始めた。

 運動不足が祟って、直ぐに筋肉痛になるだろう。長くて1泊2日。自ずと行き先は伊豆半島か山梨辺りに絞られる。「だったら、海を見よう」と即決で伊豆半島に決めた。

 休日のネット・サーフィンである。そう言えば・・・・・・と、彼女の出張報告に登場した場所を調べようと思い立った。今夜の話題仕込みにもなる。

 調べている内に、1つ奇妙な事実を発見した。ホテル・クローバーを名乗る宿泊施設が存在しないのだ。富山県南砺市には、小原ダムに堰き止められた湖が有り、湖畔には“くろば温泉”が有る。でも、1軒の日帰り施設が有るだけで、宿泊施設は皆無だ。

――如何どう言う事だろう?――

 俺は腕組みをして暫く考え込んだ。

 話題に挙がった2軒目と3軒目のホテルは有るようだ。ホテル・クローバーだけが無かった。


 陽が翳り、部屋の中が薄暗くなる頃。彼女の買った卓袱台の像が色濃くなってくる。

 ピンク色の部屋着スウェットに白いエプロンを重ねた格好で彼女自身が現れた。前屈みにトンネルを覗き込みながら「もう居るの?」と呼び掛けて来た。俺はパソコン画面から視線を外すと、「居るよ!」と大声で返事した。

 俺は、部屋の中を移動し、卓袱台の前に座り込む。彼女の顔を見上げる感じになる。

「もう御飯、食べたの?」

「いいや。未だ少し早いしね」

「私、これから作るの? 少し待ってくれる?」

「勿論だよ」

「料理しないの?」

「しないよ。弁当を買ってる」

 俺はキッチンカウンターを指差した。彼女には見えないのだが。

「また弁当なの? 呆れた!」

 彼女が両手を腰に当てて仁王立ちになった途端、胸の辺りから上が見えなくなる。頬を膨らませているに違いない。

「弁当ばかりじゃなくて、少しは真面まともなものを食べなさいよ。健康に悪いわよ」

「俺が自炊するより余程、弁当の方が真面だと思うけど・・・・・・。

 まあ、言い争っても仕方無いから、料理を作っておいでよ」

「そうね。じゃあ、待っていてね」

 彼女は視界から消えた。


 更に小一時間。彼女が料理を盆に載せて戻って来た。ブリ大根、野菜炒め、白米に味噌汁。味噌汁が零れぬよう、慎重に盆を卓袱台に置いた。食膳代わりの盆は卓袱台の中央線を少々侵蝕している。

 俺は顔を近付け、彼女が「如何どう?」と自信満々で尋ねる料理に見入った。

「盛り付けも丁寧だし、見た目はバッチリだよ」と褒めた後、「味見できると最高なんだけどなあ」と叶わぬ願望を口にした。残念がる俺に彼女も「そうよねえ」と消沈した声音で同調する。

「さあ、食べましょう。貴方も弁当を出したら如何どう?」

 自分達を鼓舞するように発した彼女の提案に、俺も「そうだな」と気持ちを入れ替えた。スーパーで買った弁当と総菜を卓袱台に並べ、2人で膳を囲む。俺達は箸を動かしながら、黄金週間ゴールデンウィークの予定を話題に盛り上がった。

 他にも色んな話をしたが、話題の提供役はもっぱら彼女だった。先に食べ終わった俺は弁当の殻を脇に退け、惣菜をツマミにビールを飲み始める。彼女は未だ食べ終わっていない。

 彼女が御喋おしゃべりに小休止を入れた時、聞き役に徹していた俺は、やおら口を開いた。

「ねえ、緒方さん」

 彼女の顔が上がる。俺は、如何どう切り出して良いものやら、少しモジモジした。

先刻さっきまで、俺、インターネットを見ていたんだ。君が現れるまで」

 怪訝に感じたらしく、モグモグしながら黙って俺を見ている彼女。

「昨日の夜、富山県のホテル・クローバーの事を話していたよね?」

 話の展開が読めない彼女は、箸を咥えたままで頷いた。

「実は、そのホテル・クローバー。存在しないみたいなんだ」

如何どう言う事? 私、行って来たわよ」

「インターネットに拠ると、南砺市のくろば温泉には日帰り施設だけで、宿泊施設は無いんだ。

 その日帰り施設の名前も、ホテル・クローバーとは違う。多分、自治体が運営しているんだと思う」

「何だか、狐につままれた様な話ね。ホテル・クローバー以外の2つは?」

「他のホテルは2つとも存在したよ」

 彼女は胸を撫で下ろした。俺が事実を発見した時に抱いた不安と似た気持ちを、彼女も感じたのだろう。

 2つの世界が微妙に異なる事は既に理解しているが、改めて「存在しない」と宣告されると、落ち着かない気分になる。

「そう考えると、これもなんだが、君の賃貸アパートは何階建て? まさか、3階建てじゃないよね?」

「ええ。2階建て。私の部屋は、2階建ての2階。」

「そうだろうね。此処は3階だよ。8階建てマンションの3階。

 元々は小高い丘だったんだろうけど、その上半分を切り取って造成した広い土地に此のマンションは建てられているんだ。

 其方そっち如何どうなっているの?」

「確かに小高い丘の斜面に建っているわ。丘の斜面を階段状に切り崩していて、その1つの段にアパートが建っているわ」

「やっぱりね。地面の高さが違うんだ。だから、3階に住んでいる俺と、2階に住んでいる君とが、こうして知り合う事が出来たんだね」

「神様の巡り合わせだわ」

 確か2日前にも、彼女は同じ様な台詞せりふを口にした。

――もしかして、運命論者? まあ、大概の女の子は占い好きだし、誰でも似たり寄ったりなんだろう――

「折角の週末なのに、気味の悪い話をして、御免よ」

「ううん。でも、違う発想をすれば、2つの世界の間違い探しを楽しめるって事よね?

 何だか、ワクワクしちゃうわ。探検しているみたいで」

「君って、前向きだなあ」

 その後、彼女は自身がく行く駅前商店街の店舗を1軒ずつリストアップした。でも、俺の方が駅前商店街で買い物をしないので、「分からない」、「知らない」の返答が連続してしまい、埒が明かなかった。

 俺が唯一利用する店舗は、食品と日用品に特化したスーパーマーケットのチェーン店で、彼方あっちの世界にも存在した。小さな点は違っても、大きな点は大差無いようであった。

 食事の後片付けと入浴の為に中断した会話を再開してからも、俺達の間違い探しは続いた。

 入浴中の彼女を待つ間、彼女の卒業した中学校と高校の存在をインターネットで確かめたが、俺の世界にも存在した。流石に公立校なのでホームページの記載内容も限られ、大した情報は得られなかった。それでも、彼女は「良かった」と安堵した。

 映画や音楽の類は、2人の趣味が異なっていたので、両世界の相違点はく分からなかった。少なくとも、幼少期のヒットソングや人気のテレビ番組なんかに齟齬は見出せなかった。

 視点を変えて世界情勢を比較すると、2008年のリーマン・ショックは彼方あっちの世界でも発生していた。世界経済の大混乱を巨額な公共投資で乗り切った中国が世界経済での存在感を高めた歴史も同じだった。

 日本の政治については大きな違いが有って、彼方あっちの世界では政権交代が起きていない。タカ派の総理大臣が体調不良に陥らず、保守系政党が長期政権を維持した。だから、尖閣諸島も国有化されなかった。でも、東シナ海のガス田開発を巡って中国との領土問題は激化しているそうだ。

 ちなみに、政権交代に見舞われなかった彼女の世界では、沖縄県の普天間基地は粛々と辺野古基地に移転され、米軍基地を取り巻く政治的混乱は生じていない。だから、日米両軍が一体となって、ガス田近海に布陣した中国軍と対峙しているそうだ。

 多少の相違は有っても、運命と言うか、大きな時代の流れは同じ方向を歩んでいると感じる。

 俺達は、間違い探しに飽くと、修学旅行の夜みたいに初恋経験を打ち明け合った。

 大学時代をレスリングに捧げた俺には無縁だったが、軟派サークルで女の子と合宿に行ったら、きっと今夜の様に楽しい時を過ごしたんだろうと思う。

 3畳間には時計が無いみたいだが、俺の座る居間リビングでは、彼女の頭上で壁時計が冷酷な時を刻んでいる。日曜日の夜更かしは禁物だ。23時を回ると、俺は男なのに、シンデレラの気分だった。

――もっと話していたい・・・・・・。

 俺は、会話が途切れた途端に彼女が「寝ましょう」と言い出す事を恐れ、次に繰り出す話題の弾籠めに忙しなく頭を働かせ続けた。

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